12.焦り
孤児院を囲む森の中には切り株一つない広場が一か所だけある。
元々亡くなったダリアが幼少期の頃、魔力の多い彼女が魔法をコントロールするための場として作られた空き地なのだが、彼女がロイクと結婚して使われなくなってからは何年も放置していたために雑草が生い茂って足の踏み場もなかった。
それをフィーが雑草の魔力を吸い取ることで枯らし、土や岩の魔法を持つ子供が魔法で踏み固めることによってまた使えるようになった。
今までは中庭の広さで十分事足りていたのだが、体調が完全復活して以降暴れ足りないというフィラデルフィアと、実戦的な鍛錬がしたいというウォルファングの二人専用の闘技場になっている。
「おーやってるやってる」
二人を遠目から眺めるロイクの後ろからガーベラが草木をかき分けて来る。ロイクはガーベラを一瞥すると視線を前に戻した。
フィーは魔力を容赦なく使った荒い魔法をひたすらウォルにぶつける。彼女の四肢は木の鎧で覆われており、消えてしまった皮膚の鱗の代わりの役割を果たしていた。
反面ウォルはひたすら彼女に拳を向けて扱い彼女の隙を狙う。魔力が少ないので地味ではあるが身体が小さい分小回りが効くから、大胆な動きしかできないフィーにとってはやりにくいだろう。
こうしてみるとフィーは中距離向き。ウォルは近距離向きといったところか。
フィーはウォルと距離を置くと地面に手を付き一気に魔力を放出させると一直線に木蔦が生え、ウォルの脚にそれが巻き付く。そして動けなくなったウォルへ飛びつこうとするが、ウォルは脚から自身の魔法で彼女の木の中にある水分を凍らせることで破壊する。
その後指先から水を放出。その水はフィーの体に巻き付かせると一瞬で氷の鎖になった。
フィーの暴れ足りないというのは口実だ。フィーが暴れて以降、彼女の中の人間に対する憎しみが表に現れそうになる頻度が多くなった。
それを察したウォルが中庭で戦闘を仕向けると、それに乗じてフィーも感情に身を任せて応じるようになり、それが二人の新しい遊びとは思えなかったロイクは、自分の監視下にいる条件で戦わせることにした。
「あの二人のやり取りは既視感があるな……」
「何の話?」
「いや……」
それは隣にいるガーベラとそのライバルだった男のことだとは言わず、ロイクは二人の戦闘をじっと見つめる。
十歳である二人の子供が規則である十三歳になる前に孤児院を出ていく。
ロイクの隣で二人を見ているガーベラも一番古くから孤児院にいるマーガレットからもそこまで急がなくてもいいと二人を説得したが二人の意思は強かった。
「ウォルは分かりやすいけどさ、フィーも吹っ切れたよね」
「……確かに多少は分かりやすくなったか」
「あの子、何かと不満みたいなの貯めてたっぽいし、あんな顔してるけど楽しそう」
フィーがこうして怒りを露わにしているのは初めて見たとガーベラは関心する。戦っている彼女はまるで獣のようだ。
だがあの暴走したあの夜に露わにした『人間を憎む』ような表情ではない。
姉弟だからと言い訳をして依存し合う二人の関係。だからこそフィーはウォルが従軍することに対して難色を示していた。
そんなフィーがウォルの従軍を受け入れたので、ロイクはきっと何かあったのだと思った。だがどうして許したのかと聞けば「ウォルも姉離れさせないといけないでしょ?」と言うだけだ。
彼女が暴走したあの夜、なにか彼女の中で微睡んでいたモノが目覚めたのかもしれない。
彼女が竜の側面を大きく見せたあの時。自分は化け物のような彼女の姿が女神と重なった。そこで彼女に自分の前世を打ち明けてみたが、そうかというだけで彼女は何も深く女神の話に追求しなかった。
最近はフィーと同室の子供たちからもまた魘されてることも聞いている。彼女は一体何と闘っているのだろうか。
「……そうだな」
容赦なく襲いかかってくるフィーに対してウォルはフィーを傷付けまいと拘束するのを優先しているようだが、ことごとく失敗している。
