第二章 最後の皇太子

1.王都へ出立


 我が力、万物の元に還り給え


 自分の魔力を森羅万象に還す解釈で魔術を使う詠唱。

 魔法と言う概念を人間に宿した母なる女神ではなく、自然に自分の力を返すという意味で用いられる。

 この言葉を最初に考えた人間は女神に対して一体どんな感情を抱いていたのだろうか。



―――



 この国はメイラ共和国。元の名はメイラ皇国。

 

 大陸からそう遠くない島にあるこの国は、大陸にある大国が種族間での争いがきっかけで、十年近くの内戦状態にあり、一年半前にそれがようやく収束した。

 身体の弱い皇族たちは殆ど処刑や病死で死に絶え、生き残った者も女は貴族の妻や妾に取られ、男は一生魔法が使えないまま名前を変えてその余生を過ごしているらしい。


 この世界は女神が人間に与えたモノが3つある。

 種族と魔法。そして魔力。それは女神の願いとは反対に新たな争いを生んだ。

 獣や人ならざる生き物の形が混じった姿をした魔族と、女神が生まれる前から存在している人族。どちらも女神が生み出した人間の子孫であり、一人一人属性の違う魔法を使うことが出来、皆等しく人間であったはずなのに、種族間での争いは今も絶えることは無い。


 そんな中で伝説の種族と言われていた竜族の娘であるフィラデルフィアは、十歳で魔術学院の小等部への編入が決まり、その別れの挨拶を孤児院の主であるロイクと交わしていた。


「餞別としてわずかだがこれをやる。学費の足しにしてくれ」


 ロイクから国営銀行の通帳を渡される。臙脂えんじ色の台紙には自分の名前が記載されていた。

 国が地方の金融ギルドに委託し発行しているそれは、シンプルなデザインだが持ち主の血液から本人であることを紐づける魔術が刻まれているので、盗まれたとしてもそう易々とこの中の金が使われることは無いらしい。代理人を用意することが出来ないという難点はあるけど。

 始めてもらった自分の小遣いにフィーは内心躍る。


「ありがとう」

「だが、本当に良かったのか?せっかく背中まで伸びていたのに」

「これでいいの。それに髪なんてすぐに伸びるよ」


 ロイクは少々寂しそうな顔をする。さらりと長い指がフィーの赤毛をすくうので頭皮がくすぐったい。

 女神と同じであるこの赤毛は、昨日ロイクの手によって切られて今は肩よりも短く、初めてロイクと出会ったころの長さになっていた。


「……そうか」


 フィーの頭を撫でるロイクの表情は罪悪感を抱いているように見える。こんな表情をさせるつもりなんてこれっぽちもなかったし、自分の運命を知らなければこんな決断をするつもりもなかった。

 だがその確信が持てない以上、自分の目で確かめるしかない。それにロイク、いやカレンデュラ家にこの呪いは背負わせてはいけないと思った。


「1年半、ありがとうございました。これからもずっと愛してる」

「俺も愛してるよ。フィラデルフィア。……たまに帰って来てもいいんだからな」


 愛してるという言葉は本心だがその言葉の意味はお互いに違う。

 それを分かったうえでお互い抱擁を交わした。


(絶対、呪いを解いてロイクの元に帰る)


 逆に言えば呪いが解けるまでロイクの元へ帰らない。髪を切ったのはそういう決意表明だった。


 ロイクは女神の夫の生まれ変わりであり、フィーは女神の生まれ変わりである。

 正直フィーの方は生まれ変わりなのかどうか確信が持てないが、二人ともそれぞれ女神の呪いがかっていた。

 フィーはその呪いを解くために魔術学院に進学することを決めたのだ。


 魔術学院は読み書きや魔法・魔術の基礎を学ぶ小等部が六年、医学や薬学。魔術道具や考古学など専門的なことを学ぶ高等部が四年ある。

 ロイクは身分などを理由に高等部を中退したらしいが、その詳細は知らない。きっと竜族であるフィーも、何かに巻き込まれるであろうということはロイクからも忠告を受けていた。


