9.我が心、汝の魂に刻み給え



「お兄ちゃんのバカぁあぁ!!」


 男性恐怖症で魔力が溢れそうになるリナリアは、頼れるはずの兄貴分に悲鳴にも似た罵倒を叫んだ。


 フィーはまた男達に向かって枝葉を掌から放出させるもまた炎使いが燃やしてしまう。瞬時に生木すら燃やす炎とは相手の魔力の高が知れない。

 彼女は雪の積もった地面を蹴り炎使いに向かって噛み付いた。


「何だこのクソガキは!!」


 ウォルもすぐに懐から魔術陣が刺繡されたハンカチを取り出し、地面に広げてその上に手を乗せた。

 魔術陣は基本的に魔力を意図的に注げばそれに反応して特定の効力を発揮する。使う紙やインクなど魔術陣を描く素材は何でも良い。魔術道具に関してはこれに限った話ではないが。

 魔術陣が掠れたり滲んだりしない限り半永久的に使えるのでウォルはマーガレットに頼んでハンカチに刺繍した魔術陣を使っていた。


「『我らが母の元に力をお借りする』」


 ハンカチの紋様は魔力によってぼんやりと青く光を放つ。

 ウォルは周辺の雪を己の体内に吸収しながら、魔術陣にその魔力を溜め込む。

 この魔術陣は自分の魔力を溜め込むコップである魔力核の代わりであった。魔力の少ない自分のために初めてロイクが教えてくれた魔術だ。一定の量が溜まるのを見計らい、また詠唱を唱える。


「『我が力、万物の元に帰り給え』!!」


 魔術陣から男達に向かって魔力の道が走り、狙った所で爆発するように氷柱が地面から現れた。攻撃には程遠く足止め程度のモノであったが、フィーが噛みついていた男も氷柱にバランスを崩した。


「このトカゲが!!」


 未だ離さずに噛み付いていたフィーを反対の手で首根っこを掴み、そのまま炎で焼いた。


「あ、あぁああああああっっっ!!?!!!」

「フィー!?」


 孤児院に来たよりも少し伸びた髪はちりちりに燃え、ガーベラが選んでくれた衣服は背中を中心に燃え広がった。

 熱さに耐えきれず彼女は男から噛みついていた牙を離し、男がその隙に放り投げると彼女の身体は冷たい地面へ転がる。

 熱い。熱い。熱い。寒くても背中がひりついた。そして勢いよく燃えた男の仮面もボロボロと化けの皮が剥がれる様に落ちていった。


「先程の勢いはどうした!?犬のように吠えてたその威勢はどうした!?」


 その顔が浮かべていたのは嘲笑だった。

 その顔には見覚えがあった。最後母の顔を見た後の…………いや、他にも同じ顔を夢の中でも見た。

 走馬灯のように【自分】が体験したこと全てが蘇る。

 これはフィラデルフィアが体験したわけではない。それでもあの悪夢の積み重ねは嫌というほど自分のものだと錯覚するくらいには刷り込まれた。


 散々己に頼ってきた癖に最後は異端だと己を陥れた村人達の顔だ。

 利用しようと最後には洞穴に閉じ込めた村人達の顔だ。

 歓迎すると迎え入れ、己の身体を弄った男達の顔だ。

 みすぼらしい己に対して石を投げた町の者達の顔だ。

 成長しないこの体を気味悪がった者達の顔だ。

 みすぼらしいと嘲笑った者達の顔だ。

 己を信頼していると言ったのに。

 己を愛してると言ったのに。

 己を地の底に陥れた。

 己を裏切った。

 己を辱めた。


 にくい。ニクイ。憎い。憎い。憎い。憎い。


「『おのれ……』」


 あの日裏切られた絶望を忘れない。

 あの日浴びた炎の熱さを忘れない。

 あの日辱められた苦しみを忘れない。


 背中をじくじくと刺す熱が痛い。両脚を焼かれたあの日のように。磔にされて身体を焼かれたあの日のように。痛い。痛い。痛い。


「『憎い……殺してやる…人間どもおおおお!!!』」


 彼女はもう悪夢の女性と自分の区別が付いていない。

 幻の竜は吠える。憎き人間を蹴散らすために。

 一人の少女に紅の竜が憑依した。



―――



 自分の友が呻きながら背中から翼を生やしている。

 火傷で爛れている首回りから肩甲骨にかけてずるりとその翼は生えてきた。それはまるで蛇や蜥蜴トカゲが脱皮したかのようで、身体も十歳から一気に成長している。

 それに翼といっても鳥のような可愛いものではない。

 鳥類の種族でも翼はもっと大きい。彼女のそれは蝙蝠コウモリのような、だけど骨は固い骨と鱗で覆われているせいかなんだか歪で、彼女の頭から生えた角も相まってその姿はこの世に存在しない生き物に見えた。


