4.家族という価値観



「今日は一段とにぎやかねえ……」


 穏やかな笑みを浮かべてベッドにいる老婆がいる。大きなリスの尻尾を背もたれにし、繕っている途中の子供たちの服を手に持っていた。

 頬は瘦せこけ、元から皺のあった手は骨が浮かび上がってしまうくらいとても細い。たった数年見なかっただけでこんなにも弱ってしまうことに二人は驚きを隠せなかった。


「私の付き添いの護衛さんが来てるの」

「……そうなの。ガーベラはちゃんとお茶を出してくれたかしら?」

「うん、美味しかったよ」

「あの子はやれば出来るのにどうして魔法でお茶を沸かすのかしら」

「姐さんは適当だからな……」

「それは私が一番知ってるわよ」


 ふふと苦笑するマーガレットは、以前よりもさらに目が悪くなったらしい。孤児院にいた頃は細かい幾何学模様の魔術陣を布に刺繍してもらうこともあったが、それも今では難しいという。

 今も子供たちの服のほころびを縫い付けているものの、その手つきは若干震えていた。


「病気ってどんなものなの?」

「さあねぇ?先生も疲労がたまっていたんだろうって言ってたけど、私ももうおばあちゃんだから。私ももうすぐお迎えがくるかもしれないわねえ」


 孤児院に来てくれる医者はロイクが学院に居た時の同級生らしく、その技術は優秀だ。だが種族がカメレオンらしく、魔法と魔術を駆使して毎日違う変装をしているため『本来の姿』が全く分からないという変わり者なのだが。(因みに毎週診てもらっていたリナリア曰く、男の人の匂いがするから性別は男性であることは間違いないらしい。)

 そんな彼が言っているのであればきっとそうなのだろう。マーガレットも自分自身が生きることが出来る時間は残り僅かであるということを察しているらしい。


「ここに来たばかりの時はちょうど戦争が終わった後で、みんなその後片付けをしていたのよ。本当ならここで守られていれば無事だったのに、中には街に友達が居たのでしょうね、助けに行こうと抜けだして殺されてしまった子供も居たことを聞いた時は心が痛かった」


 突然話し出したのは、よく子守唄のように語ってくれた昔の話だ。

 何度も何度も。たった一年くらいしか暮らしていなかった二人でも彼女の話はよく覚えている。だからといって二人はその話を遮ることはしなかった。


「町を復興し始めたのは子供たちなの。街はボロボロで生きている人もとても少なくてねぇ……。せっかく統一した国もボロボロだから、支援がなかなか来なくてね。でもみんなこの街の人が大好きだったから離れもしなかったわ。離れてもどこにも行く宛は無かったんだけど」


 今でこそアイーシュは栄えているが昔は辺境の田舎の村と変わらなかったのかもしれない。

 だが何か腑に落ちないことがあるのかウォルは話を遮った。


「どうして戦場になる前に町の人を孤児院に避難させなかったんだ。シールドは昔も張っていたんだろ?」

「ウォル」

「だってそうだろ。ばあちゃんも前に言ってたろ?周辺は酷い有様だったのに、孤児院だけはほとんど無傷だったって」

「…………」


 確かにここのシールドは強固だ。実際にマーガレットの話でもそれではじめて魔術というものを知ったと聞いた。

 きっとウォルは以前から気になっていたのだろう。襲撃される前にここに逃げ込んでいれば死ぬことは無かったはずなのに、どうして彼らは死んでしまったのだろうと。四年前の内乱で村を焼かれたことのある身としてはなぜどうしてが止まらない。

 もちろんマーガレットはウォルの言葉に困った顔を浮かべていた。だって彼女がここに来たのは戦争が終わった直後だ。戦時中はまだ孤児院ここにはいなかった。


「……私も、当時の子供たちから聞いたのだけれど、もちろんシールドが張られるギリギリでどうにか避難できた人もいたらしいわ。でもシールドを解除してしまえば襲撃されかねない。孤児院の近くまで逃げ込んだのはいいけどシールドの所為で中に入れることが出来なくて、その時丁度建物の近くまで……」


