6.撫子の都市



 自分の上官の娘であるフィラデルフィアは現在魔術学院に通う学生だ。だが今回彼女が世話になった人が病である故に現在休暇中である。

 学院でもかつては貴族が多かった。そのため領地へ戻る用があるなどで長期的な不在には寛容的だった。だがそんな彼女の護衛を請け負っているこの部隊は彼女が不在でかなりピリピリした雰囲気を醸し出していた。


「お、クライアンお疲れ。胃薬いる?」

「挨拶代わりに胃薬をすすめるな。…………いやありがたくいただく」

「いいよ。ほら」


 薬包紙に包まれたそれをアリックスが投げてきたのでその場で受け取る。

 第一部隊治安維持部第三魔族小隊は、主に要人の護衛と街にある要所の警備を役割としており、種族としての体格や要人警護の都合上魔族のみで形成されている小隊だ。

 そんな彼らを取り纏める隊長、アレクサンダー=アリス・フォン・ロータスはまだ十八歳と若いのにも関わらずそのキャリアは自分と同じくらい長い。

 旧皇国時代。宰相を勤めた父を持ちながら、幼い頃から軍に在籍していたらしいがその経歴は不透明である。(自分がそんな彼を同期だと認識したのはここ数年と最近だ。)

 だがそんな彼もお手上げ状態で執務室にいる苛立ちを見せている彼らを眺めている。


「ところでアリックス、これは一体どうした」

「そりゃあ、あの麗しのお嬢様フィーが長期で不在だからだよ。しかも付き添いがあのステゴロ野郎ジルベールだから尚更不満なんだろうね。だから公平にじゃんけんで決めてあげたのに」

「……どうにかしてやれ。隊長だろ」

「元から僕の言うこと聞いてくれないのに、そんな奴らをどうやって立ち直らせるのさ」


 色々つっこみたいところはあるが、アリックスも強い。

 最初こそ彼も年上の部下たちに舐められていたが、一回の戦闘で全員を戦闘不能にさせてからは彼らもアリックスに従っているはずなのだが、アリックス自身が基本放任主義であるせいでこの有様である。


「……しかし、カレンデュラか」

「何。クライアンも嫉妬?」

「違う。ドックウッドの方だ」

「また?あんなのに気にしてたらまだまだ彼も未熟だよ」

「……あぁ、そうだな」


 アリックスの言うことも事実だ。だがウォルはフィーに甘い。


「だから任務の一環だと言って行かせたんだ」

「お人好しだね。でもそんなの無意味だよ。彼は軍服を着ようと脱ごうと彼女の騎士ナイトだ。たとえ彼女が別の誰かを見ていたとしても、彼は彼女が泣いて居れば側にいようとする。そしてそれに優越感を感じるんだよ。自分に涙を見せてくれる相手は自分だけだって」

「それこそ虚しいな」

「同じ経験あるんじゃないの?」


 この男は育った環境のせいかよく周りを観察している。アコナイトの弟弟子らしいが、従軍した年齢も年齢なのに、あのアコナイトの父親第二部隊の前大隊長に直接師事を受けていた時期があったらしい。


「……少なくとも弱みを見せてくれることに優越感を感じたことは無い」


 泣かれて少々困ったことはあるけど。まだ囚人として牢獄にいる金髪の後輩が脳裏によぎる。


「僕はそんな気持ち今まで知らなかったから、解決方法なんて分かんないけど」


 婚約したばかりだったアリックスとオルキデアを思い出す。

 世間的にもまだ子供だった二人が、今では何ら違和感のない夫婦として関係を築いている。

 最初こそ表向きは相手を尊重しているような振舞いで誤魔化していたのに、今はそれも本心に変わっているようだ。生まれた時から戦うことしか出来なかった彼がよくもまあ性格が柔らかくなったものである。


「奥方も愛されてるな」

「見苦しい夫の嫉妬だよ」


 どちらにせよ同じことだろうに。どいつもこいつも愛だの恋だのと拗れて面倒くさい。用を済ませて執務室から出るのであった。



―――



「必要以上にロイクに近付かないんだな」


 フィーが幼い子供達を寝かしつけたタイミングでゲリーに話しかけられ、二人は空き部屋にいた。

 先日のあの会話から改めてゲリーと対面で話すのは初めてで、フィーは思わず身を強張らせる。


 三日前のあの否定からしばらく彼と話すのは避けていた。ロイクの為を思ってあの呪いを解くと言ったが所詮自分の我儘。

 それに解呪できたとしても、ロイクには亡くなった妻ダリアへの後悔が残っている。

 自分も自分の両親があの死んだ二人以外にあり得ないことであるように、ロイクにとってダリアが自分にとって唯一の妻であるかもしれないのに、別の人と幸せになれというなんて残酷で傲慢だ。


