7.俺はアイツのお兄ちゃん



 会いたければ、会いに行けばいい。


 友人が主人公に話すシーンをパラパラとめくっていく。

 亡くなった妻の愛読書を手に取り何となく読んでいるともう既に日が沈みかけている所だった。年も明けて冬至はとうに過ぎたとはいえまだ日は短い。


 もうこの世界の何処にも居ない人に会いたい時はどうすれば良いのだろうか。

 今更感傷に浸るつもりは無いが、今更次の相手を探す予定も無い。


「女神か……」


 なら女神ならばどうだろうと思うが、自分は女神に恋をしていないのではないか。と亡くなった妻に指摘されてから、己が女神を本気で待つことを諦めている節があったのだが………。


 暖炉の前で眠る少女を見る。姿こそ十歳の少女だが、彼女の顔は女神が幼くなった姿だと言われても間違いないと思うくらいにはそっくりだった。もしかしたら彼女はかの女神の生まれ変わりなのではないかと錯覚する時がある。


『愛してる、けれど憎くて仕方がないの』


 魂に刻まれた彼女の記憶は最期が近づくにつれて、物騒なものへと変わっていった。

 彼女は愛と憎悪が比例して増加していた。

 一体何が彼女の心を歪めたのか分からないが、きっとその要因の中に自分もいたのだろうと今なら分かる。

 だがそれでも尚彼女を独りにしては行けなかった。それは今でもそう思う。だが彼女は自分と出会う前について終ぞ口を開くことはしなかった。


 物語の主人公はヒロインへの想いに気付き最終的には結ばれるのだが、我が妻ダリアがそのヒロインと自分を重ねていたのならと思うとますます心が痛かった。



―――

///


 編み物をする手を止めて窓を眺めた彼女は呟く。


「愛してると好きは違うと思うの」

「どうしてそう思う?」


 妻の晩年。昼間は妻のいる寝室で読書をするのが日課であったロイクは目を通していた本をパタリと閉じた。


「だって、子供達は愛してるけれど、恋はしてないじゃない?」

「確かにそうだな」

「あ、それと、神様を愛するのは崇拝であって、子供のように愛してないわよね」

「何が言いたい」


 含みのあるようでない事を呟くのは1人で過ごす彼女の癖だった。

 だが編み物の手を止めて双眸をこちらに向けているのだが、何か彼女の思う事があるらしい。


「ロイクは、女神に対する愛が変わってしまったんじゃない?少なくともあなたは【女神の夫】ではない」

「それは……」


 言葉が出ない。

 自分はカレンデュラの領主で、孤児院の主で、妻は目の前の彼女である。少なくとも『ロイク・フォン・カレンデュラ』は女神の夫の魂と記憶を受け継いだだけで、女神の夫ではない。


「……これは、あなたが考える事ね。ごめんなさい」


 ダリアの後悔した様な表情に、何か言わなければ行けないと口を開いた。


「ダリア、俺は――」

「愛してる。愛してるわ。ロイク」


 そう彼女は自分の手を伸ばした。混血である故に成長しきれなかったその体は小さく幼く見える。手が届かないのか自分が彼女に近づき手を伸ばせばその手を握られた。握力から彼女の体力に限界が近いのを感じ、己は思わず顔を歪めたのを覚えている。


 彼女が死んだのはその三日後だった。


 俺も彼女の事を本気で愛してると気付いていれば、伝えられたかもしれないのに、何も彼女に愛を伝えることが出来なかった。



///

―――



「ウォルってフィーのこと好きよね?」

「な!?ななななんで!?」


 掃除中、誰もいない浴場の床をデッキブラシで擦っていた。そんな所にリナリアはウォルに聞こえる声で呟いた。

 冬になると寒い浴場で掃除をするのは午前中だ。その日授業を受けない子供たちが当番に回される。そして夕方頃にガーベラをはじめとした炎使いが湯を沸かして食後みんなで風呂に入るのだ。

