7.梨の実が香る



 ダークウッドを基調にした重厚な雰囲気のある管制室では、大勢の兵士達が二人の大隊長のやり取りを見ていた。

 それもそのはずで、王政が廃止してからずっと大人しく学院生活を送っていた元皇太子を監視していたのはアコナイトが率いる第二部隊であり、今回その監視対象であった元皇太子が逃亡したのだ。しかも第一部隊隊長であるターゲスの養女を連れて。

 これはこれまで良好な関係であった第一部隊と第二部隊の危機であると同時に、鳴りを潜めていた皇帝派の貴族や平民による暴動や反乱が起きるかもしれない国の一大事であった。


「ヴィスコ大将。この度こちらの監視が怠っていたため起こった自体です。この騒動が静まった際には本官に責任を負わせていただきたい」


 第二部隊隊長であるピンク髪のアコナイトは、普段から身に着けている軍帽を脱ぎ、ターゲスに深く頭を下げる。

 元上司であり上官であるターゲスに対して面目ないと思っているのだろう。大勢の部下の前でありながら深々とその頭を下げた。


「アコナイト、お前の処遇については本部の議会が決めるものだ。頭をあげて欲しい。そんなことより、事態が早急に発覚できたこと、彼女の保護者として感謝する。

 議会からも許可が出ている。これより第一と第二。合同で任務を務めよう」

「はい……えぇ、精一杯務めさせていただきます!」



 二人の指令によりその場は一気に慌ただしくなる。冬の既に日も沈んだ時間。学院の生徒は既に寮か自宅に帰っている。

 そこへ早急に編成された捜査隊が学院中すべての場所へ、魔力探知機と軍用犬で捜査を開始している。

 病弱な皇子と少女一人にここまで大がかりな捜査をするのにも訳があった。



「しかし【魔眼】とはよく言ったものだな。見たものの情報を抜き取ったり、周りが見ている物を欺くなんて」

「おかげで魔術水晶の記録には彼がどこにも映っていないじゃないですか」

「大陸には魔力に頼らない【カメラ】というものもあると聞きますが……」

「今考えても仕方ないことだ。今目の前のことに注意しろ」


 常に学院のあらゆる場所に配置している監視用の魔法水晶の映像に彼女が消えた場面が確認された。

 だが当時の記録を確認しても、彼女を護衛していた隊員の証言とは異なり皇太子の姿がどこにもいないのは彼の魔術があってのことだろう。


「だが、常に水晶を監視しているわけではないだろ。なんで彼女が皇子に連れ去られたと分かったんだ」

「皇太子には位置情報の発信機と共に魔力探知機も拘束具に仕組ませておりました。

 探知機の最後の反応にご息女の魔力が探知機が反応しており、かなり至近距離でないと端末も魔力に反応しません。彼によって攫われたと見て間違いないと判断しました」


 人間は魔法を遣わずとも常にわずかながらも魔力を放出している。魔力探知機はそれを感知する魔術道具だ。

 だが現在発信機も魔力探知も一切反応がない。簡単に外れたり無効化されないよう、頑丈な素材で尚且つ特殊な細工をしていたはずなのに。


「だがなぜこんなことに……奴の発信機は定期的に別のものに交換していたはずです」

「内部の魔術に干渉したんだろう。彼を妄信するカルト教団もいるんだ。内通者の可能性もある。元皇太子の周辺にいた人物を全て洗い出したほうが」

「あぁ――奴の周辺にいた人物を全て洗い出せ」


 アコナイトは部下に指令を出す。

 皇子は軍が王都を制圧してからずっと軍の監視下にあった。だが彼の厄介なところは他人の記憶を操作し、あたかも自分が昔から信頼している人間、あるいは神に近い誰かに作り変えることができることだ。元々皇族お抱えの諜報部隊も、皇子に対して妄信的になったのは彼の魔法の影響があってこそだった。


 そのため彼女は焦りを感じていた。それに大隊長に就任してからというもの、これまで中隊規模の指揮を戦場で出すことはあれど、大隊規模となるとその倍以上の人間を動かさなければならず、彼女の中には不安が蓄積している。


