11.私はあなたを愛してました



 オルキデアの手によってオーキッドのマインドコントロールから抜け出せたヴェロニカは、後ろから追っていた軍の人間によって引き取られお縄になった。


「お手間を取らせて申し訳ありません」

「いえ、大丈夫です」


 フィーの手によって治療を受けたオルキデアの脚は回復し、傷跡が消えている事を確認した。だが久しぶりに魔力を消費したせいかその分の消耗が激しい。


「凄かったです。私は何も見えませんでした」

「魔力で押し通しただけです。元々護身で冷気を広げた場所まで気配を感じ取ることが出来たの。でも、ロニーも本来ならもっと強かったはず……」


 アリックスによるとヴェロニカは皇女付きでありながら、王宮騎士団の隊長でもあったという。確かにそれなら一発で彼女を仕留める位のことは出来たはずだ。

 それはオルキデアもよく分かっていたらしい。


「もしかしたら、心のどこかに皇女様だからと手加減していたのかも知れないですよ」

「そうかもしれないですね」


 アリックスが神妙な顔で二人を見つめる。


「……本部から連絡があった。教団が動き出した」


 その言葉に二人は目を見張った。フィーの脳裏にはあの日の火事がよぎる。もしかしたら皇子の方も焦っているのかもしれない。


「ロイクは?」

「あっちは皇子の射程範囲内だよ。そもそも連絡が出来ない」

「時間がありませんね。早く行きましょう」



―――



 ぼたぼたと赤い血が床に広がる。辛うじて急所を避ける事は出来たが、傷口からの出血が酷い。

 オーキッドは袖の中に武器を仕込んでいたらしく、彼の右手には赤く濡れたナイフがあった。

 もう立つことも耐えられないらしく、オーキッドは近くの椅子にすがりつくように座った。


「戯言に躍起になるなんて馬鹿な男だな」

「……発破かけたのは貴様だろう!」


 本当に面倒な役回りを押し付けられたものだなとロイクは自嘲する。殺意丸出しの病人に近付けば隙を狙われたも同然だ。

 ロイクは自分の魔法で傷がつけられる前の状態まで時を巻き戻す。すると傷口は傷付けられる以前の状態に戻る。カレンデュラ家の嫡男が必ず受け継ぐ魔法。

 ロイクは純血故に一度に使用できる魔力が足りないため、使いこなすことはできない。


「……時の魔法か。確かに皇族にもその魔法を持っている者はいた。女神の夫の記憶が継承されなくなってからは現れなくなったが……やはりお前が所有していたか」

「私は貴方と違い純血だ。この魔法もろくに使えん」

「まるで余の血が穢れているような言い方だな」

「間違いではないだろう」


 ロイクは血の少ない身体に鞭を打って立ち上がろうとしたが、オーキッドの赤い左目に睨まれ動きを止める。もう魔法の使用を隠す気もないのか、誤魔化す余裕がないのか。


「はは……逃げるなよ?どうせあの皇女出来損ないも来るだろう……まとめて殺す」

「……女神に溺れた人間にろくな奴がいないな」


 遠い記憶で見た女神の姿を思い出す。

 アイビー、これが貴女が産んだ子供だ。貴女によく似ているよ。


「貴様はどうせ教会にそそのかされたんだろう。別に女神にならなくとも皇帝にはなれた」

「……」

「それに、女神になろうとなかろうと貴様が皇帝になったところですぐ破綻する」

「貴様の妄言に付き合うつもりは無い。これはボクが選んだことだ」


 魔法で動きを止められる。眼を合わせなくとも使えたのかと顔をしかめるロイクにオーキッドは這う様に近付く。

 だが掲げられたナイフは意図せず一気に破壊された。


「……やっと来たか」


 魔力を帯びた冷気を感じ、ロイクはその場で安堵する。

 だがやってきたのは何があったのかボロボロになったオルキデアとフィラデルフィアだった。アリックスの姿はいない。


「ロイク!!」

「フィア!?」

「動くな」


