泊まっていったら、という智美の提案を断って、私は一人家路に就いていた。


 寮の友達の部屋は多少は何かの用事で行き来したことはあったが、誰かの家に行ったのは考えてみれば初めてだったな、と今更思った。


 風も凪いでいて、なんだか静かで。


 何故だろう。

 一人になるとほっとするし、普段だと他人と帰ることもあまりないのだが、さっきの智美の騒がしい様子を見たあとだと、ちょっと淋しい。


「訳が分からない」


 そう呟きながら、学校の正門の前を通って、葉桜の列を抜けて、寮に向かう。



 藍天学園の寮は基本的に1人部屋だ。

 全寮制というわけではない。翔栄町までは鉄道も通っているので通学している人もいるし、中には町中にマンションを借りている人もいるし、智美みたいな自宅生もいるが、快適なことから寮住まいを選択する人が多い。


 実際、文句を付けるとすれば若干建物が古くなっていることぐらいで、寮費の安さなどは本当に申し分ない(……この費用はどうなってるんだろう)。


 だけど、正直、母親を一人残して寮に住むことに、私は抵抗があった。



 父が亡くなったあと、母は幼い私を連れて、島を去って、町に出てきた。


 島に残っても仕事はなくなって貧しい生活しかできなかったからとか、私の教育のためには町に出た方が良かったとか、母はそういうことを後に私に口にしていたけれど。もう一つ、父親との思い出が詰まった場所に残ることは、母にとって苦しかったのではないかと密かに思っている。


 だけど、父との結婚を反対され、喧嘩別れ同然で飛び出していった実家に、母は戻ることはできなかった。

 ――それすらも伝聞の欠片にすぎない。母の両親と言えば私にとっては祖父母に当たる人のはずなのに、私は自分のおじいちゃんやおばあちゃんのことを知らない。母がどこで生まれたのか、祖父母はどんな人だったのか、あるいは生きているのか死んでいるのか――母はそれを話すことすらなかった。


 ただ、二人でずっと暮らしていくのだと思っていた。



 だけど、母は私に向かって言った。


「……衣乃はもっと、同年代の友達と一緒に過ごす時間を持たないといけないわ」


 狭いアパートの小さなテーブルで、二人で食卓を囲みながら――というより向かい合っているだけだが。


「お母さんは、自分の生きてきた道に後悔はないし、これからも後悔はしない」

 そう言いながら、私の目を見る。


「だけど、衣乃――貴方が私と同じような人生を送る必要は無いから。違う世界を見て来なさい。高校で一緒に過ごす友達とか、きっといちばんいいと思う」



 私はその言葉に納得したわけではなかった。


 だけど、それに反論すべき言葉もなかったし――率直に言えば、母親がそう言ってくれるのなら、違う環境に行きたいという気持ちもなくはなかった。


 幸いにも藍天学園という学校は奨学金制度が充実している。自慢じゃないが成績はわりと良い方だったし、無事奨学金を受けて進学できることが決まった。


 それで自分が変わったのかは、分からない。

 勉強をして、部活もして、沙織ともそれなりに仲良くなって。将来のことはまだ、よく分からないけど。


 ともかくも、今、私はこうしてここにいる。


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次回は2話更新します。

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