6.そして事件が蘇る


 夕飯のスープを口にしようとしたが、ウォルは目の前にいる幼馴染みの視線でさじが動かなかった。


「フィー」

「なあに?」

「……なんでニヤニヤしてんだよ」


 同じく食事を取っているはずのフィーは自分の手料理をウォルが食べようとしているところをにまにました顔で見つめてくる。


 ウォルは必要な手続きをして数日後。独身寮から退寮しそのままターゲスの家に引っ越した。

 とはいえ独身寮はターゲスの家からたった20メートルくらいの距離。私物はそこまで持ってないので簡単に掃除するだけで終わった。


「嬉しくってさ。どうしたの。冷めちゃうよ」

「それはこっちのセリフだ、それにお前がニヤニヤして見てくるから食べづらいんだよ!」


 フィーとウォルは二人で食事を摂っていたのだが、あまりにもフィーの視線が気になり、対面して食事していたのをフィーの隣に座り直して食べていた皿を自分の方へ引き寄せ、食事を再開させる。

 ウォルは学院に入学してから家主不在の家で一人寂しく食事を取っていたのが、今日から家族と一緒に食事できるというフィーの心情なんて知ったことではない。


 ウォルもまたフィーと同じ屋根の下で住めることを密かに嬉しかったものの、二人きりで同じ家に住むことに少々戸惑いを感じている。

 故郷の村で暮らしていた時は自分の両親と含めてフィーと食事をすることも、なんなら同じベッドで眠ることもあった。

 だが現在思春期に入りかけのウォルファング。部屋が男女で分かれる孤児院からむさ苦しい男ばかりの軍での寮生活を経て、フィーと同じ屋根の下で寝食を共にすることにかなりどぎまぎしている。

 現在傍から見れば仲睦まじい姉弟というより新婚夫婦のような雰囲気であるが、もちろんフィーはウォルに対してその気なんてないし、ウォルもそれは分かっているため何とも複雑な心境だった。


「ウォルって私の護衛以外に何の仕事をしているの?」

「別に大したことしてねえよ。剣術の指南を受けたり、訓練とか、学院の警備とか他の人の護衛とか色々」

「他の人?」

「主要議員とかその家族とか」

「貴族」

「そう思えばいいんじゃないの」

「そっか」


 ウォルがターゲスの家に引っ越すまでの間、ターゲスの案内で兵士の訓練場へ案内されたことがあり、そこでウォルファングが所属している第三小隊のメンバーを紹介された。

 物珍しい目で見られることには大分慣れたものの、学院で見られた時のような目ではなく若干好ましいような目をしていたのはある意味新鮮だった。(その後ターゲスの顔を見た途端すぐ一斉に表情が変わったのは傍から見て面白かった)

 遠目で見るとやはりウォルは小さくて、周囲の先輩兵士から可愛がられている雰囲気に姉としても誇らしげな気持ちで見ていた。


「あ、そうだ。この前授業で漂白の魔術を教えてもらったんだけどね、それがお洗濯する時に使ったらすごく綺麗になったんだよ。雑巾や布巾がみんな真っ白!」

「お前それ絶対俺の服でやるなよ」

「うーん、お洗濯に使えるものがあれば楽なんだろうけど」

「それなら石鹸を作った方が早いだろうが」


 石鹸は基本的に灰と油を混ぜれば出来上がる。孤児院でマーガレットが教えてくれたことだ。

 だが使用する素材によってあまり固まらなかったり、肌への刺激が強かったりするので特に体を洗う石鹸は街で売ってるモノを買っていた。素材にこだわりだすと材料費の方が高くなるのだという。


「それもそうだけど、石鹸でも落ちないのがあったりするんだよね。インクの染みとか……硝煙のにおいとか」

「絶対に俺の服に使うなよ!」


 魔術とは魔力さえあれば便利なものである。だが便利なのに平民の間ではあまり普及していない。

 フィーたちの故郷では一応魔術道具はあったが、それも農作業を効率化するモノしかなく、当時の住民もその仕組みは一切分からなかった。

 この国はさまざまな属性の魔法を持つ人間が大勢いる。

 そのため特に地方の村においては近隣の住民同士で協力すれば、魔術無しでも生活することが出来た。孤児院でもガーベラは自身の魔法を風呂を沸かす際に使っていたが、生活する場において魔術を使用することはなかった。