 その後の光景は二人も容易に想像できてしまった。きっと自分の顔見知りの人たちが死んでいくのを目の当たりにしたのだろう。

 魔術で作られたシールドはシンプルであればあるほど強固に何もかもを防ぐ。それは内側も外側も同じだ。今もそうだが敵味方の判別で侵入を許すのは簡単。だがそれではその隙に紛れて侵入されかねないから何もかもを塞いだのかもしれない。

 避難にギリギリ間に合った者もいれば間に合わなかった人間もいたのだから、自分が無事でありながらすぐシールドを挟んだ先では自分の隣人だった人が死んでいる。その瞬間の光景を見せつけられるのはとても悲惨だっただろう。


「ごめん……」

「いいえ。でもすぐ隣にいた人が死ぬのはとても辛いのは当たり前よ」

「…………」


 ウォルも分かっている。あの日自分を助けてくれたロイクにフィーを助けて欲しいと願った。その調子で他の人間も同じように助けられると思ったのだろうが、ロイクも体力と魔力が子供二人を助けるのが限界だったのだ。



―――



 マーガレットと話終わった時にはもう夕方で、同じタイミングで中庭から戻ってきたジルベールはかなりやつれ服装も何もかもがボロボロになっており、「外に出ればよかった」とぼやいていた。


「おぉ、二人とも来てくれたか」

「先週ぶりです」


 ウォルがゲリーに挨拶するがフィーは一礼のカーテシーだけで済ませる。指摘はしないが、その目はあからさまに避けていると察せられてしまっているだろう。


「そうだな。今日はここに泊まっていくのか?」

「いや、ウイエヴィルに宿を取ってますからもう帰ります。夕食もあっちで」

「あら、いいの?こっちも泊まる前提で準備してたのだけれど……」


 アイリスが頬に手を当てた。

 その話を聞いた子供たちからブーイングが飛び交う。


「えーまた明日もここに来るんでしょー?泊まってよ。ジル兄ちゃんと遊びたい」

「お前ら俺の体力を何だと思ってんだ……」

「あとフィー姉ちゃんとウォル兄ちゃんも遊んで!お話聞きたい」

「「私(俺)たちはついでなの」かよ」


 と言いながらお互いに嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。

 ジルベールも今日で随分と子供たちに懐かれたらしく今も足元には子供たちがいる。自分たちを知っている子供たちもいるが覚えている子供は一番小さくて七歳くらいだ。他の小さな子に気を遣っているのか若干遠巻きで見られているのは何だか切ない。


「なら今日は仕方ない。だが明日はここで泊まって行きなさい。こちらも大歓迎だ。なあロイク」

「あぁ。騒がしいのは申し訳ないが。あとジルベール殿もよろしければ」


 ロイクも子供たちに弄ばれたジルベールを苦笑しながら見る。だが現在ジルベールの主人はフィーだ。あくまで彼女の意思を尊重するためにその場でフィーに顔を向けた。


「……どうします、お嬢?」

「……お言葉に甘えよっか。宿代も消費するのは軍に申し訳ないし」

「別にうちの経費まで気にしなくても良いんだけど……まぁ了解。あとで隊長たちに連絡するわ」

「うん。お願いします」

「ねーちゃんたち、朝一に来いよ!!」

「出来たらね」


 去り際、後ろを振り向けばこれまで見なかった三毛猫のネネがぴょこっと玄関から見えた。当時六歳だった彼女も随分大きくなったもので、声は聞こえなかったが彼女も笑顔で手を振っていた。



