8.孤児院を守る



 深夜、ノックの音が響く。眠りの浅いロイクはすぐに起き上がりドアを開けると角が生えた赤毛の頭が下にいた。

 彼女は飛びつくわけでもなく、目の前にいる男をじっと見ては何かをこらえているように見えた。


「何があった」


 別に夜中トイレに行くのが怖いというわけではないだろうに。

 静かに問いかけるとフィアは気が抜けたかのように崩れ、その場でしゃがみこんだ。


「……ロイクが死んじゃう夢見た」


 彼女は震える声でそう呟く。齢十歳のフィラデルフィアはまだ両親を亡くした傷が癒えていない。それでも自分にしがみつかないのはきっと彼女自身のプライドか。

 こういう時は可愛げがあるのになと少々思ってしまう。


「俺はここにいる。簡単に死にやしないよ」


 そう宥めようと彼女を抱えるが、「違うの」と自分の頭にしがみつき首を横に振った。馬鹿だな。お前が見たのはただの夢なのに。

 冬の孤児院は建物が広いので熱が保たれずとても寒い。部屋の入口にずっといるわけにもいかず、部屋の中に入れてベッドに座りそのまま彼女の背中を撫でていれば段々嗚咽が静まっていく。


「血がべとってしててね、ロイクがもっと白くなっててね」

「そうか、そうか」

「白いワンピースが赤くなって」

「もういい分かった……!」


 目の前で殺されたのだろうか。かなり物騒な夢を見たようだが自分が死ぬ夢を聞かされるのは互いの精神衛生上よくない。彼女は大きく深呼吸をしながらきゅっとロイクの服を掴んだ。


「——してなくて——った……」

「…………」


 彼女のその言葉と赤毛が自分が昔、夢に見た仮初めの思い人を想起させる。自分ではない【女神の夫】としての記憶だ。

 考えたくない。だが信憑性が増す度にこの娘がそうなのではないかと錯覚を覚える。

 だが彼女は一体何に怯えて人間を拒んだのだろう。



―――



 雪の降る日が減って来た頃、出ていった子供達から新生活が落ち着いてきたという旨の手紙をちらほら届くようになる。

 孤児院から出て行く子供は男子だと軍へ行く子供が殆ど。女子はどこかの家の使用人として住み込みで働いたり、孤児院にいた頃からアルバイトしていた場所で改めて弟子入りする子供もいる。

 またにこうしてちらほらと定期的に手紙を送る者もいれば会いに来てくれる者もいるので、孤児院の子供たちは再会に大喜びして大人達はほんの数ヶ月で大人になった彼らをみて感慨深くなったり。

 手紙はよく主人であるロイクよりも先にガーベラが封を開けて読むので、ロイクがそれに対して小言を言うことがフィー達は孤児院に来た時からよく見かける恒例行事になっていた。


 目の前の炎がパチパチと鳴り踊る様子をフィーはじっと見つめている。


「フィー」

「何?」

「……怖くないの」


 ウォルは後ろからよくそうやって炎が怖くないのか聞いてきた。

 そんなウォルはフィーの隣ではなく一歩後ろにいる。なんならフィーの背中に隠れて火を見ないようにしているようだ。

 ウォルは落ち着くという理由でウォルはフードを被っているためパーカなどフードの付いた服を着ていることが多い。村にいた頃はフードのある服なんて無かったから着ていなかったが、孤児院に来てガーベラが仕立ててくれたその服を気に入ったらしい。

 因みに最初は屋内でもフードを被っていたが、ガーベラが行儀が悪いとフードを外してくるのでガーベラがいない時にしか被らない。ウォルはフードが手放せないくらい心も暗くなってしまった。


「火より、寒いのが嫌いかな」


 正直、今も炎は怖い。

 火事で大きく爛れた脚は竜の様に形が変わってしまったが、鱗が付いている場所は他にも腕や頬から首筋までところどころある。その鱗がある分の規模をフィーはこれまで火傷をしていたということになる。

