15.それぞれの想い


///



 ルークという名前は当時まだカレンデュラの家督を受け継いでいなかったロイクが名付けたものだった。

 意味は冬に来る烏のことらしく、ルークの髪は赤子の時からカラスのように黒々としており、見つけた時期がちょうどそのカラスがやってくる時期だったのと、そのカラスの羽を魔法で浮かせては遊んでいたことからその名前が付けられた。

 今考えれば魔法だから出来るのだが当時の大人達はさぞかし驚いただろう。そもそもまだ首の座らない赤子が既に魔法を使えるという事が有り得ない事だった。

 大量の難民達が街に流れ、街全体の食料や物資も足りなかった当時は命からがら逃げてきても、結局子供を育てられず捨ててしまう親が沢山いた。

 孤児院の存在を知らず街の隅に捨てられてしまい、誰かが気付く前に寒さで息耐えてしまう赤ん坊もいた中で、ルークは運良く発見されるのが早かった赤子の一人でもあった。

 誰かがルークに対してチェスの駒だの戦車だのと言っていたが別にそれでもいいとルークは思っていた。

 自分の名前が戦車でも悪くない。幼い頃軍人になることを望んだ彼にとって、むしろそっちの方がかっこいいと思っていたからだ。


 八歳になったルークは軍人志望の子供達が剣技の特訓で魔法を使いながら戦う者が大勢いる中、ルークはその子供たちの中で唯一素手を使わず複数人相手に一人で圧勝していた。

 自分は武器なくとも戦える。自分は誰よりも強いと思い込んでいたがいつしかルークの攻略を試みた子供達によりルークは惨敗してしまったのだった。


「お兄ちゃんなんで怒っているの?」

「怒ってねぇよ」


 特訓に参加もせず書斎のソファの上であぐらを書いていたルークに、リナリアが読んでいた絵本から覗くように見た。


「お兄ちゃん」

「んだよ」

「ここはご本を読むところだよ?」

「それが?俺はここにいちゃいけないのか?」


 ルークの不機嫌な目にリナリアは怯えた目で本に視線を戻し、ごめんなさいと呟いた。

 同じようなやり取りは三十分前にもした。その時のリナリアの目は水色だった。今は今は灰色の目でパラパラと絵本のページを遡ってはまた同じページを読み返している。

 リナリアは自分の力を利用したがらない。その理由はルークもよく知っているが、勿体ないと思った。毒と治癒という二つの魔法。治癒という珍しい魔法を持っているだけでもすごいのに、真反対である毒の魔法も使える。