 炎のような赤毛と縦線を切る鋭い瞳孔。左右の頭部から伸びる角。そして真っ赤な鱗に覆われた肌。


「なんだこの小娘!」

「まさか、竜……!?」

「竜なんて存在している訳がない!!魔術の類か!?」

「肉体まで成長しているではないか」


 覆面の男たちはフィーを見世物のようにその変わり果てた姿を見ては感嘆や困惑の声をあげた。


「こんな化け物を飼っていたなんて!!」


 違う。そんなことないとリナリアは内心で訴えながらも口に出せずにいる。

 フィラデルフィアは唸り、翼を広げて飛びかかろうとするが全て避けられては魔法で痛めつけられた。炎で焼かれ、水でいたぶられ、風で肌を切りつけられる。フィーは暴走し底が抜けたバケツのように魔力を放出した。炎で焼かれる度に白かった肌はバキバキと音を立てながら鱗に変わる。

 先ほどは木蔦しか出せなかった植物を今度は太い樹木や棘のある茨で対抗した。彼らも彼女を生きて捕らえようと必死だった。

 ウォルは豹変した幼馴染みを見て何かに絶望したような顔でその場から動かずにいる。

 リナリアの心臓はばくばくと鼓動を鳴らし、魔力核の魔力が溢れる寸前までに溜め込んでいった。


「ダメ……来ないで……」


 怖い。怖い。怖い。人格を切り替えることが出来ない。まるで彼女青色も表に出ることを拒んでいるようだ。


 目の前の暴れている女は誰?いつも見ていた元気に男子たちと遊ぶフィラデルフィアはどこへ行ったの?ロイクのことを視線で追う彼女はどこへ行ったの?

 リナリアは友に恐怖を抱いている自分が嫌になった。

 ロイクが来ることも考えたが、ロイクの魔力が雀の涙くらいしかない。きっと彼だけでは彼女を鎮めることはできない。

 ほんの数年の間だけ共に過ごした育ての母との思い出が頭に過ぎった。


『大丈夫。深呼吸して。お母さんがついてる』


 過去を思い出す度に毒気を晒した自分にダリアはそう慰めては頭を撫でてくれた。

 母から感じるそよ風がとても心地よかったのを覚えている。

 リナリアは祈るように両手を組み、大きく息を吸って吐く。


「――眠れ」


 毒は魔法の質や加減によっては様々な怪我や病を治す薬となる。もちろんその逆も然り。ロイクからの教えだ。

 彼女にしか見えない毒気はウォルの横を通り過ぎ男たちの方へ流れていく。すると彼らの動きが鈍くなった。

 かつて実父から完全に治すなと言われた時の魔力量まで調節する。死んだ人は治せない。だからフィラデルフィアに毒がいっても自分で治せるように。

 それに今の彼女の暴走は魔法なしで止めることは出来ないはずだ。フィーに向かって毒気を放っていると、フィーの動きが鈍ると同時に足の鱗が一瞬だけ消えた。

 それに対してリナリアが目を見張った瞬間。


「賊どもはどこだぁあああっ!!??」


 空から勢いよくメイドが落ちて来た。

 大きく雪を蹴散らして登場した彼女は上着を脱ぎ捨て薄着になり、両腕から炎を放出させる。

 構いなしにロングスカートでできる限り脚を広げては地面をけり上げ、男達に殴りかかった。

 炎使いも自分の魔法で対抗するが、男の炎もガーベラの魔力としてあっという間に吸収されていった。


「貴様も炎使いか!?」

「あぁ?――炎ってのは、こう使うんだよっ!!」


 ガーベラの拳は一発で男を森の奥まで飛ばしていった。他の男達も己の魔法で対抗するが全て彼女の魔法で蒸発し、その後ガーベラの鉄拳で飛ばされてしまう。


「フィラデルフィア!!」


 後から降りてきたロイクが今も尚暴走するフィーに呼び掛ける。

 彼女はロイクの言葉に反応したものの、右目を赤く光らせターゲットを捉えるような目付きをする。片目が赤くなるのは混血の証である。だが理性を失い身体の大半が竜の姿に変わり果てた彼女は化け物そのもの。