―――



「あのさ、あそこにいる孤児の中に喋れない子いるだろ。念話で話しかけてきたから最初はビビったんだけど二人とも知ってるか?」

「「喋れない子?」」


 宿に戻ってひと段落した時、ジルベールの話に二人が首を傾げた。二人が孤児院にいた頃は口がきけない子供なんていなかった。


「私たちがいた時はそんな子いなかったですよ?その子がどうしたんですか」

「そうっすか?そいつは二人のことよく知ってるみたいだったけど?三毛猫のおかっぱ娘。念話できたから、そっち精神系の魔法使えるみたいだったけど」


 彼の話を聞いてフィーは最後手を振っていたネネの顔を思い出す。彼女は話せないなんてことはなかったはずだが、この数年で何かあったのだろうか。


「思い当たる子はいますけど、その子は喋れないっていうわけでは……」

「やっぱり?マセガキだとは思ったけど」

「「マセガキ?」」


 二人の知っているネネは一言で言えば気分屋だが人懐っこく可愛げがあった。

 念話と催眠術の魔法を扱うことができ、一緒にお昼寝をするために対象の人間に眠らせる催眠をかけたり、孤児院にいる動物たちと話しているイメージしかない。


「病気にかかったんじゃないんですか?」


 同じことを思っていたらしいウォルはジルベールに指摘する。


「にしては元気だったけどな。遠くに居てもガンガン念話が聞こえてさ。周りのガキ達も気にしてた」


 四年という歳月で一体何があったのかは知らないが、明日話を聞くだけ聞いてみるとフィーは二人に話した。



―――



「あ、遅いよ!授業始まっちゃったし」

「いや授業は受けような」


 孤児院にくれば一部の子供たちが出迎えてくれた。

 ちなみに馬車は未だウイエヴィルに預けている。荷物は全てウォルの持っている小さな『底なし鞄』に入っているし、高価なものではないので問題ないだろうということだった。

 今日は動ける大人が四人いるのでロイクとゲリーがそれぞれ授業をしているらしい。教室として使っている二つの部屋が同時に使われるのはとても久しぶりだという。


「よう、お前ら久しぶりだな。てかお前ウォル!?お前俺を抜かしにかかるんじゃねーよ!」

「ルーク!」


 黒髪の人族も出迎えてくれたと思えばルークだった。そう言えば代わる代わる卒業した子たちが手伝いに来てくれているとか話を聞いたのを思い出す。

 ルークはフィーとウォルの一つ上であり、リナリアにとって唯一の兄貴分だった。アルバイトをしていた時は大工として働いていたが正式に弟子入りして板についているのだろうか。

 十五歳になったルークはなんだかこざっぱりしている。筋肉も付いており、魔法ばかりに頼って仕事をしているわけではないのが伺えた。


「おう。そちらの騎士さんは?」

「ジルベールさん。私の護衛だよ。ウォルも同じ」

「ジルベールです。騎士ではないすけど」


 ルークはウォルとジルベールを見るとフンと鼻を鳴らした。


「フィー、新聞で見た時は驚いたけど男二人を侍らすとかお前いつの間に偉くなってんだよ。貧乏草って言われてたのに。灰被りストーリか?」

「貧乏草言うな。それに私も本意じゃないんですー。それにウォルは私の弟だし」


 「いまでは戸籍もそうだから」と付け足せばルークは顔を引き攣る。フィーの後ろにいるウォルの方を見るがルークは何かを察したのかこれ以上なにも言わなかった。ウォルは一体どんな顔していたのだ。


「……はいはい、そういうのいいから。で、リナリアはよくやってるか?」


 フィーは今のリナリアを知らないので最近会ったというウォルを今度こそ見たが、ウォルは何か思い出したのか苦い顔をして目を逸らす。

 リナリアは軍事学校に入ってからすぐ、訓練兵と一緒にブートキャンプに参加している。今頃訓練兵達と共に教官たちからしごかれているのだろうか。


「入学早々周りを凍り付かせてたよ。……ナンパしてきた同期に一発食らわせてた」


 その言葉にその場も凍り付いた。男性恐怖症を克服したと聞いていたがまさか恐怖を通り越して嫌悪しているとは思えなかった。

 そして顔を合わせたことの無いはずのジルベールも若干引いていた。


「……あの噂の美女お前らと同門だったのか」

「カレンデュラを名乗っているのに分かんなかったんですか。それにジル先輩入学式にいませんでしたよね……」

「家名は知らん。それでも新人の噂は一気に広がるわ。しかもあのベノム大隊長女王様が見込んだ美人とくれば」


 軍事学校に入ってきた新人達の噂は、本部で勤務している軍人達にとって毎年盛り上がるネタの一つらしい。

 ちなみに問題を起こした学生がいたら興味本位で冷やかしに来るのがウォル達が所属する小隊の恒例行事なのだという。

 しかも問題行動を起こした学生に対して喝を入れたり根性を叩き直して出た杭を打つのかと思えば、やらかした内容によってはむしろ「いいぞもっとやれ」と言って杭を引っこ抜かんと煽るらしい。

