10.我が力、万物の元に還り給え



 自分は女神であって女神ではない。その事実を理解したとはいえ、未だ身体から麻酔が抜けないせいで絶対安静を受けていた。

 大人達が話があると言って医務室から出て行ったが、隣にウォルファングがいた。


「ウォルはみんなの所に行かなくていいの?」

「俺も隔離されてるんだよ。村を燃やした奴らはあの皇子の関係者だったらしいから、俺も殺される可能性があるらしい」

「……そっか」


 あの皇子が求めていたのはウォルファングじゃなくて自分だったのだが、軍はその可能性を否定できないのだろう。

 ウォルとしても仲間が戦うのに自分だけ動けないのはもどかしいだろう。

 だがこの状況に慣れて落ち着きを取り戻したのか、それともフィーが帰ってきて気が抜けたのか、丸椅子に座った状態でベッドに突っ伏してはフィーの胸に頭を預ける。甘えていると気付いたのかフィーはウォルの頭を撫でれば、本人は目を合わせてくれないものの、それを甘んじて受けれた。

 ずっと強気だったウォルがそういう態度を見せるのは久しぶりだ。


「墓参り、行けそうにないな」


 年越しの冬休み。その期間中に自分らの故郷があった廃村に行こうかと話をしていた。孤児院にいた頃は行けなかったお墓参りである。だがこの惨状だ。事が終結しても後始末などを理由に行けそうにないだろう。


「……お父さんとお母さんの体が埋められてないなら、意味ないよ」

「俺の親はそこにいるんだけど」

「ごめん」


 他の村人たちはそこで眠っている。思い出してみれば自分と母親に対して一線を引いていたが、それでも体調が悪い母のために良くしてくれたものだ。


「最近、村にいた時のことを思い出すようになった」

「……遅せぇよ。バカ」


 そんな感傷に浸っている間、誰かが医務室に入ってきた気配がする。ウォルはすぐに起き上がっては身構えた。


「フィー元気にしてる?」

「アリス?」


 緊張感のない緩いその声はアリックスだった。ウォルは安心して力を抜く。だがそんな顔を出したアリックスの隣には見知らぬ少女も立っている。

 黄色い翼を背負う彼女は自分らと年齢が近い様に見えるが、その髪と瞳の色はあの皇子を連想した。


「二人は初めましてだね。この子は僕の奥さん」

「オルキデア=カトレア・フォン・ロータスです。……そして、オーキッドの妹でもあります」

「「!?」」


 思わず二人はアリックスを睨みつける。まさか彼の妻がこんな幼い皇女だなんて思わなかったのだ。そんなアリックスも分かっていたのか両手を上げて降参のジェスチャーをする。


「事情が事情だから言えなかったんだよ。オルキデア、二人はさっき言ったターゲス大隊長の子供たち。彼女がフィラデルフィアで彼がドックウッドことウォルファング」

「なんで俺はドックウッド」

「ウォルファング様は彼からお話しを聞いておりますから」

「……はい」


 ウォルはアリックス犯人を再度睨みつける。だが当の本人はどこ吹く風である。だが律儀に立ち上がり自分が座っていた椅子をオルキデアに譲るが彼女はその前にフィーへ頭を下げた。


「この度は愚兄がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「い、いえいえ!!そんな……変なことされてないし……多分」

「起き上がってはいけません。しっかり養生なさって」


 突然の謝罪にフィーは困惑する。

 確かに輝くプラチナブロンドの髪といい、アメジストの瞳といい、顔立ちもあのオーキッドによく似ている。だが流石にあの狂気的な雰囲気は無かったので安心した。


「オルキデア……さん?気にしないでください。確かに、オーキッドのやったことは私も許しません。でもそれはオルキデアさんが謝ることではないと思います……」

「ですが私たちは、異母兄妹ではありましたが、幼い頃はともに遊んでいたりもしていたのですよ。今はもう会話すらできませんが……」


 表情こそピクリとも動かないものの、彼女は兄に対してそれなりに想っているようだというのは感じられる。


「ドックウッド、君は釈放ね」

「釈放って」

「君が殺される危険性は低いと判断した。副隊長が今会議室にいるから後は彼に」

「……御意」


 ウォルはフィーを一瞥するがフィーは「行ってらっしゃい」と背中を押せば気掛かりになりながらも医務室から出て行った。

 それからフィーはアリックスから二人のことを聞いた。

 オルキデアは表向きロータスを名乗っているが、まだ正式な婚姻は結んでいない。オルキデアの年齢が年齢なのだから仕方ないのだろう。それに元々アリックスの家は代々宰相を務めていたようで、オルキデアと婚約が決まったのは自然な流れだったという。