「えっと……」

「別にお前たちの仲を引き離したり取り持ったりせんよ。ただ、せっかく来たのにそんな態度じゃあ奴もあまり良しとしないだろう」

「……そう、ですか」

「爺なりのお節介さ」


 そう言ってゲリーは近くにあった椅子に座り手を組んだ。

 座る時に息を着く所作は、ロイクと顔が似ているのに違和感を感じないのはその貫禄のせいだろうか。


「私も君が呪いだというアレを解くのは許してはいない。だが曲がりなりにも私はロイクの父親だ。息子に懸想している女性がいるなら気になるものだろう」


 いい加減、奴の子供も見たいしなと言う彼の言葉にロイクも青年と呼べない年齢であることを思い出す。

 別に彼の年齢について思うところは特にないものの、ロイク自身も下手したら孫までいてもおかしくない年齢。(酒は二十歳にならなければ飲めないが、結婚は十三歳を超えていれば可能だから)


「ロイクとは別に、恋仲になりたいと思ってないです」

「それは前にも聞いた。奴は一度妻を亡くしている。それで奴が誰かを愛せないと思っているわけではないんだろう」

「はい……ロイクが、みんなを愛してるのは分かります」


 実際ロイクは子供に対して態度が大雑把であったとしても、それは自分が面倒くさいという訳ではなく(完全に否定できないが)、遠くから見るのが好きだからだ。

 仕事の傍らで子供たちに師として、父親として、愛情を注いでいることは実際に彼を見ていれば分かる。


「分からんな。本人が愛していた相手が死んでしまえば嘆くのはごく自然なことだ。一人二人死んだところで、そんなの本人の気持ち次第だろう」

「女神は……女神様は見えないだけでまだ生きてます。他の誰かとまた添い遂げる時に遠いところにいる女神をまだ愛してることに罪悪感を持って欲しくない」


 だから、きっとロイクは【呪い】と形容した。

 フィー自身も女神の記憶越しに思う。女神も意識を手放す寸前で忘れて欲しいと彼に言った。それが叶わなかった結果がこれだ。

 それに持っている魔法が特殊なだけの人間が何代も【女神の夫】だと思って欲しくない。


「父上。もういいでしょう。これ以上貴方が口出すことでもない」

「えっ?」


 ロイクがいつの間にか自分達の近くに立っていた。相変わらず気配を消すのが上手い。

 ドアを開ける音もなくそこに立っていた彼に驚いたフィーにも目もくれず「自分もこれ以上古傷は触りたくない」と付け足すロイクに何を思ったのかゲリーがため息を吐いた。


「……お前が、呪いだと言った理由は分かった。別に『今更』私も誇りをどうこうするつもりもない。勝手にしろ」

「ゲリーさん……?」

「……フィー、『女神の尻拭い』をするのはいいが、少なくともロイクのことは君が気にすることではない」

「え?」


 そう言ってゲリーは優しくフィーの頭を撫でてくれた。どういうことか分からないフィーは困惑する。


「父上」

「私とて全てを知っているわけではないよ。少しだけ察しただけだ。……だがせめて後で私にも教えてくれ。お前とフィーのことも含めて」

「……分かってる」


 「アイリス母親には黙っておいてやるさ」という言葉に「俺から話すからやめてくれ」と苦い顔をするロイクにゲリーは苦笑しながら部屋を後にした。自分の母親となにがあったのだろう。

 部屋にはフィーとロイクが残される。


「父上にはお前のことを全て話していない。俺が記憶を受け継いでいると教えたという程度の認識だろう。今はな」

「……ごめん」

「何に謝る」

「ロイクには呪いでも、ゲリーさんにとっては誇りだった」

「別に神話のような記憶に縋りついたところで、この家がやることはずっと同じだろう」


 ロイク曰く、この孤児院は何度か建て直しすることはあったが、皇族の前進であるファレノプシス家が誕生する前からあったし、その創設者も女神の夫だという。

 だが事の成り行きでファレノプシス家に記憶が受け継いでしまった時にもこの家は家として機能していた。記憶が受け継がれなくてもこれまでの実績があるのだから、カレンデュラ家もといこの孤児院は残ると判断したのだろう。