 今日男湯の掃除はウォルとリナリアが受け持っていた。


「フィーはウォルが軍に行くの寂しがってた」

「俺の話を無視すんなし!」

「ウォルうるさい!」


 壁の向こう側である女湯で掃除をしている子供の声が反響して聞こえる。

 ウォルは後頭部を引っ掻き「どうして」とリナリアに聞いてみる。


「みんな多分分かってる。でもフィーは気付いてない」

「……そうかよ」


 リナリアは基本的に男子と話すことはしない。会話を拒否する時とそうでない時があり、今日は会話を拒否する日だとウォルは思っていた。匂いが違うし、目も灰色だから。


「……フィーを守れるから、俺は軍に行くんだ」

「多分、フィーは孤児院から出たら大人達に捕まるわ………あなたが軍に行ったら」

「分かってる。だから……ロイクが何とかしてくれると、思う……多分……」

「閉じ込められてる私と一緒にするのね」

「フィーが誰かと一緒にいることよりも、フィーが目の前から居なくなる方が嫌だ」

「私も……そう思うけど……」


 フィーは強い子だとリナリアも確信していた。きっとウォルに守ってもらえなくても大丈夫だと思っている。だがウォルがフィーを守りたいと思っている理由はフィーが弱いからということではない。


「強くなって、帰ってきて、それでフィーを迎えに行く」

「……!」


 もう直ぐにでもここを出るような言い方に聞こえてリナリアは顔を上げる。リナリアはこれまで十三歳になる前に孤児院から出る子供を見たことがなかった。


「どうして、も、あなたは外に出たいの?」

「むしろお前は出られなくて不満じゃないのかよ」


 彼女は首を横に振る。リナリアは父親から虐待を受けていたということもあり、特にロイク以外の成人男性は信用していない。リナリアにとってたとえそれが見えない壁で囲まれた檻であっても彼女にとって見れば孤児院は子供の楽園だ。


「私はここの砦になりたい」

「なんだよそれ」


 こいつはますます分からない。そうウォルは思った。



―――



 年末祭が終わってしばらくしてからというもの、十一歳になった子供達は、ちらほらとアルバイトを探しに街へ出歩くようになった。

 冬は資材の配給が滞ってしまうため人手を募集する店は少ない。なのでそれまでの間は十二歳になった子供達もアルバイトは春までお休みだという子もいる。なので今は春から雇えないかと聞きに回っているのだという。


「学院?」


 六歳になる三毛猫のネネが首を傾げる。

 ある日の朝食後、ロイクから教室に集まれと言われ、二十人以上の子供達が自身の体に合わない小さな椅子に座るロイクの周辺に集まり膝を抱えて座った。(椅子や机が足りなかったので、全員床に座る事になったのだ)

 カレンデュラ領で難民を受け入れていたため、それに伴って孤児院にいる子供の数が増えた。ロイクは年末祭のあと何かあったのか急遽協会に行ったっきり帰ってこなかったので顔を見るのは数日ぶりだ。


「あぁ。内乱が落ち着いてきたとは言え、国から支援が来るかどうかも危うい。旧友が軍にいるからそのツテで税も緩くしてもらっているが、それでもアイーシュ街の他にも街や村の運営を考えるとここの生活費も正直カツカツだ。それでアレの情報を売ることにした」


 孤児院の経営事情を言われても、子供達にはピンとこない。「食糧が底を尽きそうだ」とロイクが付け足すと騒ぎ出した。

 落ち着けと言いながら彼が見せたのはあの魔力を注ぐと砂が溢れかえる魔術陣だ。

 話を聞けばまだ試作段階だが、今まで魔力を注いだ自分自身にしか吸収できなかった砂を、どうにか自分以外の誰かが吸収し、体内の魔力を補填できる仕様にまでなったという。


 ロイクが人間の魔力で魔石を作る研究をしているのは孤児院の住民しか知らない。子供達は「外部の人間には黙っていろ」というロイクの言伝をしっかりと守っていた。

 ここの子供達はロイクの教育の賜物か、それともある種のロイクからの脅しなのか、それともただ子供達が理解してないのか聞き分けが良かった。(ちなみにフィーはその魔術を理解していないうちの一人だ)


「学院からもその魔術陣を複写して売って欲しいと言われた。恐らく俺よりもうまい具合に良いものが出来るだろうが、それはそれで国も活性化するはずだ。俺も国民の一人として嬉しいことこの上ない。

 だが亡き妻ダリアを何とかしようと研究して出来た偶然の産物とはいえ、金を貰うだけでは足りないと思っている」

「父さん、結末を言ってよ。結末」

「それ言うなら結論でしょ」


 心にも思ってなさそうな言葉を並べられ男子の一人がロイクに野次を飛ばす。ロイクは「売るにあたって条件を提示した」と右手の人差し指を出す。


「学院から魔術書を借りる時に文句を言わない」


 子供達はそれはロイクだけが得になるだけだとまた野次を飛ばす。ロイクはその野次に「結構楽になるんだが」と少々不満げな表情を浮かべつつも、右手を大きく広げ、五人だと告げる。