 暖炉の炎の前で亡き母が女神の話を読み聞かせてくれたことを思い出したが、その母も父も他の村人たちも全て炎に呑まれて燃えてしまった。

 二人にとって炎は人生を変えてしまった災厄の象徴であった。


「この爬虫類……」

「寒がりなの」


 フィーの体は爬虫類系の魔族故に体温調節が苦手だ。

 夏場は汗腺が少ない(特に鱗の部分に汗腺が一切無い)ので熱を放熱しにくく、冬場は代謝が悪いせいか、他の種族よりも比較的に体温が下がりやすい。

 その反面ウォルのような冬場でも活動出来る種族は冬場に体毛が増えるので首周りや四肢は人族のように着こまなくても平気だ。


「うぉーるはよーろーこーびにーわかーけまーわりー、わったしはーだーんろであったまるー」

「変な替え歌を作るな」


 えへへと笑みを浮かべるフィーはウォルのデコピンを喰らっても笑っていた。

 四肢や首周りまで毛皮で覆われる狼の魔族はよく犬に間違われるが、彼等は集団で行動し周りの種族と基本的に関わりを持たない。

 対して犬の種族は人懐っこく、基本的に上司や国家にも忠実な傾向だ。つまりウォルはルールには従うが主人を持つことを好まない傾向にある。

 フィーは彼の毛皮を撫で、毛並を整えた。


「いいなあ……あったかくて」

「……やめろ」


 弟分を愛でながらふとフィーは昨夜の悪夢が脳裏に過ぎった。


『愛してる。けれど憎くて仕方がない』


 フィーは嫌という程沢山の人達に虐げられる夢を見た。

 それと同じくらい、顔も名前も知らない白髪の彼との暖かい思い出に包まれては安堵しているこの日々の夢を見るときははまるで、王子に救われる姫だった。

 だが彼を愛する度に、裏切られたあの日々が何度も脳裏を掠め、どんどん人間が憎くなる。

 十歳のフィーにとってその夢から溢れかえる憎悪と愛に苦しんでいる状態に目を背けたかった。

 しかし悪夢はそれを許さず鮮明に今まで見えなかった互いの顔を見せた。見えてしまった。

 殺してしまった彼の顔と殺した女の顔。それがロイクと自分だった。殺してしまった彼の青白くなってしまった顔が脳裏に焼き付いて離れない。


 生まれた時から虐げられてきたことによる復讐心。

 孤独になった自分の元にやってきた彼。

 初めて作った二人の家。

 初めて出来た唯一の愛と育んだ命たち。

 その裏側に潜んだ黒い憎悪。


 いっそ記憶ごと炎に焼かれたら良かったのに。


 吐き気を堪えてひしとウォルに抱きつく。

 フィーは強がりなのにウォルよりも情緒が安定しない。必死にしがみつく彼女の体重で思わず後ろに倒れてしまった。


「重いぞフィー」

「……うん」


 いつもなら「レディーに重いって言うな」と反論するはずなのに、やたら甘えたな彼女にウォルは違和感を感じた。


「フィー、お前」

「おしくらまんじゅう!」

「あ、こら!!」


 談話室には二人以外にも年下の子供たちがいる。二人がおしくらまんじゅうでもしているのかと思ったのかフィーと一緒にウォルにのしかかってきた為、ウォルはギブアップを連呼した。



―――



 我が心、汝の魂に刻み給え。


 それは女神が人間である自分の夫にかけた呪術であるらしい。贄や代償はなんだったのか、その時の二人はどういう状況だったのかわからない。

 肉体は成長することなく死ぬことすらできなかった女神は何故夫の肉体の維持ではなく、魂に彼女の記憶を刻み付けたのか。その理由は誰も知らない。


「俺の見解だが、女神には夫に対して愛と憎悪が対立していたんだろう」

「どうして?」


 牛の一匹がモウと鳴いた。孤児院の家畜は牛二頭と鶏数匹である。春になれば畑を耕すために牛二頭は仕事に駆り出されるが、現在は冬ごもりのために乳しぼり以外は休んでもらっている。

