10.少女は葛藤し、少年は決意する



 応接間にて。


「…………ターゲス。お前は俺の血の特異性を知っているな」

「それがどうした」

「彼女は、フィラデルフィアは………女神が落とした、最後の【要素】かもしれない」


 ロイクはターゲスにそう告げた。女神が残した置き土産。それは【魔法】、【呪い】そして【肉体】である。それは女神の夫の記憶を継承された人間であるロイクしか知らない。


「それはロイクの憶測でしかないだろう。それが分かる確証はなんだ」

「二つある。まず、女神は炎を一番嫌っていた」


 それにターゲスは腕と脚を組んだ。炎に対してトラウマを持つ人間は何処にでもいる。この紛争が終わったあとなら尚更。


「嫌っていた理由は?」

「知らない。女神は自分の過去について口を開くことがなかった。実際にフィアもそうだった……と言っても同郷の少年がいるから彼女がどんな生活を送っていたのかは彼から聞いているが」

「もう一つは」

「……容姿がよく似ているんだ。彼女を人族にすればまさに女神と瓜二つだ」


 それにターゲスは目を見張る。彼は背は低くも愛らしい見た目だったダリアのことを思い出したのか「そんなに美人なのか?」と問われたので一発殴ってやった。



———



 今すぐにでも軍に行って力をつけて姉貴分を守れる場所を作りたい。ウルがそう告げたのはターゲスと応接室で話をしたあとのことだった。


「十三まで待てないのか」

「嫌だ、それだと間に合わない」


 従軍したら彼女を四六時中見れる訳がないし、どこに逃げようとしているのか彼は全く考えていない。それでも彼は彼女を見えない敵から守ろうと必死だった。


「それで、三年の間に彼女を守る手筈が済んだら十三になった時に迎えに行くと」

「十三でも遅いと思ってる」

「たとえ十三を超えても子供だという大人はたくさんいる。

 それに、先ほどターゲスが彼女を軍へ受け入れることも考えているということを言っていた。お前が従軍したら、彼女は」

「偉くなればフィーは自由な生活を送れるかもしれない」


 孤児が軍の幹部に行けるなんて夢のまた夢である。客間にいるターゲスもまた、妾の子ではあるが代々騎士の名を受け継ぐ貴族の端くれだった。

 軍の中も悲しいかな階級が上がるたびに平民が昇進することが難しくなる。姓の持たない、更に孤児であるウルは昇級できるかも怪しい。


「だが彼女が暴走した時、お前は何をしていた」

「………」


 ウルは口ごもる。ロイクは彼の態度にため息をついた。

 もし自分の目の届かないところでフィラデルフィアが暴走した場合、誰が止めるのだろう。もし軍の内部に裏切り者が居た場合彼女が連れ去られたらどうするのだろう。


「それと他の子供達から聞いたが、フィーは鱗を消したいなんて思っていなかったそうだな。ろくに彼女の気持ちを汲めないお前が、守るなんて馬鹿らしいにも程があるぞ」


 ロイクが言ったその言葉はロイク自身にも突き刺さるという自覚はある。ロイクはダリアに対して体質を治すこと以外に何かしてやれたつもりは無い。

 だが目の前にいるのは己の未熟さを分かっていて行動しようとしている少年だ。

 孤児院に来てからというもの、彼はろくに彼女のことを見ていない。そして自分から彼女に伝えなければならないことを伝えていないのだ。


「それでも、お前は軍に行きたいんだな」


 ウルは大きく頷いた。それでも彼は瞳が揺るがない。

 ロイクはウルの被るフードをめくり、くしゃりと頭を撫でた。


「後でターゲスに伝えておく。それでも従軍は春になるだろうが」


 「それと彼女とはちゃんと話をして来い」とロイクは背中を押す。

 伝えたい相手に伝えられない様なことになって欲しくない。後戻り出来ない事はあっても、今の二人ならまだ間に合う。


「……ロイク」

「何だ」

「俺は……でかくなれた、かな……」


 自信なさげにウルはロイクに問うた。まだ身長はフィアよりも低い。