「五人分の学費免除をもぎ取った。流石に試験は受けなければならないが、それでも魔術を志したいヤツがいれば、手を挙げろ」


 しんと静まり返る。ロイクは一人一人子供達の顔を見渡す。

 授業の終わった昼頃でも書斎に入り浸るリナリアやフィラデルフィアの他にも、自身の素の属性とは違うことが出来る魔術の教えを乞う子供達はいる。

 だが誰一人学院に対してピンと来ないのか、興味が無いのか、それとも他の子供達を見て遠慮しているのか、手を上げることはしなかった。

 子供達の更に後ろにいるマーガレットに視線を移すと「いませんね」と首を横に振り、ガーベラも同じく首を竦めて手を広げるジェスチャーをした。


「……分かった。あそこは特に貴族の出入りが多いしな。……試験自体は毎年の秋頃だ。四月入学か、十月入学かも選ぶことができる。興味がある奴はよく考えろ。

 特に来年十三になる奴は急だが、春までには俺に教えてくれ。教えてやる」


 そうして授業がある子供達以外は解散したのだった。


「お前は行かないの」


 もう既に自分の進路を決めて志しているウォルがフィーに声をかける。


「魔術には、興味無いかな……」

「魔力あるのに勿体ねー」


 彼は昔から混血であるフィーの事を羨む節があった。

 まだチビと呼ばれるウォルでも少しずつフィーの背丈を越そうと鍛錬を欠かさずしており、筋肉もついてきている。

 そしてよく年上である兄姉たちに体術などを指南してもらうことを口実に噛み付くように勝負を仕掛けては負けていた。


「……ウォルは、十分強いよ」


 それでも彼は十分強い。村にいた時から泣き虫でよく自分にすがりつくことがあったのに。この半年で心も身体も強くなっていた。それでも背はフィーの方が高い。


「いつも姉貴面して強がるくせに何だよお前」


 「明日雨でも降るんじゃねー」のと彼は寒気がするというようなジェスチャーをするので、フィーは頬を膨らませて「お姉ちゃんとして認めてあげてるんですー」と拗ねた。フィーは強がりである。


「いつまでも姉弟ごっこしてるんじゃねーよ」

「なに?同郷がいないからって羨んでるの?」


 人族のルークが突っかかる。十一歳の彼は時折フィーとロイクの事をからかってきていた男子の一人だった。


「俺はここが故郷みたいなもんだからいーんだよ。デリカシーねぇな」

「デリカシーないのはそっちでしょう!?」


 自分達のこと何も知らないくせに。村を焼かれて、村で一番の腕っ節だったウォルの父親が目の前で真っ先に殺されて、両親は自分を庇って……。


「おいフィー」

「何だよウォル。お前こそ嫌なんじゃねーのか?同い年の癖にねーちゃん面されて、俺知ってんだぞ。ウォルが軍に行く理由が」

「やめろルーク!!」


 ウォルはルークに牙を向ける。


「お前、本当は弟扱いされたくないんだろ?もう本当のことを言っちゃえばいーだろチビ!」

「もうやめてお兄ちゃん」


 彼の袖にはリナリアが腕を引いては彼の顔を灰色の目で睨む。

 いつの間に紛れ込んでいたのか。少しだけ彼女から魔力を発しているのが分かる。ウォルは何か感じるものがあったのか思わず鼻をつまんだ。そしてルークは彼女の手を大きく払った。


