13.迎える春に
「知り合いも何も、僕もカレンデュラの孤児だったから」
「僕の名前はシードだよ」と男は自己紹介をした。
「他に用があるからここで待ってろ」とガーベラに言われ、ウォルは用意された椅子に座りながら店内を見回した。
どの時計もそれぞれコチコチカチカチと規則的に動いており、それぞれがそれぞれの時を刻んでいる。動きを追いたがるネネならきっとこれは地獄だ。
ウォルが居た村に時計なんてものはなく、村の人は皆日没を見て行動していた。日が昇れば今日だし、日が真上に行けば昼飯の時間。日が沈めば寝る時間だった。
村を出て時間という概念を知ってからはその時間が惜しく感じる。十歳のウォルは子供故にじっとしていられず、ウォルは足をぶらぶらと揺らしてはそわそわしする。
本来不定期に始まる孤児院全体での追いかけっこが無ければ自主練の後にフィーと暴れる約束をしていたのだ。あの場でないとフィーは自分のことを見てくれない。
迎春祭が終われば自分は軍に行く。その前に姉弟として、幼馴染みとして、ウォルは彼女と向き合いたかった。そして弟じゃないと認めてもらいたかった。
以前リナリアからフィーが泣いていたことについて問い詰められると同時にフィーの意思くらい尊重しろと叱咤されて考え直したということもあるのだけれど。
「なあ」
「んー?」
「……ここで筋トレしていいか」
「……営業妨害だよ」
作業しながらシードがはっきりとそう言えばウォルは不貞腐れる。どうせ客なんざ来ない癖に。
「『どうせ客なんてこないのに』って?」
「なんでわかるんだよ」
「君の顔に書いてる」
「見てねえのに」
「君みたいな子は大体そう考えるさ」
こういう大人は嫌いだ。
「しかし懐かしいな……この時計を直すのは何年ぶりかな」
「孤児院出身って言ってたけどさ、何年前に出たの」
「今僕は二十六だから……もう十三年前になるか」
「ロイクと同い年かよ」
にしては若く見える。だがロイクの一つ上であるガーベラとはさほど変わらないように見えるのでロイクが老け顔なのだろうと思い直した。
作業している場所を覗いてみると、シードは文字盤をいつの間にか外しており、露わになった歯車の集合体にウォルは目を見開いた。どうやら針だけでなく歯車の一部も壊れてしまっていることを確認したシードは、足元にある引き出しの中から同じサイズの歯車を見つけるために古くなったものと見比べている。
「ロイクとは仲良かったと思うよ。ガーベラとはよく魔法で殴り合いしてたな」
「嘘だろ……?」
「ホント。最初は彼女のことが嫌いでね。ガーベラは生まれた時から一人で生きていたらしいしけど、僕は孤児院に来る前、たくさんの家族がいたから」
ガーベラとシードの間に何があったのか分からないが、二人の間には喧嘩をするほど仲が悪かったのだろうか。
シードはサイズの合った歯車を付け直し油を差しながらはめ込んでいく。まるで彼の頭の中にこの時計の設計図があるようだ。
「でも魔法を使って喧嘩したことがなかった僕にとって新鮮でね。いつの間にかその喧嘩が楽しくなったんだ」
「ガーベラ姐さんはともかく、お前が暴れるなんて想像できない」
「そう?僕好きな子には結構キレるんだよ」
「うわ……」
このシードという男はどうやらイカレているらしい。それにあのガーベラが好きだなんて相当な変わり者がいるものだ。
ウォルの表情を横目にシードは新しい文字盤を用意した。使い物にならない文字盤とデザインが全く一緒なのにウォルは気付いた。
「そのパーツ、他にもたくさんあるんだな」
「これは僕があらかじめ用意してるだけだよ。時計は本来、一台に対して設計図が細かく違うし、パーツも一つ一つオーダーメイドで作る職人もいる。だけどこの時計に関しては別」
「君たちのような子がいるところにある時計は定期的に壊れるんだよね」と彼は言う。