 その間もオルキデアの表情は硬いままだった。フィーは以前オーキッドが話していたことを思い出す。


『僕は妹のことが嫌いでね。……父が彼女ばかり気に入ってたからその嫉妬だよ。あぁ、気を悪くしなくていいよ?よくある話さ』


 あの時彼が嘘を吐いているようには見えなかった。

 だがオルキデア自身、表情が出ないだけで感情自体は豊か。話せば彼女の人となりはすぐにわかるのに、なぜこんな可愛い妹と仲良くなれなかったのだろう。

 そして彼は嫉妬を理由に嫌っていた。それを目の前の彼女は知っているのだろうか。



「お話を伺いました。竜族は混血でも身体が丈夫なのですね。恐れ入りますが、その……頬を触ってみても良いですか」

「オルキデア」

「……いけませんか」


 オルキデアは真顔でアリックスのことを見つめ、彼は困った笑顔を浮かべている。どうやら彼は彼女に弱いらしい。


「いい、ですよ……こんな火傷のあとでいいのなら」

「火傷?」


 二人はそろって首を傾げた。アリックスは知っているだろうが。


「竜族は火傷するとこうなるんです。普通の擦り傷とかならこうならないんですけど。……消すことも出来るんですが、やり方が危ないのでやってません」


 そう言って左手でとんとんと、左頬に張り付いた火傷跡を触る。

 以前こそ村を燃やされた火事で、両脚が竜のかぎ爪の形になるまで酷い火傷を負っていたが、孤児院の友人だったリナリアの毒の魔法で消すことができた。結局なぜ毒で消すことが出来たのか理由が不明なのだけれど。


「申し訳ありません。傷痕だったなんて。痛くはありませんか?」

「すぐに治したので大丈夫ですよ。これは、勲章みたいなものなので」


 やはり今もこれからも、この鱗を消したいとは思わない。

 母とおそろいであるそれは、今は亡き母との繋がりを感じる気がするから。


「……折角のお顔に傷がついても、貴女にとってそれは誇らしいことなのですね」


 しばらく話していると、報告でもあるのか再度戻って来たウォルがアリックスに声をかける。アリックスはウォルを連れて外へ出て行った。

 皇女と二人きりになる。


「先ほど、カレンデュラ様とお話ししました」

「……ロイクと?」

「はい」


 カレンデュラという名前を耳にするようになったのは王都に来てからだ。孤児院にいた時は街の人たちはロイクを『領主様』と呼んでいたものの、カレンデュラという名前はあまり聞き馴染みがなかった。


「……どんな話をしたんですか」

「『色々』です。彼は素晴らしい魔術の才をお持ちですね」

「ロイクは、すごいですよ」


 学院に進学して魔術を学ぶ度に、ロイクの魔術の才がどれくらいすごいのか実感する。だがそれは全て身体が虚弱だった妻のために努力した結果なのだけれど。


「私は兄のように魔術に関心を持てませんでした」

「……」

「そんな兄から、どんなことをされたのか聞いてます。貴女と兄の間に子供ができようとしている」

「……」

「クライアン殿の話では、すくすくと試験管の中で育っているようです。一度だけで上手くいくわけありませんから、事前に相当な数の実験をしたのでしょう。試験管の中で育たず死んでいった子供も大勢いたかもしれないし、もし仮に育っても彼によって殺されたかもしれない」

「……」


 そう言われても実感が湧かない。自分の血を引いた子供なんて。だって自分はまだ10歳だ。

 女神の記憶もあり、本来どうやって子供ができるのかは知っている。だが自分が奪われたのは貞操でも純潔でもなく、フィーの体の中にあったとても小さな細胞だ。


「貴女の代わりに殺してあげましょうか。その子供」

「え?」


 一瞬オルキデアが言った意味が分からずフィーの中で時間が止まった。殺す?この人が、子供を?