 それにアクセサリーやモノなどに魔術が組み込まれている魔術道具は、普及こそしているものの、安全第一の商品で且つ複雑な魔術が仕組まれているため自分で作るには難しいし、それ故基本的に高価なものばかり。

 作っても利用価値を見出していないからなのだろうか。


 この学校に商人の子供も通っているなら庶民相手でも商売根性を出して欲しいものである。

 だが庶民でも底なし鞄シリーズやインク切れが起きないペンはそこそこ広く普及されているので、これらは例外の一つなのだが、なぜ無詠唱で仕組みが複雑そうな底なし鞄が広く普及されているのかそちらの方が不思議である。



 掃除が出来る便利な魔術道具が売られれば、軍の寮で家政婦を務めるヒヤシンス達も楽になるのではないだろうかと考えるが今のフィーではまだ難しいだろうなと一旦諦めた。フィー自身想像力が豊かではない。

 出来たら孤児院にも贈りたいものである。


「だって折角教えてもらったのに実際に使えないと損じゃない?今度良かったらウォルの手紙に書いてロイクに送ってほしいな。改良してくれるかも」

「お前が送ればいいだろ」

「……そうしたいのはやまやまだけどさ」


 けじめなんだよね。とフィーは持っていたスプーンを置いた。

 彼の心臓に埋め込まれている女神の時間という概念。これはカレンデュラ家の男児が代々受けてきた呪いのようなものだ。

 だがカレンデュラ家最後の一人であるロイクが死ぬことによってこの世界がどうなるのか分からない。ロイクには死んでほしくないが、もし彼が死ぬ時が来たらどうなるのだろう。

 この世界の時が止まるのか、それとも魔法がこの世界から消える可能性もある。


「俺ならそんなのお断りだ。自分にかかった呪いを解くために他人が動いてて、当の自分は何がどう動いているのか全く分からない状態になろうとしてる。俺なら情報くらいは欲しいし、少なくともロイクはお前の便りを気にしてるんじゃねえの」

「ウォル……」


 ちなみにこの言葉はウォルにとってブーメランであると言うことは気にしない。それに加えて自分が幼馴染みの恋に対して助言している気もするが気にしないでおく。


「それに魔術も呪術もロイクに劣るお前一人で解呪できるかよ」

「そういうとこだよ」


 でもありがとうとウォルを見るとウォルは照れ臭そうに視線を逸らすのだった。



―――



 フィーとウォルの故郷、元オレンジ領、梨の森ペアーセルヴは何者かの手によって燃やされた。

 名前の通り梨が名産の村で、年中涼しい上に水が豊富な山に囲まれており、梨の生産を促すために養蜂も盛んな村でもあった。


 実はロイクの領地であった元カレンデュラ領とは隣にあるのにその政治は杜撰ずさんで税も重かったため、税を徴収する人間による監視が来る日は力の弱い人間はかなり怯えていた記憶がある。


 そんな厳しい環境でも生きてこられた理由はこの村周辺は手つかずの森に囲われているため、獣が多いことから密かに狩猟を行っては毛皮や角などの素材を他の領地外の村へ横流しをし、その金で生計を立てていたからだった。

 狼族であったウォルもその狩りに参加したことがあり、小さな体躯のわりに熊や猪を一人で狩れるくらいには体力があった。


 だがその平穏な暮らしはある夜に崩れ去る。当時この領地内でも内戦が勃発しており、その争いに巻き込まれてしまったのだ。

 そして容赦なく村人たちは殺され、当時とある理由で放浪の旅に出ていたロイクにフィーとウォルは偶然助けられたのだった。



 ウォルが従軍して一ヶ月経った頃のこと。


「話は分かった。それでどうしてお前の村に竜族がいたのか教えてくれないか」


 当時ウォルはクライアンからあの村のことについていくつか質問を受けていた。

 ウォルと初対面であったクライアンへの印象は、冷静さを欠かない怖い人であり、豪快な印象であるターゲスとは真逆だった。当時クライアンは眼鏡をかけていたため冷静さがさらに際立つ。

