8.愛は時として盲目になる
「パパ、くるの!」
「ビオラちゃんのパパ?」
「そ。パパ!」
ヴァイオレットの髪をした人族の少女はガーベラの子供の一人である。2歳半になろうとしている少女はつたない口でフィーに自分の父親が来ることを訴えていた。
「パパってどんな人?」
「パパはパパ!」
「そっか、パパかー」
全く父親の情報が分からないが可愛い。ただ可愛い。
ガーベラの夫はガーベラと同じ孤児院出身らしい。特に歳が近いガーベラとロイクと仲が良かったようだ。
ロイクの子供時代が想像できないが孤児院で暮らしていた頃は大体はガーベラやマーガレットがペラペラと喋ることが多かったので、ロイクは昔から大人びていて、生意気な子供だったというイメージが強い。
だがガーベラの子供時代はどうだったのかはあまりロイクの口から伝えられたことは無かった。今でこそ強く逞しい半面、可愛いもの好きの女性であるのだけれど。
「そう言えばウォル知ってるんだよね?ガーベラの旦那さん」
「は?ドックウッド知ってんの?」
「ジル先輩どこ行ってたんですか」
「どこでもいいでしょ。ここからは出ねえよ」
後から割り込んできたジルベールもガーベラの夫がどんな人なのか気になるらしい。
「……心当たり……ていうか子供らの顔を見ればすぐわかるっていうか」
ウォルの視線につられて二人はビオラとその近くで寝そべっている赤子のトレニアをじっと見る。
ガーベラの子供は二人でどちらも女の子だった。
ビオラは人族でバイオレットのさらさらした髪をしている。半面トレニアはまだ生後9か月の赤子だが、ふかふかのオレンジの尻尾とネズミのような耳を持つ魔族だった。
ということは父親はヴァイオレットの髪をしたネズミ系の魔族ということになるが、まだ小さい女の子から父親の顔を想像することはできない。
孤児院にいた頃は行き遅れと言われていたガーベラのことだ。そんなガーベラの相手が誰なのか気になるところである。
だが案外早くその疑問は晴れた。玄関の方が若干騒がしくなった。
「シードおじちゃん遊んで!」
「今日は無理だよ。ぐふっ、待って流石に容赦して……!」
「敵兵確保ー!」
「いや待って、マジで勘弁してくれ……!」
「あはは!こら攻撃すんじゃないの!」
きゃいきゃい騒ぐ子供達の声に紛れて情けない男の声とガーベラの声がする。来て早々男の子たちに攻撃されているらしい。
「パパ!」
「おー迎えに来たよ」
ガーベラに連れられてやってきた男は年相応の優男だった。
魔族であるということ以外特段特徴らしい特徴もない平凡な男である。ウォルの方から「やっぱり」と小さくひとりごちていたから時計屋の主人なのだろう。同い年のロイクより若干若く見えるが、そもそもロイクが老け顔なのだった。
見ない人がいることにあちらも一瞬目を見開いたが笑顔になった。
「もしかしてガーベラが言ってた卒業生?」
「はい。初めましてフィラデルフィアです。竜族です」
「ウォルファングです。種族は狼。この人は俺たちの付き添いのジルベールです」
「どうも」
立ち上がった一同と対面すると、シードは男二人、特にウォルを見上げては一瞬身じろぐ。ジルベールは目つきが悪く顔に傷があるし、ウォルは年齢の割に身長が高い。そんな男二人と対面しているのだ。怖がるのは仕方ない。
「背、高いね……初めまして、シードです。種族はチンチラです」
談話室は土足厳禁だ。シードは入口で膝を付くとビオラが画用紙を持ってシードに駆け寄って見せる。
「パパ、あのね、きょうこれかいた!」
「上手いねー持って帰る?」
「ん!」
親子のほのぼのした光景に一同思わず目を細める。ガーベラは荷物をシードに預けてトレニアを抱えた。
「今日さ、この子たちの定期健診だから診療所行かないといけなくて。だから早く帰る必要があってね」