それでもウォルはまたフィーの体に水のロープを巻き付けて拘束を試みると成功したようで、瞬時に氷に変えて完全に動きを封じた。そして抵抗される前に脚にも水のロープを巻き付けてバランスを崩した。その瞬間に彼女の上にマウントを取る。
「分かりやすいんだよこの野生児!!」
「犬らしく吠えるな!!」
「犬じゃねえ狼だ!!」
だがフィーは全身から魔力を放出し皮膚から生えてきた樹木で自分の体に巻き付いていた氷を破壊する。
そして今度は地面から生えた蔦を彼の体に巻き付けると今度は彼の上にフィーがのしかかる。
フィーの手がウォルの首に向かうがウォルによって弾かれ、互いに距離を離す。
ふとフィーは遠くから見つめるロイクに顔を向けた。
だが氷のナイフを持ったウォルはまた距離を詰めてきた。
「余所見すんな!」
「してない!!」
ナイフから庇う様にフィーは茨の壁で守ろうとするが、壁ができる隙にナイフを突き入れられる。だがフィーの茨はフェイクであり、既にフィーは動きを封じたウォルの背面に回り込んでいた。
その様子にただ見守っていたロイクは組んでいた両腕をほどいた。
「おっ、勝負あった――」
「ここまで」
先ほどまで十数メートル先にいたロイクがフィーの腕を掴んでいる。いつの間にか自分の主人が隣から消えていたことにガーベラは驚いた。
「今回の勝負はフィアの勝ちだが、全体的に五分五分だな。ウル。お前は野獣相手に正攻法で戦ってどうする」
「なんで私が野獣なの!?」
「間違ってはいないだろう。その魔力をぶっ放すやり方は獣くさい」
しかしウォルとの戦闘にフィーは体力が切れたのかそのまま脱力して気を失った。ロイクは彼女の体をそのまま抱き上げれば呆れた顔でその顔を見る。
「フィー!?」
「全く、本気にならなくても……」
気を失ったことにウォルは慌てる。一番近くにいたのに気付かなかったのかとロイクは眉を寄せる。
異変に気付いたのかガーベラが駆け寄ってくる。広場を散々荒らしたフィーの植物は本人の魔力が枯渇したためか一気に枯れ果て消えた。
「ロイク、フィーはどうしたの」
「……ただの貧血だな」
顔が青白い。今朝からあまり体調は芳しくなかったが、その状態でウォルに勝負を挑んだのだから呆れる。
「分かった。マーガレットさんに伝えておく。医務室に」
「頼む」
ウォルもガーベラについていこうとしたが足手まといだとロイクに片手で止められてしまい、ウォルは不機嫌な顔を浮かべてその場で胡坐をかいた。
気を失っているフィーをガーベラに預け、ロイクは不機嫌だったウォルの前にしゃがむ。
「ウル。お前はフィーを守ると言ったな」
ウォルはピクリと強張る。顔を背けては時間差で「あぁ」とぶっきらぼうな声で同意した。同意はするのに態度は完全に反抗期である。
孤児院に来たばかりの時はもっと素直だったのになぜそんなにひねくれてしまったのかと呆れながらもロイクは話を続けた。
「彼女は今朝から顔色が悪かった。ここ最近の睡眠の質も芳しくないらしい。彼女のことを見ているお前ならそれには気付いていただろう。……なぜ戦闘することを承諾した」
「それは……」
フィーの中に溢れる憎悪を打ち消すため。ウォルはフィーがどんな悪夢を見ているのかは知っているが、なぜそんなに彼女が憎しみが溢れているのか分からない。
ウォル自身もフィーが別人になっている様子に混乱していた。
彼女がたまにロイクに対して向ける感情が憎悪であったり好意だったりで、双子のように人格が二つあるリナリアとは違い、フィーはロイクに対して二つの相反する感情があり、その時々によってロイクに向ける感情が明確に分かれていた。
先ほども一瞬余所見をしていたフィーがロイクに向けていたのは憎悪の顔だった。
「彼女を守るなら彼女を傷つけてでも守れ」
「そんなのおかしいだろ」
「ならお前は彼女を世間からどう守るというつもりだ」
ウォルはその場で黙る。ロイクは考えろと言って立ち上がると邸の方へ戻っていった。
―――
///
どんなに眠っても、どんなに食べても、この体は成長することなく、むしろその体は人間から遠く離れていった。