 夕方。基本的にメインで家畜の世話を担当しているガーベラが珍しく熱にうなされており、マーガレットがその看病をしている。そのしわ寄せが子供たちに及んできた。ガーベラが行う一番火力が必要になる風呂の湯は炎が扱える子供が二人。ウォルが魔法で氷を水に変えることができるので、凍りつきやすい風呂場をその三人で沸かすことになった。

 食事に関しては当番制なので大人はロイクがいるが一段落着いたらマーガレットが見に来てくれるらしい。


「彼女はおそらく人間が嫌いだった」

「でも女神さまはみんなのお母さんなんだよね?」

「結果的にはな」


 フィーの中であの夢が脳裏に過ぎるが、知らないふりをして敢えて首を傾げた。あの夢が女神が見た記憶である確証はない。というより認めたくない。

 少しぎこちない反応だったかもしれないがその姿にロイクはふっと笑う。


「お前もいずれこの意味が分かる時がくるさ」


 本日の授業でフィーとウォルは年下の子供たちと一緒に神話について学んだ。

 この人族と魔族が住まうこの島国は人間という種族が二つに分かれる前から争いは絶えなかった。

 この島は大昔向こうの大陸と陸続きで繋がっており、島があった場所はかつては半島だった。

 かつてこの世界は竜に支配されていた。

 竜は知性があり、人間の言葉を理解することができた。その知性にあやかりたいと願う人間立ちと共存する竜もいれば、人間の血肉の味を知ったために人間ばかりを食らう竜もいた。

 家族を竜に食われた者は竜と共存することを拒み共存を願う者と争いが起きた。その争いは何時しか竜同士にまで及び、その後人類の数は減少。


 争いから逃れようと中立していた一匹の竜は湖と海を繋げ、大陸の一部を切り離すことで今の島を作り上げた。

 その後争いから逃れた人間もその島に移り、その中でひっそりと生活が営まれてきたが、竜は人間に自分の存在を知られたくない為に人間の目に付かないよう生活をしていた。

 だが人間がその竜を見つけ、元よりこの島が竜の住処だと知っていた人間が慌てて神として崇めると竜に誓ったことで事は収束。

 大陸でも竜は【世界の裏側】に行き人間との共存を拒むことでその争いは終わるが、島に残った竜は島を作った際に力を使ったせいで寿命が削られてしまった。

 後先短く人間にからは神として祀られているということもあり、その竜だけは島に残り天寿を全うし、現在も島の加護をしているという。


 竜神の神話の時期は明確ではなく、それまでの間にいつ女神が何かの要因で生れ落ち、夫と出会って何人の子供を育んだのか分からない。

 人間が二つの種族に分かれて六千年。魔法も種族が分かれたのも彼女が夫と交わって生まれたその子供たちだという。

 その女神は今どこにいるのか、夫の生まれ変わりは現在どこにいるのかも分からない。女神は現在島の最北端にある教会の本殿に祀られているという。あくまで魔法を人間に授けた母として。