 これは彼らの直属の上官であるアリックス小隊長の影響かもしれない。


「先輩また学校に侵入したんですか」

「罰則ないんだからいいだろ」


 軍事学校の敷地は稽古や鍛錬のために一般の兵士が出入りすることが可能であるため、その辺について規律などの制限はないが、さすがに頻繁に来られるとその部隊の上官に対して教官達から苦情が入るらしい。クライアンもたまにそれで苦い顔をしていたが、『大隊長の側近兵も大変だな』とフィーは傍観していた。


 そんな二人のやり取りを見ていて、ルークの雲行きが怪しくなっていることに気付いているのはフィーだけである。

 そして魔力が漏れてる気配がする。ルークの魔法は重力だ。以前ロイクを倒すための修業として受けた二倍の重力をまた食らいたくないのでフィーは一歩後ろに下がった。


「その兄ちゃん、うちのリナリアをビビらせたのか……?」

「お?おーおー、モンペか?可愛いな?」


 ジルベールは初対面でありながらもルークの様子が面白いのかニヤニヤしながら煽っている。ホント彼は年下だと分かれば容赦がない。


「モンペ言うな!だから俺は軍に行くことを反対してたんだ……こういう奴がいるから。別に父さんの養子になるのは反対しないけど軍は」

「ルーク、お前にリナリアを制限する権限なんてないだろ」

「お前にリィの何を分かってるっていうんだよ!」


 見ない間にここまでリナリアに対して拗らせているのは少々引く。

 おそらくリナリアが説得するのに一番苦労したのは戦争嫌いのマーガレットではなくルークだったのだろう。

 孤児院を卒業した今もルークはアイーシュ街で暮らしているというのは聞いている。仕事で遠くに行くこともあるだろうが、彼のことだからきっとそこそこの頻度で孤児院に顔を出しているのだろう。それならリナリアが軍に行くという話はすぐに耳に入るはずだ。


「ジル先輩、また新人をビビらせるのはやめてくださいよ」

「ビビらせてねーわ。見てるだけでビビる学生は根性叩き直せ。それにちらっと見たけどそのリナリアって子も運動音痴ってわけでもないし普通に戦える素養はある。今は体力ないけどそれさえどうにかすりゃあ、伸びしろはあるだろ」

「ジルベールさんリナリアに話しかけてないんですか?」

「お嬢は俺のことなんだと思ってるんすか」


 少なくとも今のリナリアはジルベールの顔を見るだけで怯えることは無いと思うけれど。

 だがジルベールが新人いびりに楽しんでいるだけではなく、普通に後輩を評価しているのは意外だった。ウォルも同様の表情をしている。戦場で戦った経験もあるジルベールのお墨付きだ。