たくさんの幸せを味わった。たくさんの醜さを味わった。たくさんの醜さを味わった。だからこの世界の人間すべてを殺そうと思った。
だがこの世界は思っていたよりも広く、あらゆる場所にあらゆる人間がいることを知った。
島から出られない呪いがあるのにそれを知ることが出来たのは、あなたが何年もかけてそう教えてくれたからに過ぎない。
もし自分が全ての人間を殺せたとしても、その前に別の生き物がこの世界を占領してしまうだろう。
ならば、自分が新しい生き物を生み出せばいい。だけどあなたとただ交わっても子供が生まれることなんてなかった。
///
「……」
朧げな視界が徐々に鮮明になる。その視界には自分の寝ているベッドに腰かけて読書をしている育ての親がいた。重たい手を持ち上げるように彼に伸ばしたが、まだ幼い短い腕では彼に届くはずがなく、彼の服を引っ張ることしかできなかった。
彼は服を引っ張られたことに気付いたのか、視線を自分の方に向けてくれた。
「お前の要望で戦闘を許可したのに、無茶してどうする」
今まで見た夢に出てきた白髪の男と同じ顔だった。着ていた服も髪型も違うのに、見れば見るほどその顔だけはよく似ている。そして自分自身もその夢の主人公と全く同じ顔なのだと思うと、この顔が恨めしく思う。
「おはよう……」
「追い詰めるのはいいがせめて加減を覚えろ。それとも、その無茶な行動は夢を見ないようにするためか?」
フィーはそれに首を振った。また強がりかとため息をつく。フィーは彼が自分に対して呆れてる顔しか向けてこない気がして悲しくなる。
対してロイクは彼女がここ最近目を合わせようとすると目を逸らしてくるので、その意図が読めずにいた。
たまに彼女と話を交わすことがあるが、話が終われば何か言い聞かしているような独り言をつぶやいているようだし、思い詰めているかと思えば直ぐに元気そうな顔を浮かべるのでその様子が気味が悪く感じる自分もいた。
「そんなに意固地になるならまたフールと呼ぶぞ」
「馬鹿じゃないもん!」
「はいはい。その意地っ張りさが馬鹿以外のなんだと?」
その言葉にフィーは「ウォルには話してるからいい」と黙った。
一度暴れてしまった彼女を見て自分なりにフィーのことを観察していた。だが見れば見るほどに彼女はその女神と違う。
年相応な振る舞いをする時もあれば、時々出てくる言葉が大人びているのでちぐはぐに思えた。
まるでフィーの中に異物が入っているようだ。
「よくウォルとは話しておけよ。なんでもいい。軍で訓練生になればそう簡単に会えなくなる」
「……うん」
彼女もきっと何かと戦っている。しばらく休めとその場から去ろうとしたが彼女の手がそれを引き留めた。
「ねえ」
「何だ」
「死んだ奥さん……どんな人だったの」
死んだ妻について聞かれるのは久しぶりだ。ベッドではなく近くにある椅子に座り直しては追憶に浸った。
「前にも言った通り強い女だったよ。己のハンデも顧みず、芯のある女だった」
「強い人」
「ガーベラすら泣かせたくらいにはな。だが喧嘩が強いというわけではないし、何かに悲観しないという訳でもない。まあ、俺も彼女にはよく負けたよ」
あのガーベラを泣かせるというのは聞いたことがあるが、ロイクが負けるのは……今でもたまにその光景を見ているような気がする。彼はよく尻に敷かれていたのだろうかとフィーは考える。
「新しい奥さん欲しい?」
「……当分は見つけるつもりは無い。それにこんな子持ちの地方貴族に目がいく女がいると思うか」
「そんなことないよ……!」
思わず彼女は起き上がり反論する。だがいきなり起き上がったせいか頭痛をおこし、ロイクは寝ていろと彼女を寝かせた。
「言わないんだな」
「なにを?」
「以前はロイク大好きと言っていたのに」
「わ、私そんなに軽い女じゃないもん」
貧血で青ざめていた顔がほんのり赤くなった。思わず頬がほころぶ。
「よくそんな言い回しを知っているな」
「私のこと馬鹿にしてるよね?」
「普通に褒めている」