「そっか……」

「さて、行くか」

「どこに?」

撫子の都市ウイエヴィルだ」



―――



 ウイエヴィルとアイーシュを繋ぐ山道を歩く道中。感じる視線にロイクは後ろを振り向くが、やはり誰もいないという状態にロイクは少々気味悪さを感じていた。


「どうしたの?」

「いや…………ウル達はどうした」

「多分遠くから見てる。学院ではよくあるよ。会話は聞いてないから安心して欲しいって言ってた」

「……やはりな」


 どおりで何も言わず笑顔で見送られたわけだとロイクは納得した。

 ウルは兎も角、もう一人付いてきていたジルベールはおそらく元から言うつもりもなかったのだろう。

 つくづく自分は信用されてないなと内心嗤う。


「俺が何かすれば容赦なしか」

「ん?」

「こちらの話だ」


 魔法を意地でも開示しない人間相手なら尚更なのだろう。護衛対象の関係がなんであろうと警戒するのは流石だと関心する。


「でも下見なら私も一緒にいなくても良かったよね」

「そんなのただの口実だ」

「えっ」


 確かにウイエヴィルへ下見をしようとフィアに言った。

 旧カレンデュラ領は未だ自分が責任者となっているが、ある程度の要望を伝えるだけで全ての管理は協会に任せている。それにこの前ゲリーが協会に来たばかりなのに下見をするのは不自然だ。


「ただ久しぶりにお前と話しをしたかっただけだよ。二人きりで。それ以上のことは求めない」

「……それは、ウイエヴィルに行かなくてもよくない?」


 きょとんとした顔で問う彼女に一瞬顔が引き攣った。自分に懸想をしておきながら好意に気付かないなんて相当だなと思う。

 フィアは基本的に他者からの恋慕に鈍感だ。

 それが『夫にしか眼中にない』という女神の感情に引っ張られているのか、本人の元々の性格なのかは不明だが、それに加えて彼女は自分が問題ないと判断した相手には甘いという、いわゆる人誑しのような部分もある。


 真の人誑しなら意図的でも無意識でもまだよかったのだが、彼女は女神の記憶の影響か人を疑うことができるようになってしまい、下心で近付いた人間には隙を見せないようになってしまった。

 だが一度信頼を置いた人間には甘い。それ故ウルが所属する部隊に入ってきた人間は遅かれ早かれフィーに落ちやすい。

 ちなみに学院のクラスメイトは護衛の目があるからなのか、はたまた彼女の性格を理解しているからなのか、たとえフィアから何かしらで信頼されていても必要以上に近づかないらしい。


 これはウルからの手紙で聞いた話だ。内容から彼からの気苦労を察してしまう。(律儀にここまで分析して伝えてくれるウルに苦笑したのはここだけの話である。)