「うるせえな灰色目!」

「わ、私の目は水色……!」


 確かに、今の彼女の双眸は水色の目が爛々と輝いているがウォルがそれに反論する。


「嘘つくんじゃねえよリナリア、お前今」

「いい加減にしろまたお前らか」


 拳骨が三人の頭に喰らった。いつの間にかざわざわと子供達が遠目から様子を伺っていた。


「何があった?」

「………」


 目を逸らしながらフィーとウォルは無言でルークを指さすが「先にキレたのはフィーだろ」とその場で答える。


「……お前らは午後から雪かきだ」


 三人は嫌そうな顔をするが、ロイクは問答無用だと睨む。

 周辺が静まったのを確認し、ロイクは花瓶が置いてある花台の方に向かって声をかけた。


「リナリア聞こえてるだろう。お前は今日から三日間書斎に来るな。理由は分かっているな」


 ガタッと少しだけ廊下の花台が揺れた。

 いつの間にその場から逃げていたリナリアに三人はぎょっとするが、ロイクはそのまま教室に行ってしまう。

 フィーは花台に被せていたクロスを捲り中を伺ったら本当にリナリアがいた。


「リナ……?」

「……」


 リナリアはそのまま口を噤んだのだった。



―――



 人族の俺は孤児院の子供達の中では現在一番の古参だ。赤ん坊の時に孤児院に拾われ、里親も見つからなかった売れ残りのような存在だった。


 純血に生まれたのに、リナリア同様先祖に魔族がいたのだろうか、そこまで魔法を使う事に困ることは無いそこそこ多い魔力量だった。


 自分には親が居ないということは理解していたけど、自分にとって父親はロイクで母親はダリアだったから、物心つく前からそれぞれ二人を「父さん」「母さん」と呼んでいた。

 両親と大勢の兄弟。ガーベラ姉さんにマーガレットおばあちゃん。ここのみんなが自分にとって家族だった。


 自分が六歳の時、しばらく父さんが長期間不在になった時があった。

 ようやく帰ってきたと思えばボロボロは体をした痩せぎすな女の子を連れてきた。

 彼女には名前は無かったけど、父さんから「お前にとっては初めての妹だな」と言っていたから嬉しかったと思う。


 彼女は当時庭に植えられていた姫金魚草からリナリアと名付けられた。だけど傷や熱でしばらく部屋の外から出られなかった。でも挨拶として一度だけ顔を合わせたことがある。


「ルークだ。おにいさんってよんでいいんだぜ!!」

「ルーク生意気な口を聞くんじゃないの」

「でもこいつ俺より年下なんだろ?誕生日あるって」

「……四月、十日……パパに教えてもらったの」


 リナリアの言葉に母さんが少しだけ顔を曇らせたのを覚えている。誕生日が分からない子供はたくさんいるのに、どうしてそんな顔をするのか分からなかった。


「ルーク、おにい、ちゃん?」

「あんないしてやる!はやく元気になれよ!!」


 同じ黒髪、同じ人族、同じ名前無し。ますます気に入った俺は彼女が妹なんだと嬉しかった。

 リナリアの灰色の瞳も少しだけキラキラと輝いた気がした。


 リナリアが全快したことを知った俺は朝食後に部屋にいたリナリアの手を引いて中庭に案内しようとしたが、手を握ろうとした瞬間彼女は手を払いのけた。


「……え?」

「だ、だれ?」


 怯えた顔をしては青色の目がこちらを向けていた。


「お前、どうして目の色……」

「こっち来ないで……!」


 彼女は慌てて後ずさるが、目の色が灰色に変わった瞬間驚いた顔をしてこちらを見ていた。


「る、ルーク、おにいちゃん……?」

「おいルーク。リナリアは病み上がりなんだぞ。走らせるな」


 後ろから父さんが声をかけて来ては俺の頭に拳骨をくらわす。

 リナリアは俺が悲しむ所を見ては楽しんでいるんだろうと思っていたが、それよりも裏切られた気持ちがこみあがった。

 リナリアは歩み寄り、俺に向かって手を伸ばそうとしたが、俺はそれを払いのけた。


「…………き」

「……?」

「嘘つき!!俺のこと忘れたフリをしてただろ!」

「し、してないよ……!」

「してたじゃねえか!さっき!」


 また父さんから拳骨を食らった。風邪を引いていたのだからお前のことを覚えていないかもしれないんだぞ。とも言われた。

 結局あの時はロイクに叱られたのちリナリアに謝ったので、とりあえず事は収まったけど、それ以降彼女は顕著に男子と遊ぶ事を嫌った。それでも懲りずに話しかけた。お兄ちゃんだから。

 

 リナリアは別の人格が現れてしまったらしい。リナリアの中には二人分の意識があった。

 リナリアが多重人格であるということは、子供たちに内密にしていたようで、気付くには時間がかかった。今では感づいている奴もいるらしく、俺はできる限り彼女にかまってあげた。お兄ちゃんだから。