 それに取り調べ室という密閉された空間で大隊長の側近と二人きりというこの状況は、訓練生であるウォルにとってさらに緊張を煽るものであった。


 だがいくら緊張するといってもフィーに関わることであるならいくら自分が志願して入った軍でも一切信用できない。


「それを聞いてどうするんですか」

「……元オレンジ領の街や村がしらみつぶしに破壊されていたんだ。もちろんその中にお前の故郷も含まれていた」

「それはロイク……カレンデュラ家の当主から聞いてます」


 事実、ウォルがロイクに助けられた際、逃げ込んだ廃村も焼かれた跡があった。周辺の村人が弔っていたいたから遺体は埋葬されていたが、それでもその痕跡はひどいものだった。


「その破壊行為の理由は誰かを探していたということ。しかもその対象の生死は問わないということがわかった」

「おいそれって!!………うっ」


 フィーとその母親の姿が頭によぎり、ウォルは木製の机を大きく叩いた。まるで殺されたフィーの母親の遺体はその組織が持って行ったということになるではないか。

 ウォルの脳裏にあの日の出来事が蘇り、胃の中のものが喉元までせり上がってきたので思わず口を抑える。

 だがクライアンは冷静にウォルファングを見つめるだけだ。


「話の途中だウォルファング」

「…………はい」


 ウォルは嗚咽を飲み込み、大人しく椅子に座り直した。見た目通り彼は冷静で冷徹だ。幼い部下に対して心配するという素振りを見せず、クライアンは続ける。


「きっと破壊行為をしたのも証拠隠滅のためだとこちらは考えている」

「そ、そんなの無茶苦茶だ」

「激戦地でもない北の地域で捜索をするにはこうするしかなかったんだろうな。………ここからはまだ確実とは言えない情報だが、聞きたいか」

「教えてください」


 聞かないわけにはいかない。あの火事はフィーを狙って行われた可能性が高い。子供ながらにウォルはそう思った。


「なら、俺の質問に答えてくれ」

「…………別に。昔竜族が逃げ込んできたのを当時の人が受け入れて匿っただけ。……それに竜族の中に魔術に詳しい人がいて、彼らが独自に作った魔術道具が村にはありました」


 梨を運ぶための自動トロッコに転送魔術陣。魔力を注ぐと蜂に刺されない腕輪など。当時の竜族は村で囲ってもらう代わりに当時持っていた魔術を惜しみなく村人に伝えたという。それらの道具を大事に大事に村人たちは使っていた。

 人族と狼族という珍しい組み合わせの村が、協力して生きることが出来たのは竜族の知恵があったからなのかもしれない。


「ということは竜族の少女も魔術には聡いのか」

「さとい……?」


 子供であるウォルは知らない言葉に首を傾げる。

 クライアンは眼鏡を掛け直し、咳払いをする。


「……くわしいのか」

「あ、はい。でも、俺もアイツも、魔術はロイクから教えてもらいました。村にいた頃読み書きも出来ませんでした」

「そうか」


 読み書きも出来ずに従軍する人間は一定数いるのでクライアンは特段驚くことはしなかった。

 この国の識字率は地方や身分によって顕著に分かれている。皇帝がいた時代は地方の統治は貴族に任せきりだったせいというのもあるが、ウォルが居た地域はそれが顕著だったらしい。