「お前もウイエヴィルに物見遊山遊びに行くなんて初めてだろう。それに今は俺の両親がいるから孤児院もマーガレットも問題ない。俺もしばらく気晴らししていなかったしな」


 自分で気晴らしなんて言葉を選ぶのは妙な気がした。だがそうすれば彼女も少々納得してくれたらしい。


「分かった、ありがと」

「どういたしまして」


 そんな話をしていればウイエヴィルが見えてきた。



―――



 ウイエヴィルに着けばロイクは「あ、領主様今日はオフですかい」と入り口の警備をしていた人間から声をかけられていた。

 本当は領主ではないのだが、相変わらず民衆からはその呼び名で定着しているらしい。


「よく知られてるね」

「昔は他の村からの人間も一目見られたら気付かれた」

「そうなの?」

「領地内の村々にはそれなりの回数は赴いていたからな」


 昔は領主らしく訪問して視察していたのだろうか。わざわざそんなことをする貴族がいるのか知らないが。

 街に入り、真っ先に見えるのは露店や宿だった。奥へ進めば数々の商店が立ち並んでいる。多くの荷馬車が出入りしており、王都ほどではないがそれなりの賑わいを見せていた。

 ウイエヴィルは一昨日一泊したがちゃんと街の中を見たわけではない。王都とは違う街並みではあるが、これまで経由した街よりかは賑わっているのではないだろうか。


「改めてみると綺麗な街だね」

「国道があるから辺境への中継地点でも使われる。それに比較的治安が良いからな」


 この街にも襲撃されたときの為に魔術シールドが張られるようになっている。

 現在は魔力の消費を抑えるために緊急時のみしか使用しないようだが、内乱が起きた数年前はいつでも襲撃される可能性があったため、常時展開していたらしい。

 少し歩いていくと飲食店や大きな商店が立ち並ぶ場所に着いた。途中、クレープが売っている店を通り過ぎるとロイクがそこに視線を移していた。


「クレープ……?」

「食べたいのか?」

「いや……うん。食べたい」

「おいで」


 フィーは特段クレープに目がないという訳ではない。ロイクがあの屋台に視線を運んでいたからそれにつられたのだ。

 だが彼の表情が期待を持った子供のような顔をしていたからフィーは食べたいと答えた。甘いもの好きは相変わらずである。

 ロイクと共に屋台に向かうと店主が笑顔で出迎えてくれた。どさくさに紛れて自分の分も買おうとしているところ、やはり食べたかったのだなと笑みがこぼれた。

 出来立てほやほやのそれをロイクがうけとり、自分が選んだものを渡してくれた。こうしてみると大の大人が甘いものを買うのは奇妙な光景だ。


「クレープは食べたことあるか?」

「うん。初めて食べたお菓子もたくさんあった」

「流石特産品がバニラなだけあるな」


 マカロンにジェラートにチョコレート。国の中心にある分、食べたことの無い菓子は多くて新鮮だったが、やはりこうして手掴みで食べるものは特別感がある。

 近くのベンチに座ってすぐ一口ほおばるとクリームの甘みが口に広がる。

 そう言えば初めてロイクと一緒に出掛けた時もこうして一緒に甘いものを食べた。大銅貨一枚分のご褒美でも自分にとっては初めて食べるお菓子で、その感動は忘れられない。


「初めて街に出た時に綿あめ食べたね」

「そう言えばそうだったか」

「すごく嬉しかった。あと服も」

「今のお前ならもっと良いものを選ぶことができるだろうに」


 確かに、王都の暮らしでフィーの生活の質は上がったかもしれない。

 以前服のサイズが合わなくなって、ヒヤシンスに着古したものがないかと聞いたら、養父であるターゲスから定期的に衣類をくれるようになってしまったり(流石に下着は自分で選んで購入しているが)、自分でも家事を行っていると言えばクラスメイトからハンドクリームや保湿するための香油を貰ったりなど。