 今目の前にある情報。人。部隊。これらをどう手に付ければいい。拘束具を外し彼に自由を許してしまった重責もある。

 元々第一部隊にいた彼女が信頼の置ける人間なんてわずか。アコナイトは散らばった資料をくしゃくしゃに握りしめた。


 こんな時先代の大隊長自分の父ならどう動いただろう。


「焦るなアコナイト。第二情報の大隊長が冷静でなくてどうする」

「……すみません」


 今の自分に出来ることは目の前の情報をかき集めるだけだ。彼女は自分の両頬を叩き、自分の側近兵を呼んだ。


「諜報部の件はどうなっている」

「現在すでに潜入している者から、皇子が逃亡した話はまだ広まってないとの報告が」

「分かった。引き続き監視するよう伝えろ。ほんの少しでも動きが報告を頼む」

「御意。指令官。あと第一大隊長にももう一つ耳にしていただきたいことが」

「何だ」

「協力いただいていたハイドランジア中尉から報告が――」



 捜査隊の一部が本部へ帰還する。魔法は使っていたようだが、魔術を使った形跡はない。まさかあの拘束具の機能を解除していたとは思わなかった。学院での調査は難航しているらしい。

 帰還した捜査隊の中にウォルファングも含まれていた。


「ヴィスコ二等兵推参しました。ハイドランジア中尉とロータス中尉はおりますでしょうか」

「ウォル!こっちにこい」


 ウォルに気付いたターゲスが声を上げて遠くから手を振っているので周囲はすぐにウォルの方へ目を向ける。ウォルは一斉に集まった視線に思わず体が強張るが、ターゲスの元へ足を向けた。こういった視線はターゲスの養子になってから慣れたと思っていたがそうでもなかったらしい。

 すると毒々しいピンク色の髪をした女性と目が合い、彼女の露出の高い服装に思わず目を逸らそうとするが、軍帽に付いている少将の階級章が目に入り慌てて敬礼をした。


「君が大将の……」

「ウォルファング・ヴィスコ二等兵です」

「アコナイト・シュヴァリエ・ベノムだ。私も少し前まではターゲス大将の世話になっていた。しかし孤児と聞いたが、血の純度は貴族並みだな」


 ウォルは一瞬身体を強張らせる。

 純血か混血の区別は魔法を出した時に片目が赤く光るかどうか。だが血の純度自体は一目見て分かるものではない。なのに彼女は一目で自分がそれなりの純血であることを見破られた。


「…………生まれの村がそういうところでしたので」

「彼の生まれ故郷はフィーと同じでな。実の姉弟のように育ったらしい」

「君の姉を危険に晒してしまったこと、改めて謝罪する」

「やめてください! 俺は一端の二等兵ですよ。それに俺もアイツ……フィラデルフィアの護衛をしていました。すぐに守れなかった自分も責任はあります」


 そんなお通夜状態の二人の頭をターゲスは叩き反省は後にしろと言う。そしてウォルは用を思い出し、ターゲスに問う。


「大将。クライアン中尉とアリックス中尉はどこにいますか」

「彼らには別のことを任せている。合流した時にはお前たちも驚くだろうから楽しみにしておけ」

「は、はぁ……」


 アリックスとクライアンはだいぶ歳の差はあるものの、同じ時期に従軍した同期である。だがクライアンは大隊長の側近で、アリックスは二十人程度の小隊を指揮する小隊長の一人だ。

 同じ階級の同期であるとはいえ、クライアンはともかくアリックスが単体で任されることもあるのかとウォルは思う。


「ウォルはこのままここに残っていなさい。あの日の火事にいたお前も狙われる可能性がある」

「フィーがさらわれたのなら皇子のターゲットはフィーただ一人だけです。俺がここに残る必要はないはず。それとも、俺は役立たずですか」

「これは上官命令だ。それに学園にいた時、お前はフィーを探していたはずだ。その間お前の鼻はフィーを嗅ぎ分けることが出来たか?」


 彼女の匂いは軍用犬での捜査で見つけられなかったことが証明されている。犬と同等の嗅覚を持つ彼が彼女を見つけることが出来るなんて思えない。

 ウォルは俯きこぶしを握り締める。


「……分かりました」



―――



 空を飛べない金糸雀は今日も歌う。その歌声は自分に与えられた小さな邸の門の前からでもよく聞こえた。

 最初こそ素人に毛が生えたような歌声だったものの、日頃の努力が実ったのか、彼女の才能が開花したのか、普段こそ彼女を避ける使用人たちも聞き入る程の歌声に成長していた。