割れたガラスもパーツを分解して丁寧に外すと新しいバーツを取り出しては接着剤なしではめ込んだ。その後ゼンマイを回し、パタリと直したガラス窓を閉じれば振り子が動き出す。
「あ」
「お。直った。伝票書かないと」
「早くしろよ」
「これまたせっかちなお客さんだ」
シードは慣れた手付きで領収書を書きだしていく。鉛筆や万年筆ではなく羽のペンであるがこれもよく見ると魔術道具だ。書くたびにじわじわとブルーブラックの液がペン先に溢れてくる。シードの魔力をペンのインクに変換していた。
取り換えたパーツの数とその代金を書きながらシードは流れるように言葉を連ねる。
「僕たちの時間の感覚は歳を追うにつれて徐々に穏やかになる。だから大人になった途端時間が過ぎるのはあっという間だ。だけどその分待つことも出来るようになる。師匠の爺さんからの受け売りだけどね。僕はあながち間違いではないと思っているんだよ」
思いついた独り言のようにつぶやくシードに対し、ウォルはまた睨みつける。
「俺が急いてるって思ってんのか」
「どうだろう。この言葉が君にとって図星ならそうかもね」
また嫌な気分だ。
「時間って結構短いようで長い。しっかり将来を見定めなきゃズルズルと先に伸びてしまう。まあ僕も同じことが言えるけど」
「……もしかしてガーベラ姐さんのこと?」
「あぁ、それは……」
空を書くようにペンを振ると、シードが何かに気付いたのか振り返る。カランと出入口の鈴を鳴らしながら買い物袋を持った彼女が店に顔を出した。
「直ったか?」
「うん丁度」
「サンキュ。お代は」
「はいこれ」
「りょーかい」
ガーベラはウォルに買い物袋を渡すとシードから伝票を受け取る。
大きめの買い物袋の中身は布地だった。またいつものように誰かの衣服を縫うのだろう。妙に大きいのが気になるが、ウォルは渡された時計を両手で抱えた。
「姐さん……これ……」
「あぁ、これ?新しい服をね。迎春祭じゃあうちの子たちみんな仮装できないからさ」
「別に気にする必要ない気がするけどね。仮装できないのは可哀想だよ」
「そうだな……だけど今年ばかりはもっとそうもいかなくてねぇ」
「――あれか」
窓の向こうに複数の軍人。先日訪ねてきた者たちの姿を見たわけではないが、ロイクと見ていた幼い子供たちは五、六人の騎士が来たのだと言っていた。
ウォルからすれば従軍はフィーを守るための手段でしかないが、彼らが本当に国を守ってくれるのだろうかという疑念は以前から残っていた。ならば誰も信頼しなければいい。一匹狼で生きていく。
「さっさと帰るぞ。ほら、ウォル」
「ちょ、フード取るな!!」
ガーベラは被ったままだったウォルのフードを掴み店を後にしようとした。もうじき夕刻だ。すでに夕食の当番が準備をしているところだろう。
ガーベラがウォルを孤児院まで送った後にどこ行くのかはシードのゆるんだ表情から何となく察しが付いてしまった。
「ガーベラ」
「おう、また後で」
やはり最後には二人だけの会話を交わしてガーベラはウォルと店を出た。
夕食にガーベラがいない日はたまにあるがその理由が分かった気がした。夜に二人きり。だが恋人とも友人とも違うような雰囲気を醸し出す二人の関係はウォルには分からない。
「なあ」
「なに」
「シードとはどんな関係なの」
ガーベラは気まずそうに目を逸らす。何かとウォルは察しがのいい。だが流石に十歳の彼にガーベラはシードとの関係を打ち明ける気はないのか目を逸らしたあとにっと笑った。
「ただの酒飲みの友達だよ。魔法でやりあうことがなくなってからは飲み比べで勝負ってな」
「姐さんって酒強いのか?」
「ウォルに酒はまだ早いって」
「分かってるっての」
―――
フィラデルフィアが一時魔術を使えなくなった原因は詠唱にあったという。
既に女神に対する崇拝を失っていた彼女は女神に対して母と呼べなくなっていた。