「なるほど……」
混血児は本来虚弱なので赤子の死亡率が高い。フィーは竜族だからなのか丈夫だがこの子たちは魔力が多くなる分、生命力がごっそり削られる。
「ウォルはアタシの旦那と初対面じゃないでしょ」
「あ、はい」
「そうだっけ?」
「ほら三年前。迎春祭の前に
ガーベラはシードに肘をついた。三年でウォルは目まぐるしく成長したので覚えていても姿が一致しないかもしれない。
三年前の迎春祭。国内で迎春祭が行われるのは数年ぶりで、軍の監視が強化されていた年だ。その迎春祭前に時計を壊した犯人じゃないウォルが不満ながら時計の修理依頼のお使いをガーベラと一緒に行ったのだ。
「あ、あぁ!君うちの店で筋トレしていいか聞いてきた子か!」
ジルベールはシードの一言に思わず吹きだした。「え、マジで?」と笑いこらえながら確認すると「まじ……です」なんて片言に返事を返してくるので更に「お前サイコーだわ!」なんて笑い飛ばしている。ジルベールの笑いのツボがわからない。
「ウォルアンタそんなこと言ったの?」
「……余計なこと言わないでくださいよ」
ガーベラは呆れ顔になってウォルを見上げるが、ウォルはシードを見た。そんなシードはにこにこと笑みを浮かべながらどこか感慨深いような顔をしている。
「でもこんなに大きくなったのかぁ……筋トレ頑張ったの?」
「あっはははは!!ちょっ!いっひひひー……あー腹痛い。ドッグウッドお前のそういうの嫌いじゃねえよ?」
「やめてくださいって!」
―――
///
蘭暦260年(女神暦2059年)。
同い年の生徒よりも一年遅く医学部へ進学することが出来た自分は、まず真っ先に絶望したのはこの学院は貴族同士の社交場で、魔術の研究や勉強は思っていたよりも深く行っていないことだった。
最初こそ自分の血のコンプレックスもあり、純血主義の家の出が多かったことには安堵したものの、その魔力の少なさに違和感を抱いた。
自分も歴史だけは長い家の出だ。意識こそしなかったものの、体の弱い混血の子供を設けるなんて非効率なことはしなかった。
だが魔術は魔力が必須だ。元々魔力が籠っているタイプの魔術道具はさておき、それ以外の自分の魔力が原動力である魔術は己の魔力が必要以上なければ論外。
自分が進学した医学部は人体の知識を知る必要があるが、それと同時に器具で扱われる魔術道具は己の魔力が必須だ。魔術学院なんてただの名前だけの学校かなんて思ったものだ。
社交場として深く他の生徒と関わるつもりは無かった。ただクラス内に変わり者がいたので彼と共にいることの方が多かったように思える。
「別に魔力が無くても医者にはなれるだろ」
「俺が知りたいのは魔力核を変形させる魔術だ」
「うわ、魔力核か!心臓をいじくりまわすなんてヤバイこと考えるなんてすごいね」
彼の名前はフレイ・デーモンライト。代々国立病院で医者をしているデーモンライト家の跡取り息子だった。
フレイのおかげでこれまで魔術ばかり見ていた自分に違う視野を広げてくれたはいいものの、彼自身自由奔放な性格であったため、真面目に授業を受けないことが日常茶飯事。姿を偽っているが、カメレオンの魔族であるらしく、彼の魔法とカメレオン特有の擬態技術を駆使して逃げることは得意だったし、己の正体を明かしたくないのかなんなのか、自分の姿を変えることも当たり前になっていた。
天才医師の七光りと地方領主家の秀才。そんな自分らが気に食わない人間も一定数存在しており、クラス内で嫌がらせのターゲットになることはよくあった。
自分はフレイのように器用にのらりくらりと過ごすことは出来ないし、年功序列であった孤児院と違い家格で差別されることに不満を持たない日は無かった。
その不満は爆発して主格を殴り倒したとき、当時学院の警備兵を統括していたターゲスに見られて気に入られてしまい、休日や休みの時間にこっそり体術を仕込まれた。