 女子の成長期が早いということもあるが、フィラデルフィアはまだ成長するだろう。ウォルは……狼の成人の体格は犬よりマシと言った所だが。


「無論だ」


 子供の成長はとても早い。ウルは着実に成長している。



―――



 ターゲスが持ってきた大荷物は孤児院のシールドを閉じる鍵と、子供たちに与えるために持ってきた王都で売られている菓子や衣服だった。

 国から貰っている補助金は毎年決められている。

 軍が国家を取り仕切っている今、流石に軍の幹部にいる彼からこうした援助を受け取るのはいかがなものだろうかと頭を抱えるが有難く受け取った。あくまで個人からのプレゼントとして。

 ターゲスはろくに使われることの無かった来客用の部屋をガーベラが速攻で掃除したのでそこで泊まらせることになる。


 体調も魔力も無事回復したフィラデルフィアは、ロイクの目を盗んでやってきた子供たちの手に引かれることによって彼の旧友を知ることになった。

 ちなみにロイクは先ほどからウォルと色々話しているようだ。何の話をしているかは知らないが。


「ロイクがよく言ってた軍人さんはあなた?」


 フィーもその巨漢を見て他の子供たちと同じ反応をした。

 ロイクからはたまに手紙のやり取りしている相手として聞かされている。ロイクが学院にいた時に知り合ったらしいが、彼はその時には既に一つの小隊を束ねる少尉の階級にいたらしい。

 思っていたよりも大きな体で、しかも鳥類の魔族。あの体を持ち上げるほどの翼なのだから広げればどれくらいの大きさなのか気になる。顔の傷も相まってかなり男らしい。リナリアが複雑そうな顔をしていた理由が分かった。


「あぁ。俺は鷲のターゲス。可愛らしいお嬢さんの名前は?」

「フィラデルフィア。竜族。フィーって呼んで」

「そうか。……ここを出たら何かやりたいことはあるのか?」


 周りの子供たちも皆聞かれたらしい。現在国は軍が指揮していると聞くが、彼はそんなに孤児たちの将来が気になるのだろうか。

 学院に行ける道を設けられ、ロイクからは春まで考えろと言われている。だがまだアルバイトもしたことの無い世間知らずのフィラデルフィアは大人になったら何になるのか考えたこともなかった。


「………わかんない。でもね、魔術とか呪術はロイクから教えてもらってる」

「ならば、学院に行くのか?」

「……迷ってる。私が知りたいのは呪術の方だし」


 贄と詠唱で行う呪術。術者の思いの強さで対象の人間を縛ることが出来るものだ。幾何学模様でできた魔術陣でモノによっては詠唱なしで簡単に成功できるものではない。


「呪術はあまりいいものじゃないぞ?」

「どうして?」

「あれは人に対して行うものだ。それに本来は憎き相手を殺すことから生まれたものだしな」

「でもロイクは」


 病床にいたダリアを救うために使おうとした。結局は成功しなかったが。

 たまにロイクから亡くなった妻の話を聞かせてくれることがあった。

 魔力が放出されやすい体質だから生命力は乏しく背はとても低くかったらしい。ダリアの花のように優雅で、気品があったらしいが行動力はあり、それで年上の子供たちも巻き込んで当時ガーベラが一度だけ泣いたことがあったとか。


「あれは純血の癖に魔術を使おうとするからだ。最近になって惚気るようになったが、言葉の端々に奥方を想う言葉があったのに、彼はただ妹としか見てなかった。

 それくらい彼女を救おうと必死だったんだ」


 今でこそ妻のことを愛してると言う。子供たちがドン引くくらいには。フィーはロイクがルークと話していたことを思い出した。


『彼女が生きていた時には気が付かなかったんだ』


「気付かなかったのに結婚したのはどうして?」

「あぁ。アイツ、彼女を守るために結婚したんだって言ってたな。あくまで形式的だからチョーカーは用意してたらしいが、奥方がそれ付けることに対していい気はしなかったらしい。好きでもない相手と結婚させることが後ろめたかったんだろう」