「ちょっと……何を言ってるのか」

「兄との間の子供です。貴女はその子供を愛せるの?」


 輝きを失った瞳がこちらを見ている。

 自分を見ているのか分からないその目に迫られ、冷汗で背中が湿り、口の中がカラカラに乾く。

 自分とオーキッドの子供を愛せるか?確かにオーキッドの子供だが、オーキッドが許せないだけで子供は無関係だから殺す意味がない。でも自分の子供として愛せるかどうか分からない。


『アイビー。その子供は?』

『貴方との子供よ』


『アイビー、殺しちゃいけないよ』

『なんて、この子はこんなに醜いの……なんで!!』

『それでも、この子は僕らの子供なんだろ?なら、愛してあげないと。それが僕ら親の責任だ。どの生き物も親が子供を愛してあげないと立派に育たない』


『おか、ア、さん……』

『人間共を殺して、あなたたちがこの世界の人間に成り代わるの。それがわたしへの親孝行よ』


「――っ!」


 女神が産んだ子供魔物たちに言った言葉が脳裏によぎる。胃から何かがせり上がり、思わず両手で口を塞いだ。


「だめだよ、カトレア」

「!?」


 いつの間に戻ってきたのかアリックスが優しくオルキデアの肩に手を置いて咎める。それにオルキデアがすぐ振り向いた。


「にい……アレクサンダー様……」

「フィーに同意を求めるんじゃないよ。そうじゃなくても人を殺しちゃダメ。落ち着いた?」

「申し訳ありません……」


 アリックスはそのままオルキデアの両肩を掴んで自分の身体に引き寄せた。


「ごめんね。この子自分のお兄ちゃんが君に目を向けたから嫉妬してるの」

「は、はぁ……」

「…………度々申し訳ございません」


 フィーはハッとする。オルキデアはオーキッドの妹だ。兄の方は妹を嫌っているが妹は兄を愛している。家族なら相手がたとえ悪人であってもその愛は変わらないのだろう。

 オルキデアの表情も元に戻っている。心なしか身体が震えているようにも見えた。その震えは罪悪感からなのか、それとも。


「アリス、さっきのって――」


 フィーの問いを遮るように彼はオルキデアに話した。


「オルキデア、もうじき動く」

「わかりました」

「本当に良いんだね」

「あの、どういうことですか」


 席を立とうとしている二人にフィーは戸惑い、起き上がる。

 フィーの問に奥にいたウォルが口を開いた。


「オーキッドの元へ行くんだよ、その前にオルキデア嬢が会いに行く」

「オーキッドって敵なんだよね……?」

「……でも私は、そんな兄を愛してる。その兄は今いつ死んでもおかしくない状態で国に反旗を翻そうとしている」

「……それは、ここにロイクが居ないことも関係あるの?」


 フィー以外の三人が凍りついた。

 フィーは何故未だにロイクがここに戻ってこないのか疑問に思っていた。

 傲慢な考え方だが、彼がシャトーバニラに来た理由は自分がオーキッドに連れ去られたからだ。

 確かに旧友であるターゲスと話す事もあるだろうが、多忙のターゲスがこの状況で時間を割いてくれるとは思えないので、自分の隣にいるのが自然だろう。


 それを説明するとアリックスは頭を抱え、なんで自分の周辺は頭のいい女の子ばかりなんだと聞き捨てならない言葉を呟いた。


「……今、面倒くさいことになっててね」


 アリックスが事の詳細を全て話すと、フィーは布団をひっぺがして医務室から出て行こうとした。

 だがそれはウォルの手が制する。


「おい待て!どこに行こうとしてんだよ!」

「ロイクの所に決まってる」

「馬鹿か!お前はさっきまで麻酔でくたばってたばかりなんだぞ!」

「それでも私は行く。彼の前に行けばロイクは絶対殺される!!」