「女神さまは、優しいんだよ」

「……俺は女神も人の子だと思っている。だが優しいだけが人間ではない」

「ロイクは難しいことをいうね」

「この世には子供が恨めしく思う親もいるんだよ」


 孤児院には様々な事情でやって来た子供が大勢いる。その中にいる子供の親ことを言っているのだろうか。

 フィーは自分の子供が憎く感じる親の気持ちが分からない。


「……どうして?」


 フィーは鶏舎にあるひび割れた卵を手に取ろうとした。だが親鳥につつかれてしまい、ロイクがその隙に卵を拾い上げる。


「さあな。それは俺にも分からない……鶏ですら愛情があるというのに」


 割れた卵を手が汚れるのも厭わずその場でぐしゃりと割る。フィーはそれを見てひゅっと息が詰まった。

 鶏は羽根をばたつかせてはロイクに嘴で攻撃をして来たので二人は慌てて鶏舎から出るのだった。



―――



 雪が解け始め、蕾が膨らみ春までもう少しという頃。

 島の南の地域では既に畑を耕し始めている所もあるという。標高が高く北方地域にあるカレンデュラ領はまだその時期ではなく、まだ炎の魔石が必要だ。

 流通が再開しはじめたので魔石を買うお使いとしてフィーはガーベラと一緒に買い物について行っていた。


「カレンデュラ家は守りは高いが、攻めることについては専らダメだなありゃ」

「領主は純血主義の癖に孤児院をやって平民のまねごとをしてるんだもんなあ」

「風変わりな奴がいるもんだよ。威厳がなきゃ、いつか反乱おきんじゃねーの?」


 四月から国家の方針が変わり、土地の管理者が貴族でなくなることが決まった。ロイクもカレンデュラという名前は残るものの貴族という身分は剥奪されるらしい。

 他の貴族たちからの反発もあったようだが、幽閉されていた皇帝は拘束の後に処刑。囚われの身としていた王族も皇女は元貴族の家に降嫁するために身柄は引き取られているが、皇子は今後政治に介入しないと宣言したらしい。魔術学院に入るという噂があるが実際のところの真偽は不明である。

 ということもあり王権の元にあった貴族達は右往左往している。


 カレンデュラ家当主であるロイクまだ戦後混乱期で内乱が収束しても減らない難民を受け入れるようにしている。

 その為フィラデルフィアやウォルファング含めカレンデュラ領にはよそ者が多く、種族も多種多様にいるのでいざこざが起きる。それを抑える役目は現在政権を握っている軍であった。

 ロイクは協会を通じて国と色々やり取りをしている真っ最中らしく、孤児院に居ない日も増えた。


 二人の男の会話に反論を言いたくなり、フィーはそちらに足を向けるがガーベラがそれを止めた。


「聞くな。フィー」

「でも!!」

「あんな奴らはたくさんいるし、ロイクもそれは分かっててアタシたちと一緒にいるんだ。本来なら貴族が自ら平民の世話をするもんじゃないって一番理解しているのはロイクだよ」


 ガーベラはそのまま堪えろというだけで何も口を開くことを許してくれなかった。

 ロイクの年齢より一つ上であるガーベラは、マーガレットの次に幼少期からロイクのことを見ている。そういったカレンデュラ家の侮辱は昔から嫌という程聞いているのだろう。

 守銭奴で、財産の持ち腐れ。偽善者。そのくせに純血主義。魔力が無いのに魔術を極めている風変わりな者の集まり。

 だが純血主義なのは混血だと身体が弱いからろくに子供を見ることが出来ない恐れがあるからで、直接執政を取らないのはカレンデュラ領自体、このアイーシュ街も多種多様な種族が入り交じっているため、その辺のの指揮を住民達に任せた方が楽なのだ。

 カレンデュラ家にどれくらいの財があるのかは知らないが、きっとそれは孤児院の子供たちが卒業する際に渡す餞別のお金のことだろう。なぜ財産の持ち腐れと言われているのかは知らないが。