「だがお前の家はかなり血を重んじていたようだな」


 貴族でもないのに、種族が混在していた村でウォルのほどの純血は珍しいらしい。

 それは孤児院で暮らしているうちにウォルやフィーも感じていた。だがその理由をウォル本人は察していた。


「俺は物心つく前からフィーを守れと言われてきました。俺の父も幼い頃はアイツの母親と父親と一緒に遊んだと聞いてます」

「まるで騎士見習いのようだな……彼女の父親は竜族だったのか?」

「いえ、純血の人族です」

「竜族が逃げ込んできた理由は」

「分かりません、かなり昔だし本人に聞いても分からないと答えるんじゃないですか」

「これまでいた竜族の人数は」

「俺が知っているのはフィーとその母親だけです」


 これ以上の情報は聞き出せないと判断したのかクライアンは記録していたペンを置いた。


「分かった。こちらからもお前に開示しよう。これは有力な事実だが不確定だ。そしてこれ以上は詮索しないで欲しい。もちろん単独での捜査も行うな」

「はい!」


 ウォルはその場で敬礼する。クライアンは手を組み両肘を机に置いた。


「件の騒動を起こした首謀者は、王位継承第一位の皇族。オーキッド皇子だ」



―――




「フィーは長期休暇中はどこかに行くのですか?」

「お墓参りには行くかもしれないけど、分かんないかな」

「私もです。実家には帰りますが、実家に居ても暇なんですよね」

「そうなの?家のお手伝いとかしないの?」

「私の家、宝石商をしているのですが、親の仕事に付き添えるにはまだ早いと言われてて。それに兄もいるからそっちの方が大変かも」

「私も暇になるかもなぁ……家族みんな忙しいから」

「もしかしたら図書館で会えるかもしれませんね」


 教室移動中、コスモスと談笑していた。

 フィーが魔術学院に編入してからもうじき三ヶ月が経とうとしている。

 急遽行われたクラスの再編成と魔術に対する学力が低い生徒たちが大量に退学処分にされてからというもの、カリキュラムは実技的で応用的な授業が増えたため充実した学院生活を送っていた。


「今日もスピネル先輩を探すんですか?」

「探してないよ。別に」


 最後スピネルと会話してからというもの、彼から話しかけられることはぱったりなくなってしまった。

 休日に図書館に居座っても来ないので実際に司書に訪ねてみたものの、そんな名前の生徒はこの学院に居ないとまで言われてしまった。


 スピネルについてクライアンからは「今のところ危害を加えていないし、特定の生徒にこちらから干渉できないから見守ることしかできないが、あまり関わることをしないで欲しい」と言われた。

 護衛の方針も変わり今はアリックスの部下たちが代わる代わるこっそり見守ることになったため、もし何かあったら合図だけしてくれということ。護衛のメンバーもフィーの顔見知りであるから安心して欲しいということも言われたのだった。


「スピネルって、尖晶石のことですよね。その先輩はエネルギッシュな方でしょうか」

「どうしてそう思ったの?」


 少なくともフィーの中でのスピネルはエネルギッシュという印象はない。細く華奢な身体に透き通った肌は、むしろ病弱な印象だ。


「スピネルという宝石は、勝負運を上げてくれる効果があるんです」

「宝石ってそんな効果があるの?魔石じゃなくて?」


 運を上げてくれる魔術も聞いたことがない。

 そういえば鉱物を扱う魔法を持つ子供が孤児院内にいたが、それに関係しているのだろうか。


「もちろん魔力はありませんし、魔石のような効力はありませんが、占いとかおまじないで使われたりするんですよね。今は一般的ではありませんが呪術に使う材料としても扱われたりしていたんですよ」

「へえ……」


 正直フィーも孤児院でロイクから呪術を学んだことがあるが、呪術で扱われるリソースに関する知識についてはからっきしだった。

 宝石も呪術を扱う時の代償として使えるのかと関心を持ち始めるが、自分が調べたいこととは若干ずれているので、調べるなら今度にしようと頭の隅に置いた。


「でも、そんな効果を持っているような雰囲気じゃなかったなあ。それに偽名のようだし」

「偽名?……まさか」

「どうしたの?」

「い、いえ!!なんでも……ないです……早くしないと授業が始まっちゃう」

「あ、うん」


 コスモスはフィーを急かし、次の教室へ向かうのだった。



―――


///


 今思えば、私はずっと閉じ込められていたのではないかと思う。

 梨とその花の蜜が採れる時期になると、父は毎日街へ売りにでで行ってしまう。

 他の村の人間は収穫と蜂の世話や梨の匂いに誘われてやってくる害虫害獣の駆除で忙しくてその間は自然と自分は一日中家に籠って暮らしていた。

 母が体調を崩せば家で育てていた薬草を煎じて飲ませたりしたけれど、家族三人で暮らす小さな家の掃除も洗濯も全て終わらせてしまえばすぐに暇になった。

 家に居ても娯楽は父が買ってきてくれた絵本と紙とクレヨンだけ。

 だが父親がいない間の母親を放っておくのも心配で、時折ウォルファングが仕事の合間に遊びに来てくれたり、村の女が様子を見に来てくれたりしていたが、毎日それがあるわけではないので、暇になればほとんど母親と一緒にいた。


 とげの生えた背中に、顔の左半分が竜の鱗に覆われていた母は混血故に身体がとても弱く、男衆が梨を遠くへ売りに出している時期は二人きりで過ごすことが多かった。


「フィー、もし自分の目の前に大きな選択を迫られていたら、迷わないようにね」


 どうして?