 頑なに拒否をする彼女にウォルの顔が歪む。


「『お前が死んだら俺は独りだよ』」


 フィーはその言葉に立ち止まった。


『ウォルがいなくなったら、私は一人だよ』


 二年前、フィーがウォルにこぼした弱音。

 村が全て焼け野原になって、孤児院で暮らす事になってから不安で仕方がなかった時期だ。

 当時フィーとウォルは姉弟だからと誤魔化してお互いに依存していた。唯一同じ村で姉弟のように育った幼馴染みだから。

 だがその言葉は一生一人しか番を作らない狼族にとって『愛している』と同じ意味だ。この2年で大分大人に近付いたフィーもそれはよく分かっていた。


「ごめん。ウォル。あなたの望みを叶えることは出来ない。今の私は、ウォルがいなくても大丈夫だから」

「フィー……」


 フィーにとってウォルは、どうしても『弟』でそれ以上でもそれ以下でも無い。

 どんなに依存しても、自分の本心を誰よりも露わにしていたとしても、やはりウォルはフィーにとって大事な弟に変わりない。

 ウォルはそれを思い知らされたのか、俯く。


「でも、もう少し、貴方のお姉ちゃんで居させてね。ウォルファング」


 小さい身体がウォルを包み込む。

 彼女を守るために鍛えていたはずなのに、結局包まれるのは自分の方だ。

 彼女を閉じこめておきたかった。昔のように小さな家で彼女とその母親がずっとそこで過ごしていたように。その小さな世界を作る為なら自分は彼女にとっての弟でもよかったのに。


「……分かったから、もう、行けよ」


 フィーはそれでも追い求めるのはロイクだけ。

 拒絶のような言葉にフィーは戸惑いも躊躇もなく手を離した。

 何も掴めなかった両手が空を切る。


 後ろで見ていたアリックスが彼の肩を叩いた。


「……後で慰めよっか?」

「ぶっ飛ばすぞコラ」



―――



 旧王都の中心にある王城は高い壁に囲まれており、この街全体が外部からの侵入を許さない構造になっている。街の中心にありながら誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。


 本来旧王都自体、海から大分離れている土地にあるため大陸からの敵がここまで侵入される心配はほとんどない。だがこの島国はこの長い歴史の中で国内での争いが絶えず、必然的にそういう構造にせざるを得なかった経緯があった。


 そんな王城へ向かう道中、アリックスはフィーにこれまでの経緯について説明をした。


「カルト教団?」

「そう。実は皇子を妄信するカルト教団がいて、彼らが王都を攻めるっていう情報をつかんだんだよ。その黒幕はもちろんあの皇子」

「でもどうしてそんなことに」

「元々彼らも皇族と直接関わりはなかったんだけど、王政派の貴族が目を付けてね。最初こそそいつが彼らのことを利用してやろうとでも思っていたんだろうけど、それを知った皇子がそれをまるっと取り込んだんだよね。それこそ彼の持っている『人を操る才能』ってヤツで」


 元々そのカルト教団は細々と活動をしていたのだが、それがいつの間にか貴族やあの皇子に目をつけられ、色んな人間が入り交じり、いつの間にか信仰する物がすり替わり、皇子を盲信する過激戦闘集団に変わり果ててしまった。


「……ですが兄さまも計画が急すぎます。新しい身体に自分の人格を入れてから反乱を起こしても遅くないはずでは」

「皇族が隠してた秘密が公開されると決まったからだろうね。怪文書が大量に送り付けられてくるものだから公開は延期したけど、自分が玉座を手に入れてその情報をまた隠蔽するため、その情報が公開される前に反乱を起こす必要があったんじゃない?」