「リナリア。何でお前は魔法を使いたがらないわけ」


 唐突に声をかけたルークにリナリアは怯えながらもそっと彼の顔を伺うが、怒りを浮かべていないのに安心して口を開いた。


「リィは、役に立たないから」

「なんでそう思うんだよ」

「…………リィにまかせてくれる子がいないもん」


 引っ込み思案でろくにほかの子供達とも遊ばないリナリアが人に頼られたいなんて思うのにルークは驚いた。


「お前も勇者になりたいのか?」


 リナリアはふるふると首を横に振る。

 役に立つ仕事としたら絵本で見た勇者くらいしか思い浮かばないルークはリナリアの心なんて知らない。


「なんで勇者なの?」

「じゃあ何になりたんだよ」

「わかんない」


 ルークは首を傾げる。そのあとルークは思いつく限りの職業を言ってみるが、それでもリナリアはふるふると首を横に振るだけで、ルークを苛立たせるだけだった。


「ならお前が出来ることってなんだよ。出来ることすれば良いだろ」

「……それだとダメなの」

「何がダメなんだよ。お前は強いんだろ!」

「つよくないもん!何も出来ないからリナは、わたしは……お父さんにもお母さんにも何も出来ない……」


 今なら分かる。彼女を言葉で表現するならそれは自己否定の塊だ。それくらい当時の彼女は自分を否定して責めていた。

 だけどやはりうじうじしている彼女を見るとこちらが嫌な気分になるし、まるでこちらが彼女に対して虐めているようだと思った。


「なら見つけてやるよ。お前のできることくらい」


 リナリアはその言葉にはっと目を見開いた。ほんとに?と聞くリナリアにルークは優越感を感じる。

 だから彼女に自分は何度も彼女に見栄を張った。だがルークはその数日後に彼女に対して嫉妬の感情を抱くことになった。

 彼女は当時六歳にして読み書きはもちろんのこと、四則演算を全てこなせるくらいに優秀で物忘れが激しいハンデを諸共しない頭脳が開花したのだ。

 その才能にルークは酷く嫉妬し、結局ルークは彼女のできることを自分の口から言えなかった。



///



「それで、なんでそれを私に話してくれたの?」


 夕食後の自由時間にフィーはルークから誰もいない応接間に連れてこられてはルークの口から自分の身の上話を聞かされた。

 彼は現在孤児院の最古参であり最年長の一人だ。領地から出ればどこもかしこも人手不足で、仕事が欲しいと一声上げればたくさんの求人がカレンデュラの協会の中にある労働ギルトからやってくる中、ルークは唯一孤児院を卒業後はアイーシュ街で大工として働くと決めていた。

 フィーが孤児院に来たばかりの頃は嫌味ばかりを吐くガキ大将と言う印象だったが、一番懐かれていたというリナリアと和解してから少しだけ大人になったような気がする。


「お前、父さんに勝たなきゃ孤児院から出られないんだろ?」

「何で知ってるの!?」

「いや知らない方がおかしいわ。ウォルファングが出て行ってからお前もその後について行くって話が広がってる」


 ルークの言う通り、フィラデルフィアは孤児院の主であるロイクに勝てなければ魔術学院はおろか孤児院を出ることができない。

 魔力を抑える魔術陣の作成という課題はクリアしたものの、次にロイクに勝つという課題は達成できていない。

 ルールは簡単。週三回、森の中にある空き地でロイクとフィーのどちらかが戦闘不能になるまで戦うというもの。魔力は不使用で素手のみ。武器や魔力を使用したらお手付きとして次の試合はしないという決まりだった。


 フィラデルフィアは魔力といい体力といい、全体的なポテンシャルはそこそこ高く、魔族と人族の混血でありながら身体が丈夫である純血だと言われてもおかしくない。

 だが相手であるロイクは純血のなかでも特に純度の高い純血であり、先祖代々同じ人族との間の子供でしか家督を継げないというカレンデュラ家の決まりがあった。

 その代償にロイクの体内にある魔力はコップ一杯分くらいしかなく、ろくに魔法も魔術も、人族に持ち合わせる能力である魔力による肉体強化さえ十分に使えない。

 その代わり細身でありながら肉体のポテンシャルは高く、磨けば磨くほど肉体は強化される。山一つ破壊できるくらいに肉体が強化された純血がいたという前例があるくらいその力は凄まじいものである。

 ちなみにこの前出て行ったウォルファングも、ロイクほどではないが純血として純度は高い方らしい。なぜ街から外れた辺境で、かつ人族も魔族も共存していた村にそんな純血の家がいたのかロイクでも不明だが。

 だがそんな相手にフィーは勝たなければならないのに、現時点で三戦三敗である。


「勝たなきゃ十三歳になっても出られないかもしれない……」

「リナリアと一緒にだらだらしていた付けが回ってきたな。初めはかなり俺たちと遊んでたくせに」

「……眠かったんだもん」


 今となっては女神の記憶だと理解出来るその悪夢のせいでフィーは昼寝を余儀なくされた。それでも悪夢を見なくなるまでは少々時間がかかったが、今は目が覚めている時でさえ囁く声が聞こえる。人が憎い。人間を滅ぼしてやると。


「だから俺がお前と作戦会議してやる」


 フィーは爬虫類の瞳をぱちくりさせた。今ルークはなんて言った?