 その日以降も両親はよくリナリアのことをかまっていた。


 青い瞳の方は治癒の魔法。

 灰色の瞳の方は魔法が使えない。

 灰色の方は青い方の記憶を保有している。

 青い方は灰色の方の記憶を保有していない。


 水色の時は意識も魔法も青い方だけど、灰色も見ていた。


「なぁ、本読むだけでつまんないわけないだろ」

「外に出られないもん……私……」

「街に行こうぜ。父さんにばれないように」

「!! で、でもみんな街には大人が……」

「父さんは中庭にいるから外に出たことがばれないだろ」


 リナリアはいくつになっても、おつかいに駆り出されることなんてなかった。なのでリナリアを外に連れ出すことにした。

 だけど俺たちは初めての街の風景に触れる前に外から出してもらえない理由を知ることになる。

 みんなにばれないように裏口から外に出る。

 だが孤児院の裏手を回ったときにリナリアは転んでしまった。


「気を付けろよ」

「う、うん」


 涙目になった彼女の手を引こうとしたとき、彼女の周辺にある草花が一気に枯れてしまい、虫たちも死んでいった。

 リナリアの魔法は治癒だけじゃなかった。


 リナリアはその特異性で孤児院の外に出られなかったのだと知った。あの日リナリアが撒いた毒のせいで数ヶ月もそこには草花が生えなかった。

 リナリアはあの日のそれがトラウマになったのか、認めざるを得なくなったのか、外に出る事を諦めたらしい。


 母さんが死んだ後、彼女は泣かなかった。

 俺もみんなの前では泣かなかった。もう母さんがもう長くないことは知っていたし、お兄ちゃんだから。


「ごめんなさい……母さん……私は……何も出来なかった……治せなかった」


 リナリアは目の前で泣かなかっただけで、中庭の隅でひっそり泣いていた。唯一教会に行けなかった彼女はガーベラ姐さんと孤児院の中で留守番をしていた。


「……母さんのそれはお前が治せるもんじゃねえだろ」

「でも、私は……」


 治したかったと、彼女の瞳は灰色に変わる。


「……お前灰色に治癒なんてないだろ」


 その言葉に彼女は見開く。「知ってたの?」と呟く。

 同じ孤児院で過ごしていれば嫌と言う程分かるのによく隠せたなと思った。

 分かっているなら、その人格なんて一生引っ込んでいればよかったのに、どうして表に現れるのだろう。

 うじうじしている彼女が許せない。

 鈍くさい彼女が許せない。

 両親を独り占めした彼女が許せない。


「お前が捨てられたのは、魔法が毒だからなんだろ?」

「ちがう」

「お前がその毒で、お前の親を殺したからなんだろ!?」

「ちがう!」

「この親殺し!!」

「ちがうわ、お兄ちゃん!!」

「うるせえ!!もう俺の目の前でその目を灰色にするな!!」


 それ以降、俺はリナリアの灰色の瞳を見た事はなかった。



―――



 男性恐怖症、多重人格、魔力核の分裂。孤児院に来てから彼女はボロボロであったことを自覚するかのようにその症状が次々と現れた。


 リナリアには実の母親との記憶が無い。父親とも血が繋がっているのかも怪しい。

 幼い顔でも分かる美しい容姿に恵まれ、希少な魔法を授かった彼女は父親には虐待をされ、父親の金儲けの為に魔法を乱用された。

 彼女の魔力は平均より多い程度であり、混血と比べれば大して多くはない。しかもろくにコントロールが出来ないのでよく倒れることがあったらしく、魔力核が変質したのも要因の一つといえよう。


 本来ならば魔力の出し方も親から学ばなければならないのだが、スラム街出身の者達は混血が多い割には魔法の使い方を知らない物が多く、よくそれで人為的災害によって街や村が廃墟となることはたまにある。もしも彼女が毒の魔法に目覚めるのが早かったら大規模なテロになっていた可能性が高い。


