2.昔はここも戦場だったらしい
「フィー、土曜日一緒に出かけるぞ。リナリアから頼まれたことがある」
「頼まれごと?」
夕食中。ウォルからの言葉にフィーは首を傾げた。
ウォルはリナリアから一通の手紙を預かったらしく、それを届けるのだという。
軍事学校では外部に情報が漏れないよう、手紙の内容を検閲した上でようやく郵送することが許される。ウォルが持っている手紙はもちろん情報部検閲済みの印と改ざん不可の魔術が施されている封筒に入っていた。
この手続きはプライバシーの侵害をしているが、そうまでしないと外部との内通者が現れた時その者が誰とどんな情報のやり取りをしていたのか分からないのだそうだ。
だがリナリアが自分たちに直接渡してほしいと頼む相手に心当たりがない。
「ロイクの両親が旧王都の南で託児所を営んでいるらしい。自分がロイクの養子になったのはすでに伝えているみたいだけど改めて挨拶するための手紙だってさ。あとなぜか俺たちもロイクの両親に挨拶しろとも言われた」
「南か。あそこは難民受け入れ区域もある。そこでアイツのご両親が字の読み書きを教えているのは聞いているぞ」
ああいう自ら慈善活動をしてくれる人間がいるというのはとてもありがたいし、国としても彼らには金銭的に援助しているらしい。
そう言えばロイクの両親は国に貢献するという理由で王都で暮らしているというのは以前聞いたことがある。表向きなのかもしれないが、長年混乱状態だった国内は子供の識字率が低い。特に激戦地から近い地域は顕著だ。
だから彼らのような人間が無償で平民たちに少しでも何かを施しをするのは絶賛復興中の国としてもありがたいことであるという。
「でもなんで私たちが?」
「フィー、ロイクと恋文をやり取りするくらいの仲なんだから将来の為に相手の両親にあいさつしろっていう意味じゃねえの?」
「恋文じゃないもん!!それに、私はロイクにかかってる呪いを解きたいだけで別に、結婚とか……」
照れて言葉がよどむフィーにウォルは少々額に青筋が立ちそうになるが抑える。誰も結婚するなんて言っていないのだが。
だが彼らはロイクの数少ない血縁者だ。フィー自身も興味がないわけではない。
「別に行っても構わない。ついでと言ってはなんだが、そこで見たものを俺にも教えてくれないか。長らく俺もその地域は行ったことがないからな」
ターゲスの言葉に後押しされ、フィーはウォルにこくりと頷いた。
「分かったよ。土曜日。明日ね」
―――
旧王都は元王城を中心とした円形の城塞となっており、東西南北でその雰囲気はがらりと変わる。
城とその周辺を囲む行政機関を中心に零番から六番の大通りがあり、その大通りで区切ってその地域の用途は変わる。
一番通りから三番通りを挟む東の地域は食料を受け入れる市場があり、四番通りから六番通りを挟む西は魔術学院を主とする学園区域。六番通りから壱番通りの南側の地域は零番通りの端にある教会本部の他に貴族の邸が並ぶ住宅地が大部分を占め、三番から四番通りを挟む北の地域は全て軍の所有地である。
その難民の受け入れ区域は零番から一番の狭間にある地域であり、もともと国の統一を記念した広い国立公園があったのだが、今は難民たちの掘っ立て小屋やテントが並んでいる。
「しかし、何年経っても減らねえんだな」
「うん……」
国の内乱が終結したのはもう四年以上も前だ。長い間南側の地域は激戦地として多くの人間が巻き込まれた。
だが何年もその地域で過酷な戦が行われていたという訳ではなく、ほとんどが膠着状態だったというし、実際貧しいながらも普通に生活をしていた村もあったという。
その反面故郷を追われた人間が居るのも事実で、仕事も住まう場所もない人間たちはここに流れ着いてしまう。
その難民も時が経つにつれて仕事や住まいを見つけるためにここから去る者が居る反面、また新たに別の土地からやってきた難民が流れ着いたりしているらしい。
「まさか貴族みてえな人間がまた変なことしてるわけじゃねえよな」
「それ今のウォルが言ったら周りの人たち怯えるよ?」
今回二人は休日でもちろんフィーは私服なのだがウォルは軍服を着ている。
もちろんウォルの場合将軍の娘であるフィーの護衛ということもあるが、今回会う人間はカレンデュラの人間とはいえ初対面なのでそちらの方が都合が良かった。多少正装も兼ねているので。
だが軍人が中流階級である少女と共に歩いている光景が珍しいのか周囲の人間からの視線が痛い。