理由を訊けば「家格のしがらみを気にせず気に食わない相手を殴る姿が良かった」と言っていた。自分が言うことではないと思うが本来止める人間に言われても面白くなかった。
結局警備兵に見つかったので、その暴力沙汰は教師たちにも知られてしまい、嫌がらせを受けていた自分を庇う人間はどこにもおらず、2週間の停学処分になった。ちなみに何もしなかったフレイからは「穏便に済ませるのも処世術だよ」と言われた。
それ以降生まれつき図体が大きいこともあってか、怯えるようになったクラスメイトはフレイ以外は誰も自分のことを必要以上に関わることは無くなった。
そんなこんなで穏やかに過ごしていた学校生活だったが、師事する教授に気に入られ研究を手伝わされながら自身の研究に没頭し、充実するようになった。
だが蘭暦264年(女神暦2063年)12月に事件が起きた。
丁度同じ教授の下に付いていた同級生に自分の研究していた内容を知られ、しかもその内容が未だ誰も成しえていない臓器移植。魔力核の移植についてだったため、「他人の魔力核を入れ替えるなんて野蛮だ」と晒上げられたのだ。
ダリアの心臓をどうにかするための研究の一環だった。その過程の一部を晒上げられ、しかも「誰にも魔法を明かさない臆病者」と罵られ、「孤児を救うために人を犠牲にするのか」なんて貴族にとっては至極真っ当な理由で非難された。
だが自分は自分のことを罵られるよりも、孤児が、
それ以降は怒りのまま暴れ、駆け付けた警備兵たちに取り押さえられた。その結果、自分は退学処分を受けたのだった。
///
「当時は別に臓器移植の手術が出来なかったわけではない。ただ、孤児の臓器を売買するあくどい貴族や商人がいてね、それを知った当時の皇帝陛下が臓器移植自体を禁止したのさ。
当時は家族が同意して臓器を提供してくれれば手術が出来たんだけど、教会の方も絡んでいたんだろうね。教会って人の体を神聖視しちゃってるから。多分その認識が医者にまで浸透しちゃったんじゃないかな。
でも私の父はそれでもその研究することをやめなかったから王都の病院から追い出されちゃって一緒に私もめでたく追い出されたんだけど」
「それっておめでたいこと?」
「私にとってはおめでたいことだよ」
「こうしてのんびり診察しながら好きな研究ができるんだから。ロイク様様だよ」と魔法を使用しながら触診をすると「はい、問題なし」とふわふわした尻尾を揺らす赤子のお腹をぽんぽんと優しく撫でる。
ガーベラは診察が終わった自分の子供を抱きかかえると、町医者として長年世話になっているフレイを見た。
今日は小柄な少年の姿に扮している彼を見て、何故こう毎日精度の高い魔法を使って姿を変えるのやらと思いながら、ふと別の疑問を持つ。
「でもなんでロイクは『貴族』じゃなくて『大人』が信用できなかったんだろ。15、6歳なんてまだ子供に見えてもおかしくない歳でしょ?しかもロイクから見れば一つ年下だし」
「さぁ?でも中には商家の人も居たし……まあ後は、学院の教授や職員も見て見ぬふりをしたからじゃないかな」
ガーベラは当時のロイクの様子を脳裏に浮かべる。
ロイクのしたかったことがどんなものかはガーベラは分からないが、もしロイクのその研究が進んで成功したとしても、ダリアはおそらくそれを拒むだろう。
心臓と魔力核は同一。切っても切り離せないのだから臓器提供者は確実に死ぬことになる。それはロイクも分かっていたはずだ。
だが結局ロイクは他人の心臓を犠牲にしてまでダリアを救いたかったのだろうか。と既に過ぎた話に思考を巡らすのだった。
―――
深夜。交代の時間にウォルはジルベールに起こされた。