いつも使っていた詠唱が使えなくなったことはよくあることらしく、ロイクは特に何も気を止めることはなかった。
「フィー」
「今日は何もできないよ」
今ロイクは孤児院にいない。なので試合もそれまで禁止である。部屋のベッドで横になって魔術に関する本を読んでいたフィーの元にウォルがやってきたのを不思議がった。
「違う。お前いつから俺が戦闘狂になったんだよ」
「なら何の用?」
ウォルは被っていたフードを取り、垂れ下がる耳を露わにした。尻尾もしょんぼりと下がっている。悲しがるウォルの姿を見てフィーは思わず起き上がる。
「迎春祭、行くな」
「でもロイクから」
「……行かないで……俺も一緒にここに残るから」
ウォルはフィーにすがりつくように抱き締める。フィーの小さい肩に乗せる頭を見て故郷の村にいた頃を思い出した。
外部の人間が村に来る時必ずウォルは怯えていた。それに孤児院に来てからもウォルがフィーを外に出ることに反対していた。ウォルがかつての村人たちから何を言われたのか分からないが、兎に角フィーを外に出すことを嫌がった。ウォルのその甘えは自分に対する束縛だ。
「なら、一人にしないで……わたしを置いていかないでよ」
自分を束縛するくらいなら軍に行かないでずっと隣に居て欲しい。
本当の姉弟でもいつか大人になった時お互い離れる日がくるのだろう。それは孤児院を卒業した年上達を見て理解できるようになってきた。だけどウォルは絶対に今じゃない。
彼女が本当に共に居たいのは自分ではないはずなのに、彼女が学院に行くのは彼女の中にある望んでもいない憎悪はロイクへ矛先が向かうから。だがそれを分かっているのかフィーの我が儘はウォルの心を締め付ける。
「――それは出来ない」
それはもう随分前から決めていたことだった。けれど一人で愛する人を待ちながら眠る寂しさをフィーは知っている。
ウォルがフィーの為に軍に行くと言ったことは嘘なのではないのか。彼はただ目の前から離れるだけで二度と会えないのではないか、そんな疑心がフィーの心を黒く染める。
「……ウォルがそう言うなら、私はロイクの気持ちに添いたい」
「あいつは」
「『わたしの理解者は彼だけよ』」
彼女のとは思えない声にウォルは顔をあげる。
赤い前髪の隙間からのぞく彼女の瞳が赤い。混血特有の、魔法を使用する際に現れる一時的なものではない。そもそも彼女は今魔法なんて全く使用していない。
炎のように燃える真っ赤なそれは目の前の自分を捉えているようで何も見えていない。
そっとウォルの頭を撫でていた両手が流れるように頬を撫でる。その手は母親の慈愛に満ちているのに冷たい。白い肌はまるで死んでいるようだ。
その虚ろな笑みと手の感触に彼の尻尾の毛がぞわぞわと波打った。
「フィー……?」
「っ……ごめんなさい」
赤い瞳はすぐ琥珀色に戻った。フィーは震える声ですぐにウォルを突き放す。ウォルは必死にそれを止めてフィーの体を自分の中に閉じ込めた。ウォルのその手もとても震えている。
それでも取り押さえたのは本能的に今ここで彼女から離れてはいけない。彼女を一人にしてはいけないと感じたから。
「私は一体誰なの……?」
「フィラデルフィア……」
「殺したくない……!誰も……誰もころしたくない……」
「フィー。俺はここにいる。ここにいるから……」
一人にしないで。ひたすらそう繰り返しすすり泣く彼女にウォルの心は揺らぐ。
一生自分の目の届くところに閉じ込めておければよかったのに。あの炎の出来事がなければ彼女は一生村で平穏に暮らすことが出来たのに。
そうすれば彼女は死んだ親の魔力核を口にすることもなかったはずなのに。村を焼いた者が憎い。そしてそれ以上に彼女の生まれ持った運命を恨んだ。
竜人族とは一体何なのだ。フィーはなぜ覚えの無い記憶をたどるような夢を見たのか。彼女は一体何者なのだ。
―――