 彼女は急激な環境の変化に耐えられず殻に閉じこもるように新しい人格を作り上げた。

 本来の人格は、治癒の魔法が使えなくなった。



―――



「ほ、ホットミルク作ってもらおっか?」


 なぜかこの4人が談話室ではなく食堂にいた。子供たちが散り始めた際に他の年上たちが「仲直りしてこい」と食堂に促したのだ。広い食堂は寒い。


「ガーベラ姉さんは家畜小屋で世話。マーガレットばあちゃんは年上と商会の方に行ってる。父さんは三、四歳児の授業」

「よく知ってるな……」

「じいちゃん達の代からこれは変わんねえよ」


 じいちゃんとはロイクの父のことを言っているのだろうか。

 ルークが孤児院に来たとき彼はまだ十五で、当時は魔術学院にいたらしい。家督は彼が学院を卒業するまでとのことだったが、それまでの間はロイクの両親がいたはずだ。

 彼の妻のことは二人が孤児院に来た時からよく耳にするが、ロイクの両親についてはあまり聞いたことがなかった。


「ロイクのお父さんってなにしてるの」

「おじいちゃんとおばあちゃんは、王都にいるよ。隠居してるし、あまり様子見に来ないけど王都の復興で色々動いてるって言ってた」


 カレンデュラ家は慈善活動が好きな家らしい。

 ロイクは自分の妻が死んだショックで放浪の旅(?)に出るが、なんやかんや言ってフィーとウォルを拾ってすぐに孤児院に戻ってきたし、領地の管理も領地の住民達が運営している協会に任せているが、絶対に戦争で家がなくなった者たちを積極的に領地に入れろと言っているらしく、カレンデュラ領は多種多様な種族人種がいる。


「そう、なんだ……」


 また沈黙が走る。


「フィー、お前頭悪いのにこのメンツで会話を広げようとすんなよ……」

「それは言わないでよ!」


 元よりフィーとウォルとルークの三人なら喧嘩してもけろっとした顔でまた遊びに行くので問題なかったのだ。

 なのに男性が苦手(ただしロイク除く)であるはずのリナリアがルークを止めるために飛びついてきた。お兄ちゃんと呼んで。


「……私、どうしてお兄ちゃんに飛びついたか覚えてないよ」

「知るかよ。勝手に出てきてきたんだろ」


 ルークは頬杖をしたままそっぽを向いた。

 リナリアはよく記憶が飛ぶ。それを彼女は自覚しているようで、約束事がある場合はきちんと手帳に書いているが、取り留めもない会話をする際は不便だ。

 しかもその出来事を覚えている時と覚えていない時がある。


 そして面倒なことに、ルークはそんなリナリアのことを極端に避ける。

 リナリア自身孤児院では孤立している方である。幼い子供たちの世話はするものの、男子を避ける節があり、男子も特に古参はリナリアを避ける。一緒にいるのはフィー含めた女子ばかり。だからリナリアが一人の男子に対して「お兄ちゃん」と呼ぶのは珍しい。

 

「お兄ちゃん……私は……」


 リナリアは震える声でルークに声をかけようとした。だがルークは立ち上がり、食堂から立ち去る。


「もういい」

「ちょっとルーク!!」

「もういいよフィー」


 結局午後の雪かきはロイクの監視下で四人黙って行ったのだった。



―――



 夕飯を食べ終え入浴の時間帯。書斎と本邸を繋ぐ渡り廊下はとても寒いのでこの時期ここに居座る子供たちはいない。

 月明りがちょうど照らす窓の前に座り流れる雲を見ていた。


「ここにいたか」

「……」


 ロイクが声をかけると顔を両膝にうずめる。その隣に黙って座りこんだ。


「リナリアの魔法には気付いているんだろう」


 それにルークは黙った。


「アイツの魔法は治癒だ。だが以前魔力を変に使いすぎたんだろうな……ストレスで人格も魔法核も変質してしまった。知っての通りもう片方が毒の魔法だ」


 リナリアは過去のトラウマによって灰色の瞳の方の人格の方は治癒の魔法が使えないだけで、どちらの人格も両方の魔法を操れるはずなんだということをロイクは説明する。

 今はただ、人格の感情や性格に左右されていて向き不向きがあるだけで。


「……どうしてそんな奴と母さんを一緒にさせたんだよ」

「俺とて空き部屋を用意して隔離させようとしたさ。だが彼女は『子供をひとりぼっちにはさせない』と聞かなくてな……」


 体が弱く、行動が制限されていた彼女は自分のできることは絶対にやると言ってきかないところがあった。


「俺は、独り占めするリナリアが嫌いだ。父さんも母さんを独り占めしてたじゃないか」

「悪かったよ。……最後くらい、長くそばに居たかったんだろうな……それくらい、ダリアのこと愛してたよ」

「キモ……」


 自分の父親から初めて惚気話をきかされて鳥肌が立つ。本邸側の方からゴンと壁に何かがぶつかる音がしたがルークが見ても誰もいなかった。

 ロイクは片手で顔を覆った。


「やめろ、彼女が生きていた時には気が付かなかったんだ」

「え……?」

「好きだと言ったことがなかったんだよ。ダリアには……少し、後悔している」


 二人のことを子供たちの中では一番に見ているルークは、きっと自分たちが知らないところで愛を囁きあっているのだろうと、まさしく恋に恋する女子たちが思い浮かべるような光景が広がっているのだと思っていた。