「だけどロイクの両親、家を訪れたら今はここにいるって言っていたから来てみれば、元貴族がそこにいるなんて思えねえな」
「ロイクのこともあるし、ぱっと見じゃあ分からないかもね」
ロイクの両親は自分たちの家の隣にこの街に住む働いている女性向けの託児所を作っていたが、そちらは現在別の人間に運営を任せて今は難民の子供たちに読み書きを教えていたらしい。
そんな話をしていると、泥だらけ服を着た子供たち数人が突然二人の前の周囲をぐるりと囲った。
皆大体三歳から十歳くらいの子供たちだがまるで部外者である自分たちを警戒しているようだ。周囲を見ると彼らの親はいないらしい。
「お姉さんたち何しに来たの」
「なにしにきたのー?」
まるで自分たちの縄張りに来たものを警戒しているようだが、その様子を見た二人は顔を見合わせてアイコンタクトをする。
「俺たち、別にお前らに悪さしに来たわけじゃねえよ」
「嘘だ」
ウォルの硬い表情が悪かったのか子供たちはますます警戒し始めるので、フィーはウォルを睨みつける。
フィーはその場でしゃがみ、子供たちの視線に合わせる。
「嘘じゃないよ。ゲリーさんとアイリスさんに挨拶しに来たの。おうちに行ってみたらこの辺で読み書きを教えてるって聞いたんだ」
「先生たちの?」
「うん。私たち、二人に昔お世話になったことがあるんだ。二人がいる場所を教えてくれないかな」
正確には二人の息子に世話になったのだが、そっちの方が分かりやすいだろう。
子供たちはフィーの話を聞くと、その中のリーダー各の子供三人が集まって話始めた。
「どうする?」
「先生の世話になった人にこんな姉ちゃんと偉そうな軍人がいるって聞いたことないぞ」
「わたし大丈夫そうだと思う……」
「でももし悪い人だったら?」
「その時はおれたちがやっつければいいんだ。おれたちも先生に魔法の使い方教えてもらったし!」
「「よし、そうしよう」」
全て二人に聞こえているのだが黙った方がいいのだろうか。それにおそらく子供相手ならウォルが全員返り討ちに出来ると思うのだが。
だがそれでも子供たちが話を聞いてくれるのはありがたかった。
三人の子供たちはついてこいと言って二人の手を引いたのだった。
―――
数人の子供たちに手を引かれてたどり着いた場所は周辺の掘っ立て小屋やテントよりも広く大きな屋根をぐるりと布で囲われた場所だった。
囲っていた布をくぐると、薄汚れた椅子と机と黒板が目の前に広がっており、その前に大勢の子供たちが座っていた。
「先生!この人たち先生たちに用があるっていうから連れてきた!」
その言葉に子供たちが一斉にフィーたちの方へ向ける。その子供たちの中心には読み聞かせるためなのか、椅子に座って本を持っている女性の姿があった。
その女性が立ち上がるとその姿が露わになる。白髪交じりの深緑色の髪に薄緑色のシンプルなロングワンピース。その上にベージュのエプロンをまとっている。
彼女がロイクの母親なのだろうか。年齢は50だと聞いていたが、思っていたよりも若々しく
だが女性の前で座って聞いていた子供たちは見知らぬ二人に警戒を隠さないのでウォルは慌てて声をかける。
「あ……そのまま続けてください」
「ありがとう。二人もそこに座ってちょうだいな」
朗らかな笑みを浮かべ、その場で二人を中へ促す。
正直二人はまだ見た目は子供とはいえ世間的には大人と同等の扱いを受ける人間だ。
そんな二人が他の小さな子供たちと一緒に本の朗読を聞くという姿は奇妙で、周囲の子供たちもちらちらと二人のことを見ていたが、女性の朗読に聞き入りはじめればすぐに気にすることもなくなる。
孤児院でも絵本を読み聞かせることは毎日あったし、フィーも読み書きができなかったときはリナリアに読み聞かせてもらっていたが、本の朗読を聞くのは初めてである。
だがその内容は朗読する彼女の抑揚ある話し方で聞き取りやすく、物語を想像するに容易く、子供たちも目をキラキラと輝かせていた。
物語に区切りが付き、子供たちがテントから去っていったところでようやく二人は彼女に自己紹介をすることができた。
「リナリアからの紹介でやってきました。フィラデルフィア・ヴィスコ。種族は竜族です。今は魔術学院の高等部に通っています」
「同じく弟のウォルファング・ヴィスコ。狼族です。現在は軍で要人の護衛を中心に行ってます」
二人の名前を聞いてにこりと彼女は目を細めた。