古い書物を保存するために閉ざされた離の書斎は、私の父の宝庫だ。
魔術を深く掘り下げたもの。歴史にまつわるもの。種族、植物、魔獣、大陸に関するものなど。孤児院の子供たちが住まう場所にしてはやたら専門的で分厚いものが多い。
ここまで数が多いと、子供たちのために置いてある童話や御伽噺も数こそ多いはずなのに、専門書と比べてしまえば談話室に置いてある絵本を合わせても少ない。
その書斎から借りた本の内容に心踊りながら自分の部屋に戻る。
部屋には今私の大好きな友達もそこにいるはずだ。読む時間は減ってしまうけれど、あの子と過ごせるのはとても楽しみだ。
私の大好きな友達は孤児院に来てから数ヶ月はろくに本も読めなかったのに、ここ一月で魔術学院の筆記試験の成績を上げ、一時スランプのようなものがあったのに魔術はとても上達していた。
父曰くあの
「なら、一人にしないで……わたしを置いていかないでよ」
ドアノブを回す手が止まる。その弱弱しい声の主は大好きな友達だ。彼女が泣いたあの夜が脳裏によぎり、今度こそ慰めようと思ってドアを開けようとした。
なのにそんな彼女を慰める少年の声も聞こえ、私は胸をぎゅっと握りしめた。やっぱり二人は私の知らない姉弟以上の何かがある。
私は人の怪我を治すことはできるけど心の病は治すことが出来ない。きっとそれは今も尚あの子のことを慰める彼も同じだろう。なのにどうして彼なのだ。こんなにひどい奴なのに。
(あんなやつよりもひどいのは私の方だわ………)
自分で何もできやしない。運動もできない。魔法もろくに使えない。
あの子にしてあげた読み聞かせもあの子が読み書きができるようになってからは必要なくなり、私があの子にしてられることがなくなってしまった。
しっかりとあの子のことを見てあげてと
「どうした。リナリア」
「……」
廊下の奥にある階段から愛する父がこちらに歩み寄ってくる。どうやら街から帰ってきたようだ。ドアの向こうで彼女が泣いている声は彼にも聞こえたのだろう。
父は未だ母のことが忘れられていない。形見である父が母へあげた首輪も、母が生前置いた唯一の写真も父の寝室にあることを知っている。今も尚父は母のことを愛している。写真を見ては時々優しい顔をすることも。
なのに今ドア一枚向こうにいるはずのあの子のことを見つめるその目は母を想うそれとよく似ていた。
どうしてそんな顔をするの?そんな顔をしておいてどうしてあの子のことを私と同じ態度で接しようとするの?
父は母を愛していて、母も父を愛していた。私が父を愛しているなら父も私を愛している。あの子が弟を愛しているなら弟はあの子に恋をしている。
だけど
恋ってなんだろう。愛ってなんだろう。それを母に聞いたら母はどう答えてくれるだろう。悩んでいる私の頭を父はそっと撫でてくれた。
「彼女の苦しみを憐れんだところで、本人は救われない」
「でも……」
「お前の気持ちはよく分かる。だがそっとしておいてやれ。ようやく、ようやくフィアは栓を抜くことが出来たんだ」
「せん?」
「ずっと、ずっとフィアは悲しいものを溜め込んでいたんだよ」
「フィーは来た時からずっと泣いていたわ。きっともっと悲しいことがあったのよ」
「ならウルのことだろう。もうじき彼はここを離れるんだ」
読書は書斎でしろと言われ父は私の手を引いた。
悔しいけれど今のあの子が心を許せるのは弟しかいないらしい。それはもう出会った時から分かっていた。だけどもしかしたら自分にもあの子を救うことが出来るのではないかと探しても探しても結局目の前にいる父か今慰めている弟である彼しかできない。
だから父の彼女に対する態度や接し方に納得ができない。だけどきっと父は彼女のことを救うことが出来るはずだ。
『私たち』を救ってくれたように彼女を救えばいいのに、どうして父は彼女を救おうともせず、そんなに苦しそうな顔をしているの?