 その変わり果てた姿にロイクとガーベラは目を見開いた。目の前に居る少女は本当にフィラデルフィアなのかと疑いたくなるくらい姿が変わっていた。

 だがロイクは思考を瞬時に切り替える。周囲はフィーの出したであろう魔法の痕跡が多く残っていた。きっと彼女の魔力は大分消費しているはずだから、捕らえるなら今の内だ。

 ロイクは左脚を引いて両脚を強化する。瞬次に彼女の腕を掴み背中に回すと、そのまま雪の上に押さえつけた。


「ぐぁっ!?」

「おいロイク!!」


 乱暴に扱うロイクにガーベラが怒鳴る。だがフィーはじたばたと四肢を使って抗った。それも気にせずロイクは空いている手で今も尚暴れる彼女の翼を掴む。


「『――――――、静まれ』」


 ロイクの詠唱によって彼女の翼は消え、力が抜けたと同時にぷつりと彼女の意識は途切れたのだった。



―――



 その後ガーベラ達が回収した侵入者は縄で動きを封じられた。

 既にマーガレットが軍に知らせていたのですぐに彼らは駆け付けた軍の憲兵によって連行されて行った。

 フィーの傷はリナリアの魔法で全て元の状態に回復でき、肉体年齢も眠っている間に元に戻った。


「……でも何で」

「私にも分からない。でもフィーはそれであの硬い鱗が消えた」


 灰色の瞳は腕を組み壁に背を持たせる。

 残っていた生傷は治癒の魔法で消えたが、火傷で赤い鱗に変わった肌は生死に関わらない程度の毒を彼女の肌に当てる事で全て消えた。

 彼女の肌の変化は孤児院の皆が驚き、彼女の角と瞳以外は全て人族と同様なその姿に彼女の種族は一体何なのかと疑問が飛び交った。

 本人はまだ目覚めない。医者によれば急激に体が変化し魔力を容赦なく放出させたからその疲労だろうとの事だった。鱗に関しては、リナリアの魔法で肌が変わっていく様子を見ていたが前例がないため全く分からないという。彼女の皮膚はまた火傷などの要因で鱗が浮き出るかもしれないとも言った。


 二人が遠目に見る先にはフィーがいる。その隣でロイクは彼女の手を握っており、守れなかった自分を責め立てているようだった。


「でもウォル。本当に行っちゃうの?」


 水色の瞳は眠る彼女を置いて行くのかと訴える目をしていた。ウォルはフードを深くかぶるとぴょこっと耳ポケットに耳が収まる。


「……あぁ」


 ウォルは自分の拳を握り締めた。フィーを止められなかったこと己の力不足を呪う。

 彼女がここを出る前に自分が先に彼女を守る為の準備を整えなければ。

 彼女を長くここに残しておくには危険すぎる。


「フィーにはちゃんと言ってよね?」


 それにウォルは顔を背けた。


「…………アイツの鱗、ありがとな。――あと今更だけど、色々お前を疑ってごめん」

「答えになってない!!」


 ウォルはそのまま医務室を後にした。



―――



 栄養剤の点滴が右腕に繋がれ、薬の匂いが充満する医務室で横になる彼女の手をロイクは握っていた。


 人間が憎いと幼い彼女はもがきながら叫んだ。

 この世の生き物どれにも該当しない頭部の角。口を開けば垣間見える牙。どんな獲物ですら射止めんとする縦筋の瞳孔。呪いのように体のありとあらゆるところに張り付いた紅く硬い鱗。

 そしてリナリア曰く背中から脱皮したかのように生えたという禍々しい大きな翼。


『愛してる……でも私はもう耐えられない』


 幼い頃に嫌というほど夢で見た女神との記憶。毎晩毎晩赤毛の少女の手で自分の身体は切り刻まれ、我に返ると「ごめんなさい」と泣く。

 だがそれでも自分は彼女を救わんと何度も彼女の元へ訪れては彼女のことを抱きしめては慰めた。夢で見た彼女は幼いながらに恐ろしいと思ったが、やはり一人にしてはいけなかったとも思う。

 それでも彼女は頑なに口を開くことはしなかった。自分と出会う前。彼女が生まれ落ちてから自分と出会うまでどうやって生きてきたのか何も教えてくれなかった。

 分かったことは人間を憎いと思いながら愛していたから、人が入ってこない森の中で暮らしていたということだけ。


「フィア……俺は、もしお前がそうだとしても、お前を女神として愛する自信はないよ……」


 真っ白な彼女の手をロイクは握る。

 昼寝の微睡の中、彼女は爬虫類の目を細めては自分の顔を覗き込んではロイクの頬に手を伸ばしたあの日。彼女の中に全く別の誰かが棲んでいるのではないかと疑ったが稀有だったかと無視していた。