「初めまして。私はアイリス・フォン・カレンデュラ。種族は人族よ。あなたたちがリナリアが言っていたお友達ね。あと……孤児院を十歳で抜けた問題児」
その言葉が二人の胸にぐさりと刺さり顔をしかめるが、アイリスはクスクスと「冗談よ」と付け足す。
「でも、私とゲリー……夫が隠居した後の卒業生に会えるなんて初めてだから嬉しいわ。みんなは元気?」
「はい。手紙でしかやり取りしてませんが、元気そうです」
「あと、これをリナリアから預かりました」
ウォルが懐からリナリアから預かった手紙をアイリスに手渡す。アイリスはその手紙を見ると封も開けずにポケットに仕舞った。先に夫に渡すのだろう。
「ごめんなさいね。本当なら夫も一緒にいればよかったのだけれど、あの人子供以外にも人気で色々と引っ張りだこになってるから今は手が離せないと思うわ」
「いえ、お構いなく。でも少しここのキャンプを見て回りましたが、難民が多いですね……」
ウォルの言葉にアイリスは困ったような笑顔を浮かべる。
「こればかりは仕方ないわね。今は国も人手不足。復興にも労働力が必要だけど、全員を雇えるほどどこもお金がないし女子供が必要になる機会は少ない。それなら物資が比較的豊かな旧王都に逃げるのが自然よね」
徐々に大陸から物資を取り寄せることが出来るようになってきているもののまだ平民には行き渡っていないらしい。
中々国中の人間全ての生活を保障することが出来ないのだろう。
「にしては難民の数が多すぎます。……もしかしてここで衰弱死してる人が多いのではないですか?」
ウォルはフィーのその言葉に眉をひそめる。フィーはここに来るのは初めてのはずだ。
アイリスも右頬に手を当てて分かりやすくとぼける。
「あら、どうして?」
「以前、養父のターゲスの伝手で旧王都にいるおおよその難民の数を教えてもらいましたが、その数よりも明らかに多い。それに炊き出しするにも各地から物資を受け取るにしても王都まで間に合わない」
ウォルもその言葉に目を伏せる。
先程歩いている時、テントの隙間から見られている難民たちの目はとてもいいものではなかった。
「フィーは文官が詐称してるって?」
「そこまで言ってない。それにこれは憶測の範囲内だよ。それに私もたまに学校で色々聞いたりするけど、こんなに酷いって聞いてないからもしかしたら文官というより、軍の方で任命された議員が視察してないのかもしれないけど……」
アイリスはフィーの言葉にまた困った表情を浮かべる。
「……まぁ、飢餓状態の人が多いのは確かね。私達は託児所で出た利益の一部で生活しているけど、こっちまで支援をするにはお金も物資も足りない。どうにか子供たちに読み書きを教える環境まではできたけど、それでお腹を満たせないからもどかしいわ」
「それでも読み書きは教えるんですね」
「もちろん。今はお腹いっぱいご飯を食べられなくても、教えて欲しければ教えるし、聞きたいことがあればそれにも答える。今日も来てくれた子達はみんな文字が読めない子ばかりよ」
アイリスが言うには今回の朗読の時間も子供たちにとって必要なことなのだという。
物語で道徳心を育ませることによって、彼らがまた戦争を起こすことがないように願いながら行っているとか。
「でも私たちも国に何度も打診しているのよ?難民の数が増えてきているから物資を寄越せって。でも彼らは「住めるくらいの場所が出来次第、移住の案内をする」って答えるだけなのよ、まったく一般人を何だと思っているのかしら」
移住するにも体力もお金も必要なのに。
確かにこの国……島は南北に分かれており、その面積も他の島と比べればそれなりの大きさらしく、複雑な地形ではないとはいえ、島を徒歩で一周するには二ヶ月くらいの日数が必要であると聞く。
そんな中食料もない中歩いてその土地へ向かうのは無謀だ。
「人間がまるっと移動できる転送魔術陣が使えればいいんですけどね」
「でも死人が出るわよ?魔力が足りなくて」
アイリスは当時、瀕死だったリナリアを孤児院に受け入れるために南の地方へ訪れていたロイクと一緒に転送魔術陣で運んだという前例を知っているが、あれはかなり無茶が過ぎていたと思い返す。
あれで使用した魔術陣は多大な魔力を使用したせいで崩壊したのだ。それに話を聞けば軍の人間五人から魔力を借りたらしいがその疲労も多大だったろう。
そんな他愛もない会話をしているとテントの中にまた一人やってきた。
「アイリス。来客がいると聞いたが」