 それにフィーは目を見張る。彼は彼女に対する感情が変化していたことに気付けずただ生かすことだけに注力し、最終的には伝えることができず彼女は死んでしまったのか。

 それに対して周りにいた子供たちは反論する。


「お母さん、お風呂に入る時もチョーカーしてたよ!ちゃんとお手入れもしてた!お父さんのこと好きだって言ってた!」

「お父さんにもちゃんと言ってた!愛してるって、ちゃんと言ってるの僕聞いたもん」

「おぉ、すまんな!そんなつもりは無かったんだ」


 ターゲスは子供たちに謝罪する。死人はもう還らないことは知っている。だからフィーは母と一緒にいる証だと信じていた鱗を消されたとき憤慨した。火傷を負えばまた鱗は現れるかもしれない。だがそれだと意味がない。


『生きて。自分の【核】を守りなさい』


 瀕死だった母親から最後に言われた言葉を思い出す。ただの肉の塊に変わり果てた両親。唯一、自分と同じだった母親。母親ばかりに目をかけていたが、よく村の外から絵本を買ってきてくれた父親。

 春になればあの村が焼かれて一年が経つ。自分は両親が生きている間に愛してると言っただろうか。



———



『お前はあの夜、何があったの……?』


 車いすに座っていた自分に問いかけた時、ウォルは何を求めていたのだろう。あの日は彼女に罪悪感なんてそんなものは無かったので素直に答えた。


『お父さんが、お母さんの魔力核を食べたの。お母さんが私を庇って死んだから。そのあと、撃たれたお父さんの魔力核を私が食べた。だから私のおなかの中にはお父さんとお母さんがいるの』


 だからこの脚は母親の脚なのだと言った。確かにフィーの母親は両脚とも鱗に覆われていた。だからこの両脚の鱗も、他に背中や二の腕にもある鱗たちはどんなに醜くても大切な宝物だった。

 それはまだ九歳のウォルには理解が及ばなかったなんて同じ九歳であるフィーには分からない。

 ウォルは自分だけ時間が止まったかのように硬直していた。


『もういい……』

『ウォル……?』


 ウォルは車いすのハンドルを離し、ゆっくりと踵を返しとぼとぼと歩いていく。


 彼がフィーから離れるなんて初めてのことだった。引き留めるにも、彼女はウォルがどうして悲しそうな背中をしているのかがわからなかった。

 フィーはゆっくりと瞬きをした。彼女の琥珀の両目にはあの日の炎が焼き付いて離れない。



///


 どうして自分の暮らしていた村が炎で焼かれているのか分からない。

 そういえば明日は河原に忘れてしまったおもちゃを拾いにいこうとウォルと約束していた。弟分のウォルは何処に行ったのだろう。

 村一番の腕っぷしのあるウォルの父親が敵を追っ払ってくれるはずだったのに、逃げろと怒鳴るように声を荒らげたのを遠くで聞こえたと思えば自分の母親が飛んできた火を防いでくれたまでは覚えている。


「生きて。生きて……自分の【核】を守りなさい」


 母は呻き交じりにそうフィーにはっきりと言った。何が言いたかったのか分からない。その一言を言ってすぐに母は自分の身体を下敷きにして力が尽きてしまった。お母さんと呼んでも身体が冷たくなるだけで何も答えやしない。