「私が死んだら、お父さんもいるけど、フィーは一人になってしまうから」


 どうしてそんなことを言うの?お母さんと私はずっと一緒にいたい。


「それでも人はいつか死んでしまうものよ。私もお父さんも、もちろんフィーもね。だから悔いが残らないように生きるの」


 お母さんは、くいがのこらないようにできた?


「うーん。まだやりたいことがたくさんあるなぁ。だからもう少し頑張らないとね」



///



 図書館に行く前に借りていた本を読もうと思っていたらいつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。

 まだクラブ活動の音が運動場から聞こえるから放課後になってからそんなに時間は経っていないようだ。護衛の人も起こしてくれればいいのにと思ったがむしろ寝かせてくれたのかもしれない。

 目を薄っすらと開けると、自分が読んでいたはずの本を手にしている上級生の姿があった。


「おや、目覚めたかい」

「うわぁっ!?」

「目覚めた瞬間驚くなんてひどいなあ」


 そんなことを言う割には悲しい顔なんてしていない。むしろ飄々としている。フィーはその場から立ち上がった。

 約二ヶ月ぶりに再会したスピネルは特段変化がないが、以前より穏やかな笑みを浮かべていると感じるのは、最後会った時の思い出が自分の中で若干誇張されてしまっていたせいだろうか。


「弟くんはいないんだ」

「別の人が護衛にいますよ。隠れて」

「そうなんだ」

「最近、どうして図書館にいなかったんですか」

「高等部の行事があったからだよ。最近それがようやく終わったんだ」

「研究成果発表会ですか」

「そ」


 それはフィーも知っていた。高等部は師事する教授の元で魔術の教えを乞いながら自身も魔術を研究をするのだ。そのためそれぞれの研究成果を発表する場が設けられる。

 だが小等部は人数制限の都合で参加することが出来ず、発表会後に発行される冊子で各々の成果を見ることができる。(それでも内容を理解できる生徒は小等部でも少数派なのだが)

 学部も魔術総合、道具技術、医学、史学、建築学、芸術学に分かれており、スピネルは魔術総合学部に所属していると聞いていた。

 スピネルはひょいと手に持っていた本をフィーに返した。どこまで読んだかのか分からなくなった。


「でも発表会の資料には先輩の名前はどこにもありませんでした」

「そりゃあ、キミに名乗った名前は偽名さ」


 できもしない駆け引きをやろうとしていたのに、彼は偽名を名乗っていたのをあっさりと告白したことに拍子抜けする。


「あ、あっさりと言うんですね」

「もうじきボクはこの学校を去るんでね。それにボクのことはどうせ誰かに聞いていたんだろ?」


 不思議と彼の顔からは学院を去ることがそんなに嫌だと思っているように見えない。彼の学年がいくつなのかは知らないが卒業の時期までまだ先のはずだから退学ということになるのだろうか。


「……先輩は優秀だと思ってました」

「家の事情と、あとはまぁ、この学院で僕は十分に学んだからさ。別に魔術を極めたくてここに入学したわけじゃない」


 スピネルはその場から立ち上がるとフィーの髪に触れる。肩までの長さしかないため彼の手がフィーの肌に触れそうになる。

 華奢な体格でも背はフィーよりも高いから手も大きい。


「フィラデルフィア、やっぱりキミには不似合いな名前だ」

「……人の名前を侮辱する人、初めて見ました」

「キミには女神の名前が似合う」

「女神の名前は女神のものです」


 真っ向から拒絶をすればスピネルは名残惜しそうにフィーの赤毛を手放す。

 だがフィーの強張った肩は緩むことは無い。きっと彼からみた自分の顔はかなり強張ってる。


「最後に、君から女神について意見を聞きたい」

「私に聞いてどうするんですか」

「教会でも聞いたことが無い価値観を持ってるからもっと知りたいんだよ」

「……答えられる範囲でなら」


 対面して椅子に座るこの状況は医者からの問診のようだった。だが自分は医者でもなければ患者でもない。彼の方は患部を診るというより自分が隠していることを探ろうとしている気がした。