 やってきた二人をオーキッドは魔法で動きを止めさせる。ロイクは何も対策しなかったのかと少々呆れたが、その隙に動けるようになったので立ち上がり二人を背にやる。


「ロイク血が……!」

「治したから怪我は無い」


 傷口があった場所の時間を巻き戻しても、減ってしまった血液の量まで巻き戻せなかったので若干貧血気味なのだが言わないでおく。


「俺よりも限界な奴がいる」

「フィラデルフィア。もう其方は必要ないのにまた来たのか……ゴフッ」


 オーキッドはまた血を吐き出す。赤く光っていた彼の左目もチカチカと点滅して力尽きるように消えてしまった。

 オルキデアはそんな重体であるオーキッドを見て、居ても立っても居られなくなったのか彼の元へ駆け寄る。


「おい待て!」

「兄さま」


 ロイクからの制止を聞かずオルキデアは兄の方へ駆け寄る。だが彼女はまたその兄の魔法で膝から崩れ落ちた。


「お前ごときが余に口を出すなよ。この傾国姫が」


 オルキデアの顔はひどく歪んだ。


「――氷雪の傾国姫。そう吹聴したのは兄さまなのですね」

「……だったらなんだ。お前も皇位継承権を与えられていた。政敵を貶めるならなんだってするのは当たり前だろう」

「兄さま、私を利用しようと思えば使うことはできた。しなかったのはどうして?」

「――……利用出来たなんて嘘だ」


 その場にいた二人は目を見張る。オーキッドは今も魔法を使用していて、互いに目を合わせているのに、オーキッドはオルキデアの心が読めていない。

 そしてオルキデアは何か理解したかのような態度を見せた。


「やはり、兄さまは呪われていたのですね」

「オマエは何を」

「兄さま。私の名前を覚えてますか。オルキデアではない、もう一つの名前」

「……」


 オルキデア=カトレア・ファレノプシス・メイラ。それが彼女の名前だ。

 『オルキデア』という名はオーキッドの女名として皇女全員に名付けられたもの。もう一つの名前で区別されるから、皇族は皆その名前を知っていて当然であるはずだ。兄妹なら尚更。

 だがその情報も彼女から魔法でかすめ取ることが出来るはずのオーキッドは顔をハッとさせる。


「貴方は私の情報を異母妹程度の認識しかできない。幼い頃は読めていたから、きっと後からでしょう。――敢えて隠していたとは言え、私が魔族だということも知らなかったようですから」

「……ボクに呪術をかけたところで、そうする意味があるのか」


 確かにその呪術をかけた者のメリットを感じない。皇子が彼女に対してだけ不便に感じるだけ。


「私たちを嫌う人間は内部外部含め大勢いた。意図的に貴方が私へ【嫌悪】を持たせるよう、私に関する情報を忘れさせると同時に魔法で『読めない』ようにした。正妃……貴方のお母様なら行ってもおかしくありません」


 「私のことが嫌いなのは分かっていましたから」と呟く。何だか自嘲しているように見えた。


「……仮に、オマエの事が読めなくとも、結果は同じだ」


 彼にとってどうでもよかったのかもしれない。それがオルキデアの心を痛めつける。

 オーキッドはロイクに顔を向けた。


「カレンデュラ。オマエは余が女神にこだわらなくとも皇帝になればどちらにせよ破綻したと言っていたな。理由はなんだ」

「……妄言に付き合う気はないと言ったのは貴様だろう」

「気が変わった。どうやら余は呪われていたようだしな」


 記憶を魂に刻まれ、女神との思い出を忘れることが出来なくなった男。その人間に聞けば何か分かると思ったのだろうか。


「何かに囚われている人間は視野が狭まる。それだけだ」

「ボクは、何も囚われてなどいない」

「女神に執着している時点で貴様は囚われているよ」


 図星を突かれたのか、あからさまに顔をしかめる。


「それなら、コイツも同じだ。オマエが並べた御託の通り、血の純度を上げるなら、余ではなく、他の皇族の誰かと婚約を結び契れば良かった。余に執着するその姿はとても気味が悪い」