「別にお前がリナリアにどんな感情を抱いているか知ったことではないが、せめて後悔しないでくれ」


 あとさっさと風呂に入ってこいと言って、ルークの頭を撫でてその場から去っていった。

 ルークはしばらくその場にいた。



―――



 リナリアにとって初めてできた兄はルークであった。

 高熱から解放され、まだ人格の切り替えが不安定だった時期に自分の手を引いた彼はもう一人の自分は『怖い』と思い、もう一人の自分は『期待』という感情があった。


 熱が引いてから初めて外に出た時、彼に毒を撒きそうになるも、彼から嫌われるなんてことはなかった。だが母が死んでから一切口をきいてくれない。

 母親は自分のせいじゃないという。だから何が悪かったのかが分からない。


「なぁ、リナリア灰色


 夕食後、風呂の順番待ちで談話室の暖炉の前で本を読んでいたリナリアにウォルが歩み寄る。


「灰色ってなによ。私はリナリア」


 ウォルは、彼女の多重人格に関して気付いているのか気付いていないのか分からない。

 だが【灰色】と呼んだならばもしかしたら気付いているのかもしれない。


「リナリア」

「なに?」

「ルークと仲直りする気はないわけ?」

「お兄ちゃんが怒ってる理由が分からないからどうしようもないわ」


 そうだ。彼はリナリアのことを人殺しだと思っている。

 ロイクからの個人指導でどうにか変質してしまった自分の魔法を理解し、それを受け入れつつあるがそれでも自分は。


「……私は、パパもママも殺してない」

「なんか言った?」

「なにも……」


 男性という生物を受け入れられないリナリアは、こうして普通に男子と会話できるようになったのは青い瞳もう一人の自分が頑張ってくれたおかげである。

 自分を虐待したクズな父親から逃れるために中途半端に出来上がってしまった人格には、男性は苦手なだけであって虐げられたトラウマなんてないのだ。

 その人格が行うやり取りを、他人の視界を覗くかのように見てきたため、慣れつつあったはずだった。


『もう二度とその灰色の目をこっちに向けるな』


「お兄ちゃんは、孤児院だけが全てだと思ってるだけで、別に悪い人じゃない」

「それ思い切りけなしてるだろ」


 実際本当の自分灰色の瞳を表に出すなと言われて根に持っている。

 それをどうにかしないといけないのは分かっている。だが自分を否定されたらたまったものではない。


「謝って欲しいのはこっちの方だわ」


 今までは悲しむだけで反発することなんてなかったのに、ここで生活するようになってから自分は変わっている。


「おい、リナリア、浮いて……」

「え?」


 なぜか自分だけぷかぷかと宙に浮き始める。

 ウォルは慌てて彼女のスカートのすそを引っ張るも、転んでしまい途端に服を手放してしまった。


「きゃー!?」


 浮いたと思えば急にスピードを上げてどこかに引き寄せられる。

 こんなふうにモノを浮かせられる者は一人しか思い浮かばない。

 廊下にいる子供たちは突然飛んでくるリナリアを避けたりぶつかったりするが謝る余裕もなく、いつの間にか一階の端にある空き部屋へと入り、どすんと床に落ちた。


「おえ……」

「やめろここで吐くな!」

「お兄ちゃんのせいだわ……」


 馬車にも乗ったことないのに、猛スピードで突然こんなことされたら酔うに決まっている。


「反発するようになったじゃねーか」

「……」


 彼はそんなことを言うためだけに二人きりにした訳ではないのは何となくわかった。それを黙ってリナリアは待つ。


「お前の魔法のことは父さんから聞いた。その……ごめん…」

「……許さない」


 自分の人格を否定したこと。自分が人殺しだと言ったこと。半年以上経ってもやはり許すことはできない。でも。


「治癒をたくさん使わせたパパも許さない。でも、使わないといけない時に治癒の魔法を使えなかった私も許せない。毒の魔法を持つ私も許せない」


 彼女がそんなことを想っていたなんてルークは思っていなかった。

 自分がそう否定させてしまったことに少々反省する。


「母さんのは、仕方がなかったんだ。それは本当だ」


 常に大量の魔力が放出されてしまうなんて体質は、いずれ生命力を奪われ肉体も衰弱する。