魔術のシールドが張り巡らされている孤児院とはいえ、以前あっさりと解除された前例があり、護衛の二人は夜交代で寝ずの番をしてフィーの護衛をする必要があった。
環境の整った孤児院でここまでする必要はないだろうとジルベールは反論したが、ウォルの夜間の訓練にもなるだろうというアリックスの指令だったので嫌々ながらも承知していた。
夜間の任務は
「なぁドックウッド。この町……ウイエヴィルでもいいけど、娼館ないの?」
「
「違うわ。
ハナマチ。ショウカン。しょうかん。はなまち。娼館。花街。
寝起きで思考が働かなかったウォルは目が覚めてくると同時に、目の前の先輩が春を売る所に行こうとしていることに顔を赤くした。
「はなま……っ!?任務中にどこ行こうとしてるんすか!?」
「声がデカい。行くわけねえだろただの興味だよ」
孤児院にいた頃にそういうことを教わったことはなかったウォルは若干その辺の知識は浅い。だが軍で大勢の大人達に囲まれたウォルは嫌でも耳にするし知識としても蓄えられた。
だが流石にこの領地に娼館は無い。あっても美女が酒を注ぐなどもてなしながら話を聞いてくれる酒場がある程度だろう。アレのどこが楽しいのかウォルは未だによく分からないが。
「……無いです。そもそもカレンデュラ領はそういう店出すの禁止してると思いますけど」
「あー……」
決めたのはロイクではないだろうが、代々孤児院を営むような人間がこの領地の責任者だったのだ。卒業した孤児がそういう店で働いて欲しくないのだろう。
納得したらしいジルベールは「お堅いなぁ」とつまらなそうな顔をする。
「行かないのになんでそんなこと聞くんですか」
ウォルの知っているジルベールは一言で言えば「ステゴロで戦う女好き」だ。
特に自分より年上でピンク髪の女性が好きなのか、大隊長であるアコナイトを見かけるとあの露出の高い戦闘服を着用していなくとも「いやー眼福眼福」なんて言う人だ。昔はもっとひどかったらしく、アコナイト本人から毒の魔法を纏わせた腕でラリアットを食らったこともあるらしい。自業自得である。
恋人を作っても長続きしないらしく、以前トラブルに遭ってしまい、それを知った母親であるヒヤシンスにお灸を据えられたという。その話を聞いた時軍の関係者に自分の家族がいるとこういうこともあるんだなと勉強になった。
「んー。どんなピンク髪の姉ちゃんがいるのかなって気になっただけ」
「クズが」
思わず口から本音が漏れるが、相手は分かっているのか返す気力が無いのか反論しなかった。
そんなジルベールが今回護衛に回ると聞いた時第三小隊の一部は反対していた。「公正にじゃんけんで勝ったんだからつべこべ言うな」とアリックスが押し通したので結局行くことになったのだけれど、彼に任せて良かったのだろうかと今更そんなことを考える。
「てか先輩なんでピンク髪の人にこだわるんですか。しかも年上」
「聞くか?」
「……やっぱ聞きたくない。さっさと寝てください」
「……あー、思い出したじゃんか責任取れよワンコぉ……」
ジルベールの目は虚ろだ。眠たくて駄々こねているのだろうか。孤児院でも子供を寝かしつける時にこういうタイプの子供はいるが相手は二十歳の大人。普通に相手にしたくない。
「話したら寝てくれるんですか」
「んー……13ん時、俺はクリス……いや、クライアン先輩のいる部隊に配属されたんだけどさ」
(なんか話し始めた……)
それにジルベールがクライアン(Chraian)をクリス(Chris)と呼んでいたのは初耳だ。
そんな話をウォルは半分聞き流しながら相槌を打った。
本来一般の少年兵は激戦地に送り込まれることはまずない。だが当時は相当人手が足りなかったのか、ジルベールは12の時に従軍してから間もなく当時の激戦地に派遣されたのは以前ウォルも聞いたことがあった。
「拠点が出来ると娼館も出来るんだよ。戦場にいると溜まるものも溜まるから。