 これまでも彼女の振る舞いに違和感はあった。それでも知らないふりをするように努めた。

 だが今回の一件で彼女の正体は確信へと変わってしまう。

 憑依か転生かは分からない。しかし転生して【女神の夫】の記憶を受け継いでいる自分が、目の前にいる少女が女神であることを否定できるわけがない。


 フィラデルフィアが孤児院から街へ出かけることを反対したウォルファング。混血でありながら運動センスの高い丈夫な体。そして火傷するたびに竜の鱗が浮き出る彼女の身体。そして種族問わず二人の故郷である村を燃やした謎の集団。あの集団と今回の集団の特徴はよく似ていた。

 ふと皇族の存在が頭によぎった。彼らの中には己の途絶え行く血に恐れ、魔術に執心していたと聞く。一度しか見たことがないが、その目はどこかがらんどうのようで何か黒い渦が蜷局とぐろを巻いているようだった。もし彼女らの村を燃やした集団が皇族の関係者ならば………。


「ウルが気にしていたのはこのことだったのだろうか……?」


 幼いながらも頭が冴える小僧だと感心する。彼らがいた村の領主は重税を課しては贅沢をしていた者と聞く。もう内乱に巻き込まれて死んでしまったようだが、彼らの目をかいくぐってよく生きてこれたものだ。


 二人を拾った夜。彼女は村の外の景色を見るのが初めてだったのか、自分に背負われながらも必死に目を泳がせていたが、ウルはそうでもなかった。もしかしたらウルはそれなりの頻度で村の外に出ていたのかもしれないが、彼女だけは軟禁同様に村から出ることが許されなかったのかもしれない。

 彼女の母親も同様に家から出られなかったと聞くが、村の人間は彼女とその母親を守りたかったのか、それとも他に何か理由があったのかその真意は定かではない。


「それでも、それは間違っていると考える俺は浅はかだろうか」


 亡き妻ダリアなら何と言っただろう。

 フィアも、リナリアも、ろくに外に出すことはしなかった。「二人には世界の広さを見せるべきだ」と叱ってくれるだろうか。

 大切なモノの扱い方が分からず今も尚、正しい術を、正しいあり方を、ロイクはずっと探している。



―――



「ということで来た」

「帰れ」


 呆れ顔のロイクとは反対に目の前の男は笑っていた。

 ロイクの背を壁にして子供達が見上げているのは、地面に付きそうな位大きな翼を背負った大男だった。

 突然連絡用の魔術水晶で「今門の前にいる」と言われ無視しようとしたが、偶然玄関前にいた子供から鳥族の大きな男の人がいると言われたので仕方なく門の鍵を開けたところである。

 冬物の軍服を纏い、頬に大きな傷があるこの男の見た目は30歳くらい。両手には多くの荷物があり、その荷物にも子供たちは興味津々である。


「被害に遭ったそうじゃないか。これは新しい【鍵】だ」


 ほら聞いちゃいない。

 そう言って渡してきたのは重厚なキャリーケースだった。ロイクは中身を確認することはなくそのケースを受け取る。一度地面に置くとどすんと鈍く重い音が響き、子供達はその重そうな音にギョッとした。


「それに関しては感謝する。だが本当にお前がここに来ていいのか」

「お前も言うようになったな。俺は友人が心配になって【飛んで】きた。それに何の問題がある?」


 そういう問題ではないのだとロイクは顔を顰めるが、その後マーガレットが玄関から出てきては慌てて挨拶をしてきたので話が遮られる。


「お久しぶりですわ。騎士様。この度はかねがね……」

「おぉ!マーガレット夫人!元気そうで何より。あまり容体が優れないと聞いたんだが……」


 二人は和気藹々と懐かしむように話始めた。用が済んだら追い出してやろうと思っていたのに、このままでは泊まらせる事になる状況にロイクは頭を抱えた。子供たちはそんな大人達の様子を不思議そうな顔で見ている。

 子供たちは知らないが、目の前の男はここから馬で五日かかるはずの王都からその大きな翼で一晩で飛んできた。

 ロイクほどではないにしろ純血主義の家系であるため、魔力は少ない。そのため己の生まれ持った才能を生かし、魔術で容量を増やして軽量化してもなお重い鞄を三つも抱え、魔力で強化することなく己の翼をはばたかせて飛んできたというその筋力は感動を通り越して呆れるものがあった。