―――
水の張った白い皿の前に大きな手をかざず。誰かの呼吸で水面が波打ち、隣には同じ形の皿に小さな木炭が一つ置いてある。
子供達はそぞろと机を周辺に集まってはそれを眺めていた。ロイクが呪術を行うこと自体大して稀ではない。だが魔術と違って魔力無しで行う行為は子供達にとって面白いものだと言う。
ロイクはじっと見つめ、水を睨みつける。
「『汝に名前をさずけよう。名はロー。理を断ちこの木炭を代償に、凍れ』」
ビキと音を立てて皿に置いてある水はたちまち凍りつき、木炭の方は火も付けていないのに静かに燃えていた。
「お前もやってみろ」
「凍らせるの?」
「いや、木炭の火を消せ。魔法もなしだ」
フィーは燃えている木炭に手をかざし、一言消えろと言えばすぐに木炭はそのまま冷えた灰になり、隣にある氷は溶解を通り越して蒸発してしまった。
周りの子供たちは驚く半面、ロイクはフィーの額にピンと指を強くはじいた。
「痛いよロイク……」
「詠唱をしっかり使えと言ったろう!別のものが犠牲になったらどうする」
それはフィーもよく知っている。魔術のトリガーは魔力の放出だが呪術は言霊だ。言葉は人を傷つける事も出来るし癒すことも出来る。
だがフィーはその真意をよく分かっていないはずなのに、呪術の才はあった。対象も代償も口にせず自分の望む結果を一言発するだけで成功してしまう。
「でも私はちゃんと」
「しっかり考えることだ。お前がもしウォルから嫌いなんて言われたらどうする」
「泣く」
「死ねと言えば?」
「ウォルはそんな事ぜったい言わない!」
「嫌いというのに?」
「それはそう思ってないのに言っちゃって」
本来詠唱はかける対象、代償をはっきりと断言するために言うのだが、彼女の場合それがなくともたった一言でその呪いがかけられる。
呪術がよく使われていた時代は視線で呪うことが出来る人間もいたらしいがその時代の者と同等の力を持っていてもおかしくない。
だがその分彼女の言葉一つで誰かがその犠牲になってしまったら死よりも大変な目に遭いかねない。
以前孤児院に侵入してきた者たちは全員獄中で死んでしまったらしい。ターゲス曰く彼らの体には魔法や魔術の痕跡も何もなかったという。呪術で殺したのだろうと言われているが、ロイクはその話が脳裏に過る。
「そういうことだ。お前たちもよく考えろ。言葉一つで人が死ぬことだってありえるのだからな」
お願いだからそう女神の一面を見せないでくれとロイクは冷たい皿の灰を握りしめた。そのなにか苦痛に満ちたロイクの表情に子供たちは不安を感じたが、すぐに彼は元の表情に戻るのだった。
―――
アイーシュ街には過去孤児院から巣立った子供たちが大人になった今でも暮らしていたりする。
多種多様な種族が入り混じる旧カレンデュラ領は、孤児がカレンデュラ家の積み上げた知識や経験や技術を発展させた場所でもあるため他の貴族の領地と比べると特殊だ。
カレンデュラ領の人間は血のつながりや伝統に対して深く関心がない。なぜなら商店や工房が一代限りということもざらなのでよく店が立ち替わるからだ。パン屋だった場所が次は鍛冶屋になったり、静かなカフェが閉店すれば次は賑やかな食事処になったりする。だがその反面、創業三百年という老舗も多くある。シードの営む時計屋がそれだ。
それでも迎春祭という国の伝統行事が領地全体で行われる理由は、大々的に祭りを行えば他領の人間もはるばる足を運んで来てはその祭りで金を落としてきてくれるからだ。商売根性丸出しである。
「何か、気味悪い」