 炎に焼かれているのだろうか、熱くてじくじくと痛む脚は言うことを聞いてくれないし、母親も何も答えてくれない肉塊に成り果ててしまった。

 こちらに来てくれた父親は母親だったそれを必死に抱きかかえて縋り付く様に泣き叫ぶ。

 あぁ、母親はもう二度と動かないんだ。そうかと納得するけど、悲しいはずなのにどうしてか自分は父親のように涙を流せなかった。


 父親は意を決して母の胸に手を一突きした。血しぶきが飛ぶ。その血は父親の頬や衣類に張り付いた。フィーの頬に張り付く赤い鱗にもべっとりと母の血が付く。

 そして父親は探り出すように胸部から何かをえぐり出した。

 血で濡れていたそれは顕になると人の中から出てきたとは思えないくらいキラキラした宝石が碧く光っていた。

 ご馳走でたまに食べた兎にも猪にもそんなものは見当たらなかったのに、その宝石は紛れもなく母親から出てきたもので、『人間の中には大きな宝石がある』と書かれていた絵本の内容は本当だったのだとフィーは思った。


 だけどそれを父親は大切に取っておくわけでもなく、その場でがりがりと氷を噛み砕くかのように全て食べ尽くしてしまった。父は泣きながら母の心臓を食べた。

 母の死と立て続けに信じられない光景を呆然と見つめていると父親は自分のことを優しく抱き抱えてどこかに逃げ出そうとした。そこで自分は歩けない程の怪我をしていた事を思い出す。父は気付いているかわからないが、自分の足はさっきまで燃えていたのだ。


 走りながら父親は叫んでいた。怖くないと思ったのは顔が自分と同じように変わり果てているからだろうか。何かに濡れた感覚がして父親に縋り付いていた手を見やると赤く血濡れていた。母の血でまだ湿っていた。


 だぁん。


 大きな音がしたかと思えば父親の身体はその場に倒れ、自分も父親の身体の下敷きになる。父は私を庇ってくれた。


「【核】を食べろ」


 そう言った気がした。声も掠れ、父親の声はほとんど聞こえなかったはずなのにそう言ったように思える。最期、頭を撃たれ父親も母親と同じ肉塊に変わり果てた。

 自分は這いつくばってどうにか下敷きから解放されると父親の胸に爪を突き立てた。


 ぐしゃり。


 自分は父親のように上手く取り出す事が出来なかったけれど、両手を使ってようやく取り出せたそれは母の心臓のように赤くキラキラとしていて、絵本で見たルビーのようだった。

 ガリガリと自分もそれを口にした。

 父親と母親の味がする。多分そうだ。父が母を食べて自分は父を食べるのだから。

 口に含んだかけらは氷のように解けていく。それを少ない唾で飲み込むながら必死にかみ砕いて体内に取り込んでいった。ようやく最後の一口を飲み込んだ瞬間、大きな音が聞こえ、一瞬だけ頭に痛みが走った。


 ここで記憶は消える。



———



 先ほどウォルの言い分を受け止めたものの、これからのことについて考えることが面倒になった。

 旧友という名の客人がいるにも関わらず書斎のソファーでうたた寝をして先延ばしにしようとしている。

 もう夕刻に近い。授業は旧友のおかげでマーガレットに丸投げ。ガーベラは暇な子供を駆り出しては屋敷内を忙しなく働き、なにがあったのかウォルがこちらに話をしに来た時は胃を痛めるかと思った。かつての自分の父の苦悩が分かる。

 書斎に入ってきた子供の気配がした。本好きのリナリアかと一瞥だけしようとしたが、赤毛が目に入りあの女神が来たのかと思って飛び起きてた。

 だがやってきたのは先程まで医務室で眠っていたはずのフィアだった。


「ロイク」

「フィア……身体はいいのか」


 髪が横髪だけ残して肩回りまで短くなっているがガーベラに整えてもらったのだろう。

 リナリアの毒で彼女の肌のありとあらゆるところにあった竜の鱗が無くなった。唯一残るのはどの動物にも当てはめるには難しい頭部にある二本の角と爬虫類のような縦に伸びる瞳孔のみ。