でも娼館ってさ、13じゃ入れないんだわ。店の中にはもっと小さいガキもいるのにな。先輩は保護者ぶってるのか絶対に行くなってうるさくって」
「……」
「でも俺、興味本位で行ったんだよ……真っ昼間に正面じゃなくて裏手から……したら、その店の裏手の窓から顔を出してた女と目が合って……昼間は暇だからってんで俺が暇になった時とか時々話し相手になった……」
サクラという名前の兎族で、桜色の髪をした面長の女性だったらしい。戦場に出張で来る娼館はいくつかあったようで、彼女もそれで来た娼婦の一人だった。
「でも夜に、敵が襲撃してさ……」
必死こいて追い返し、朝になって惨状が明らかになると、娼館のあった場所の近くに若い女の左腕が一本見つかった。手首にあるほくろと指先に塗られていた薄緑色のマニキュアを見て、彼女の腕だと確信したらしい。
「俺もがむしゃらに戦ってたけど、他人を守る余裕はなかった。腕が一本取れただけなら、良かったんだけどな」
その後娼館のあった場所には彼女の遺体が他の娼婦たちの遺体と一緒に見つかり、結局サクラは死んでいたことが確認されたという。
「それからずっと、その女の人の面影探してるんですか」
「……さあね、でも……アレは、ガキの俺には刺激が強すぎた」
あくびをしながら「おやすみ」とジルベールは眠りについた。
「ベノム大隊長の髪は、ピンクはピンクでも、桜色じゃねえよな……」
そもそも桜なんて見たことないのだけれど。
―――
ウォルは自分の先輩が眠るのを確認すると、隣の部屋に入る。客間は一階の応接室の隣に二つあり、扉を挟んで行き来できるようになっている。
ベッドで横になっているフィーの顔を覗き込んだ。
「のんきなツラだな……」
悪夢を見るようなった影響か彼女は眠りこそ浅いが、今では夜中に起きることは少なくなったらしい。実際フィーの顔色は悪くないのでそうなのだろう。
そっと音を立てないようにフィーの部屋を後にし、見回り次いでに廊下を出ると足音が聞こえてきた。
「ロイク」
「ウル。夜の護衛か?」
「あぁ」
ロイクも服こそ寝巻だが、髪は束ねているところ彼も夜の見回りだろうか。
ロイクは多忙だ。子供達の世話だけではなく、授業や魔力のコントロールの訓練を施し、孤児院にある家畜小屋や畑の管理。女手では行えないような仕事も行う。その合間を縫って自身の魔術の研究にいそしみ、時折領地の相談役という名の責任者としての仕事もある。
「ロイクっていつ寝てんの?」
「心配せずとも、昼間も眠っているから一日の睡眠時間はそこまで短くはないよ」
頭を撫でられる。自分は年上の同僚たちと比べると上背もかなりある。なのに目の前のロイクも背が高く、未だに背は抜けない。
「俺、もう頭撫でられるほど子供じゃないんだけど……」
「親から見れば子供はずっと子供だ」
ロイクには感謝している。あの村で殺されかけた自分を助けてくれただけでなく、衣食住を提供し読み書きなどの学や武を教示してくれた。
そんなロイクは今も自分に対して親か師として接してくれる。それは純粋に嬉しいが、フィーにも同じことを言うのだろうか。
女神とその夫。フィーとロイクはその運命に縛られているらしい。それゆえかフィーは目の前の男を愛してしまった。だがロイクはフィーを揶揄うことはあれど自分の本心を見せたことはない。
「フィーは、アンタと結ばれるの諦めてるぞ」
「……なんだ突然」
「知らないなんて言わせない。ずっと気付いてるんだろ」
寂しげに目を伏せるロイクのその顔に覚えがある。愛おしさと後悔と自嘲が混じった顔だ。
「置いて行かれる人間の心も知らないで、他の女と添い遂げるなんてできる訳がない」
「……ダリア、さんのことか」