 フィーは孤児院から一人、旧王都へと足を向けた。



―――



 フィーが暮らしていた「木蔦の城塞アイーシュ」から馬で五日ほどかけて向かうと巨大な城壁が見えてくる。


 慣れた検問を受けて、高い城壁をくぐり抜けるとふわりとバニラの香りが漂ってきた。

 首都である「香草蘭の城シャトー・バニラ」は一年半前に襲撃が起きた街とは思えない賑わいを見せているが、ところどころ襲撃の影響か壁に破壊や放火して焦げ付いたような跡が残っている建物があり、崩壊したであろう場所は立ち入り禁止の規制線が張られていた。

 この土地は一年半前に起きた襲撃以降、辛うじて首都として機能はしているが君主として長年君臨していた皇族はなく、中心部にある城の中も既に空っぽであるらしい。その代わり観光地として一般公開をするための工事が行われていた。


 紹介状に刻まれた魔術が緑色の光線を指して待ち合わせの場所まで案内をしてくれたものの、そこにいたのは半年前に会った養父になる人ではなく、ピンと立った馬の耳と髪と同じ色の尻尾が印象的な青年だった。

 彼はフィーに気付いたのか右手を胸に当てて折り目正しく一礼をする。


「お初にお目にかかります。お嬢様。私は馬族のクライアン・ハイドランジアと申します。ターゲス隊長の側近を務めております」

「りゅ、竜族のフィラデルフィアです。孤児なので、お嬢様じゃなくてフィーって呼んでください。敬語もいらないです」


 お嬢様と呼ばれ思わずフィーも背筋が伸びる。軍の人間はこんなに礼儀正しい人が多いのだろうか。

 だが彼は耳を立て、一瞬だけフィーのことを見降ろした。鋭い目でこちらを見るのでフィーも少々肩が強張るが、すぐにぱっと彼は笑顔を咲かせた。


「そうか。じゃあフィー。今日隊長は火急の用が出来てしまったので代理で俺が案内します」

「わ、わかりました」


 突然態度を変えたので肩透かしを食らった気分である。

 フィラデルフィアの養父になるターゲス・シュヴァリエ・ヴィスコは、軍の第一部隊の隊長であり、かつては功績を残した騎士が皇帝から授かることができたという将軍シュバリエと呼ばれる人間の一人だ。

 彼の住まいは王都のメイラ共和国軍本部の居住区の中にあるらしい。

 居住区に入ると、非番の軍人達が鍛錬をしたりカードを使った娯楽をするなどして談笑していた。軍人でないフィーが目に入ると物珍しそうにじろじろと見ていた。


「私がこの中に入っても大丈夫なんですか?」

「軍の人間にも家族でこの居住区に住まう者も多いから問題ないよ。まぁ、ここら辺は独身たちが多いけどすぐ慣れるだろう。それにヴィスコ隊長の養女だと知れば変なことはされない」

「私なら返り討ちにしますよ」


 そう言ってシャドーボクシングをするフィーの言葉にクライアンは苦笑した。


「それは心強い。でも彼らは純血の人間も多いから気を付けるに越したことはないさ。ほら、着きましたよ」


 居住区の端にあるひと際大きな建物の前に立ち止まる。

 見えたのは二階建ての大きめの一軒家だった。貴族の邸と比べて規模はかなり小さいが、生なり色の壁に黒い屋根は周りの建物と比べて比較的年期があるように見える。


「このプレートに自分の魔力を当てれば鍵が開きます。既にフィーの魔力は登録されているから入ることが可能になってるはずだ」


 ドアノブの上にはプレートが貼り付けており、そこには幾何学模様と単語とも呼べない文字列がちりばめられていた。ロイクから教わったことの無い模様だがどう見ても魔術陣だということが分かる。