「なんて言った?」

「だから作戦会議」

「大丈夫?どこかに頭でもぶつけてない?」

「うっせーな!この俺が手を貸してやるっていってるのに何疑ってんだ!!」


 いつものルークだ。フィーは意地悪なルークしか知らない。ウォルファングと一緒にいる時によくからかっていた男子の一人だ。


「魔法を使わないなら頭と体を使えばいいだろ。それに俺はチェスには自信あるんだぜ?」

「偉く見せることは上手だもんね」

「てめえその口縫われたいのか」


 それからというもの、フィーとルークによる作戦会議が夕方ごろに開かれることになった。


「その前にお前は鍛えないとな。よくそれでウォルと互角に戦えたのか不思議だ」

「魔法つかってました」

「うわ卑怯な奴」

「ルークに言われたくないですー!」


 そうして、二人の作戦会議が始まったのだった。



―――



「あー!負けたー!」


 衣服が汚れるのも厭わず大の字で横になる彼女にほれとロイクが手を差し伸べる。


「風呂に入ったらそのまま次の授業に来い」

「やだ、休みたい!!」

「ウルはここで学ぶ全課程をキチンと修了した。お前が書斎でうたた寝したり魔術を学んでいる間にな」

「嘘でしょ」


 やたら物覚えが早いし他の子供達と違い毎日授業に参加していると思っていたが、ウォルは孤児院に来てから一年も満たない間にそこまでやって来れたのかとフィーは感心する。ウォルの覚悟はそれほどの物だったのだろう。

 それに反して自分は何もやっていなかった。


「だから起きなさい」


 不貞腐れながらもフィーはロイクの手を取った。

 自分は弟と一緒に暮らすためにここを出る。正直学院への進学はただの口実だ。そう思うと自分はかなり甘ったれているらしいことにさらに絶望した。


「……ロイクは、どうしてここの跡を継ぐことが決まってたのに、学院に行こうって思ったの」


 ロイクは握ったままのフィーの手をみて、空いた手でフィーの頭を撫でた。

 ダリアとの婚姻を決めた時ちょうどダリアはそのくらいの背丈だったろうかと思うと、自分は随分幼い女を娶ったのだなとロイクは実感する。


「救いたい妹がいたからだ」


 ロイクが妹だと思っていた女性は亡くなった妻ただ一人だけらしい。

 フィーは聞くんじゃなかったと少しだけ後悔した。



―――



「父さんに手も足も出ないな」

「そんな分かりきったように言わないでよ……!」


 ルークから出た第一声がそれだった。

 二人は中庭の反対側にある勝手口の隣で作戦会議をする。勝手口の近くは台所だがガーベラかマーガレットに用がない限りロイクは殆ど台所に来ることは無いためここで話す事になっていた。


「てゆーかお前混血の癖に体頑丈じゃん。少し前は屋根の上から俺たちと飛び降りたりしてたろ。もしかしたら肉体強化とか出来たりして」

「……魔族に何言ってるのさ」


 フィーは魔族で竜族だ。肉体強化とは人族だから出来る技。人族は魔力で身体を一時的に強化することで筋力を上げたり五感を鋭くすることができるが、魔族であるフィーはそれが出来ない。

 因みに普段から眼鏡をかけている人族のリナリアは目の強化は出来なくはないが苦手なので眼鏡で視力の補助をしている。


「なら鍛えるしかねえな」

「……は?」

「たりめーだろ。お前は多分魔力に頼りすぎなんだろ?それなら鍛えなきゃ始まらない。

 それに比べて父さんを思い出してみ?よく子供を三人抱えながら畑仕事してるだろ?他にも壊れた家具直したり協会に行くために毎月山一つ超えた先の街へ一時間で向かったり、従軍希望の子供の相手したり忙しいんだぜ。