 リナリアの毒で火傷跡である竜の鱗が消えるなんてと思ったが、彼女の体は全身つるりとした人間の肌そのものだった。

 あまり気に留めないようにしていたが、成長するにつれて彼女の見た目は女神に近づいている。鱗が消えてしまった彼女の体は本当に女神にそっくりだった。


「うん。もう走れるよ」

「元気なのはいいが走るな」


 相変わらずの調子の良さに思わず瞳を細めた。昨夜暴れた記憶がないのだろうか。普段と変わらない様子にとても安堵した。

 マーガレットが言っていたが、カレンデュラの男児は皆白髪と緑瞳なのだという。それでいてガーベラ曰く自分は父親とそっくりらしいから血というものは怖い。

 もし彼女の身体に色濃く女神の血が流れているのなら、と思ったが彼女は女神ではない確信を持ちたい。


「さっき、ターゲスさんと話したよ。みんなが、怖そうだけど良い人だから会いに行こうって」

「アイツら……」


 ロイクはまた頭を抱える。ターゲス本人は基本的に子供は嫌いではないのでさして問題はないだろうが、流石に他の客人が来た時には離れてもらわなければ困る。

 それにフィーを会わせたくなかった。


 ガーベラも軍人に対して良い思い出がない所為かターゲスへの接待はマーガレットに任せきり。ここで働きたいとごねてわざわざ家政学校まで行ったのにメイドとしての心構えはどこへやら。

 どうせ彼女に言っても「アタシの業務はベビーシッターメインだし!」とかほざくのだろうと思うと眉間にしわを寄せる。ここまで来ると自分の管理不足か。


「それでね、聞いたよ。本当だったんだね。奥さんのこと。好きだって気付かなかったのって」


 また彼は余計なことを言う。だがそれについて実際は微妙に違う。

 女神の置き土産。自分の魂に刻まれた女神の記憶によってロイクはその記憶が呼び覚まされた時から幼心に女神に会いに行かなければならないと思っていた。

 だがもう既に女神はこの世に存在していないし今ではもう伝説上の話だ。それに呪いが今も残っているということ自体別に大したことではない。


「あれには別で、秘密があるんだ」


 ロイクは自分の魂に刻まれた【女神の夫】の記憶があることをフィーに告白する。


 女神は人間である夫が死んでしまう事に嘆き、呪いをかけた。だから何度転生しても女神とすごした記憶は消えない。女神が姿を消した後も然り。

 それ故にカレンデュラの子孫は必ず一人その記憶を受け継ぐものが現れる。その記憶があるからこそこの孤児院が存続されている。たとえ世界を敵に回しても子供は守らなければならない。子供は女神の宝だからと。