「兄さま……」


 オルキデアが胸をさする。どんなに表情が凍てついていようとも、その想いは変わらないらしい。

 アリックスはオルキデアと出会って間もない頃の会話を思い出す。


『褥を共にしないなら、どうして毎晩私のもとに来るのですか』

『褥って……どこで覚えてきたの。自分がいくつか分かってる?』

『使用人たちが毎朝聞いてくるのです』

『アイツら倫理観どこ行ったのさ……』

『知りません……私も貴方がなぜ毎晩私のもとにくるのか分かりません』

『情緒がないね。せめて僕と仲良くなろうって思わないの?』

『……』


「――そんなことどうでもいい。ロイクの所へ急がないと」


 フィーの言葉でアリックスの意識が引き戻される。

 だがアリックスは空気を震わす不快な音を察知し、二人を止めた。


「ちょっと待った!」


 二人が立ち止まると同時に、オルキデアの隣に稲妻が走る。彼女がふらいたのをアリックスが受け止めた。


「――っ!?」

「オルキデア!」


 彼女は足元を気にする。彼女が履いていたブーツが焦げている。もしかして火傷を負ったのだろうか。

 アリックスは魔法で周囲の状態を把握すると姿は見えないが城門の前に人間の気配がある。先ほどの稲妻は魔法だろう。

 オルキデアは体勢を戻しているがまだアリックスから離れる様子はない。やはり脚に痛みがあるようだ。


「申し訳ありません」

「全くだよ。――来るのが早すぎない?」


 王城への隠し扉がある場所。そこを見れば黒い外套で覆われた人間が立っていた。

 突然姿が現れたのはその身体を纏う魔術道具だろう。だが気配まで遮断するなんて相当手練れの人間らしい。


「流石あの方の読み通りですね。オルキデア皇女、貴女には我ら神王の栄光の為に、死んでもらいます」


 相手はおもむろにフードを外す。現れたその姿はショートカットのブロンドに眼帯が特徴的な女性だった。遠目で見る限り人族のようだ。

 痺れで動けないオルキデアは彼女を見て眉をひそめて疑う素振りをする。


「ロニー……?」

「オルキデア?」


 こちらに攻撃を仕掛けたということはあの皇子の刺客だろう。普段表情の硬い彼女がそんな顔をするなんて、彼女の知り合いだろうか。

 オルキデアの言葉に目の前の女は首を傾げ考える素振りをする。


「ロニー、ですか。そんな名前知りませんね。改めまして、お初にお目にかかります。私の名前はヴェロニカ。神王の命により貴女の首を頂戴します」

「ヴェロニカだって?」


 その名前にアリックスは焦る。彼女の名前が本当なら、且つて皇族達に付いていた王宮騎士団の人間。しかも騎士団長だったはず。そして騎士団長でありながらオルキデアに一番近い人間でもあった。

 オルキデアも自分の側近同然だった人間が裏切っているのだからそんな顔をするのも当然である。


 だがオルキデアは何かを決心したのか、感電による痛みをごまかして、自身を支えていたアリックスから離れる。


「殺す相手にも礼儀正しいのは相変わらずですね。――アレクサンダー様。私にかかっている枷を取っていただけませんか」


 オルキデアはアリックスを見上げて自身の胸に手を当てる。彼女は今魔法を魔力核ごと封じられている。その拘束を解けと言った。


「ダメだ、ここは僕がやる。それに今君が拘束を解いたらどうなるか分かって言ってる?」

「ええ、私は罪人。この拘束を解いてしまったあとどんな処罰が降りようともそれを受ける覚悟はあります。

 それに目の前に居るのは私によく尽くしてくれた騎士の一人。彼女にお灸をすえるのは主であるこの私です」

「そういうことを言っているんじゃない。僕は君の体を案じてるんだ、暴発するかもしれないんだよ!?」


 柄にもなく彼女に怒鳴りつけてしまった。

 魔力というのは、魔力核が肉体の生命力を変換させて作られる。

 つまり魔力返還の効率が高ければ高いほど魔力が高いことを意味するが、その分生命力が削られるため体力が衰え、必然的に身体も弱くなってしまう。


 オルキデアは混血ゆえにその身体は弱かったものの、軍の手によって自身の魔法を魔力核ごと封じられたことがきっかけに、心臓の機能はそのままに魔力核は機能を停止。生命力が魔力核に吸収されることがなくなった。