 普段から鍛えてる父さんと普段から寝ているお前が比較したら月と亀の違いがある」


 それを言うなら月とすっぽんだ。

 流石ルークは孤児院の最古参なだけありロイクのことをよく知っている。そして余計な事を言うからフィーの心をグサグサと突き刺してくる。


「鍛える……」

「よし言った」


 ルークは思った。今までロイクは断固として十三歳未満の子供を孤児院から出す事はしなかった。何故ウォルとフィーは許してくれたのだろう。

 だがそんな事考えても仕方ないので兄貴らしく目の前に居る彼女を叩き直すのだ。


「俺の魔法はスパルタだぜ。覚悟しろよ」


 ルークの表情を見てフィーは嫌な予感がした。きっと彼の魔法もあり容赦ない事をしてくるに違いない。




「うっわぁあ……何これぇ」


 フィーはその場でうつ伏せになっている。伏せているだけなのにその場から立ち上がれない。

 ルークからいきなりその場に立てと言われた途端、フィーの身体は突然重くなり腕すらも持ち上がらなくなった。その様子をルークは見下してはフィーを笑い飛ばした。


「あはははは!!俺の魔法の恐ろしさを今更思い知ったか!お前を中心に半径1メートルは普通の重力とお前の体重分の重力がかかってる。つまりお前は体全身に自分の体重がのしかかってるってことだ!」

「人の体重を測るなこのやろー!」

「数字は言ってないんだから別にいいだろうが!じゃあこのまま孤児院の周辺を走るぞ」

「鬼ーー!!」


 ルークの魔法がそんなふうに使えるなんて知らなかった。

 今まではなんて便利な魔法なのだろうと思っていたが、重力の仕組みなんて知らないフィーにとって魔法とは違う神様が操る何かにしか思えない。これでは重しと体を紐で繋げた状態で走るより苦痛だ。

 そしてルークは必死に歩こうとしているフィーの前をぷかぷかと浮いている。その様子はとてもルークらしいがとても憎たらしい。


「前は軍人になりたいって思ってたからな、魔法だってそれなりに鍛えてるんだよ!」

「そういえば、なんで軍に行くのやめたの」

「なんでってまぁ……」


 フィーはルークが軍を志さなくなった理由を聞いていない。むしろ行きそうなのに。

 ルークはこめかみをかりかりと引っ掻き、少し照れくさそうに余所見をした。


「リナリアが孤児院ここの砦になることを望んだからだよ」

「とりで……?」

「アイツの魔法は万能だろ?毒を撒き散らせるし怪我も治せる。だから自分で見えない要塞を作ろうとした。その為に毒の抗体を俺たちの体に作ることを成功したって言ったもんだから」

「何言ってるのか全然分からない」

「自分の毒をあえて効かないようにさせたんだと」

「な……」


 まだ十歳なのに自分の魔法を研究したのか。それとも本をひたすら読んでいたのはその為か。


「だから俺が軍に……騎士になる理由を考えたら、ただカッコイイからって理由だった。だから軍に行くのをやめた。大工より軍人の方が給料高いけど普通に死にたくねぇし。それなら自分の魔法を有効活用させる仕事した方が合理的だ」

「そう、だったんだ」


 死にたくないという理由で軍を諦めたのはなんだかルークらしい。皆それぞれの将来を既に持っている。自分は自分の事ばかりしか考えていない。


「私なにも将来のこと考えてなかった」


 たった一人になってしまった家族と一緒に暮らしたい。きっとウォルも同じだと信じていたけれど、またあの時燃えた村のように同じ事が起きないとも限らないし、移り住んだ先で自分のことを受け入れてくれるか分からないのだ。


「でもお前は学院に行きたいんだろ?」

「……うん」


 でもそれはロイクから離れる為。女神が思う人間への憎しみを抱かせない為だ。頭の中で夫の呼び声が、憎しみが幾度となく響き渡る。


「父さんのこと好きなくせになんで急いで離れようとするんだよ」

「なんで知ってるの!?」

「馬鹿か。見え見えなんだよ。授業中も黒板じゃなくて父さんばっかり見てるし、書斎に居たのもリナリアじゃなくて父さんのこと見るためだろ?ウォルにもべったりだったのにずるい奴だよな、まったく」