「でも良かったよ。この地で準備ができれば俺たちの商売も安泰だ」


 ガーベラに手を引かれそのまま孤児院に帰らせられる。その男たちの表情はフィーの目には映らなかった。


「――――」


 多くの者とすれ違う間、フィーは不可解な言葉を聞いたような気がしたが聞き返すことが出来ないまま孤児院に帰ったのだった。



―――



 今夜は流星群が来る日らしい。

 晴天であるこの夜は周囲が暗いアイーシュ街にとって絶好の星見日和である。

 中庭では子供達が流星群を一目見ようと一人はロイクの肩に乗り、もう一人は雪山を作ってはその上に登って星をつかもうとしていた。


「で。なんで俺たちはこっちに来ているんだ」

「私は面白そうだから。でも面倒なのは夜目を使わなきゃいけないことだわ」

「リィ……いや。リナリア、お前は眼鏡に頼りすぎだ。強化しろ強化」

余計なこと身体強化で魔力使いたくないの」


 フィー、ウォル、ルーク、リナリアの4人は孤児院の正面玄関にいた。

 鬱蒼とした木々に囲まれた孤児院の玄関よりも周囲が開けている中庭の方が空がよく見えるはずなのだが、フィラデルフィアは流れ星よりも大変なことがあると言って3人を引き連れては玄関前の段差に座り込んだ。見るのは目の前の門の向こうだった。


『今夜カレンデュラの魔術陣を手に入れさえすれば――』


 ガーベラとの買い物中どこからかその言葉を耳にした。

 もしかしたらロイクが魔術学院に送ると言っていた魔力を砂に変換させる魔術陣のことを言っているのだろう。

 だがそれを伝えてもガーベラは空耳だろうと否定されるし、ロイクは「街の周囲にあるとは別に敷地内にもシールドは張っているから問題ない」と一蹴した。


『この地は種族も文化も混ざり合った地だ。難民も簡単に受け入れるから、それを利用して侵入してくる不届き者もいるだろう。

 だがそういうリスクも許容してこのやり方を進めているんだ。一々そんなことで気にしていたら埒が明かない』


 ついでに言うと先ほども三人から最もなことを言われた。

 ルーク曰く。


「俺が小さい頃から街でも色々騒ぎはあったけどそんなこと気にしてたら埒が明かねえし、それにどうしてそんな躍起になってるんだよ」


 リナリア曰く。


「それに盗みは堂々と正面から来ないわ。フィーの耳はウサギみたいにいい訳じゃないし、それは空耳だと思う」


 ウォル曰く。


「それにもう魔術陣は学院に送ってるだろうし、盗むにしても遅すぎるんじゃねーの」

「うっ……!」


 それにカレンデュラ家も魔術の開発にはよく功績を残しているらしく、その辺については国内でも有名な方らしい。

 昔ロイクが学院で失態を犯して以降学院とは仲がよろしくないため現在は学院に渡していないらしいがその詳細はロイクと幼馴染みであるガーベラも、最古参のマーガレットも知らない。