 彼女は心から想っていないはずなのに伴侶に気に入られようとする。

 心から想っていないはずなのに、伴侶と褥を共にすることを望む。

 彼女は自分を妻として振る舞う癖に一度も笑ったことがない。

 そんな彼女は質素なドレスをたくし上げて出迎えの挨拶をした。


「……おかえりなさいませ。アレクサンダー様」

「ただいま。カリン」


 自分の言うことを聞けといってから彼女は反抗することなくそれに応える。

 自分が歌えと言えば歌うし、わんと鳴けと言えばわんと鳴いた。だが彼女が微笑んだことは一度たりともなく、『氷雪の傾国姫』と言われる由縁の一つであったのだろう。

 まるで彼女は誰かの人形であろうと振舞うのだ。


「アレクサンダー様」

「なに?」

「にいさ……兄の捜索はどうなっていますか」

「未だ見つからないよ」

「……はい」


 一人の妻でありながら、いまだ兄離れが出来ない彼女は失踪した兄の行方を夫に何度も訪ねる。

 彼女は兄の肖像画や衣服。愛読書など兄の持ち物は全て、断固として手放すことはしなかった。

 彼女の兄に対する執着は妹としてではなく、異性への恋慕に近かった。だがそれを咎めるつもりはない。


「ですが兄は私と違い病弱です。そんなに捜索が難航するなんて」

「カリン」

「やはく見つけないと、兄さまは逃亡の末に果ててしまいます」

「カリン」

「あぁ、きっと陛下の跡を継ごうとしているのだわ、もう皇族は私と兄さましかいないのに、早く止めないと軍に見つかり処刑されてしまう!」

「オルキデア!」


 彼女が焦燥した表情をするなんて珍しく、その場にいた使用人たちも密かに動揺していた。

 自分の呼びかけに冷静になったのか、彼女は少しだけ体を震わせた。

 自分彼女の背には小さな羽が生えている。彼女が魔族である証のそれは、自身の体を持ち上げるにしてはとても小さい。

 確かに彼女の呼ぶ「兄さま」も身体が弱いが、目の前に居る彼女も大分回復している方だがまだ弱い。


「落ち着いた?」

「申し訳ございません」

「いいや。先に言った通り君を軍に連れて行く」

「……はい」

「大丈夫、君は僕が守るから」

「貴方には既に身を委ねております」


 心は兄に向いたままなのに。

 自分も妻として大切にするつもりで彼女を婚約を結んだものの、ぴくりとも笑わない彼女に対して素直に愛情を向けることが出来ずにいた。

 だからせめて今夜も彼女の歌声を隣で聞いていよう。愛する人の帰りを待つ歌を隣で聞いていようと思う。


 彼女の名前はカリン・フォン・ロータス。

 本当の名前はオルキデア=カトレア・ファレノプシス・メイラ。今でこそ廃止された王朝最後の皇女である。



―――

///


 湖でいつものように水浴びをしていると、がさがさと茂みをかき分ける音が聞こえた。

 気配が人間だったので、出てきなさいと呼びかけると愛する人によく似た誰かがわたしの目の前に現れた。


「アイビー……なのか?」

「……あなたアセビじゃないわね。でも魂は同じ。どうして?」

「――貴女に、伝えたいことがある」



///



 眩しい光に目が覚める。

 目の前には長い白髪を一つに束ねた背の高い青年が目の前にいた。


「フィー、目が覚めたか」

「……ロイク?どうして?」

「どうしてって、また魘されていたから様子を見に来た」


 そう言って寝汗をハンカチで拭う素振りをする。そうだ、自分はロイクのことを見たくて本を読んでるふりをしていたのに、書斎でうたた寝をしてしまったのだった。


「……優しいね。いつもなら起こさないのに」

「今更だな」


 彼の手がフィーの頬を撫ぜる。その手の大きさは彼のものなのに、とても冷たい。

 そんな冷たい手では子供に触れられないではないか。


「ロイク?」

「愛してるよ。フィラデルフィア」

「私も、大好き」


 その動作に違和感を覚える。

 おかしい。彼は自分に対してそんな甘い声で愛を囁くことなんてありえない。

 彼がフィーに抱く愛情はフィーが抱いている愛情と違うものだ。ロイクがこんな童女に異性に向けるような愛情をくれるなんてありえない。


 それに、彼はフィラデルフィアに対して「フィー」と呼ばない。


「貴方は……誰?」


 瞬間、世界はぱりんとガラスが割れるように弾ける。

 ロイクだった人間は気付いた時には別の人間に姿が変わった。




「――残念。バレちゃった」

「ロイクは私にフィーって呼ばない……それが、貴方の魔法ですか」


 真っ赤に光っていた左目はすうとアメジストの紫に戻る。目の前に居たのは尖晶石スピネルと名乗っていた青年だった。

 フィーは身を動かそうとしたが、じゃらりと金属がぶつかる音が両手足から響き自分がベッドに拘束されていることに気付く。「動かない方がいいよ。魔法も使えないから」と言われ右手に魔力を込めてみるが拘束具に魔力が吸収されているようで全く使えない。