 そのため幽閉されてからこの二年間彼女は、医者監督のもと自身の体力づくりに励んでいたおかげで徐々に身体が丈夫になってきていたのだ。


 つまり、今まで魔力核の機能を停止していたのを動かせば魔力が暴発し彼女の体に危害を及ぶ可能性がある。


「オルキデアさん。それって」


 フィーも彼女を案じている。フィーも混血だからその負担の大きさは身をもって知っているのだろうか。

 だがオルキデアは断固としてその気持ちが揺らぐ様子はない。


「確かに魔力が暴発するかもしれません。ですがこれを機に皇族が神ではないことが証明される良い機会かもしれませんよ?」

「馬鹿を言うなよ」


 彼女の胸に当てている右手をアリックスは奪い取る。

 最初はピクリとも表情が動かないので可愛げのない女だと思った。

 口を開けば兄のことばかりだから、自分が義兄たちの首を挿げ替えてロータス家の当主に立ったように、彼女にとって自分はあの皇子の身代わりなのだろうとも思っていた。

 これが彼女と出会ったばかりの時だったら、好きにしろとでも思ったかもしれない。だが今は彼女の想いに答えることが出来ない。


 アリックスのそんな表情を見たオルキデアは空いてる左手を彼の頬に当てた。


「……温厚な貴方も、そんなお顔をされるのですね」

「ふざけるな、君のことを考えて言ってるんだ」


 こんな時に暢気なことをいう。本当にこの二年で君も変わったようだ。


「……分かってます。ですが、これも私の皇女としての責務の一つです。貴方が部下に叱咤するのとなんら変わりはありません」


 彼女の真っ直ぐな瞳にまたも押し負ける。どうやら変わったのは自分も同じようだ。本当に自分は彼女に弱くなってしまった。


「……もし仮に君の魔法が暴走しかけた時は止めるからね」

「分かっています。兄に会えるまでこの身は果てることできませんから」


 笑った気配がする。アリックスは彼女を引き寄せては手を回した。

 本来なら魔術陣が埋め込まれている彼女の身体に触れるだけでいいのだが、今はこれを口実に触れてもいいだろう。

 魔力を込め詠唱を唱える。


「『我が力、万物の元に還り給え』」


 瞬間、周囲が冷気で立ち込める。自分以外の全てを凍らす魔法。彼女が氷雪の傾国姫と呼ばれた所以の一つ。

 全身から魔力が漏れている。彼女の体から冷気を感じるのに、肌自体に冷たさを感じない。

 まだ彼女の魔力が暴走する気配はないが、ぱきぱきと地面が凍っていく。


「――ごめんなさい。私の身体、冷たいでしょう」

「……抱きしめてるんだから、せめて恥じらいを持ってよ」

「貴方を前に今更恥じる必要もないですよね」


 赤く輝く右目でそんなことを言う。

 どうせ自分の兄が同じことをすれば同じ反応をしない癖に。この時だけは自分が皇子に負けていることが少しだけ悔しいと感じてしまう。

 彼女は目の前の女に顔を向けた。


「安心してください。すぐに終わらせます」



―――




 フィーは二人の様子を一歩後ろで見つめていた。

 自分の知っている夫婦というものは自分の両親しか知らないが、二人にもちゃんとした夫婦の形があるのだろうかと漠然と感じ取る。

 だがオルキデアは魔法で戦闘なんてしたことはないはずだ。それに話を聞けば二年も魔法を使わなかったというブランクがある。


「オルキデアさん、本当に大丈夫ですか」

「ご心配無用です。私もこの二年間、体力づくりを欠かさず行ってまいりました。それに自分の魔法は自分がよく分かっています」


 ヴェロニカと名乗った金髪の女性は話が終わったことを察したのか、持っていた短剣を構える。するとオルキデアの方も全身で魔力を出して周辺の温度を下げる。


 以前、ロイクから教えてもらったことがある。

 本来水や氷は電気を通さないらしい。不純物が混ざってしまうと電気は通るが、これはオルキデアの強い魔力だけで作る氷だから不純物はないはず。

 きっと目の前のヴェロニカもそれを分かっているから短剣を出したのだろう。

 だが彼女の周辺は冷気で満たされており、舗装された道の隙間から生えている小さな雑草も花壇に植えてあった花も枯れてしまうほどだ。そんな状態でどうやってオルキデアに対抗するのだろう。