「仕方ねーから付き合ってやるよ。【姉ちゃん】の頼みだもんなあ」

「ありがとう!後でもふもふさせて」


 ウォルはフードを深くかぶり直しフィーから顔を背ける。


「お前らいちゃつくんじゃねえ」

「あ、流れ星」


 リナリアの水色の瞳が捉えたそれは、木々に隠れた狭い空にぽつりぽつりと光線が走る。四人はそれに釘付けになった。


「これ来年も見られるかな……」

「流れてる間に願い事三回唱えると叶うらしいわ」

「リナリアそんなの無理に決まってるだろ」

「できないことが出来たから叶うかもっていうことだよ。ウォルは夢がないわね」

「流れ星、王都だと見られないらしいぜ」

「ルークどうして?」

「王都は街灯とか街の光が強いから。それに空気が汚れてるんだと。俺達には無縁かもしれないけどな」

「いや……」


 フィーは否定の言葉を続けようとして口を紡ぐ。

 ウォルは従軍する予定らしいので王都は無縁ではないだろう。だが自分はどうするのだろう。

 ロイクが魔術学院に無償で入れる権利をもらっているが、入らない場合は来年にはアルバイトを始めて資金を稼ぎながら孤児院を出た後のことを考えなければならない。

 もし村が焼かれていなかったらずっと自分は村で閉塞された暮らしをしていたと思う。今思えば何故、自分の種族は村で隠されていたのだろう。


「――あ」

「どした?」

「ちょっと静かに」


 ウォルはフードを外して耳をそばだてる。


「フィー……」

「もしかして来たの?」

「俺たちに気づいて別のところに回り込んだな。雪が深いところを踏みしめてる音がする」

「なんで正面玄関から向かおうとしたのかしら?」


 この場の最年少であるリナリアが呟いた。だがフィーは首を傾げたままだった。




 4人は室内に入り敵が入り込みそうなところを手分けして待ち伏せる。

 フィーとウォルは離にある書斎の前。リナリアとルークは台所の勝手口前に向かうことにした。

 勝手口手前。台所の隅にリナリアとルークは座りこみ、窓から外の様子をうかがう。


「お兄ちゃん、フィーのところにいた方が良かったんじゃない?」


 耳を強化しているルークとは別にリナリア灰色は慣れない魔力強化をした目でルークのことを見つめる。

 眼鏡を外した状態の彼女は久しぶりに見るが、普段かけているのはフレームのない眼鏡なので雰囲気の変化は大して無かった。


「どうして」

「だって離の方が危ないわ」


 ロイクがこれまで考案した魔術は基本的に書斎である離にある。失敗作も含めて乱雑した管理をしているとはいえ、魔術に関するものは全てそこにあった。

 もしフィーが言っているあの魔術陣が目当てでなくても、価値のある魔術書やカレンデュラ家でしか使っていない魔術など技術はたくさんある。それに魔術に関する本は高値で売れるのだ。


「フィーは魔術陣だって言ってたろ」

「うん」

「でも俺は金目当てだと思ってる。父さんは俺たちが巣立って行くときの為に大量の金をため込んでるんだと。それで昔父さんが金庫の在処を教えてくれたんだ。鍵がないと開けられないけどな」

「それって……」

「この下にある」


 彼が指を指したのは台所の床だった。

 リナリアはルークに視線を戻し、じろりと彼のことを見つめる。


「そんな話をお兄ちゃん信じるの?」


 ちかちかと彼女の目が水色と灰色に入れ替わる。どちらの人格でも同じ考えだとリナリアが訴えているようだ。


「お前は父さんを信じないのか?」

「信用しないっていう訳じゃないけど、大事なものってそう簡単に教えないと思うの。お兄ちゃんに教えたのがフェイクかもしれないじゃない」


 お父さん、ああ見えて人間をあまり信用してないみたいだから。



———



「寒い……」


 暖炉など暖房器具の置いていない離への通路は雨風はしのげることが出来ても流石に寒い。

 フィラデルフィアは種族こそ竜だが生体や体質は爬虫類に近い。長時間気温の低い夜の外に居れば活動が出来なくなり、睡魔までは来なくとも体の動きが鈍くなっていく。


「無理すんなよ。いざとなったらロイクが」

「……ロイクは魔法を使えるの?」


 ウォルは黙った。ロイクは代々純血の人族の血を受け継いでいるため魔力は少ない。ウォルは一度だけ彼が魔力を使ったところを見たことがあるが、それは体の一部を肉体強化をしただけだ。彼がどんな魔法を使用するのか知らないがその魔力量ではきっとろくに使えない。

 それをカバーするべく日々の鍛錬を怠らず、昔はよくロイクと取っ組み合いの喧嘩をしていたというガーベラも、現在は自分が魔法を使っても尚勝てないかもしれないというくらいだ。

 とはいえウォル曰く目の前の相手は複数人いるらしく、流石に軍人でも武人でもないロイクが複数人相手ではかなうはずがない。


「俺達だってそうだろうが」

「どうして?」


 きょとんとした顔でフィーはウォルを見つめる。彼女は何も分かっていない。

 彼女はあの村が何故燃やされたのか、彼女が何故村の外から出てはいけなかったのか、何も知らなかった。世間を見せず彼女が自分の基準を知らずに育ったのは村の環境の所為かもしれないが、それでもウォルは彼女の能天気さに嫌気がさす。


「なんでって、俺たちはまだ子供なんだぞ!大人相手に敵いっこねぇ!」

「そんなのやってみなきゃ分かんないじゃん」

「お前はだめだ!!」

「どうして!?昔っからウォルはそうだ!私のことを村に閉じ込めておいて、私が居て欲しくない時だけそばにいるのに、私が寂しい時には居なくなって、今度は勝手に従軍して私のことを置いていっちゃうんでしょ!?」