「ここはどこなの?」

「キミには名前を名乗っていなかったね。改めまして。ボク、いや余の名前はオーキッド=モス・ファレノプシス・メイラ。皇位継承第一位。皇帝陛下の実の甥にあたる」


 孤児院の授業でロイクから聞かされた。皇族最後の皇太子。


「オーキッド十三世……!」

「そうともいうね。久しぶりだなその名前で呼ばれるの」


 内乱で皇族は全員処刑か幽閉された。最後の皇帝は幽閉の果てに混血による身体の弱さもあり、二十五という若さで亡くなったと聞いている。

 皇太子がまさかあのスピネルだったなんて。だが目の前に居る彼は自分の知っているスピネルではない。


「私を連れ去った理由はなに?」

「一族の無念を晴らす為、キミが必要だからだよ」


 大きな細くて骨の浮かんだ手がフィーの顎をなぞる。


「歴代の皇帝は【女神の夫】の魂を受け継いだ人間だったんだ。いつしかその記憶を受け継がれなくなったんだけど」

「それは、本当?」


 今【女神の夫】の魂を受け継いでいるのはロイクだ。彼はカレンデュラ家が代々受け継いでいたと言っていた。なぜ皇族が【女神の夫】のことを知っているのだろうか。


「其方は誰が【女神の夫】なのか知っているのか」

「……さぁ」

「知ってるんだな」

「……知ってても言いませんよ」


 あまり自分の口から言わない方が良いと思った。ロイクの正体を知っている人間がどれくらいいるのか分からないが、この男に知られたらどうなるのだろう。


「まぁいいや。――城にとある肖像画があった。人族の赤髪の少女の絵だ。過去の皇帝が描いたものだが写実的でよくできた絵だったよ。それを描いた本人は『追想の彼女』という名前を付けたがそれ以上は何も言わなかったらしい。……その絵の顔が君によく似ている」

「……」

「君ってさ、【女神】なの?」

「……違います」


 だがオーキッドは確信を得たように顔が歪んだ。


「『半分嘘で半分本当』か」

「え?」

「混血の赤眼を隠す方法は既に習得してる。原理は其方が身に着けていた魔術道具と同じさ」

「さっき赤くなったのは、どうして」

「キミに説明するには分かりやすいだろう?」


 混血は魔法を使用する際左右どちらかの目が赤く光る。だから眼帯なり前髪なりで片目を隠す人間もたまに存在するが、オーキッドはそれすら魔法か魔術で隠すことが出来た。

 オーキッドのように精神を司る魔法は数は少ないが大して珍しくない。孤児院にいた時は三毛猫のネネが似たような魔法を持っていた。だがこれは自分の記憶も読まれる可能性がある。