 それにフィアは戸惑うような表情をする。当たり前だ。いきなりそんな話をすれば混乱するに決まっている。それに彼女は基本的に頭が固い。


「どうして、私に教えてくれたの?……ずっとみんなに隠してたんでしょ?」


 どうしてだろうなととぼけながらも、ロイクは分かっていた。

 あの日の火事。フィアは自分の脚が火傷で爛れていても、痛みの耐えながらウルを助けてくれたことに感謝していた。


『ありがとう…ウォルは私の弟だから…』

『本当の弟じゃないよ。でも大好きなの。おじさんはいないの?大好きなひと』


 自分はダリアに恋をしていたのかその真偽は今でも分からない。だが愛しているという感情は変わらずここにあるということ。

 それを目の前にいるフィラデルフィアが気付かせてくれた。

 女神の面影が重なるその姿に思わず手が伸びそうになるが、両手はズボンのポケットにしまい込んだ。


「お前のおかげだよ」

「え?」

「火事で火傷を負い、一瞬だけ意識を取り戻した時だったから記憶はないと思うが、お前が俺にダリアを愛していたという自覚を持たせてくれた」


 自分が愛しているのは生涯でただ一人女神だけだと思っていた。

 だがダリアはそれを愛してるとは言えないと否定したのちに死んだ。言葉に言い表せないこの感情はなんだろう。どうして自分は彼女を守るという手段で結婚を選んだのだろう。

 結婚して七年。彼女が死んでから一か月ずっと繰り返していた自問自答に彼女の言葉であっさりと解が見つかった。


「ありがとう。おかげで俺は彼女を愛してたことに気付けた」


 本当に彼は今でも亡くなった妻のことを想っている。愛してると伝えられなかった後悔は今もあるのだろう。彼のその瞳は優しく儚く見えた。


 フィーはどうして自分が彼に会いたかったのか分かった。

 あの夢はきっと女神が見た記憶そのものだ。あの夢で彼と惹かれ合い、そして今も自分は彼の事を恋焦がれている。


 フィーはようやく自分がずっと見ていた夢は女神の記憶なのだと確信する。

 女神は夫が死ぬ度に森の木の下で長い眠りにつく。夫もそれを知っていて女神を起こしに行く。そして二人は夫の寿命が来るまで共に生きた。それを何百年もの間繰り返した。

 だがあるときを境に女神は気が狂い夫を何度も殺すようになった。それでも夫はきっと自分の妻が寂しがるからと殺されても何度も彼女の元へ帰る。


 最終的に二人はどうなったのか分からない。だが夫の方は妻に対して献身的だった。ロイクも女神の夫も尚自分の愛する者に対して一途なのだとフィーは思った。

 フィラデルフィアは彼のその表情に胸を抑え琥珀の瞳を、悲しく歪ませようとしたのを堪え、彼女は無理やり笑顔を作る。


「どういたしまして」


 自分が見せた精一杯の強がりだった。



―――



「それで話って何?」


 夕食後フィラデルフィアの元に来たウォルファングは誰もいない場所で話がしたいと言って向かった先は、寒さで誰も外に出ることがない中庭ではなく中庭の反対側にある建物の裏だった。