 ウォルはまた目を見開いた。フィーが魔術学院の進学に対して迷いを見せている事に対してもウォルが良い顔を示さなかったことを知っている。

 ウォルファングはフィラデルフィアという存在が世間に知られることを嫌っていた。


「寂しい時って、お前がそう強がるから分かるわけ……」


 ないだろと否定しようとしたが、二人はすぐ窓の向こうに見える敷地の外を見た。

 一点の光がぽうと灯され、その光を中心に魔術陣のようなモノが浮かび上がった。ウォルの耳はピクリと動き、反復するようにウォルの口からもその言葉が告げられる。


「『我が力、万物の元に帰り給え』」


 たった一言の魔術の詠唱が唱えられた。長い時間子供たちを守ってきたシールドが微かに動いた瞬間、少女の鈍足も動きだす。



 フィーは咄嗟に窓を突き破り、雪の無い地面に手を付いて足元から木蔦を芽吹かせて相手を巻き付けようとする。だが相手の炎で彼女の木蔦は一度に燃やされてしまった。


「フィー!!」


 ウォルも外へ飛び出しては足元の雪に魔力を通し、開かれたシールドをふさぐように氷の盾を作ったがそれもすぐに消えてしまった。

 フィーの使う植物は夏場なら有利だが草木の眠る冬場は不利だ。それに今のフィーは自らの魔力で種を生成出来ない。

 ウォルの場合雪で湿度のある場所で有利ではあるが魔力が少ない。体内の魔力はコップに入った水であると喩えられる。元のコップが小さければ一度の攻撃も小さくなってしまう。


「フィー!」

「どうなってるんだこれ!?」


 物音に気付いたのかリナリアとルークが駆け付ける。


「敵が来た!!あいつら魔術でシールドを!!」

「はぁ!?それくらい敵の準備前に攻撃しとけっての!!」

「出来なかったからこうなってんだろうが!!」

「リナリア!?」


 フィーの声で言い争うルークとウォルが振り向いた。

 リナリアがその場で尻餅を付いて動けなくなり、両目をチカチカと反転させながら震えている。彼女は覆面の者達に対して指をさした。


「お、男の、人……」

「リナリア!」

「バカ!お前が行けば!」


 彼女は更に怯えてしまう。ウォルに止められればルークは舌打ちをした。


「リナ!!」


 フィーはリナリアの元へと走り彼女を抱き締める。

 彼女の男性恐怖症がここまで重症とは思わなかった。フィーの腕の中でリナリアはぶつぶつと呟きながらフィーにしがみついた。


「子供四人如きで何の茶番だ」


 リーダーらしい者がそう呟く。彼らはそのまま書斎のある離に足を向けた。まるで自分達がどうでもいいと言わんばかりに侵入して来た彼らは歩みを進める。


「……フィー、離れて……!」


 彼女の腕の中でリナリアは灰色の瞳で訴える。

 彼女の両手はフィーを離したくなくて掴んでいるのに、彼女の口は拒絶を望んでいる。


「……お願い」


 魔力が暴れる。と彼女は懇願する。

 リナリアは人格によって使える魔法が違う。フィーはリナリアの瞳が灰色時は毒の魔法だということをルークとロイクの会話を盗み聞きした時に聞いていた。


「すぐ戻るから!!」


 フィーはリナリアから体を突き放し男達へ向かう。

 リナリアは「お兄ちゃん」とルークを呼んだ。せめて彼の魔法でその場から逃げようと思った。だがいくら見渡してもルークの姿は何処にもいない。

 そこで共に生活している時間の長い彼女は確信した。あの兄貴分は都合の悪い状況を嫌う。つまり自分を差し置いてその場から逃げたのだ。


「お兄ちゃんのバカぁあぁ!!」


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