「残念ながら、余が人間に対して読めるのはその時思っている事だけで記憶までは読めない」

「……」

「言葉では何でも言える。他人に嘘を吐く理由は様々だが、大人になればなるほど吐く嘘は自分の為ばかりだ」

「わたしを利用したいなら、私をどうしたいの?」


 一瞬彼の両目が見開かれた。だがそれはフィーの両目が真っ赤に輝いたからなのだがそれはフィー本人は自覚がないので分からない。


「……本当なら、君の種族の血だけが欲しかったから遺伝子の提供。と言いたいけど、君が『半分本当』だと思っている理由も知りたい」

「遺伝子?」


 遺伝子という言葉を知らないわけではないが、医学に精通しているわけではないのでピンとこない。


「正直ボクはもう長くない。人間というのは文明や伝統、血統を繋げるために他者にそれらを継がせる。自分の想いも例外じゃない」


 人と人が繋がるから続く想いがある。だがそれを目の前の彼が語るのは何だか違和感を感じた。

 そんなフィーの表情を察したのかオーキッドは鼻で笑うが話を続けた。


「だから余は自分の子供に自分の想いを遺すことにした。だが生憎この血は代々病弱だ。だからキミの種族の血を掛け合わせる」

「……私は貴方の子供を産むつもりはないし私も子供だよ」


 まだ10歳のフィーは子供を産むことは出来ない。

 それにフィーは混血でありながら身体は丈夫だが母は病弱だった。自分の血を与えたところで生まれる子供の体が丈夫とは限らない。


「だからキミの遺伝子が欲しいんだ。どうせキミの体はまだ初潮も来ていないのだろう。だが女は自分の卵子を抱えて生まれてくるという。ならキミの胎から卵子を摘出すればいい」

「な、何言ってるのか分からないし、そもそもどうして竜族なんか」

「其方の故郷について調べさせてもらった。お前の母親は本来身体が丈夫だったらしいな」

「え……?」


 そんなことは有り得ない。フィーの記憶にある母親はベッドで横になって窓の外を眺めている姿だ。

 それは彼女が混血だからで、定期的に暴走もしていたから何度も家が燃えたのを水魔法を持つ人たちで食い止めてもらっていた。だからそのために、父がその日はずっと見てて自分はウォルと――。


「キミがいた村は昔からキミのような竜族たちを匿っていた。理由はまあ、奴隷商にとらわれないようにとかそんなものだろうよ。竜族が皆其方のように女神と同じ顔なわけがないからな。

 だが一切キミのような種族についての記録は国に一つもなかった。それなのに大陸の書物には竜についての記録がたんまりあったよ。

 それでこちらの伝手で竜種の鱗を大陸から取り寄せて調べさせてもらった。まさか本当にいたとは思っていなかったが、其方と大陸の竜族は同じ種族だった。

 ……まさかキミの村に同族の魔力核を食べるなんて悪習があるなんて思わなかったけど」

「なんで、知って……」


 どれが嘘でどれが事実か。何も知らないフィーは頭を混乱させる。だが目の前の男はまるでフィーの全てを知っているような目をしていた。何もかもを見透かすような目だ。

 自分自身が何者なのかは知らない。同じ村で生まれたウォルも何も知らないだろう。


「そりゃあ念入りに調べたからに決まってるだろう。其方の村を燃やしている隙に、お前とその母親を連れて行くつもりだったから。まさか邪魔者のせいで逃げられるとは思わなかったけど。

 其方もロイクカレンデュラから聞いているんじゃないか?同族の魔力核を食すと一時的に魔力が補給されると同時に、その体は獣へと変貌する」


 母の姿が頭によぎる。母のあの姿は最初こそ生まれつきだと思っていた。

 だがウォルが自分の肌に張り付いた鱗は火傷を負ったから出来たものだと言われたからそうだと思った。だって母の魔法は炎の魔法だったから。


「なんで……どうして……?」

「『なんで?』それ、この部屋を見てそんなこと言っているの?」


 「よく見てみろ」と彼はパチンと指を鳴らした。すると魔術なのか天井につるされていた魔石を燃料にしたランプが灯る。

 それでも薄暗い部屋の中、徐々に棚の所狭しと並べてあるホルマリン漬けにされた生き物たちが露わになり、その棚の隣。壁との隙間に並んだ二つの大きなガラス容器が照明で照らされていた。


「うそ……でしょう……?」


 フィーは拘束されていた身体をよじり、顔をベッドの端に寄せようとする。

 もう二度と会えないはずの人がどうしてこんな液体の中に保管されているの。あの村で亡くなった人間は全員土に埋められたとロイクから聞いていたのに。


「おかあさん……おとうさん……!?」


 そこにはフィーが生まれた時から知っている両親の身体が並んでいた。



 母の鱗だらけの左脚、右脇腹。顔の左半分。その化け物のような容姿とフィーと同じ赤い髪はどう見ても母親で、当時の傷痕もそのまま。そして胸の中心には自分の父が心臓をえぐり取った場所がわざわざ糸で縫われていた。

 父その赤毛混じりの黒髪は相変わらずで、母親と同様自分が心臓をえぐり取ったために開けた場所が縫われている。だが頭に自分と同じ角が生えていた。

 オーキッドは淡々と話を続ける。


「二人の魔力核心臓を口にしたのは其方だろう?遺体にはぽっかりと胸の中に穴がえぐるように無くなっていた。流石に穴は塞いだがな。

 あの燃やされた村についてキミの義弟から軍が聴取した内容は聞いているよ。内容と不一致なところはあったが、その様子じゃあキミの両親で間違いないようだ。なぜ其方の父親が人族だと彼が証言したのかは不明だが」