「ウォルは別だもん……」


 昔からウォルと一緒にいるようにと言われていた。母が風邪で寝込んでしまった時も、家の外に出られない時も必ず隣にウォルファングがいた。

 母が幼い時は必ず隣にいたのはウォルの父だったらしい。魔法は出来なかったけれどとても強かったから心強かったとか。

 それでも母が選んだ人は別の人だ。だから自分もウォルとはそういうものだとフィーは思う。血の繋がりのない弟だ。


「あっそ。それよりもさっきからペースが遅い。一周するまでに日が暮れるぞ」

「歩くのでやっとなんだってば!!」


 そしてルークと話している間にも頭の中で憎い憎いと叫ぶ声が頭に響き渡る。

 それにフィーは更に苛立ちを感じ、その苛立ちを原動力に足を前に進める。ようやく走れる様になったは良いものの、次の日には全身が筋肉痛になって動けなかった。



―――



「なんで魔法も使わない決闘なのにロイクの魔法が知りたいの?」


 洗濯物を取り込むガーベラの手伝いをしながらフィーはロイクの魔法をガーベラに聞いてみた。


「……ただの興味」

「うーん。ロイク、というよりカレンデュラ家の決まりなんだよ。アタシも理由はよく知らないけどカレンデュラ家は誰にも魔法を教えてはいけないって。まぁ体術が強いからアイツの魔法は想像出来ないけど」


 魔法というものは基本的に親の魔法を遺伝する。きっとカレンデュラ家の人間は先祖代々同じ魔法が使えるのだろう。

 ガーベラはそういうものだろうと割り切っているようだが幼心にフィーは興味が耐えない。


「アタシも昔はロイクの魔法がなんなのか探ったこともあったけど、ロイクから言われたんだよ。『魔力がないのだから使い物にならない』って」

「……そう、なんだ」


 ロイクが学院を卒業出来ず退学したのにもそれが理由だと言う。

 貴族制度がなくなった今、純血主義も徐々に薄れていくのだろうが、ロイクのその魔力の限度は一生変わることはないだろう。


「だけどあまり魔力ない奴を悲観した目で見るのはやめなさいね。人っていうのは個性があって当たり前。アタシは植物の魔法を使えないけどフィーは炎の魔法を使えないだろ?」