「これ、お店に行ってもいいんだよね?」
「ただの監視だ。しかし、これは王都以上だな……軍人は暇なのか」
孤児院の森を抜けて街に入れば各道の壁に沿うように魔術銃を持つ軍人達が多くいる。他の領地でもこんなのだろうかと思えば、どうやら迎春祭は他の領地と日付をずらして行っているらしい。同じカレンデュラ領にあるウイエヴィルという町もも現在同じ状態なのだとロイク言っていた。
ロイクの話によると街の関所は封鎖。この時期にやってくる商人すら入れないらしい。こうなると店に挨拶すらいけるのか心配になってくる。
「どうしたのリナリア」
「ううん……何でもない」
水色の瞳で辺りをきょろきょろを見渡しているリナリアは、菓子をもらいに行く店を探すというより誰かを探しているようだ。男性が苦手であるはずなのに必死だ。
ここ最近のリナリアはいつも持ち歩いているメモに書き留める様子がない。その代わり日記を書いており、それを確認して過ごしているらしい。
彼女は徐々に自分を受け止めているのだろうかと思うと友人として嬉しい反面フィーは自分が成長していないことに虚しさが残る。
「「迎春祭おめでとう!」」
孤児院の子供たちは年上たちが先導になって店を回る。他の子供たち。普通の家の子供たちは各々で仮装しているが、孤児院の子供たちはお洒落はしているものの、仮装はしていない。
「みんなお面してたり、楽しそう……」
「今のフィーも似たようなもんだろう。でも勘違いすんなよ、俺たちはロイクの家の子供だからこうして俺たちも挨拶してんだよ」
本来ルークのようなアルバイトができる年齢の子供は半分大人のようなものなので参加している数はとても少ないし、昨年フィーとウォル以外にも何人か孤児院に入った子供もいるので人数は多い。流石に三歳児以下の子供はロイク達大人に連れられているのでこの場にはいないものの、十人以上の行列を作るグループなんていないのでこの集団はとても目立つ。
「似たようなものかな……」
仮装みたいだとルークに指摘されフィーは魔術道具のリボンに指を触れた。
横髪を左右ともリボンで束ねているフィーは頭の角が消え瞳の形も変わっているため、どこからどう見ても人族と変わらない。鏡を見て人族と変わらないその姿に夢で見た鏡越しの女神を思い出した。本当に自分は女神の生まれ変わりなのだろうか。
一昔前の自分ならそれに対してとても喜んだだろうが、今のフィラデルフィアは嬉しいという気持ちは薄れている。
その姿を見たロイクはいつもの笑顔で「上出来だ」と言って頭を撫でてくれたが本心ではどう思っているのだろう。幻覚で見えなくしている角に手が刺さったのか一瞬痛そうな顔をしたけど。
「『ロイクは可愛いって思ってくれたかな?』なんて思ってないわよね?」
「ち、違うもん」
灰色のリナリアはここ最近よくフィーに対してよく睨む。その表情の裏に自身への恋慕があると感じ取れないフィーは自分のことが嫌いなのかと聞いたことがあるが、はっきりと違うと言われた。
「でも、リナリアまでリボンする必要なんてなかったんじゃないの?」
フィーはリナリアの頭を巻き付ける白いリボンを見つめた。髪も一つにまとめて三つ編みにしている。それにリナリアが髪を束ねるなんて珍しい。
「あ、暑かったの……」
「フィーだけ白いリボンだと怪しまれるからカモフラージュだとさ」
「お兄ちゃん!!」
その様子にフィーとウォルはニマニマとリナリアを見つめる。こういう時は姉弟のようだとリナリアは二人を引くような目を向けた。
「その二人気持ち悪いわ」