 色んな情報がフィーの頭の中に入り込んではぐちゃぐちゃなマーブル模様にしていく。

 いつか自分は自分の故郷があった場所に行って手を合わせようと決めていた。だがその両親は殺されても、土に還ることも許されないまま液体に浸されてその当時の状態で眠っている。

 人の遺体をいじくりまわし、標本のように扱う。目の前の男が許されないことをしたということだけは分かった。

 憎悪がふつふつと沸き上がり、魔力が漏れると彼女の右目が赤く燃えた。


「オーキッド、貴方のことは絶対に許さない!!」

「其方もそんなことを言うんだな」


 今度はフィーの両目が見開かれる。


「フィラデルフィア、其方はカレンデュラ伯爵より聡明だと思っていたよ」

「――っあ!?」


 ナイフが自分の腹に刺さる。傷口が熱い。痛い。

 自分の腹がどうなっているのかは見えないが、生暖かい液体が自分の肌を伝うから感覚が伝わる。


「我慢強いな。安心しろ。これはお前らの言うただの腹いせだ。本気で殺すつもりはないよ。治してやる」

「ぁ"、う……っ」


 ナイフを抜かれ制服をたくし上げられると魔術道具のペンによって空中で魔術陣が描かれる。徐々に痛みも和らいできたがオーキッドはそんな治っていく傷痕をガーゼで血を拭い取りながらまじまじと見つめていた。


「……流石に火傷でないと鱗にはならないか」


 どこかがっかりしたような感情が見え隠れする。

 恐怖による冷や汗かそれとも乾ききっていない血液のせいか、フィーの皮膚はじっとりと湿り、鉄錆の匂いがフィーの鼻腔を支配した。

 静かに狂うというのはこういう状態のことを言うのだろうか。オーキッドは人にナイフを刺すことに一切躊躇がなかった。それとも普段から人の腹にナイフを刺すことに手慣れていたのだろうか。

 あの液体に漬けられているモノも自分らと同じ人間だったのだろう。彼は何人の人を殺したのか。


「【女神の夫】が生まれなくなってから皇族我らは女神に近付こうとした。だから混血で身体が脆くなろうと多くの種族と交わった」

「………皇帝に、なりたいんじゃないんの?」

「皇帝になるのは余ではなく余の子供だ。それに、またかつてのお飾りだった皇帝にさせない。余が欲しいのは真の権力だ。民にとって女神というのは尊いモノの象徴。これまでの皇帝は神の代理人として立っていた」


 オーキッドは血に汚れた手をフィーの鱗の付いた頬や角に触れる。その顔は孤児院にあった虫の標本を興味深々に見つめる男の子達とよく似ている。

 その狂気的な無邪気さは女神の記憶にも存在しない。


「誰も皇帝の意思に添うことはなく、議会で貴族どもは自分の権力を主張する。元老院すらも余に対して嘆く者はいても余に希望を持つ者はいなくなった。

 たった数年でなんども代わってしまえばその権力も揺らぐ。だが混血の魔力に耐えられる肉体を持つ竜族の力が手に入れば皇族は全ての種族の血が流れることになる。もう短い命を恐れる必要はない」