本当だろうかと怪訝な表情をする彼女の頭を撫でた。そしてロイクは目の前の少女が女神ではないことを再確認する。
少女の爬虫類の瞳が困惑の表情を浮かべるが、ロイクは彼女をしばらく愛でるのであった。
―――
この島を統一するこのメイラという国以外にも魔法の概念がある国はたくさんおり、その場所によって神話も違うらしく魔法が生まれた経緯もそれぞれ違う。(それでもその魔法の原点はこの島だ)
だがどこの神話でも必ずその場所で竜が存在した話があり、中には人に化ける竜もいたらしいが、このメイラには大陸から土地を切り離した竜の神話はあれど、魔法を生み出した女神と竜の関係については不明のままだ。
竜がこの島と大陸を切り離した時期が具体的にいつの話なのか分からないのだ。島と大陸が切り離されれば潮の流れで地形も変わるというもの。ロイクの中にある【女神の夫】の記憶をたどる限り、既に竜はいなかったので確証は無いが女神が現れる以前なのだろうなと本人は思う。
「大陸の伝承によると、竜がこの土地を大陸と切り離したのは本当らしい。切り離した際に発生した大きな津波の痕跡が海中に残っていたらしい。竜は自分の持っている魔力によって大きさが変わるらしいが、この島で人間たちと出会う時にはもう既にその体は縮んでいたとか」
「うわ、体が縮むくらいに力使ったとかどんだけ逃げたかったんだ」
子供の一人がロイクの話に反応を示す。その手元には編みかけのかごがある。
この国では女神を奉る迎春祭がある。春は動物たちが子育てをする季節でもある。女神もこの時期に多くの子供を産んだ。
なのでその女神への感謝をするために始まったものだが、現在は子供たちが大人達に挨拶回りをして菓子をもらう習わしへと変化していった。
準備として街の者から貰う菓子を入れる籠を作るのだが、それと並行してこの土地の竜の話をロイクは子供たちに話していた。もう既に知っている子供たちもいたが皆も食堂でのロイクの話に耳を傾けていた。
「もしかしたら人間を守るためだったかもしれないな」
そう言っていると孤児院の呼び鈴が鳴り響く。マーガレットが立ち上がろうとするのをロイクは止め主人自ら玄関に向かう。
甘え盛りの幼い子供たちはそれについていくのでロイクはそのうちの一人を抱きかかえては玄関まで向かっていった。他の子供たちも好奇心でついていこうとするが、ガーベラによって止められた。
「ちっちゃい子だけずるい!!」
「お客さんがびっくりするでしょ」
「それなら小さい子たちも声が大きいからびっくりするじゃない」
女子の一人がそう反論するが、ガーベラは大人は小さい子にビビらないと言いくるめて子供たちにかご作りの作業に戻らせる。
「きっと客人は王都から来た軍人たちだろうから」とガーベラは玄関の方を見つめた。
ここ最近各領地に軍人たちが派遣されている。土地の管理は協会に任せているロイクも例外ではなく、ロイクはこうして入れ替わりやってくる軍人たちの相手をするのだ。
その様子を見るたびに、老体のマーガレットは胸に手を当てて心配そうにしている。その様子を見て子供たちも少々胸がざわついていた。
しばらくしてロイクは子供たちを連れて戻ってくる。ガーベラはそんなロイクの表情を見ては一呼吸置いた。彼女も心配していたらしい。
「さっきの軍人はロイクになんの用だって?」
呆れたような表情を浮かべているロイクを見て安堵しているガーベラを一瞥し、抱えていた子供一人を降ろしてはその頭を撫でた。
「警護する者が入れ替わったからその挨拶だとさ。そんなもの協会にすればいいものを……」
「それって」
「お前らが知る必要はない」
「ロイク」
ガーベラに睨まれる。心配しているのだから安堵させる言葉くらい用意してやれということに気付いたのか、「軍にはターゲスもいるのだから問題ない」と一言。
ターゲスはそこまで安心できる存在なのだろうか。フィーはあの高笑いするあの大男を思い出した。