 昨日フィーが暴走した場所でもあり、日の当たらないそこはまだ雪が残ったまま足跡がぐしゃぐしゃに残っていた。

 おもむろにウォルは被っていたままだったフードを脱いだ。


「……今年の春にはここを出る。従軍するよ」


 ウォルの目はしっかりとこちらを向いている。春になれば二人はこの孤児院に入って一年が経過する。フィーよりも背の低かった彼はこの数ヶ月で逞しくなった。

 まだ背丈は彼女の方が高いけれど、彼は魔法や魔術では彼女の方が勝っていても、剣術や体術では上だ。

 だが彼がその判断をするにはとても早すぎる。世間が大人と判断するまであと三年。

 十三になってもまだ成長はするし、特に男性はその時期からよく育つということをフィーはマーガレットから聞いていた。


「ま、待ってよ……まだ私たち十歳だよ……?」

「従軍する奴は早くて六歳から軍事学校で訓練を重ねてる。俺なんて遅いくらいだ」

「それでも孤児院は」

「ロイクには話をつけた。決めたんだ」


 孤児院を出ても彼とはずっと一緒だと思っていた。ウォルもきっとそう思っていたはずだ。

 同じ村で生まれても同じ時間を過ごしていても、二人の道はいつか別々の所へ行ってしまうのか。


 故郷の村が焼かれてから、泣き虫だったウォルは泣かなくなった。その代わり姉だと言って前を歩いていたフィーは隠しこそすれども、心は弱くなって行った。

 その証拠に昨夜は夢と現実の判別ができなくなっていた。


『彼女はおそらく人間が嫌いだった』


 長く共に女神とすごした彼はそう言った。


 本当にあの悪夢は人間が嫌いになりそうだと思った。

 幼い頃から愛されていたのに裏切られた絶望。異端であると幾度となく炎に焼かれ命からがらに逃げても別の所では石を投げられ、老いることの無い身体は辱められた。


 理不尽だった。ただ彼女はただ他の人間同様に愛し愛されたかっただけなのに、いつしか女神は人間への憎しみだけが残り人の愛し方を忘れてしまった。夫に出会うまでは。


「……そんなに、村を焼いた人達が憎い?」

「あぁ」

「殺したいくらい?」

「あぁ」

「……ダメだよ……そんなの……」


 ウォルはそれほど憎んでいた。けれどフィーは憎しみだけで動いても何も残らないのは悪夢で嫌という程理解している。

 今も尚あの悪夢は夫と過ごした楽しかった記憶と交互に浮いては沈んでを繰り返す。人間への憎しみが消えず何度も女神は自分の夫を殺していた。


 自分は女神の夫ではないとロイクは言う。だが顔も魂も同じ。記憶もある。自分はあと何回彼を殺せばいい。ウォルは軍に行って何人の人を殺すのか。


「私は、殺して欲しくない」

「戦争は終わった。もう復讐したい相手以外に人殺しなんか」

「『いいえ!終わるわけが無いわ!!人間はそれを一度も覚えやしない!』」


 自分の言った言葉に両手で口を塞いだ。

 今、自分はなんと言った。人間。自分も人間だろう。ただ種族が珍しいと言うだけで。

 いや火傷であんな化け物になるなんて人間ではないのかもしれない。

 誰彼構わず襲いかかるなんておかしい。人一倍夜目が効くはずの自分が人の区別が出来ないなんて有り得ないのに。フィーは確実にロイクを殺そうとした。


「フィー……?」


 ウォルがフィーの様子を見て怪訝に思い、数歩彼女に近寄る。

 彼女は自分が離れていく事に悲しんでいるのではない。歯をかちかちと鳴らし、何かに怯えている。


「……どう……しよう……私、ロイクを……本当に殺すかもしれない……!!」


 ウォルは意味が分からなかった。自分が暴走することに対して怯えているのなら分かる。

 だが何故彼女はロイクを殺すと思った。彼女は何かに怯えている。今まで強がっていたフィラデルフィアは何処へ行ったのだろう。彼女がそうさせるのは何なのか。


「フィー?」

「……黙ってて、ごめんね……ずっと……私……怖い夢を見てた。何度も石を投げられた。何度も燃やされたり、く暗い洞窟に閉じ込められた……。大好きな人に出会えても、人間が憎くて……何度も……私は……ロイクにそっくりな人を殺した……!

 私ロイクが大好きだったんだ!でも、ロイクは奥さんのことが好きで……苦しくて、本当にころしちゃったらどうしよう……どうしよう!!」


 フィラデルフィアは泣き崩れた。彼女がこんなに泣き崩れる所を見るのは初めてだ。

 もうフィーは耐えられなかった。どんなに転んでも、名前が貧乏草だと罵られても、両親が殺されても泣かなかったフィラデルフィアにとって耐えられないものが、愛する者を殺すことで、その相手は一番長く共に暮らしてきたウォルファングではない。

 泣き崩れるフィーをウォルは抱き締める。彼女がそうして欲しい相手は自分では無いのに。


「私、ころして、ないよね?……誰もころしてない、よ、ね……」


 ウォルはあの日の記憶を思い出す。炎の中遠くから射撃されるという状況よりも恐怖した出来事を。

 フィーはひしとウォルの腕を掴んだ。

 ごめんなさいと、震える唇で紡いだ。彼女は両親の言う通り【核】を守ろうと彼女の父の魔力核を体から取り出して口にした。


 フィーが親の心臓を食べた。きっとそれでフィーは化け物になる原因を作ってしまったとウォルは思った。

 それは昨日からずっと考えていたこと。そして確信する。彼女はやはり、外に出ては行けない。


「……俺は、フィーを守りたい。強くなりたいから軍に行くんだ」

「ウォ、ル?」


 そしてウォルファングは決意する。彼女を化け物にさせない。村を燃やしたやつらは憎んでも、人間を憎ませたくない。彼女は人間だ。


「学院に行って、ロイクから離れろ……俺は、強くなって、お前を迎えに行くから」


 ロイクは決心する反面、彼女のその様子に安心していた。

 彼女が親の魔力核を口にした罪を認めたこともそうだが、彼女はこれまでロイクに弱みを見せることがあっても泣くことは無かった。彼女が強がりだということを昔から知っていた自分にも。


 そんなフィラデルフィアが涙を見せる相手が、自分でよかった。


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