「うん」

「ガーベラ姉さん」

「なあに?」

「なんだか先生みたい」

「それは褒め言葉?」

「褒め言葉」

「ありがとう」


 ガーベラの困っているが嫌ではなさそうなその笑顔は、普段は男勝りの性格がこの時だけは年相応の大人の女性に見える。そういえばガーベラの顔は美人だったなと思い出す。


「ガーベラ姉さんってなんで結婚しないの?」

「いきなり話し飛んだな!?」


 少しだけ目を逸らし、何かを思い出したのか顔を赤くした。だがすぐに表情を元に戻してフィーの頭を撫でた。


「アタシはいいの。みんなが居るんだから」


 だがフィーはウォルから聞いていた。孤児院出身の時計屋の男とよく食事をするような仲らしいという事を。

 話を聞くだけだとデートみたいだとフィーは思った。だが恋人でもなさそうだともウォルは言っていたがガーベラはその人の事を好いているのだとフィーは思う。


「私たちが邪魔してるの?」

「してないしてない!アタシはここで働くのが好きなの。ただそれだけ」


 その屈託の無い笑顔にフィーはこれ以上なにも言えなかった。



―――



 何度も何度も鍛錬をしてもロイクには勝てなかった。

 途中リナリアが作戦会議に参加するようになるが、リナリアはロイクとフィーの力の差が簡単に埋まるようには見えないと話す。


 だが二人とも容赦なく鍛錬をさせてくる。

 フィーに重力を上乗せさせた状態で孤児院の周辺を走らせ、リナリアは森の中にロープやぶら下げた丸太などの簡単な罠を仕掛けてはフィーを何度も転ばせた。

 そんな子供だけで危険なことをしているのをロイクが知らない訳もなく、三人には内緒でガーベラと交代でこっそりその様子を見守っていた。

 確かにそれでフィーの身体能力は各段に上がったが、それでもロイクには勝てなかった。

 ならば発想を変えようとリナリアとルークはフィーに提案した。


「なるほど、ならルークの魔法で重くする場所を変え、リナリアの魔法でフィアの動きを敢えて鈍らせたらどうだ?」

「なんでロイクが居るの!?」


 そしてフィーに課せる鍛錬の内容がおかしい。

 倒すべき敵が目の前にいるのにこんな話をしてもいいのだろうか。

 二人に目を向けるとルークは気まずそうに目を逸らし、リナリアは水色の目をきょとんとさせて首を傾げた。


「弱点知るなら父さんに直接聞いた方が手っ取り早いかなって」

「それはロイクもその弱点を防ぐよね……?」

「俺は止めたんだぜ?だけど父さんが」


 ルークの頭にロイクはぽんと手を乗せる。こうしてみるとフィー達より年上のルークでもロイクの前では子供だ。


「子供だけで危険なことをしていると聞けば俺とて見て見ぬふりは出来ない。それにそう簡単にお前に負ける気はないよ」

「うわ、なんだこの超人ぶる人」

「良いだろう。精々頑張るんだな」

「会話が噛み合ってない……」


 ロイクはフィーの気持ちを知って知らずかわしわしとフィーの頭を撫でる。

 ルークは二人のやり取りを見て、孤児院に侵入者が来た時を思い出す。

 ルークは孤児院に彼女を残すことを密かに反対していた。今まで育ての母であるダリアのように魔法が暴走する子供は過去にもちろん居たし、それに対してルーク自ら魔法で抑制させたこともある。だがそんなルークの直感が彼女を危険視していた。

 おそらく彼女はロイクを上回る事ができるだろう。だがその力を抑制することが出来なければ?

 その懸念をロイクに伝えた事がある。だが「危険だからと追い出す彼女を何処に連れて行けと?」と言われてしまえば何も言えなくなる。この孤児院はそういった孤児を受け入れるところだ。

 だからルークは十歳で出て行くことに疑問が残るものの、フィーが孤児院を出ることには支援する。彼女は魔術学院に行くという動機がある。なのでそのチャンスを逃す訳にはいかない。

 ロイクはまだ彼女に対して本気を出していないことは明確だ。なら彼の本気が出る前に倒せばいい。そんな思惑をルークが抱いているなんてロイク一人を除いて誰も思っていなかった。


「フィアには型を教えてなかったな」

「かた?」


 これまでロイクがフィーに教えたものは大陸側発祥の武術だった。身に着けておけば損はないと授業で子供たちに教えていたのである。

 だがそれは護身術程度のものであり、それ以上の相手を傷つけかねない技は、従軍する子供達のみに教えていた。ちなみにウォルが身に着けた剣技もその一環で習得したものである。


「竜族とはいえ、お前も人間なんだ。獲物を狩るような動きだといずれ相手だけでなく自分を傷つけかねない。実際お互い素手だから今は良いが、相手が武器を持っているのなら尚更不利だ。そして自分の力を自覚し、己を律しなさい」


 ロイクの言葉にフィーは嫌な予感がする。ルークはウォルファングとロイクが行っていた特訓を思い出し、ご愁傷様と手を合わせたのだった。



―――



 来る日も来る日もロイクには勝てず、何度も地面に転がり青空を見た。

 湧き出る理由のないの憎悪に呑まれそうになる度、それに怯んでロイクへの攻撃ができなくなる。

 自分の中にある女神の記憶にある彼とロイクは顔こそ似ているが、性格まで似ているかと言われるとそうではない。夢の中での彼はとにかく自分に甘かった記憶があるが、ロイクも自分の妻に対しても同様だったのだろうか。

 にしてもロイクは何故少なからず抱くはずの妻への想いに気付かないままだったのだろう。そんな想いは何がきっかけで自覚したのだろう。本人はフィーとのやり取りで自覚出来たと言っていたが、自分は全く覚えていないし想像すら出来ない。