「おかえりなさい、あなた。数年前に孤児院を卒業した子たちよ」
フィーとウォルが振り向くと目に入ったのは初老の男性だった。
ダークグレーのスラックスに同じ色のベスト。白いシャツに首には瞳の色と同じ色のポーラータイを身に着けており、頭にはシルクハットとその身なりは身軽ながらに整っている。それは商人か下級貴族らしい姿だ。だがそれより二人が驚いたのは。
「「老けたロイクみたい」だ」
髪型や髭があるという違いはあるが顔がロイクとよく似ていた。そんな二人の反応にアイリスは笑っているが、言われた本人は苦笑している。その表情ですらロイクとよく似ていた。
「よく言われる。挨拶が遅れてすまない。私はゲリー・フォン・カレンデュラ。二人の言う通りロイクの父親だ」
「彼女がフィラデルフィアさんとウォルファングさんよ。ほら、マーガレットが言ってた十歳で卒業した」
「あぁ、君たちが!」
本当に自分たちは問題児扱いを受けていたらしい。そしてその情報を流していたのはマーガレットだということに少々納得というか、複雑な心境である。
「その君たちが私たちになんの」
「リナリアからの手紙よ。直接渡してくれって」
ゲリーの言葉に被せるようにアイリスはポケットから先ほど受け取ったばかりの手紙をゲリーに手渡した。ゲリーはその封を開けて中身を読むとその内容に目を見張った。
「――分かった。アイリス。支度をしよう孤児院に戻らないと行けなくなった」
「あらまぁ」
ゲリーの言葉に暢気な反応をしているが、ゲリーは重く受け止めているらしい。
「あの、何が」
「……
その言葉に二人もまた目を見開いた。
―――
マーガレットが病で倒れた。一度危篤状態から山場を乗り越えたらしい。
なぜそれを外部との連絡ができない軍事学校に来て二週間くらい経つリナリアが知っていて、連絡が遅くなるような回りくどいやり方で王都にいる二人に伝えたのかは知らないが、フィーとウォルは各々で手続きを行いカレンデュラ家に向かうことになった。
マーガレットはカレンデュラ家に長らく仕えている使用人の一人だ。
彼女がカレンデュラ家に使用人として仕えるようになったのは真っ二つに分かれていたこの島がメイラ国として統一されたばかりの時らしく、統一前のカレンデュラ領はその時起きた戦争の激戦地で死体の山だったらしい。
なのでそれなりに年老いてる老婆だったはずなのだが、年齢は聞いたことが無い。
「でも良かったね。休暇扱いにならなくて」
「直属でもねえのにクライアンさんに突っぱねられたんだよ。俺とて仕事で孤児院に行きたくねえのに」
「はいはい、俺も近くにいること忘れないでくれよー」
ウォルは休暇ではなく、護衛対象が遠出するということで結局普段通り仕事という扱いになった。現在ウォルだけではなく、先輩である山羊族のジルベールもいる。
自己紹介で彼がヒヤシンスの息子だと聞いた時は驚いた。薄紫色の髪に褐色肌。その健康的な頬には大きな古傷がいくつも付いていた。種族が山羊であることと瞳の色以外は父親似なのか母親とは似ても似つかないのでヒヤシンスにそれとなく聞いたほどである。ちゃんと血のつながりのある親子だった。
だがそのヒヤシンスもヒヤシンスだ。黒髪の儚げな雰囲気を纏う彼女が妙齢の女性であることは十四歳のフィーでも何となく分かるのだが、こんな大きな息子がいるとは思わないくらい見た目が若々しいのである。アイリスといい、見た目が若い女性多くないか。
「でも軍人ってかなり怯えられるんだな……」
だが道中軍人二人を見て検問をしていた兵士から贔屓目というか畏怖の目を向けられた。
実際に新兵や本部での事務など一部の軍人を除けば実力もそれなりに秀でている人間が多く、そのため他の部隊と比べて実力にムラのある第一部隊にとっては分かりやすい指標になっていた。
「でもそれって、尊敬されているんじゃ」
「何もしてないのに怯えられる身になってみろよ……」
「それくらい慣れろってドックウッド。お前はお嬢を守るんだろ?」
「そうっすけど……!」
政治が軍主体になってから数年。確かにフィーとウォルがカレンデュラ領にいた時、国が一斉に行うイベントですら日をずらされ、連日軍人達による視察という名の監視が行われていた。
そこまでされると国民は「軍人は貴族よりも怖い人間」と認識してしまう。内戦が終わる頃から敵味方関わらず貴族への断罪が行われていたのだからそれは尚更。