「女神の夫は生まれ変わっても尚女神のところへ会いに行っていたと言い伝えられているけれど、それはどう思う」

「女神が好きだったからじゃないんですか」

「夫の方も、もし既に家族がいたとしたらそれを捨ててまで会いに行く必要があったのかな」

「多分、女神がそれを望んだのかもしれませんよ。早く帰って来てって」

「慈母の女神はなんで子供たちに魔法を授けたんだろう」

「……分かりません」

「もし授けたのが女神の意志であったとしたなら、彼女はどうして死を選んだのかな」

「自分の罪をあがなうため、と言いたいところですけど、思い通りにならなくて絶望したんじゃないんですか」


 フィーは淡々と彼からの問いに答えた。

 ロイクのいたカレンデュラ領に教会はいくつかあるものの、その経典は読んだことが無いから女神が見せた記憶の内容からできる範囲で答える。

 自分は女神ではない。万物を操れる力もない。だが女神の記憶はある。その理由は自分の生まれ持った種族のせいなのか、それとも自分が犯した罪のせいなのか分からないけれど、分かることといえばきっとこの世界で認識している女神像と自分の女神像は共通しているところはあれど、別物であるということだ。


「話す相手がボクでなければ国教の女神を侮辱した罪に罰せられていたと思うよ」

「罪だと言われても私は考えを変えるつもりはありませんよ」


 それに自分の思ったことを言ったが、女神を侮辱したつもりは無い。

 二年前の、まだ自分に女神の記憶が目覚める前の時であれば、女神のことを神格化していただろう。

 優しく綺麗でたった一人の夫だけではなくみんなから愛された人間達の母神。


 人間は都合のいい所だけ切り取って大切にする。それは女神の夫の記憶を持つロイクから学んだ事だ。

 今では誰一人として、女神が人間達の欲望に呑まれた挙句の果てに愛憎の念を抱くようになってしまったことを知らない。

 小さな村で愛された女神は、ある日を境に人間達から都合のいい道具にされ、辱められ、女神はそれで何度も人間達を殺し、愛し、殺した。

 愛する夫ですら生まれ変わる度に何度も殺した狂気の女だ。


「……キミの価値観は計り知れないな」

「貴方が世間を知らないと言うだけでは」


 かく言う自分も世間を知らないのだけれど。

 彼はその言葉に腹を抱えて笑い始めた。その無邪気な笑い方は年相応の少年だのようだ。


「このボクが世間知らずか……孤児院育ちのキミに言われたくないなあ……そうか分かったよ。もうコレでおしまい」


 その言葉にフィーは少しだけ息を吐いた。

 だが安心するためにはまだ早い。さっさとこの場から離れて護衛の人と合流しよう。きっと自分を心配しているはず。


「キミにいい事を教えよう。女神の真実は皇族が持っている。いや持っていたの方が正しいかな」

「……それを何で知ってるんですか」

「それは企業秘密。女神が何で夫に巡り会えたのか、女神が生まれたのか。ボクについて行けばその真実に触れる事が出来ると保証しよう」


 自分が行くと確証しているのか、彼は自分に手を差し伸べる。

 確かに、女神の記憶だけでは得られる情報は限られている。もしかしたらロイクにかかった呪いを解く鍵がそこにはあるかもしれない。


――行ってはダメ。


「……?」

「どうしたんだい」

「い、いえ……なんでも」


 スープを飲んだ時の胸がじんわりと暖かくなるような声がした。聞き覚えのある声だったが誰なのか思い出せない。

 もう一度彼の手を見るが手を取るのはやめた。


「……その真実は、貴方に頼まなくても見れるものですよね」


 彼の表情は険しくなる。

 二年前の内乱で皇族は幽閉されている。それなら今は軍が所有しているはずだ。名前も知らない誰かに頼るより、養父であり大隊長であるターゲスに頼んだ方が安全。


「それなら行きません」

「……分かった。キミとは仲良くなれる気がしたんだけどな」