 必死にロイクがどうにかする術を考えていたようだが、書斎にある書物を見ても、魔術学院で調べても的確な術を見つけることはできず死んでしまった母。

 体質を治癒で治すことなんてできないから、リナリアは悪くない。


「だから、お前が許せなくても、俺が許してやる。ほんとに、お前を否定してごめん」


 一瞬彼女の瞳が青く光る。両親を占領されたと思っていたことについては隠しておく。お兄ちゃんだから。


「……私が、どうにかしなきゃ、意味がないじゃない…」


 彼女の目はまた青く光った。彼女青い瞳にも伝えろということなのだろうか。


「リィ」

「お兄ちゃん?」


 突然目の前に口もきいてくれなかった兄が目の前にいることに若干戸惑いの目を浮かべている。いつの間にかリナリア灰色の瞳は人格のコントロールが出来ていたらしい。


「ごめん、今まで。もう無視しない」

「……! う、うん」



―――



 寝室の前、もうすぐ子供は寝る時間のはずだがロイクの寝室のドアの前に座り込んで部屋の主を待っている赤毛の子供が一人。


「先ほど盗み聞きしていたのはお前か」

「……リナリアのこと、私全く気付かなかった」


 膝を抱えて彼女は、爬虫類のような細い瞳孔を細める。確かにリナリアの人格は年齢を追うごとに性格がはっきりと分かれつつあるが、ぱっと見人格が分かれているなんて気づかないだろう。


「お前が気にすることではない」

「……」


 彼女は立ち去ることせず体を身じろぐ。未だ悩みの種があるのか彼女はその場から引くことをしなかった。


「いろんな子から、学院行かないのかって言われた……」

「読み書きもろくにできないのに期待されてるな」

「で、できるもん!!」


 たまに単語を読み間違える程度でと彼女は反論する。

 彼女は確かに学びたがっているのは呪術であり魔術ではない。


「で、でも……少し揺れてる…」

「春まで長い。よく考えろ。それに学院は呪術も多少は学ぶことが出来る。それでも本分は魔術だがな」

「うん……でもね、私……十三歳になることが怖い」


 十三になれば大人として扱われ、孤児院からも卒業して離れなければならない。彼女が何かに怖がる姿を見るのは二人きりであるときだ。同郷の弟分に弱みを見せることは絶対にしない。


「別に、大人になったからと言って孤児院から離れるだけであって、アイーシュから離れるなんて言ってないぞ」

「うん。ありがとう。ロイク大好き」

「そうか」


 彼女は立ち上がりお尻をはたく。笑顔を向けた彼女と女神の面影が重なり思わず手を伸ばしそうになるが止める。彼女は女神とは別人だと理性が言い聞かせた。


「もう寝るね。おやすみなさい」

「おやすみ」


 彼女は自分にあてがわれた寝室に入っていった。彼女の姿が視界から消えたあと寝室に入りしゃがみ込む。子供相手に何を考えているのかとロイクは頭を抱えた。



―――



暗転


 はっきりと目の前に広がる自分の髪と同じ色。


 白い雪のような肌と髪にかかる赤。

 そして顔を覆うとべっとりと、同じ赤が顔にも張り付いていた。


 お願いだから、そんな顔で死なないで欲しかった。逃げてほしかった。こんなことをしたかったわけじゃないのに。


 ごめんなさい。ごめんなさい。■■■。


 ごめんなさい。



暗転



―――




 思わず跳ね起きた彼女は二段ベッドの天井に頭をぶつける。体中に張り付く冷や汗が自身の身体に生々しく夢で感じた血のそれと重なり汗をぬぐった。

 自分の種族の特性上汗腺が少ないはずなのに、こんなに汗をかくなんて久しぶりだった。

 まだ深夜。手には汗がにじむだけで血に濡れていない。はらりと自分の赤い髪が視界に入るが、その髪は夢で見たそれと全く同じ色だった。


「ころ、しちゃった……」


 ロイクと同じ顔の男を自分は殺してしまった。



―――



暗転


 愛してる。けれど憎くて仕方がない。


 何度も言ったのに。

 何もわかってないのね。

 弱いくせに。私と関わらなきゃよかったのよ。


 どうして、こんなに悲しいの。心が晴れないの。


 どうしよう、これじゃあ彼も二度とここに来てくれない。


暗転



――――――

血は赤から黒に染まる

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