軍人が、しかも旧王都から来た者だと分かれば嫌厭されても仕方ないかもしれないが、ウォルやジルベールの場合、歳の割に目つきが鋭かったり人相が悪いというのもあるとフィーは思う。
「実際村とかでお祭りをするにも領地じゃなくて国に申請しなきゃいけなくなったもんね」
「そうなのか?……いやそりゃそうか」
二人が思い出すのは迎春祭のアイーシュである。大通りは軍人だらけで当時は皆で逃げるように知り合いの店に入った記憶がある。
地方に配属されている第一部隊の人間も
ターゲスが大隊長に代わってからというもの、憲兵であろうと各々の実力を強化させる必要があるという方針を取っているらしく、人事異動が多いのもそれが理由なのかもしれない。
「でも領地の政治を他人に任せて、子供を育てるとか変わり者もいるんだな」
「変わっているかもしれないですが、運営を他の人に任せるのは貴族だとよくあるらしいですよ」
特に議員などの皇宮務めの貴族はそうだった。魔術水晶や人によっては魔法で連絡することは出来ても、実際に市井を見なければ分からないことも多いから丸ごと現地の部下に任せるのだ。
そうでなくても面倒なことは他人に押し付けて私腹を肥やす輩もいたりしたようだが。
「子供を自ら世話するのも……?」
「あぁ……それは慈善活動とか政治の一環で色々支援するくらいしか聞かないですね……」
フィーも魔術学院では同級生と徐々に打ち解けており、それなりに元貴族たちと関わる事も多くなってきている。
そんな彼らと関わっていくと彼らにとってロイクがどれだけ変わっているのかが分かる。
カレンデュラ領は内戦中に難民が流れ込むことはあっても魔術で領地全体にシールドを張っている為か争いの被害を受けていない。
日用品などの物資が不足することはあっても領民たちが飢餓に苦しむ思いをすることなかったらしく、国への納税についても規模が小さい領地にしてはそれなりの額を収めていたらしい。
だがそれを治める主は、自分自身が贅沢することはほとんど無く、孤児院の運営資金と子供たちが卒業する際に渡す貯金に充てている。
しかも使用人がいるにもかかわらず、女の役目である子育て以外にも炊事洗濯畑仕事など雑用や汚れ仕事を自ら行うのだから尚更。しなかったのは裁縫くらいなものである。
「……変わったヤツも居るんだな」
そんなジルベールの反応は特段驚いている様には見えなかったものの、それなりに興味深いというような印象を持っているようだ。
だがフィーの内心はそんなジルベールの反応より、床に伏せっているマーガレットより、また別のことが気がかりで仕方なかった。
―――
さかのぼること三日前。
「【女神の夫】の記憶か……何故それを君が知っている」
王都でゲリー夫妻を訪ねた時、フィーはゲリーと一対一で話をした。
女神と過ごした何百年にも及ぶ長い記憶。それを受け継ぐ女神の呪いについて何か鍵になりそうなことを知ることが出来ればと思ったのだ。
「孤児院に居た時、ロイクが話してくれました。亡くなった奥さん……ダリアさんを愛していた事を自覚させてくれたお礼だと」
「……」
ゲリーの目つきが変わる。その目は普段のロイクとよく似ている。
フィーはそのまま話を続けた。
「私は、彼の魂に刻んである記憶を……呪いを解きたいと思ってます」
「敢えて聞くが、何故その記憶を消そうなどと思ったのかな」
「愛しているからです。ロイクのことを」
正直ロイク本人から呪いを解いて欲しいと言われたことは無い。
だが女神は死ぬ間際、来世でも女神の記憶に縛られないために忘れて欲しいと言ったのに結局失敗した。
「来世は私のことを忘れて別の誰かと幸せになって」と願うはずが、それを女神の夫への独占欲が邪魔したのだとフィーは思っている。
「もし、君がいう呪いを解いたとして、ロイクが君に心を向けてくれると思っているのか?」
「これは私の自己満足です。ロイクが別の誰かを愛する事が出来るように願うだけ」
ロイクはその記憶を呪いと言った。どの代もすぐ隣にいる人を差し置いて、女神の帰りを待っていた。
それで良いと思った者も居たかもしれない。だがそれですぐ隣にいただろう奥方にとって、自分は夫の一番になれないという悲しみは辛かったはずだ。
「ならそれはカレンデュラ家の人間としてやめていただきたい。これはカレンデュラの誇りだ」
ゲリーから出た言葉はフィーの願望を真っ向から否定するものだった。
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