「俺も偶に忘れそうになるけど、大隊長に気に入られたのはすごいことだぜ?偶然とはいえ」

「そ、そうかよ」


 ジルベールの言葉にルークは少々丸くなった。


「じゃあ私たちは行くね」

「あぁ。あ、そうだ。あとでネネの所に行ってやれ。あとレオ。アイツら互いに口きかねえから」

「ネネはともかくレオも?」


 レオはリナリアと同い年の男子だ。ライオンの魔族で影を操る魔法を持っていた。本来ならリナリアと同様に卒業しているはずなのだがまだ孤児院にいるのか。


「なんだ知ってんのか。まぁ二人を見ればわかるよ。でもあいつらネコ科だからか知らねえけど意外と意地だけはあるからな。俺や父さんたちもお手上げだ」


 ルークたちも何か知ってるのだろうか。

 とりあえずネネの所に向かおうとしたが、ジルベールはまた子供たちに捕まってしまいウォルはそのフォローに行ってしまったので結局一人で向かうことになったのだった。



―――



「しっかしお前らよくやるな。良い親父になりそう」

「「お前(先輩)が言うな」」


 ジルベールはもう疲労困憊なのかその場で胡坐をかいているがその代わり子供がその膝の上に座ってシロツメクサで遊んでいた。それを許すジルベールも大概である。

 因みに他の子供たちはウォルとジルベールの上着を奪いヒーローごっこのおもちゃにしている。軍服を奪われた時の二人の死闘を思い出しルークは脳内でご愁傷様と呟いた。

 ちなみにウォルとルークは大の字でその辺に寝そべっている。


「おやじってなあに?」

「あー、親父はパパのことだよ」

「おとうさんのこと?」

「そーそー」


 気だるげに子供に返事をするジルベールを見てウォルは慌てて起き上がり訂正した。


「絶対にロイクをそう呼ぶなよ。泣くから」

「なんで?」

「なんでもだ!」


 ウォルの必死さによくない言葉を知らずに吹き込んでしまったようだとジルベールは察した。


「あー、悪い。これNGだったか?」

「父さんを父親扱いするなら絶対【お父さん】って決まってんだよ。それ以外なら師匠でも先生でも名前呼び捨てでもいいんだけどさ。――あーでもおじさんもダメだったような……まぁその辺のルールは暗黙の了解ってヤツ」


 ルークの補足にジルベールはめんどくせえ縛りだなと顔をしかめる。確かにロイクは子供たちから『お父さん』か『父さん』と呼ばれているなと思い出す。


「そういえばドッグウッドとお嬢は『ロイク』なんだな」

「俺らは自分の両親は両親だけって思ってますし、ロイクは父親っていうよりただの保護者っていうか先生っていうか近所に住んでるおじさん……?」

「あっそ」


 三年前、フィーが自分の両親の遺体を解放して欲しいと懇願していた時の表情がジルベールの脳裏に浮かび内心舌打ちをする。

 当時ジルベールは副隊長の隣で補佐をしていたため、誘拐されて戻ってきたフィーをターゲスが出迎えた時近くにいた。

 もうとっくのとうに解決した話なのにあんな酷い顔を思い出してしまうと少々腹の居所が悪い。


「先輩どうしました」

「なんでもねえ」


 とりあえず自分の膝にいる子供をぎゅっと抱きしめた。

 何も知らない子供はジルベールにハグされている状況にきゃっきゃと笑う。いい加減子供好きであることを認めればいいのに。断固として認めないジルベールに二人は一瞬生暖かい目で見た。


「ルークは?」

「俺は赤ん坊の時からここにいたから父さんが俺にとって父親だった。それだけ」

「でもルークが来た時ってロイクはまだ継いでないよな?」


 本人曰くルークが孤児院に来た時ロイクは魔術学院に在籍していたらしい。ルークの名付け親はロイクだったらしいが拾われたばかりのルークの顔をロイクは見ているのだろうか。


「おう。母さんもまだ結婚してなかったしな。俺が十歳の時二十歳だったから……」

「前から思ってたけど、それもう親子じゃなくて姉弟だよな……?」


 ウォルにとってその歳の差ならまだ姉の方がしっくりくるのだろう。だがジルベールはそれに指摘をいれる。


「別によくある話だろ。後妻に若い娘をと思って娶ったら自分の子供と歳が近かったとか」

「父さんと母さんはお互い初婚だ」

「例えばの話だよ。それに別に自分が母親だと思ってるならそれでいいんじゃねーの。全員血のつながりもないんだから。相手が許してるならそれで」


 ジルベールが見てきたのは血なまぐさい戦場だけではない。戦場から離れたこの数年においても関わってきた任務などでそれなりに見聞を広げてきたつもりだ。

 ジルベールの言葉に二人はぽかんと口を開いて自分の方を見ている。


「……んだよ」

「先輩、意外にそんな価値観持ってるんすね」

「扱かれたいかドックウッド」

「すみませんでした」

「しれっと大人の余裕を見せつけるのやめてくれよ。同い年の感覚で話してたのに」

「はぁ?俺はこれでも二十歳だ」

「はぁ!?五つ年上!?ウォルなんでそれを言わなかった!」

「いや、思っていたより打ち解けるの早いから別にいいかなと……」


 やっぱりなと納得してしまう。顔の傷もありよく初対面の人間を怖がらせてしまうようだが、17歳になった辺りから自分の顔は対して変化がない。何も知らない隊員からよく口説かれているヒヤシンス母親がそうなので自分も老けにくいのかもしれない。