「もうこんな老いぼれだから、仕方ないわよねえ」

「マーガレット。これ以上は」

「あらやだ。寒いところにいるのはよくないわ。どうぞ中へ!」


 「お部屋の用意しなくちゃ」などと言って彼を中へ促した。

 そして彼を案内するため客人の荷物を手に取ろうとしたが慌ててロイクがそれを止めにかかる。


「無茶をしようとするな婆さん!」

「婆さんではなくおばあちゃんとお呼び!」


 「違うそうじゃない!」とロイクはマーガレットから荷物を奪い取る。いくら自分の使用人でもいい歳の老人に思い荷物を持たせる訳にはいかない。

 後からガーベラがやってきたので彼女に半分任せたが「魔術カバンだったとしてもか弱い乙女に持たせるやつじゃねえ」とぼやいていた。ほら言わんこっちゃない。


「ねえ、お父さん……あの人だあれ?」


 未だロイクの足元にくっついていた子供の一人が不安そうにロイクに尋ねる。

 人見知りであってもやはり客人には興味があるようで、騒ぎに駆け付けた子供たちもぞろぞろと玄関ホールの階段の隙間からひょっこりと覗き見たり、ロイクの後ろにくっついていたりする。大男は周りを見て相変わらず大所帯だなと喜んで胸を張り、親指を胸に当てた。


「自己紹介していなかったな!私は鷲のターゲス・シュヴァリエ・ヴィスコ。魔法は岩。現在は魔族第一部隊。隊長だ」


 ロイクとは旧知の仲だと付け足した。



―――



 二人は応接間にて対面して座る。

 ロイクはマーガレットが用意した菓子に目もくれず、香りの良い紅茶を口にした。マーガレットめ、自分が隠していた茶葉をいつ見つけた。

 人払いは済んでいたはずだが、ドアの向こうからはひそひそと聞き耳を立てようとする子供たちの声が聞こえる。

 しかも廊下の花瓶を割ったのかガシャンと大きな音がした。誰だあの場所に割れる花瓶を置いた奴は。後からガーベラが声を荒げたのでため息を吐いた。日常風景なので普段は気にならないが、客人がいると煩わしく感じる。


「様子を見に行かなくていいのか?」

「使用人が見てくれるから問題ない。それで、軍の幹部がここに何の用だ?」

「相変わらず切り出すのが早いな。積もる話もあるだろうに」

「もう手紙では伝えたつもりだが。『もう妻に関する心配はするな』と」


 それにターゲスは顔を顰める。本当に大丈夫なのかと同情を示すような表情をしたが、ロイクは「彼女は今でも愛してる」と言えば、それを言うのが遅すぎだと呆れつつも笑みを浮かべていた。

 ターゲスが目の前の菓子に手を付け、一口かじって飲み込めば一拍呼吸を置いた。


「竜種の少女を拾ったようだな」

「半年前に」


 ターゲスは目を見開き、強面の顔を悲愴感に歪めてはそうかと答える。


「…………実は、軍内部で紛争の粛清をすると同時に竜種の捜索をしろと言われていた部隊があった。皇族の一人がそう命令していたらしいがその真相は分からない。

 皇族は混血の集まりだ。生きている皇族全員にその事について吐かせてみたが、そんな話は一切出てこなかった。王族達の寿命は長くても二十五くらい。もう既にお隠れになっているかもしれない」


 ロイクはフィラデルフィアとウォルファングの暮らしていた村を燃やした輩を思い出す。

 逃げ惑う彼らを見るからに二人が暮らしていた村は種族問わずそれぞれ皆対等な関係で暮らしていたのだろう。

 襲撃した者達は黒い外套をしており、それらが軍の関係者なのかそれとも別々の種族が共に暮らしたということが気に食わなかった者達だったのかその真相は分からない。


「彼女は魔力の枯渇により現在昏睡状態だ。顔を見せるつもりはないし、俺は彼女を【問題児】として監視対象としておくことはあっても危険対象としてみることはしない」

「家訓を守ることに関しては相変わらずだな」

「これはカレンデュラの家訓ではなく、育ての親として言っている。子供を慈しみ、彼らが大人として真っ当に生きられるように教育するのはカレンデュラの方針だが、それとは別だ」

「それは彼女が大人になったら守ることはしないと?」

「そんなことは言っていない。だが彼女には魔術と呪術を叩きつけているだが、そうさな、もしもの時には協力する」


 それでもやはりロイク一人では限界がある。もうじき貴族解体が始まる。もし仮に彼女を正式にカレンデュラ家の養女として迎え入れたところで特権階級ではないので身分の加護はなくなるから意味がない。


「…………彼女は今、いくつになる」

「黙秘する」


 彼女が外に出る瞬間が外の脅威にとって絶好の機会だ。ロイクはフィラデルフィアが種族のハンデを気にせずびのびと育ち、その後も普通の人間として生活して、運命の誰かと結ばれ、家庭を築いて幸せに暮らして欲しい。というのがロイクの表向きの本心だ。

 ターゲスはティーカップを手に、既にぬるくなった中身を全て飲み干した。


「ロイク。お前の意思を理解したうえでオレの考えを述べても構わんだろうか」

「………聞くだけ聞く」


 ターゲスの言いたいことは、彼女をここから場所を移して別の所に保護させるべきだと言うのだろうとロイクは思った。

 彼女の唯一の同郷で、家族同然に育ったウォルファングに相談すべきかもしれないが考え方によっては彼女を危険に晒すよりかはいいかもしれない。なんせあの暴れようだ。他の子供達に危害が及びかねない。