「私は兄さまに対してだけ盲目的になっていただけです。それに私は、皇帝になりたくなかった」

「嘘だ。お前は幼いながら多くの人間から期待されていたではないか!」


 「このボクよりも……オマエの方が!」と彼女に感情をぶつける。これが彼の本音だ。分かっていたのか、彼女は兄からの言葉を受け入れる。

 だがオルキデアは何を思ったのか手を振りかぶり、兄に平手を打った。


「―――え?」

「なんで……気付かないのですか?」


 彼女の思い切った行動に全員ぽかんと唖然とした。それも気に留めずオルキデアはオーキッドの胸倉を掴む。


「もう悪足搔きはおやめください。そんな兄さまに従う民はもうどこにもいらっしゃいません」


 彼女の張った声に今更説教だと思ったのだろう。オーキッドは睨む。


「……民が忠誠を誓わないなら、こちらが何をしようと勝手だろう」

「帝王学を学んでおいて、まだ分からないのですか……王は民意によって作られるものですっ!もう、胡蝶蘭ファレノプシスは終わりなのッ!!」

「今更諦めろというのか!?ここまでどれだけ時間をかけたと思っているッ!!」


 吐血をぶちまけながら、自分の胸倉を掴む手を抑えて抵抗する。だがそんな彼に子供であるオルキデアの手を離す力は無かった。

 はじめて自分の妹が激昂した顔を見たのに、兄の方は気にせず反論する。傍から見ればただの兄妹喧嘩だ。


「その為に多くの人に手をかけたというの!?人として最低!皇帝になる以前の問題です!!このクズ!!狂科学者マッドサイエンティスト!!女児愛好者!!」

「誰が狂科学者マッドサイエンティストで女児愛好者だ!そう侮辱するなら、オマエはなぜボクばかり!!」

「女神でも、皇帝でもなく、私にっ……私に目を向けて欲しかったの……!」


 彼女はボロボロと涙を流していた。初めて見た彼女の怒りと悲しみに、兄はここでようやく目の前の妹が癇癪を起していることに気付いた。

 オルキデアは彼の手を取り、頭を下げて手の甲を自らの額にこすりつける。


「兄さま。私は……貴方をずっと、ずっと前から……お慕い申しておりました」


 フィーはこの時、何故かオーキッドの呪いが解けたような気がした。

 オーキッドの目に何が見えたのか分からない。だが驚いた顔のまま数秒。そして彼女の手首を掴んでいた手はオルキデアの頭に伸び、そして触れずに手をだらりと落とす。


「――カトレア」

「はい……」


 呼ばれた彼女はまだ頭を下げたまま返事をした。

 カトレア。彼女が王城で暮らしていた時、目の前の兄以外の家族から呼ばれていた名前。オーキッドが彼女にそう呼びかけたのははじめてだった。


「オルキデア=カトレア・ファレノプシス・メイラ。……オマエの想いは受け取れない」

「それでも、何をしてでも貴方と共に居たかった……」


 「仕方のない奴だな」と偽りのない柔らかな声で呼びかける。ロイクはようやく彼にかかった呪いが解けたことを理解した。

 そしてだらりと力が抜けていた手は平手を返し地面に手を付く。


「『我が元に、その力を貸し給え』」

「――っ!?」


 部屋の床一面に大きな魔術陣が浮かび上がる。それと同時にフィーは脚が崩れるようにへたり込んだ。

 魔法も使っていないのにフィーの右目は真っ赤に光り輝いており、魔力が著しく低下していく。その姿にロイクはダリアの姿が頭によぎり慌てて彼女を抱き寄せた。


「フィア!」

「……ろい、く」

「はは……他者へ向ける愛情を代償に、コイツの情報を消す呪いか……母上も本当に滑稽な呪いをかけてくれる……だが、ボクの野望はここで終わらせてたまるか!」


 フィーの魔力を吸収しているというのか。ロイクはオーキッドをにらみつける。

 するとこの部屋の床に魔術陣の線が浮かび上がり、その中心に円柱のガラス容器が出てきた。

 その容器の中にある物体にその場の全員が驚愕した。


「そんな……」

「まだ幼体だが、歩けるくらいまでには、成長している……これで余はまた」


 そのガラス容器に向かってオーキッドは這いつくばる。

 今も尚フィーの体は今も尚魔力を吸われていき、とうとう自分の意志で体を起こすこともままならず意識がかすみ始めた。

 吸収された魔力は中心のガラス容器へ流れており、中の子供は魔力に反応するようにピクリと身体を動かした。そして追い打ちをかけるように中の子供は身体がみるみる成長していく。