―――


///


 私達は女神の夫の子孫である。


 メイラが何度魔族と人族の分断されようともこの血筋が保たれていたのは代々女神の夫の記憶と、時の魔法が継承されていたからだ。

 それ故、皇帝になる条件がその記憶と魔法が継承されることとなっていた。

 それが幼い子供であろうと、現皇帝の直系でなかろうと。


 だがそれは何回目のメイラ統一した時だっただろうか。

 女神の夫の記憶が継承されなくなった。

 当然皇族は焦った。

 もしかしたらまだ産まれていないだけかもしれない、目覚めていないだけかもしれないと、沢山の側室との間の子供をもうけ、記憶が目覚めるまで待ったが、記憶が継承される子供は現れなかった。


 そして何代も女神の夫の記憶を持つ皇帝が即位されることは無く、何をとち狂ったのか、とにかく沢山の種族の者と縁を結ぶようになった。

 彼らは自分たちの血が薄れる事を恐れず、純血主義の貴族とは反対に、近親婚ではなく遠縁の者と結婚し、確実に子供を授かった。

 そのため魔族が皇位を継承されることも多くなった。


 だがそんな中、魔族ばかりが皇位継承されることに、人族の貴族たちは皇族に対して不信感を抱くようになってしまった。

 少しでも自分の家の血を残そうと皇族に輿入れを進める人間もいたが、王族が多くの血を取り入れる姿勢であるため、派閥争いが頻繁に起き、政治は泥沼になる。


 その結果、皇族達の身体に異変がおきる。

 皇族は死後直後肉体は残らず、紫にも黒にも似た禍々しい色をした巨大な魔力核だけが残るようになってしまった。

 何代かけて魔族と交わっても見た目は人族の姿のそれとなり、混血である為長くとも三十路までしか生きる事が出来なくなってしまった。


 これらの変質した体質を敢えて利用して、

 皇族は女神の代理人であると公表し、女神の更なる神格化が進んだ。


 まともに世継ぎが出来ないため、皇帝自身は子供を作らず、甥姪たちが皇帝の養子となり、彼等がその跡を継いでいた。


 だがそれではもちろん皇族の身体も持たない。

 大陸での戦がこの国でも伝わり、内乱が起きた。 皇帝もそれを嘆いて早死にし、代替わりが激しくなり、皇帝の権力も薄らいで来ていた為、皇族の目付け役である元老院はある策を講じる。


 世継ぎが早死にしないよう、皇家の血が途絶えないよう、同族の近親者で婚姻を結ぶというものだった。


 その策は貴族達に悟られないよう、密かに進められた。

 その相手は皇位継承権第一位である皇弟の皇子とその妹で継承権第二位である皇女だった。



///



 クライアンは大隊長側近用の執務室で、今は亡き皇族が密かに記していた記録をまとめた資料を読んでいた。

 何度読み返しても目を疑いたくなるような記録だが、王宮に所蔵していた古い肖像画の顔といい、その当時の議会の議事録。公表されなかった事件の内容など。数々の裏付けされる記録がその真実を物語っていた。

 しかも今生き残っている皇族は皇太子だったオーキッド皇子とその妹オルキデア皇女。

 その二人が婚約者であることをお互い認識していたのかは知らないが、兄妹である二人が手を組めばどうなっていたのだろうと、クライアンは椅子の背もたれに寄りかかっては眉間にしわが寄る。


 そして大きな音を立てて執務室の扉が開かれた。入って来たのは自身の上官であるターゲス大将であるため、その場にいた兵士は全員立ち上がり敬礼をする。

 大隊長の執務室と側近の執務室は一枚の扉で繋がっているため、ターゲスが顔を出すことはよくある事だが、その険しい表情はただならぬ事が起きたのだろうというのが察せられる。


「緊急事態だ」

「どうされましたか」

「……元皇太子がフィー……いや、私の娘フィラデルフィアを連れて逃走した」

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