 だがターゲスはティーカップをソーサラーに置いて答えたのは全く違うものだった。


「敢えて、彼女を軍に置いておくのはどうだろうか」


 ロイクは瞬時にターゲスの胸倉を掴んだ。


「彼女はあれでも俺の娘だ!本人はそう思わなくとも俺はそう彼女を思って見てきた!!そう易々と囮のように軍に引き渡してたまるか!!うちは奴隷商ではない!!」


 ターゲスは表情を変えない。


「なら昨夜のあれはなんだと?部下たちの話を聞く限りでは、彼女は凶暴化し、混血の膨大な魔力を枯渇させるまで暴走させたようじゃないか」


 混血は体が弱くとも基本的に魔力枯渇で気を失うということは滅多にない。

 ダリアに関しては魔力核が異常だったため例外ではあるが、フィラデルフィアは何らかの要因で暴走した。

 ウォルやリナリアから聞けば彼女は背中を炎で焼かれてから様子がおかしくなったという。ルークがこちらに駆け付けてくれなければ大惨事だった。


「それに、あの娘リナリア。もう今年で十になると思うが、彼女が魔法を使う状況にまで追い込まれた」

「……」


 胸倉をつかまれたターゲスは目をこちらに向けたまま表情を揺るがすことなく無言で自分の意思を伝える。

 南方地域のスラムにいたリナリアを保護したのがターゲスだ。教会にも孤児院は存在するが、今や政治にも関与するあの組織に引き渡すことが憚られるくらいに彼女の存在は危険だったから、ターゲスもロイクに頼んだ。

 だがそれはロイクが貴族だからというだけではない。ダリアという混血児の魔力暴発に対処できる実績があったからこそだ。だが今回は侵入者のせいでリナリアの魔力が暴走しかけた。医者もリナリアを診た際、ある程度落ち着かせたあと魔力を抜いたほうがいいと言ったくらいである。


 今回は孤児院の中で収まったものの、二人の少女の存在が民を危険に晒す可能性がある。

 正体不明な竜種。この国で竜種という存在が発見されただけでも問題なのにそれが他の人間の脅威になるかもしれない。

 だがもう一人、毒使い自体は珍しくない。だが彼女は生まれつき持っていたわけでもなければ、水しか扱えなかったウォルが氷を扱えるようになったように修業して習得した訳でもない。

 彼女は親からの虐待によって魔力核が変質した特殊な例だ。精神が不安定になれば魔法のコントロールも上手くいかなくなるのはよく聞くが、その魔法が治癒と毒と対極にあるため何が起こるか分からない。