毎年孤児院を卒業するメンバーの中には軍に行く者がいる。たまに手紙で送られてくるけどその数はここ数年はとても少ないようで、ロイク曰く送る内容を制限されているのだろうとのことだ。
「今年の迎春祭は一段と物騒になりそうだな」
軍人の警備が強化されるらしい。直接外部との交流を持ったことの無いフィラデルフィアとウォルファングは迎春祭自体知らなかったので、そこまで警備強化する必要がある大規模な祭りなのだろうかと首を傾げるが、ルークは「まるで俺たちが疑われてるみてえじゃねえか」と怒りを露わにしている。
「俺からも必要以上に子供たち……お前たちには接触するなと伝えておく」
「まあ、
その後ロイクはフィラデルフィアに目を向け、後で来いと呼ばれるのだった。
―――
「迎春祭の時は、これを付けろ」
「……リボン?」
ロイクからの呼び出しにフィーはロイクのいる書斎を訪ねると、彼の寝室まで連れていかれ引き出しからだされたアクセサリーをフィーに渡した。
二本の白いリボンをよく見ると金の刺繍で古代の文字列が縫い付けられてあった。魔術道具だ。
「あぁ、魔族が人族と偽るための魔術道具だ。お前のことを知る街の者にも皆お前のことは話してある。今のお前ならその角について指摘されても変わった髪飾りと勘違いされるだろうが、念の為だ」
その魔術道具はよく出回っており、髪や瞳、肌の色を変えるなど簡単なものは高級な遊び道具やおしゃれの一環として貴族や商人が身に着けていたりする。
だがこれは幻覚でそう見せるだけで、耳など触れたらすぐに気付かれるし、ロイクの渡したものについては頭だけを誤魔化す程度の効力しかないらしい。
例えば冬毛のウォルにそれを身に着けさせても耳は人族の耳と同じ形に見せることが出来るが首回りの毛皮や脚の形は誤魔化すことが出来ないのだ。
きっとロイクは軍の関係者を疑っている。今まで外に出るときは軍人のいない日を狙ってフィーを連れ出していたが、ここ最近はフィーを外に連れ出していない。
「ロイクは……私が学院に行くことは嫌?」
フィーは心のどこかでそれの答えに期待していた。反面ロイクと距離を置くことを決めたのにそんな自分が情けなくなる。
ロイクは手を自分のスラックスのポケットに手を突っ込んだ。フィーはその何かを誤魔化すような仕草を捕らえ、夢の中で見た彼が脳裏をよぎる。その記憶を彼女は打ち消した。
「……それを決めたのはお前だ。だから了承した」
「ごめんなさい」
「何故謝る?むしろ姿を偽らせることはお前の嫌うことだろう」
「だって」
自分のせいで迷惑をかけていることはよく分かっている。きっと過去の村の者たちは自分を守ろうとするために閉じ込めていた。
「お前の生まれもった姿形を厭うものはこの俺が許さない。だがさすがに俺とて軍人相手に戦えるほど権力も武力も強くない。お前に姿を偽らせること、許してくれ」
今年は内戦が終わってからはじめての祭りである。それに孤児院に入って以来初めて外出したリナリアも彼女の参加を望んでいる。子供たち全員に祭りを楽しんでほしい。そのロイクの願望をフィラデルフィアは噛みしめるように頷いた。
「祭り、楽しんでこい」
「うん」
ロイクの寝室を後にして、フィラデルフィアは渡された白いリボンを横髪に巻き付ける。せっかく伸びた髪は、以前の暴走でまたばっさりと切ることになってしまった。
自分の村が燃やされてからもうじき一年経つ。ウォルの前で泣いてからその真っ赤に燃えたあの記憶は姿形を変えて脳裏に何度もよぎるようになった。
『人間はだから醜い生き物なのよ』
その記憶が蒸し返される度にそう心のうちに囁かれる。
十歳のフィーはそれを否定するだけの力も経験もなく、ただ聞こえないふりをした。
―――
ある日の昼下がり。孤児院の食堂には既に
その時計は数刻前で止まっており、文字盤を覆うガラスが割れて中の長針短針が歪み、文字盤も壊れて中身が剝き出しになっていた。
因みに食堂の隣にある談話室では子供たちが全員大人しく座っており、その前では普段から表情が堅いロイクが眉に皺を寄せては両腕を組みその怒りを露わにしていた。