「でも自分から高いものを選ぶことは無いかな」

「引く手数多の人間は言うことが違う」

「そう言う意味で言ったんじゃないよ……」


 いくら自分の使っている物が良くなったとしても、孤児院くらいの生活レベルに戻ったところで何ら問題ないと思っている。これは謙遜という訳ではなく。


「女神様の知恵で何とかなるかな」

「それはほとんど夫から授かったものだろう」

「それもそうだね」


 女神の夫は博識で、自ら興味のあることは積極的に知識を蓄えていたように見えた。

 夫の持っていた知識と女神の万能の力のおかげで二人の生活はとても豊かであった。時代が変わるごとにその生活様式も合わせて変化していた。


「もし俺が死んだとしても、こうしてお前と共に居る時間が次の夫には受け継がれるのかもしれない」

「……ロイクは女神の夫じゃないでしょう」

「だが魂は同じだ。俺のこの魂は『女神が目の前いると自分が認識した』時点から記憶が刻まれる。もし生きたまま疎遠になった場合は知らんがな」

「私は女神じゃないよ」

「だがここにいるんだろう」


 すっとロイクはフィーに顔を寄せて彼女の胸元を人差し指でなぞった。

 あまりにも自然な流れだったので触れられてようやく近いことに気付き、退くようにベンチから立ち上がった。

 するとロイクは子供のように無邪気に笑ったので、わざと驚かせたことにフィーは思わず赤面した。


「ふっはは!ここまで驚くとは思わなかった」

「意地悪!」

「悪かったよ。だが次が覚えているのかもしれないと思っているのは本当だ」


 弄ばれていることに憤りを感じるフィーの頭をロイクはぽんぽんと撫でる。悪趣味である。


 だがもし自分が呪いを解くことができないまま新しい女神の夫が生まれたら、自分とロイクが過ごした記憶が刻まれるのだろうか。

 正直この今自分と共に居る記憶は忘れて欲しくない。だがそれはあくまで『ロイク』としてでだ。

 それにこれまで他の竜族の誰かが女神の体の一部ずつを大事に守っていた。だがその持ち主の記憶は受け継がれていない。


「でも女神は覚えてないと思う。私は女神自身の記憶しか知らない」

「それは身体が全て揃ってなかったからじゃないのか」

「でも、お母さんの時にはもう全部揃ってた」


 だからやはり女神と自分は全く別人なのだろう。偶然顔がよく似ていたというだけで。

 もしかしたら母も女神の記憶を受け継いでいたかもしれないが、どこにもそんな記録も証拠もない。


「なら女神も同じ呪いがかかっているのかもしれないな」

「呪いを受けたりかかった記憶もないのに?」

「自分が無意識にかけたのかもしれない」

「どうだろ……」


 ふっと静寂が身を包む。クレープも全て食べ終えてしまった。


「私たち、女神のことしか話してないね」

「そういう因縁なんだろうよ」

「ロイク」

「なんだ」

「大好き」

「知っている。俺も同じだよ。どうしたいきなり」


 こうして伝える事に迷いがない自分は、女神に感情が侵食されているのではないだろうかと思う時がある。

 だが彼からくれる手の温もりや優しさに抱く想いは、どう抗っても恋なのだと心が叫ぶ。


「不安になった」

「今更俺が心を変える思うか?それともお前は俺が嫌うようなことをしたか?」

「…………ううん」


 ロイクが自分を嫌うなんてありえないという自信はもちろんある。だがロイクが自分に思ってくれているそれは娘への愛だ。

 誰かに恋する気持ちが全てきらきらした綺麗なものではないことは、女神の記憶で嫌というほど知った。


 夫や自分の子供達の事は愛しているのに、人間は今までされてきた憎悪のせいで憎らしい。


 だからせめて子供達は身体が大人になる十三歳で自分たちの元から追い出した。

 だが夫は突き放すことが出来ないし、誤って殺したとしてもまた生まれ変わって帰ってくる。

 殺してからまた女神の元へ戻って来る数十年までの間、女神は何度も後悔に苛まれた。


 女神が夫へ抱く愛は本物だ。だがそれはとても複雑で、抱えている本人すら苦しくなるようなモノ。

 自分の中にある想いはそんな女神の想いと入り交じっていくから、どれが自分自身が抱く想いなのか分からなくなる。


「フィアは、面倒な呪いを自分に課しているな」

「呪ったのはロイクでしょ?」


 自分が暴走した時、ロイクがかけた呪術はフィーの背中に生えた翼を代償に暴走しないようにするもの。

 あくまで暴走しないための呪いなので、感情は抑えることは出来ないのだけれど。


「ならば解いてやってもいい。翼を出せず飛べないのは辛いだろう」

「別に飛べなくても不便しないよ」

「……俺が言っているのはお前の心の方だ。呪術ではない」

「あたっ」


 とん、と今度は額に人差し指をつついた。

 そしてその手を今度はフィーの手持ち無沙汰になっている右手の指を搦めとる。


「ほら行くぞ」

「…………え?」


 指を絡めて手を繋ぐ。ロイクがそれをした理由がわからないままそのまま立ち上がり歩き出す。

 領主と竜族の娘。今更だがその視線は二人を集めていた。


「ロイク、みんな見てる」

「今更だ。見せつけてやれ」


 ロイクの行動にフィーは戸惑いながらもついて行く。

 手を引かれているのに自分の歩調が変わらないことに彼なりの配慮を感じた。



―――



「俺らは一体何を見せつけられてるんだよ」

「俺だってやですよ。でも相手はロイクだし」


 現在ウォルとジルベールはフィーから離れて護衛している。

 学院にいるときは本人に知られないような形で遠くから護衛しているが、今回はフィーの隣にロイクもいるので、二人の逢瀬を遠くから見守っているような状態だ。(ちなみに軍服だと目立つので現在二人とも私服で行動しているが、特にジルベールは引き締まった身体といい顔の傷もあり傍から見れば休憩中の用心棒か賊に見える)


 ジルベールがフィーのロイクへの想いを知ったのは偶然だった。

 フィーがロイクの手紙を読んでいたところを見てしまい、ジルベールが揶揄った反応で察したのだ。


あいつら護衛達に知られたらどうするよ?きっと荒れるぞ。いろんな意味で」

「……そんなの知りませんよ。それにフィーが誰かと一緒になったところで俺の知ったことじゃない」

「あーはいはい。そうでした」


 第三魔族小隊の中でフィーの想い人は案外知られていない。むしろ敢えて触れていないようにも見える。

 共通で知っているとすればウォルが昔フィーに振られたということくらいだ。(アリックスが言いふらしたので)