「ゆるさ……」

「フィア、意識を保て!」

「させるか!!」


 パリンとガラス容器がはじけ一気に培養液が漏れ出す。魔力の元を辿り後ろを向くと、アリックスが攻撃したのか、左手を掲げて立っていた。


「アレクサンダー様!!」

「対魔法の術を施しているのになぜ!?」


 オーキッドが怒号をあげながらフィーのことを見ると、横たわっている彼女の額に魔力を封じる札が貼り付けてあった。ロイクお手製の魔術だ。


亡き妻ダリアの二の舞になるかと肝が冷えた。……他人の魔力を無断で使う魔術なんて初めて見たぞ」


 「バレないように吸い取ればよかったものを」と疲弊した彼女の体を抱き寄せるロイクにオーキッドは舌打ちする。まさか彼が簡易的に魔力を封じる札を持ち歩いているとは思わなかった。

 そして容器を破壊した張本人に視線を移す。


「遅くなってごめんね、教団は全員取り押さることができた……お久しぶりです、お義兄様」

「いつ貴様の兄になった……」


 顔見知りなのか睨まれながらもアリックスは飄々とした態度で一礼する。オルキデアはすぐにオーキッドの後ろに回り様子を伺った。その姿にオーキッドは力が抜ける。


「……コイツを甘やかしたのは貴様か」

「彼女の意思を尊重しただけですよ」


 オーキッドは一瞬、皇帝の後を追って殉死した宰相と面影が重なった。


(……所詮親子か)

「……!?兄さま!!」

「もう、時間切れか……」


 力が抜けた途端、意識が遠のきそうになる。

 視界には割れたガラス容器とその中身。液体が空になった容器の中でうずくまる子供がピクリと指を動かすのを見て、まだ生きていることに気付いた。だが今の自分にはその子供に自分の記憶を植え付ける余裕はどこにもない。

 自分の血が通った子供だ。意識が戻る前に処分されるだろう。


(……愛なんてないと思っていたのに)


 少なくとも自分にとってはこれまでの努力の結晶だ。親が子に抱く感情と違えど、愛着のような感情を抱いていたことに気付く。オーキッドの体は指先から急速に腐敗していった。


 塵となった身体。その中に残ったのは大きな深い紫色の魔力核だけ。

 オルキデアは彼の体が全て塵に変わるのを見送ると、その残った魔力核をぎゅっと抱きしめる。


「君は、兄の後を追うの?」


 オルキデアはアリックスの言葉に首を振った。


「いいえ、私は時間が許す限り生きます。アレクサンダー様。私には妻としての教養も素養もありません。ですが……こんな私でもあなたのそばに居てもいいですか」

「当たり前だよ。オルキデア」



――――――

【ちょっと長い補足】

オーキッドは実の母親から【愛】を代償にオルキデアの情報を遮断させる呪いをかけられてました。

理由は自分が今後息子に愛されないと分かっていてもそう呪ったのは確実に息子を皇帝にさせて国母になりたかったのと、皇帝たちが関心を示すオルキデアが息子と仲良くなるのが嫌だったから。


呪いを解く詠唱も考えましたが、ストーリーの都合上ボツに。詠唱の内容はここで供養。

「汝の清純は、民のためにあらず

 汝の純粋な愛は穢れ落ち

 幸福は胡蝶の夢の如し

 優雅な美しさは枯れ果てた

 汝の魂は永久に葬り去ろう」


※胡蝶蘭の花言葉を用いてみましたが、内容がオーキッド個人じゃない気がするし、解釈によってはオルキデアも死んでしまうので。

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