 ドアの鍵が勝手に開くのであればこのドアも魔術が組み込まれた魔術道具の一種なのだろう。

 促されるようにフィーは魔術を使うつもりでドアノブの上に貼り付けてある金属の彫刻が施されたプレートに魔力を当てると、本当にかちゃりと鍵の音がした。


「魔力による認証魔術の仕組みはご存じで?」

「知らないです」


 魔術は自分の魔法を全く違う属性に変換する術だ。魔法は一人一人特定の属性しか扱えないが、魔術は魔力さえあればどんな属性の術を扱うことが出来る。


「これは最近出来た魔術だから知らないのも無理はない。認証魔術というのは、自分の魔力が鍵になる仕組みのこと。先ほど貴女の魔力で鍵が開いたでしょう?あらかじめ自分の生体情報を魔術管理局に登録しておくと、自分の家や施設にある鍵の開錠権や公文書の閲覧権などを自動的に付与することができるんです」

「……なるほど?」


 田舎育ちのフィーにとって知らない言葉が多い。魔術管理局はロイクの授業で聞いたことがある。確か魔術道具の特許を管理したり、魔術道具の職人の免許を取ることが出来るところだ。魔術の研究がされている魔術学院とも深い関係がある。

 クライアンは困った顔をして頭をかいた。


「……すまない。子供に説明するのは得意ではないんだ」

「魔術学院で学びます」

「それがいい。カレンデュラ家で魔術を学んだということだから、きっと大丈夫だろう」


 後は家で待機しているメイドに聞いてくださいと扉を開ける。クライアンの役目はここまでのようだ。

 中を覗くと質素な造りをした玄関が広がっている。昼間なのになんだか薄暗く定期的に掃除しているのか塵一つないものの、なんだか誰も越したことがない家のようだった。


「ここまでありがとうございました」

「どういたしましてお礼と言ってはなんですが……」

「はい」

「その種族隠しの魔術を解いて見せてくれないか」

「あぁ……」


 孤児院を出る際、念のため自分の種族を隠す魔術を施していた。カチューシャのように巻き付けているリボンがそれである。

 竜族は今までいないと思われていた種族だ。この国にも多種多様な種族がいるとは言え、不思議な形をした角はさすがに怪しまれる気がしたのだ。


「いいですよ。ちょっと待ってください」


 しゅるりとリボンをほどいてその魔術を解くと、フィーの頭に生えている竜の角が現れ瞳の形も爬虫類特有の縦長に切れた瞳孔に変わる。

 その姿をクライアンはまじまじと覗き見てきたので、フィーは思わず後ずさった。


「……なるほど。確かにこれは隠したくなるのもわかる。ありがとう」

「い、いえ」


 お礼を言うとクライアンは踵を返してその場から去っていった。

 それを見送り、ドアを閉めて振り返ると一人の女性が立っていたので、フィーは思い切り肩をびくつかせた。


「こんにちは」

「わぁあっ!?」

「ふふふ、そんなに驚かなくてもいいのよ?」


 黒髪の女性が口元に手を当てて笑った。

 ターゲスの家の使用人は住み込みではなく、週に二回の掃除と必要最低限の買い物をするお手伝いさんのようなものだった。今日は部屋の用意をするために特別に来てくれたという。

 ウェーブのある黒髪をお団子にしてまとめている彼女は山羊族の婦人だった。頭にあるくるんと曲がった角が印象的だが、切れ長の目で品のある容姿だ。

 シャトー・バニラに来て初めて見た使用人だが、ロイクの使用人であるガーベラとは正反対の雰囲気を醸し出していた。


「お初にお目にかかります。お嬢様。私は山羊族のヒヤシンスと申します」

「竜族のフィラデルフィアです。呼び方はフィーで良いです。敬語もいりません」


 このやり取りは二度目だ。

 この家について必要最低限の説明を受け、フィーは自分に割り当てられた部屋に入って大きいベッドへ横になる。

 今日はこちらに来たばかりなのでご飯を作りにまた夕方こちらに来るという。

 このベッドを孤児院の妹弟たちが見たら一緒に飛び跳ねて遊んでいただろうが、長旅の疲れかすぐ瞼が重くなる。

 明後日には魔術学院に進学する。それなのに緊張感で眠くなくなるということもなく意識を手放してしまった。


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