 オルキデアは口を開く。


「ヴェロニカ、貴女は本当に私のことを覚えてないの?」

「いいえ。私は貴女とは初対面のはずですよ」


 瞬間ヴェロニカはオルキデアのそばに立った。オルキデアは瞬時に氷の壁を作り防御するが衝撃までは防げなかったせいで身体が地べたに転がる。

 ヴェロニカはオルキデアの冷気で凍らないよう瞬時に距離を離した。

 フィーは足が前に出るがそれをアリックスが止めた。


「不味かったら合図するから、待って」


 彼の制止の手は震えていた。自分の妻を見守ると決めたのだろう。


「人違いでしょう。私はロニーなんて呼ばれたことはありません」


 オルキデアは自分の手で立ち上がる。

 その立ち上がり方は左足を庇っているように見える。もしかして最初の攻撃で足を痛めたのだろうか。


「では、貴女はなぜその実力を持ちながら、軍ではなく兄上のそばにいるの!」

「あの方に自分の力を捧げるのは当たり前のことでしょう?」


 よく見るとヴェロニカの体に電撃が走っている。魔法で自分の動きを速めているのだろう。

 だがオルキデアはそれを目で追っては氷のシールドで彼女の攻撃を防ぐ。戦闘の経験は一切ないのに彼女の動体視力は凄まじい。


「すごい、あの人の動き全然見えないのに……」

「オルキデアは鳥類の魔族だから動体視力は良い方だと思うよ」


 赤く輝く右目が残存を残す。無意識なのか苦戦しているせいか彼女は左目を閉じていた。

 キメラとなり果てた皇族の血の影響で、彼女は魔族でありながら魔力で強化することが出来るのかもしれないというアリックスの推測は黙っておく。自分は医者でも学者でもないので。


「あの、失礼だけどあの翼で飛べるの?」


 ターゲスの翼は彼の足首まであるとても大きい翼だ。学院で仲良くなったコスモスといい時々鳥の魔族の人間を見かけるが、皆その翼を広げれば両手を広げるくらいの大きさはある。

 だがあの小さな黄色い翼はどう見ても飛べる大きさではない。


「試したことは無いみたいだけど、多分今は飛べないだろうね。でもあれでも結構大きくなった方だよ?身体も二年前にあの子を見た時はまだ八つかと思った」

「へぇー……」


 ロイクの亡くなった妻も見た目が幼かったと聞く。混血の魔力核は身体の成長を阻害する。

 フィーも混血故に身体から魔力が多く放出されることはよくあったが、成長を阻害されている様子はない。これは個人差というより自分の体が丈夫だからなのだろうけど。


 オルキデアはまだ彼女の攻撃を防ぐことに専念しているが、慣れてきたのか瞬時に判断できるようになっているように見える。


「騎士の心得はあるようですね、それはどなたに教えてもらったの?」

「――騎士?」


 ヴェロニカの動きが一瞬鈍る。その瞬間オルキデアは氷の粒でヴェロニカの手にある短剣を弾き飛ばした。

 ヴェロニカは自分が目の前の小娘から武器を弾かれたことに啞然となる。その時にはもう彼女は肩で息をしており、着ていたドレスはボロボロになっていた。


「そう。最初から、貴女はそんなに強かった訳ではないはず……どうやって強くなったの?」


 彼女はじわりじわりとヴェロニカに近付く。ぱきぱきと凍る彼女の魔力の所為か、それとも追い詰められた焦りか、それとも自身の記憶がないことに混乱しているのか、ヴェロニカの体は次第に硬直し、震え始めた。

 それでもオルキデアの歩みは止まらない。


「やめ……」

「兄さまのもとに来たのはいつ?」

「やめて……」

「……兄さまに近付く前は貴女何をしていたの?」

「やめろ……!」


 そしてオルキデアの魔力の範囲内に自身のつま先が入りこんだ時にはもう、ヴェロニカの足は凍り付き、動けなくなった体は尻餅をついた。


「ロニー」

「その名を呼ぶな!」

「主命です。目を覚ましなさい!ヴェロニカ・トロヴァオ雷神!!」


 大きく響いた平手打ちの音と共に、ヴェロニカの記憶は氷が解けるようにそれは鮮明になる。

 そして彼女がオルキデアの顔を見上げた時、涙と共にその言葉は零れた。


「ひめ、さま……」

「久しぶり。ロニー」



――――――

【補足】

王宮騎士団は第一部隊の管轄に位置しており、もちろん優秀な人材が採用されていましたが、特に女性は侍女のような役割を持っていました。

オルキデアが当時一番心を許していた騎士はヴェロニカで、ヴェロニカ自身も幼い頃から見ていたため、オルキデアのことを妹のように見守っていました。


ちなみに当時のヴェロニカの階級は少佐。大隊長の側近を務めるクライアンより偉かったりします。

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