……甘い。


 ストローで一口飲んで、私は思わず少し顔をしかめた。

 不味いとは言わない。だけどこれは私の中では飲み物ではない。これはスイーツだ。


「先輩、変な顔してます」

「そうか?」

「甘いもの苦手なんですか」

「別に苦手じゃない、ちょっとびっくりしただけだ」


「……え、先輩バニラシェイク飲むの初めてなんですか」


「ああ」


「そんな人いるんだ……」

 心底驚いたような口調で言う。


「別にいてもおかしくないだろう。あまりファーストフードとか来ないし、来ても普段コーヒーとか頼むし」

「おかしいです、じぇーけーじゃないです」

「じぇーけーって」

「女子高生です」

「じょしこうせいでいいだろ」

「どっちでもいいです。そういう問題ではないです」

「どういう問題だよ」

「先輩はもう少し、普通の女子高生らしいことも楽しむべきです」


「……普通ってなんだろう」

 そう言ってから、ちょっとだけ意地悪をしたくなった。


「そもそも智美だって、『普通』に入るのか?」


「……急になんですか?」


「智美の父親、明空トータなんだろ?」


 その時、智美はちょっと目を見開いてから。


 なんだか寂しそうな顔をした。


「はい」


「……道理であんなお屋敷に住んでるわけだ」


「それって普通じゃないんでしょうか」

「普通とは見てもらいにくいんじゃないか?」

「自分でやったことならまだ普通じゃないかもしれません。だけど、それは父のことです」


 そう言って、私の方をきっと見つめる。


「普通だ、普通じゃないと言われても、そもそも私は何もできません」


 なんとなく、触れられたくない話題なんだろうと思った。


「まぁ、それはともかく」


 だから私は、黙ってシェイクを飲んでから。

 甘い。

 話題を切り替えることにする。


「普通の女子高生にしても、運動神経は平均以下のような気がするけど」


「えぇ」

 不意打ちに変な顔をする智美。


「責めるわけじゃないけど、ただ興味として聞きたいんだ」


 そう言いながら、自分でもちょっと意地が悪いなと思った。

 シェイクなんぞでニヤニヤされた意趣返しではない、これは。


「智美は何故、陸上部に入ったんだ」


 ちょっと言い方がきついかな、と思ったが、智美はあっけらかんと答えた。


「……なんででしょうね」


「別に走るのが速いわけでもないし、陸上が好きでたまらないってわけでもないと思うんだが、正直」


 一瞬真剣な顔で宙を見つめてから、短く言った。


「なんとなくです」


「なんとなく、では勿体なくないか、毎日のように練習とかして」


「……でもじゃあ先輩、全国大会とか目指そうと思ってます?」

「行けたらいいなとは思ってる」


「じゃあ、全国大会で優勝とか」

「さすがにそれは簡単じゃないだろ」


「将来陸上関係でごはんを食べて行きたいとか」

「……まぁ、そこまでは考えてないな」


「だったら、結局最後は自己満足なんじゃないですか」

「……かもしれないが」


「それでいいんじゃないかと思うんです。もちろん、部活としてやるからには自分なりには頑張るけど」


「でも、それなら楽しいことをやった方がいいんじゃないのか?」


「先輩、勘違いしないでください」

 少し強い口調で言う。


「楽しくないわけじゃないんですよ」


 シェイクのストローを少し吸って、続きを口にする。


「確かに最初はなんとなくでしたけど、みんなと陸上部で過ごすの結構楽しいんです」


「そっか」


 上手く言えなくて窓の外を見る。同じ制服を着た学生たちが駅へと向かって歩いていく。


「それとも、楽しいだけじゃ駄目なんですか」


 これは言ってもいいんだろうか、と一瞬悩んでから。

 質問に質問を返す。


「智美の父親は、楽しんで今の地位になったと思うか?」


 それはわりと有名な立志伝だった。


 明空トータは若い頃に――若い頃というより少年時代に、波瀾万丈の冒険をしている。いくつの頃とははっきり知らないが、もしかすると今の私より年下かもしれない。


 簡単にまとめると、巨悪と闘って、富と栄誉を手に入れた。

 その話に「楽しい」とかそういう要素はあるように思えない。


「父のことは分かりません」


 少しむっとしたような顔で、智美は言った。


「正直、私も父とそこまで深い話をしたことはありません。……ただ、父はよく言っていました」


 そこで智美は少し目をつぶった。


「後悔しない生き方なんてないから、今自分がやりたいと信じていることをやりなさい、と」

「後悔しない生き方、か」


「先輩は、後悔とかないんですか」


 それはあまりにも直球な質問で。

 なんと答えればいいのか分からずに、私はストローをくわえた。


 ずっと甘ったるいと思っていたのに、その時の一口だけは、全然甘さを感じずに、なんだか酸っぱいような気がした。


「今はただ、走り続けているだけだよ」


 陸上の話をしているのか、それとももっと大きな話をしているのか、自分でもわからなかった。


 そして私は、少しだけ、ほんの少しだけ、その話題から逃げた。


「それより智美、もう一つだけお礼を頼んでいいか?」


「なんでしょう」

「ちょっと興味があるんだけど、明空の家に一度遊びに行っていいか?」


 智美は意外そうな顔をした。


「先輩も、そういうの興味あるんですか?」


「ま、ちょっと」


 智美は正直なところ、ちょっと気が進まないような表情を浮かべた。


「……いいですよ」


 そう言って、にこっと笑った。


「いつでもいいですけどいつがいいです? 明日とかでも大丈夫ですけど」


「それなら、明日でいいか?」

「分かりました、お待ちしてます」


 拍子抜けするくらいあっさりと言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る