それはいつもの騒ぎがきっかけだった。
今度は年下の男子達が女子達のアクセサリーを強化アイテムだと言って自分の武器に巻き付けて遊んでいたのだ。武器と言っても新聞紙を丸めた棒や木の枝なのだけれど、女子からすれば数少ない貴重な宝物を取られ遊び道具にされるのはたまったものではない。
中庭から始まったその追いかけっこは何時しか邸の中にまで及び、いつも通り邸内にいた子供たち全員を巻き込んだ。
その騒ぎにより誰かが放った魔法で食堂に掛かっているこの孤児院唯一の時計が壊れてしまった。
「で、主犯は」
それに被害者を名乗る女子達が男子達のせいだとわめく。男子達は一番魔法を使っていたのはそっちだろうと反論するが、ロイクはすっと拳を上に掲げた。
「全員立て。俺に勝ったものは座れ。あいこはそのまま経っていろ」
そしてロイクによる棒読みの掛け声でじゃんけん大会がはじまった。
「俺あの時自主練してただけだし……あいつらがカマかけてきたからそれに乗っただけだし……」
「はいはい。アンタの運が悪かったね」
付き添いのガーベラは珍しくメイド服ではなく私服だ。普段は黒のワンピースに白のエプロンというメイドのような恰好だが、今は黒いスラックスに白いワイシャツとグレーのカーディガンというまるで男みたいな恰好だった。いつも上部で束ねているうねりのある髪も下でまとめており大人しめである。もしガーベラの体が今よりも細く貧相だったら男と間違えていたと思う。
可愛いもの好きなら私服もそれらしいものだと思っていたが、経験上それ指摘すると燃やされそうだから言うのを辞めた。
「ウォルファング」
「何?」
「アンタ、アタシが怖くないの」
ウォルは自他共に認める炎恐怖症だ。
彼が暖炉の火やコンロの火ですらかなりの距離を置いているのを見ていたガーベラは必要時以外は関わらないようにしていた。だが今日ばかりは二人きりである。
ガーベラは不審者が来た日、誰よりもフィーのことが大事であるはずのウォルがその場で立ち尽くしていたのは、フィーが変貌したことだけではく、向こうの炎使いに怯えていたからだったことに気付いていた。
「そりゃ、怖いけど……怖がってたらフィーを守れないだろ」
「流石、誰かさんにそっくりだ」
「誰だよ」
誰だろうねとガーベラははぐらかす。ウォルが抱えているのは壊れてしまった古時計だ。現在は布袋に入れてガラス片に刺さらないようにしているがそのままでは危険だ。
二人の歩いているアイーシュ街の東の方の地区はこの地で言う老舗が多い。古くから住まう者が多いようで、それゆえ周辺の家々も大通りの建物と比べて平屋が多い。どの店も古ぼけているのでぱっと見営業しているのかすら分からなかった。
ガーベラはその中で丁寧に磨かれたショーウィンドウのある店の前に立ち止まり、ここだとその店扉を開けた。
「暇してるかー?電気ネズミ」
中に入ると薄暗い店内が広がっており、その壁にはたくさんの時計たちがかけられていたのですぐに時計屋だと分かった。
その店の奥。店のカウンターに背を向け、古びた電気スタンドの明かりを頼りに作業をしている青年が一人顔を上げた。
「ガーベラか。予定はもっと後じゃあ……あぁ、なるほどね」
ヴァイオレットの髪にふさふさしたネズミの耳と尻尾が印象的な青年が柔らかい笑顔を浮かべる。
「うちの主人は今日中にってさ」
「ロイクも無茶言うようになったなあ。この店も一応暇じゃないんだよ?」
「もうじき迎春祭だしな。ロイクも一応あの時よりいくらかマシにはなったけど」
「……そっか」
しんみりとした表情を浮かべながら青年は時計を見つめる。
二人だけの会話にウォルは戸惑い、ウォルはガーベラの服を引っ張り自分の存在を訴えた。
「ガーベラ、この人知り合いなのか?」
「あぁ」
「知り合いも何も、僕もカレンデュラの孤児だったからね」
男は「僕の名前はシードだよ」と自己紹介をした。
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