「俺が渡した新しい鍵を追加し、尚且つ今ここにある鍵を組み替えても、今回のような不届き者によって容易く解かれてしまうかもしれん。

 難民の数は増え、彼女の噂は別の領地の人間にもいずれ伝わる。今回は良くても今度は一般市民が危険に晒される可能性が高くなる。そうなれば今度こそ彼女らの命は無いぞ。

 それでもお前は孤児院ここに、彼女をここに置いておくのか?」


 私情ごときで彼女を辺鄙な街に置くのかと問われ、ロイクは顔を顰める。


 人間が二つに別れてから六千年。女神が姿を消したと思われる時期から五千五百年。

 メイラが何度内戦を起こしても、メイラが二つに分裂しても、種族問わず子供たちを受け入れた孤児院は子供たちに傷をつけることなく守り続けてきた。

 だが王制の廃止。貴族解体。領地見直しによりロイクは一度自身の所有物を手放すことになる。守る力がなくなるのだ。


 彼女はこのまま軍に引き渡されれば危険対象として扱われてしまう。だが彼女をここで守るための手段や財はないに等しい。

 だがロイクは彼女を駒として使うこと以上に、フィラデルフィアを手離したくない言葉に表し難い感情がそこにはあった。


「…………ターゲス。お前は俺の血の特異性を知っているな」


 それがなんだとターゲスは眉をひそめる。

 カレンデュラ家には、【女神の夫】の記憶が継承された子供が生まれる。その子供は女神と過ごした記憶と共に膨大な叡智が与えられる。

 その記憶が継承されたのはロイクであり、それを知っているのはロイクの父親、今は亡きロイクの妻であるダリア。そして目の前にいるターゲスだった。


「それがどうした」

「彼女は、フィラデルフィアは………女神が落とした、最後の【要素】かもしれない」



―――



 目を覚ました時、目の前には水色の瞳があった。鼻に付く薬の匂いを嗅ぐのは久しぶりだった。


「フィー!良かった、目を覚ました!」

「…………リナ?」


 右手からほんのわずかに感じた違和感に手を繋がれていたのだと気付いた。そして目が覚めていくと昨夜の出来事が走馬灯のように思い出していく。

 衝動に駆られてベッドから飛び起きてベッドから出ようとしたが、右腕には点滴がつながれていることに気付く。その腕に刺さっている針を容赦なく引っこ抜いた。


「どこ行くのフィー!?」


 リナリアはベッドに身を乗り出してはフィーの身体を押さえ付けたるがフィーもそれに抵抗する。


「ロイクのところに行かなきゃ、私」

「もう全部終わったんだよ!それにフィーは魔力が回復してないわ!」


 リナリアからそう言われてもフィラデルフィアはどうしてもロイクに会いたかった。彼の顔を見たかった。けどどうして彼の顔を見たいのだろう。

 それも知らないリナリアは灰色の瞳で彼女を止める。


「それに父さんはお客さんの相手をしてて手が離せないの!」

「お客さん?」


 「私の恩人よ。一応」とリナリアは複雑な表情を浮かべながら右手を左腕に持っていく。

 恩人ということは、リナリアをこの孤児院に連れてきた人のことか。けれどなぜリナリアは怯えたような表情をしているのだろうか。

 リナリアはフィーを寝かせるとウォルを呼んでくると言って医務室から出ると、すぐに引っ張り出すように犬耳のフードを被った少年を連れてきた。

 二人はひそひそと一言二言交わし、リナリアは医務室から出て行った。あの二人そんなに仲が良かっただろうか。


「ウォル?」

「……」


 彼は恐る恐るベッドの隣に置いてある丸椅子に座った。そして彼女の頬を見ては安堵したような顔をする。彼女の首から頬には赤い鱗があったはずなのにそれはどこにもない。


「本当に、無くなったんだな」

「え?」


 ウォルは彼女の身体をかける布団を剥がし、フィラデルフィアの両脚を露わにした。着替えられた寝巻の裾から伸びる脚は、赤い鱗に覆われたかぎ爪ではなく人族と全く同じ白い脚。


「……ない?」

「リナリアがやった。致死量ギリギリまでお前を毒漬けにしたらそうなった」


 フィーはその場で思わず寝巻を脱ぎ捨てては体中をペタペタとさわっていった。その間ウォルは慌てて視線を逸らした。

 フィーは背中まで伸びていた髪が焼かれたことよりも、自分の身体から竜のうろこが消えていたことに絶望していた。


「満足したか」

「どうして消したの」

「火傷跡なんだぞ。残ってていい気はしないだろ」

「戻して」

「でも」

「戻してよ!!」


 フィーはウォルの衣服を掴み、涙を流す。

 ウォルは孤児院に来たばかりの頃にフィーと行ったやり取りが頭によぎった。



///



 まだフィラデルフィアの火傷が完治していない時期のこと。


 彼女は街の医者から車椅子を貸してもらえたため孤児院の一階だけなら行動が可能になり、不慣れながらもその腕で車輪を押していける範囲の場所を探索していた。

 その探索の過程で離れまで通じる廊下を見つけた。離はロイクの書斎になっているらしく、やや新しめの建物であるというくらいしかフィーは知らない。

 だが廊下へ進もうにも段差が大きく車椅子では移動しにくい。どうやって車輪を上にあげるか苦戦していた。


「押そうか?」

「いいの?」


 ウォルが後ろに回りハンドルに体重をかけて下に押す。一瞬フィーの体は後ろにのけぞるが、難なく前に進んだ。

 身長差もありこれまでやや上から見ることが多かったため下から見たウォルの顔が新鮮で、フィーはじっと下から彼の顔を見つめた。

 視線が気になったのかウォルは車椅子を前に進めて自分と車椅子の距離を広げる。


「な、なんだよ」

「ウォルをここから見るの初めて……」

「どうせ俺はフィーより背が低いよ……」

「お姉ちゃんだからね」


 満足気な顔を浮かべるがウォルはフィーのことを姉だと思った事なんてない。だがそれを言ったらきっと拗ねるからフィーの代わりにウォルが拗ねる。

 離までの廊下からは窓越しに中庭の様子が見える。いい天気だったので子供たちが走り回って遊んでいた。


「離に行ってなにすんの」

「少し気になった」

「そう……」

「行ったことある?」

「………」


 ウォルはフィーの脚を見る。包帯で巻かれたその脚の下は、以前同じ村で一緒に暮らしていた時とは違う本当の竜のような脚だ。人族のような白い脚ではない。

 それについて火傷の治療をしていたリナリアに対してお前は信用できないとウォルが言ったのだ。



『どうしてあんな事を言った?』


 その日、リナリアによるフィーの脚の治療を終えた後ウォルはロイクの書斎に連れていかれた。

 ウォルはリナリアに治療を施そうとしていた時にフィーの脚を見ては「どうしてこんな事になってるんだ」とリナリアに対して怒りをぶつけようとしたのをロイクに止められたのだ。