自分とフィーを連れ出したその一月前にロイクは最愛の妻を亡くしたばかりだった。偶然ロイクが自分らの故郷の村の近くを通りがかったのも、その喪失から現実逃避したからだということは人伝に聞いていた。
「生憎俺は未練がましい男でね」
「それを言い訳にするにしても、アイツを突き放さないのはなんでだよ……それは狡いだろ」
「……お前は向き合ったんだったな」
結局フィーにとって自分は弟で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ならせめて彼女の
そんな時代遅れなことをするのはやめろと遠回しに同僚や上官達から言われたが、自分は姉を守るために生まれた。守るべき相手を愛してしまった以上、その定めは生憎否定することはできなかった。
「そうだよ。でも、フィーはアンタの幸せのためにその呪いを解こうとしてる」
「……」
「ロイクはさ、フィーの目が赤くなるの知ってるか?」
「混血なら当たり前だろう」
「片目じゃない。両目だ」
その様子を見る限り知らなかったのだろう。
フィーは人族の父親と竜族の母親の混血だ。だから魔法を使うと片目、厳密には右目が赤くなる。
だけどフィーは時折両目が赤く光ることがあった。以前は自分の口から思ってもない言葉を発して困惑していたが、最近はそんな素振りすら見せないし、気付いていないようだ。
「もしかしたら、フィーは女神になろうとしてるんじゃないの」
フィーは女神と自分は別人だと割り切っていると思っているが、もしかしたら彼女の精神は女神の精神と混ざってしまっているのかもしれない。
ここまで話すとロイクが真っ先に放った言葉はこれだった。
「……なぜ今までそれを俺に報告しなかった」
「手紙は検閲されるだろ。流石に女神のことは言えねえよ」
「違う。それは仕方ないが、孤児院を出る前から気付いていたんだろう」
そう問われるのは、自分が一番フィーの側にいたからだろうか。それともその時期からロイクにも心当たりがあったのだろうか。
「俺だって分からなくて……アイツから夢の話を聞いた時、アンタのせいだって思ったこともあったし。……でも結局俺はロイクに話すことで俺はフィーが怖いって認めるのが嫌だったんだ」
不安や恐怖を感じるのはそれが未知だからだというのはアリックスからの言葉だ。だけど守るべき存在であるはずのフィーに対して恐怖を抱くのは彼女の存在を否定しているような気がしたのだ。
それに突然流れ込んできた未知の感情に振り回されたフィー本人が怯えていた。自分が彼女を支えるために怯えてはいけない。
「今もフィーは自分の好意がロイクを縛り付けるって思ってる。だからロイクからの愛情も親から子に与えるモノだとしか思ってない」
「……」
二人はどこか嚙み合っていないのは分かっていた。でも知らないふりをして何も言わなかった。
別にお互いの関係に変化があったわけではない。だけど今回は三年ぶりの再会だ。次会えるのは何年後になるか分からない。
「だから、せめて、フィーに対してどう思ってるのかはっきりして欲しい。それを本人に伝えてほしい」
そうでもしないと、フィーは女神とロイクの板挟みになって押しつぶされる。
ここまで話して、ロイクの表情はふわっと柔らかくなった。
「お前は本当にフィアが大切なんだな。これではお前が手紙で言っていたモンペ達よりも厄介だ」
「なんだよそれ……」
なんだかはぐらかされたような気分だ。
――――――
【補足】
シードの魔法は雷です。
第二章に出ましたヴェロニカと同じ魔法ですが、シードの雷は紫、ヴェロニカは黄色や金色のイメージです。
ヴェロニカの方は雷を「電気」のイメージで使用していたため、もし電化製品が存在していればその電力源に魔法を使用することが出来るかもしれません。
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