 それに目の前にいる後輩は自分の上官が年下という例を間近で見ていたので『年上に敬意を払う』という概念が薄い。逆に言えば階級しか見ていないのだから、もしウォルが自分を追い越してしまえばさらに生意気になるのだろう。

 それはそれで腹立つのでその時はシバく予定だが、ルークに関しては軍人と一般人という立場の違いはあるものの特段個人で敬意を払われるような義理もない。そんな相手なら別に問題ないとウォルは判断したのだろう。


 そう言えばなんで自分は後輩たちと子守りをしながらこんな会話をしているのだろうか。


「なーんか忘れているような……お嬢も問題なさそうだしまぁいっか」


 最悪自分が壁を伝って窓から侵入すればいいし。と自分の護衛対象がいると思しき部屋の窓を眺めるのだった。

 この部隊に配属されてからどうも気が緩みっぱなしで仕方ない。本部にいる奴らは自分が子守りをしていると知ったらどんな顔をするのだろう。



―――



 ネネは案外早く見つけることが出来た。2階にあるベビーベッドが並ぶ部屋で今は赤子たちの世話をしている三毛の尻尾が見えた。きっと彼女の魔法が便利なのだろう。


「あ、ネネ。久しぶり」


 ネネは自分の方を見ると驚きつつも笑みを浮かべて口を開く。だが何かを思い出したかのようにすぐ口をつぐんだ。


『久しぶり。フィーお姉ちゃん』

「え?」


 戸惑うフィーを前にネネは平然とした素振りでにこにこと笑う。ジルベールの言う通り喋ることが出来ない子というのは彼女のようだった。


「ネネ、どうして念話で話すの?風邪でも引いてるの?」


 ネネは首を横に振る。風邪ではないらしい。

 フィーの記憶ではネネが念話を行うのは人間以外の動物か言語での意思疎通が難しい赤子のはず。そんな彼女が念話で意思疎通を図ろうとしているのはなぜだろうか。

 ネネは抱きかかえていた赤子をベッドに移し、フィーに駆け寄って抱き着いた。抱き着いてきたネネの身体成長を実感し感慨深くなるが、彼女の言葉に耳を疑った。


念話これならだれも私の声で寝ちゃうこともないでしょ?』


 その言葉にフィーは首をかしげる。ネネの魔法は催眠と念話という精神系の魔法だ。確かに彼女の声はとても穏やかで聞くだけで眠れそうな声だった。実際にフィーも孤児院にいた頃は彼女の魔法で何度か眠ってしまったこともあった。

 だがその程度なら可愛いものだ。これまで眠らされた以外で危害に及んだことは無い。


「魔力が暴走でもしてるの?」


 その問いにもネネは首を振った。確かにこうして触れている間にネネの魔力が溢れているということはない。

 ネネの尻尾と耳は垂れ下がっており未だにフィーにしがみついて離れない。ルークの言葉を思い出し、探りを入れてみる。


「もしかして、誰かに何か言われた?」


 今度は首を振らなかった。フィーはそっとネネを離して顔を見る。ネネは涙を浮かべ、若干泣きそうだった。


「レオが、嫌い……」


 ようやく声を出したと思ったら。その声はとても震えていた。



――――――

【おまけ】

ジルベールもといヤギの魔族の得意技は山登りです。塩分を求めて急斜面を上るヤギたちの習性が引き継がれているという設定。

ですが軍で鍛えているジルベールは垂直な壁も余裕で歩いてきやがります。重力を操るルークもびっくり。

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