『だって、あんなのフィーの脚じゃない』

『フィアの火傷は跡が残っても仕方ないだろうが。それはリナリアに言ったところでどうしようもない』

『違う!フィーの脚は……!………』


 ウォルはそこで口を噤む。

 彼女の身体は頬だけ竜の鱗が張り付いた様にあったが、脚だけは付け根からつま先まで人族と変わらない綺麗な脚だったとそう言いたかった。

 だが火傷をする前の状態なんて言ってもきっと信用してくれない。


『どうした』

『きっと信用してくれない……』

『俺がお前を信用するかは話を聞いてからだ』


 言ってみろとロイクは催促する。ウォルは自分のいた村が襲われる前のフィーの脚、そして襲われた当時の彼女のことを告白したのだった。

 ロイクは竜種のことについて色々調べてみたものの結局めぼしい文献は見つからなかった。

 そしてウォルはふと今よりももっと幼かったころの思い出が蘇った。頬から首筋にかけてへばりついていた鱗が出来た要因について。



「なぁ、お前は気にならないの?もう元の脚に戻らないって」

「……これでいいの」

「どうして!!」


 ウォルはフィーの脚が好きだった。それは別に変なフェチズムではなく、ただただ奇麗だと思っていたのだ。それに彼女とて自分の体がそうやって変化してしまうなんてたまったものではないはずだ。

 それでも彼女の目はどうでもいいというわけでもなく、悲しんでいるわけでもなく、強がっているわけでもない。


「きっと、お母さんが助けてくれたの」

「どうして……」


 そんなことが言えるのだろう。彼女が孤児院に来る前はそんな顔をする少女だっただろうか。まるで何かを悟ったかのような顔だ。

 その表情に睨まれているわけでも殺気を感じるわけでもないのに背筋が凍り付いた。

 ウォルファングはフィラデルフィアに震えた声で思い出したくない過去の一片の真相を彼女に問う。


「あの夜、何があったの……?」


 彼女はそれに一瞬だけ目を見開いた。彼女はこれまでのけ反っていた体を元に戻して少し黙る。ウォルは彼女のその異常性を否定して欲しかった。

 だが彼女の答えは、ウォルが彼女に対して抱いていた感情を覆すようなものだった。



///



「……おばさんのこと、本当にそうだって信じてんの」

「だってそうじゃなきゃ」

「なら顔から首にあった奴はなんだったんだよ」

「それは……生まれつき」

「違う」


 フィラデルフィアには左頬から首にかけて大きく赤い鱗があった。それは村を燃やされた時に出来た怪我ではない。

 昔フィラデルフィアがテーブルにある出来立ての熱いスープを顔から浴びたから出来たものだ。

 当時今よりも背が小さかったフィーはテーブルから顔が覗くか覗けないかくらいの身長で、手探りでテーブルの上にあるものをペタペタと触れていた時に起きた事故だった。それを幼いながらもウォルは目の前で見ていたためによく覚えていた。


「そうなったのは、昔お前がこぼしたスープで火傷したからだ」

「……」


 フィーが思っているような要因ではないということをウォルは主張する。

 現在フィーが竜種だと主張できるのは頭部の角と瞳孔の形のみ。

 フィーの母親はありとあらゆる場所に鱗があったが、火傷を追わなければ硬い鱗が浮かび上がらないのなら、彼女の母親に一体何が起こったのだろう。本人に聞こうにもフィーの母親はもう何処にもいないし、真意は分からないのだけれど。


 そしてウォルはフィーが脱ぎ捨てた衣類を渡し、着ろと一言呟いた。フィーはそれを無言で受け取る。


「お前、俺限定に羞恥心無いのどうにかできないの」

「むしろなんでウォルは恥ずかしいの?」

「俺、男!お前は女!」


 いくら幼馴染みでもフィーの体格は徐々に大人の女性に成長している。

 あの晩、彼女の肉体が竜に近づいた際燃やされてボロボロになった衣類を着たまま肉体年齢も上がったので上半身だけ露わになった。今思い出すと何とも言えない気分になる。なにがとは言わないが『でかい』。


「成長したらあぁなるんだよなぁ……」

「何?」

「なんでもない……」


 結局、ウォルは伝えなければならないことを言いそびれた。


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