 また魔術道具のペンを取り出すとその先から火を灯した。未だ血に汚れている肌に火を近付ける。


「あ"っ……!?あぁああああ!!!」


 容赦なく火でフィーの肌を炙った。ひり付く痛みと熱が彼女を襲った。鉄錆の臭いと混じって血肉が焼ける匂いがする。オーキッドはその火傷の跡をまじまじと見つめる。


「焼いたばかりだと普通の火傷跡と変わらないな」

「……私の遺伝子が欲しいんじゃないの……っ?」

「其方が暢気に寝ている間に取り出したさ。だが生きた竜族が目の前に居るんだ。試せることはしたいだろう」


 治癒の魔術を展開するが完全に治さずまた再度観察する。治りかけの場所をピンセットでぺりぺりと剥がしてはまたそれを観察した。


「炎に反応して皮膚の細胞が造り変わるのか?」

「……あ"、ぅ……」

「火傷になると素直だな………その鱗はどうやったら消える」

「……」

「……毒の魔法か。毒の種類が分からないな。……その少女は治癒も持っているのか。興味深い」


 目を合わせる度に心を読まれる。この瞬間リナリアが危険に晒されたことに涙が滲む。本当は記憶も読めるのではないだろうか。


「……この、きちく……」

「はは、この余が鬼畜か。よく啼くなぁ。のくせに」


 彼にとって平民は実験対象か。更に怒りが沸き上がった。


「……貴方がそんなんじゃあ、誰も貴方についてこないよ……!」

「余も民を許していないのだからどちらにせよ同じことだろう」


 「ボクは自分の魔法しか信用していない」という彼の顔から一瞬本音が見えた。


「……寂しい人だね」

「そもそもボクは誰かに好かれるつもりはない」


 信頼しないのに、自分の意志を自分の子供に託そうとしている。

 奪うために『自分の子』を作る彼が、人間憎しで自分の身体で人間の子供を産んだ女神と重なった。


「女神も、最初はそうだったよ」

「…………」


 はみ出し者だった女神は最初こそ感謝されたり、祈られたり神のようにあがなうも結局は今の皇族彼らと同じ結末を辿った。

 今の人間たちは夫に出会う前の女神が人間憎さで多くの人間を殺したことがある事実を知らない。

 歴史の都合のいいところだけ切り取られ、皆々が都合の良いように仕立て上げた女神像を崇拝する。記憶の中の女神もそんな人間たちの側面を知って呆れていた。


「其方は女神のなんだ」

「……言ったところでなにも変わらない」

「言え」

「……本当のことは私も分からないよ。でも私は、女神の記憶を持ってる」

「キミが言っていた女神の見解はその記憶を見た結果か」


 無言で肯定する。それが伝わったのかオーキッドはフィーを一瞥した後全ての火傷を治した。


「驚かないの?」

「確証がないだけで確信はあった。くく、全ての種族の血を受け継ぐだけではなく、女神と所縁のある人間との子になるのか」

「貴方がその子供を育てるの?」


 フィーも孤児院で子供ができる仕組みは聞いている。母体無しで子供を作ることも理論上は可能なのだろう。

 だが自分が産んでいないのに自分の子供が作られているというのは奇妙だ。しかもその父親が目の前の彼。


「ボクの子供とは言ったが、自分の子供という認識はないよ。ボクの時間は短いんだ。暢気に子育てするつもりはない。……魔術で成長させて余の記憶を全て植え付けるから、もう一人の余ということになるのかもしれないな。なんだ母性でも芽生えたのか?」


 「まるでママゴトのようだな」とオーキッドは苦笑する。

 女神の記憶の中で子供を産んで育てた記憶はたくさん見たけど、自分自身は経験したことはない。孤児院で小さい子達の面倒を見るのはちょっと違うだろう。


「……お母さんたちを返して」

「話を逸らすか。忘れていたと思っていたのに」

「返して」


 村を燃やされ、すぐに孤児院に入ることになって、女神の夢を見るようになった。寝ても覚めても悲しむ余裕はなかった。だが両親からの愛情を忘れたことは無かったと思う。

 だがフィーの懇願は笑顔で一蹴りされた。


「女神の記憶を持っていても、所詮幼子と同じか」

「大人になっても私は同じことを言うよ」

「なら、其方も両親と同じところに連れていってやる」


 先ほど腹部を刺したナイフが今度はフィーの心臓に向かれる。

 魔力が封じられている状態でフィーには何も守る術がない。思わず目をぎゅっとつぶった。


「――そこまでです」


 栗毛の馬耳が生えた頭がフィーの視界に入る。彼の手を止めたのはクライアンだった。


「クライアンさん!」


 ようやく助けが来たのだとフィーは安堵した。だがクライアンはこちらに顔を向けることなく、オーキッドに目を向けている。


「殺さないと約束したはずですが」

「コイツが検体を返せと五月蠅くてな。遅かったな。クライアン」

「クライアン……さん?」


 なぜ目の前にいる彼を拘束しない?なぜ自分に対してそんな冷たい目で見る?どうして。


「少々軍の中が慌ただしくなりまして。もう殿下を探しておいでですよ」

「そうか。教団の方は」

「王都の近くで待機しております」

「ならいい。――彼女を投獄しろ」

「御意」


 どうして、皇子に従っているの?


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