「聞いているのかフィア」

「……ごめんなさい」


 ロイクから食らったデコピンの痛みで現実に戻った。

 授業中であることを忘れて呆然と窓を見ていたフィーに呆れながらロイクは授業に戻る。

 周りの子供たちもくすくすと笑うので恥ずかしかった。


 今日もロイクに勝てなかった。


「重心を揺らすな。バランス感覚を養え」


 今日もロイクに勝てなかった。


「人間の急所はこことここも当てはまる。よく物語に首に手刀をして気絶させる描写はあるが、首より、このこめかみの方を狙う方がいい」


 今日もロイクに勝てなかった。


「子供だからまだ身体が柔らかいんだ。柔軟は欠かさず行いなさい」


 沢山のことを学んだ。そしてその度に彼に触れる感覚が心地よくて恥ずかしかった。

 今日もロイクに勝てなかった。

 何時しかルークの重力の魔法にも抗いながら走れるようになり、リナリアの仕掛けた罠にも反射的に避けられるようになった。

 今日もロイクに勝てなかった。


 そんな様子をルークとリナリアは遠くから眺める。ガーベラが審判をしているので、その隣にリナリアとルークは座っていた。

 フィーについては多少の変化はあるものの、勝算は見込めそうにない。


「もう三ヶ月経つのに懲りないわね」


 物憂げに灰色の瞳を瞬きする姿は十歳とは思えないくらい大人びているが、見慣れたルークからすればただのませた子供である。

 青色の瞳と灰色の瞳という二つの人格を持っていたリナリアは、その人格が統合しつつある。精神が安定してきた為か本体である灰色の瞳の方は、性格に変化が出始めていた。


「もしかしたら時間稼ぎだったりして。十三歳になったらどっちにしろ出なきゃだろ?」

「でも……そもそもお父さんはココから出さないんじゃない?」

「そうする理由は?」


 リナリアは少々苦い顔をする。


「……なんだか、お父さん……フィーをよく見てるから」


 リナリアは基本的に父親っ子だ。ルークはリナリアがよくロイクのことを観察しているから、そんな変化も分かるのだろうと思った。

 本当はロイクではなくフィーを観察していた時偶然察したのだけれど。


「…………俺はもう知らね」


 これ以上考えるのはルークも精神衛生上良くないと判断した。

 リナリアは相変わらずフィーの方を見るが、瞳が水色に切り替わる。


(どうして、フィーは孤児院をでたいのかなぁ……)


 フィーのロイクに対する必死さは相変わらずだが、何故かその表情に悲しみが見え隠れしている。

 自分に好意を寄せてくれているのに、知っていてそれを否定しているように見えるロイク。

 ロイクのことが好きなのにロイクから遠ざかろうとしているフィー。

 口にはしないが、二人は他の子供たちよりも一番近くにいるのにすれ違っているように見えた。まるでいつぞやのフィーとウォルのようだ。


 二人には両想いになってほしくない。でもフィーが孤児院ここを出て行くのは嫌。

 そんなリナリア灰色の感情がリナリア青色にまで流れ込んでくる。


(『私』も大変だね。でも私は父さんも好きだから応援できないなあ……)


 フィーがどうしたらロイクに倒せるか、それをロイクに聞いたのは灰色の方だ。聞いた理由は単にロイクが先回りして弱点を回避できるようにするためのずる賢い彼女の作戦だった。

 現在青色の人格が薄れている中、無意識化でリナリアの本来の人格の記憶を共有しつつあったため、灰色が現在どう思っているのか青色も何となく理解しつつあった。

 もともと青色自分は本体である灰色を守るために作られた人格だ。青色自分の役目が段々終わりに近付こうとしているのは察している。

 だからといって灰色も青色もどちらも自分なので例え消えても本来の状態に戻るだけだから別に悲しくはない。青色自分表に現れる時、自身の瞳が水色になりはじめた時点で自分の中に二人いるのはなんとなく察していたので。


(せめて素直になれたらいいね。リィ)


 灰色の方の感情が少しだけ揺らいだのを感じた。


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