「でもお嬢のあの性格は兎も角、なんでお嬢は公式で俺らに守られなきゃいけないんだろうな。国内で唯一の竜族ってくらいだろ?」

「……色々あるんでしょ。実際なんやかんやで狙われるし、三年前のこともあるし」


 フィーが今も守られる理由は彼女の中に女神の肉体が入っているからだ。

 それが国民、教会、世界にまで知られたらどんなことをされるか分かったものじゃない。女神の生き写しとして崇拝されるくらいならまだましだが、フィーの魔力核が身体ごと封印されるか殺される可能性もある。

 それになにかが女神の逆鱗に触れたら大惨事になりかねない。だからこうして『お嬢』として護衛されて生活しているし、それを彼女も分かっている。


「ウォルがそう言うならそうなんだろうな」

「詮索しないでください」

「分かったから、ほら行くぞ」



///


 フィーがロイクに必要以上に近寄らないことに対して訝しげに見ていたのはゲリーだけではなかった。

 夜フィーが眠れないのか部屋から出てきたため、ジルベールが話し相手に付き合った時のことだ。


「お嬢。あの男に寄り付こうとしませんね」

「どうしたんですか。いきなり」

「照れて近寄れないとかそんな雰囲気には見えませんでしたけど。むしろ避けてるように見える」


 年頃の子供の恋愛に茶々入れるような大人にはなりたくないが、どうしても気になった。


「ロイクは、亡くなった奥さんに愛情を向けられなかったことを後悔してる」

「……」


 愛の無い結婚は貴族間だとよくある話だ。夫婦仲がこじれたまま死んでしまったのだろうか。


「ロイク自身亡くなった奥さんの代わりを探すつもりはない。その想いに私が割り込む必要はないしするつもりもありません」

「それは、お嬢が気持ちを伝えない理由にはならないでしょ」


 彼女がロイクに想いを伝えたところでそれを受けるかどうかはロイク次第だ。あの男が女から言い寄られたらホイホイと応じるような酷い男には思えない。


「言ってもロイクが困るでしょう。それに、私が本当にロイクのことが好きなのか今も分からないんです」

「はぁあ?」

「……大切だから、余計な想いを伝える必要はない」


 3年経っていて尚分からないなんてことがあるのか。

 目を細めて彼を想う彼女はジルベールから見ても恋をしている少女と変わらなかった。

 あのオーキッドの一件からフィーは何かを悟ったのだろうか。時々妙に大人びるフィーの姿が癪に障った。

 今夜だって子供たちの世話で疲れているはずなのに眠れないのはあの男のせいなのだろう。

 彼女の義弟でもある後輩から数日前にあの男の父親と何かあったことは聞いている。きっと父親からあの男との仲を否定されたのだろう。

 カレンデュラ領に向かうまでの間も馬車の中でうたた寝していたのは、移動中に宿泊した宿の固いベッドで眠れなかったんじゃなくて、あの男に会うことに躊躇していたからだろう。

 共感は出来ないが乙女心がそういうモノであるというのは理解できる。だが目の前にいる彼女は全力で葛藤できる年だ。


「……恋愛での後悔は一生残りますよ」

「ジルベールさんが女性関係で後悔することってあるんですか?」

「お嬢は俺をなんだと思ってるんすか」



///


 自分達が所属している部隊は表向き警備や護衛を主にしているが、護衛対象は基本的に監視も兼ねているような人間が多かった。そんな護衛対象の中にフィーが含まれているのなら、彼女も守るだけではなく監視する必要がある何かがあるのだろう。

 その監視される理由のせいでフィーはロイクを避けているのであれば彼女は相当健気な女である。


 どいつもこいつもめんどくせぇなとジルベールはひとりごちた。



――――――

【おまけ】

アリックス「みんなのやる気出してもらうために、僕が女することも考えたけど辞めた」

クライアン「……何故その考えに行き着いたのかは知らんが是非そうしてくれ」

アリックス「いやあ、昔はよくやってたからさ。自分で言うのもあれだけどこんな顔だし任務には都合良かったんだよ。でも流石にこの歳で女装するのは骨格的に無理があるね……あ、でもオルキデア(自分の妻)には案外好評だったよ」

クライアン「お前はそのしれっとマニアックな夫婦事情を話すのをやめなさい」

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