「なんだよ灰色。笑っただけじゃねーか」
「そーだよねえ?」
「なんなのこの姉弟!!」
周りの子供たちから「リナリア怖い」と言われ、リナリアは不貞腐れながらも黙る。緊張がゆるんだ集団はクスクスと笑い始める。その反面「あのリナリアが」と年上の子供達は驚くのだった。
孤児院組の向かう店とルートは決まっており、一件目の店に着いては店主から菓子を順番に貰う。
店から出る間際一人の軍人からフィーとウォルに大きな手が置かれ、二人は即座にその騎士から離れた。振り向けば人族の騎士が二人を見つめる。
「おっと、怖がらないでくれ。二人は異種族の姉弟か?」
フィーとウォルは二人を顔を見合わせる。似ても似つかない二人の顔は種族も違えば髪の色も瞳の色も違う。
しかもフィラデルフィアに関しては種族を魔術道具で偽っている。フィーは怯え、ウォルはフィーを後ろに隠すようにしては冷静に答える。
「同じ村で生まれたってだけで本当の姉弟じゃねーよ。おじさんこそ、なんで俺たちが姉弟って思ったの」
「さあ?君らが孤児の中でもよく『似ていた』からかなぁ」
二人が騎士と話しているのを他の子供たちも不審に思ったのか。男性が苦手なリナリアはルークの背に隠れた。騎士は笑みを浮かべながらウォルの頭に手を乗せる。
「君の話は聞いているよ。十歳なのに軍に行きたいだってね。もし騎士を目指すなら、言葉遣いには気を付けた方がいい」
騎士と軍人の違いは知らない。ただ目の前の男に関しては胡散臭いということだけは理解できる。こんな時ロイクならどう動いただろうか。ウォルは背中に冷や汗を流したが、二人の服の裾が引かれた。
後ろを振り向くと、獅子の男子が二人のことを見上げていた。
「に、『兄ちゃん』『姉ちゃん』い、いこうよ。日が暮れちゃう」
ルークとよく遊んでいた一人
その後見ていた全員の肩の力が抜ける。入った店は日用品店だった。
「よくやったレオ」
「これで仮な。『ウォルファング』!びん、『フィラデルフィア』!」
「貧乏草って言おうとしたでしょ」
レオは八重歯をにっと見せた。フィーと一つ年下であるレオは、ライオンのような見た目とは反対に魔法は影だ。誰も近づけなかった中、二人の影に入り込んだレオは騎士に気付かれずに二人に接触することが出来た。
その様子を外から見ていた店の主人はほら立ちなさいと叱る。この店は先日リナリアがガーベラとお使いに行った店だった。
「みんなも大変ね。はいお菓子。あとお水いる?」
「はーい」
「ちょっとみんな!!」
年上たちが諫めるが、女主人はいいのよと手を振った。あらかじめ用意してくれたのだろう全員の分の菓子が入った籠を目の前に置き、一人一個ねと個包装されたそれを配る。そして彼女はリナリアに気付いたのか、リナリアに近づいた。
「お久しぶりね。リナリアちゃん」
「は、はい」
「領主様から聞いたわよ。あなた九歳だってね。最近の子は大人びててびっくりするわ」
「え、えと」
「緊張するでしょうけどがんばってね」
彼女の肩をポンと叩き店の裏へ行った。子供たちにふるまう水を用意しに行ったのだろう。結局孤児院全員が水をもらうことになってしまった。
渡されたコップに満たされた水を覗き込み、リナリアはほうと関心してしまった。
「……良い人なのね。あのおばさん」
「?そうだね」
フィラデルフィアはリナリアの言葉の意図が分からずそう頷いたが、リナリアはくいと水を飲み干した。
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