3
夕方の部室というのはだいたいにおいて人が多く雑然としている。
それぞれの練習が終わった部員が帰ってきて、ただでさえ人数は多くて。
しかもその後すぐ家路につくかというと、そのまま下校時刻まで雑談をして帰る子が多くて。
汗くさい臭いが充満して、それにシャワーの後のほんのりとした温かみが混ざって。音と匂いと体温とが充満する。
そんな中で私は、黙ってその日の反省をしたり、色々と考え事をしたりするのが日課となっていた。
その日も後輩たちががやがやと話している。
「でも、今日は智美なんで休んだんだろう」
誰かが話題にしているのがふと耳に入ってきて、会話に割り込む。
「――多分、定期の再発行かな」
「え、智美また定期落としたんですか」
「また、って前にもあったのか」
智美って1年生だよな。まだ1学期だよな。
「前にぼやいてました。何度も落とすので1か月定期しか買わせてくれないそうです」
「……ひどいというのか、何と言うのか……」
「でも、なんとなく納得しません?」
まぁ、確かに明空らしいと言えば明空らしいが。
「そう言えば、困ってた明空を家まで送っていったんだが、大きな家だな……」
「……あー、あの屋敷ですか」
「それ。すごい立派な屋敷だが、明空の家って何をやってるんだろうな」
「あれ? 先輩、知らなかったんですか?」
「何がだ」
「智美の父親、明空トータですよ」
「え」
私は思わず立ち上がった。
部室にいた部員たちが一斉に私の顔を見る。
「明空って、あの明空トータの子供なのか」
「『あの』かは分からないですけど、テレビによく出ている明空トータです」
「……本当に」
驚きの余り立ち尽くす。
明空グループと言えば日本を代表する大企業。その社長である明空トータは一代でグループを築いた立志伝中の人物だ。若い頃のエピソードから子供たちのヒーローだったりもする。
その印象の反面、テレビのバラエティー番組にも時々出て、庶民的だったり天然ボケの入ったような発言をしたりする姿は、好感度ランキングにも時折顔を出すような親しみやすさがある。
私にとってはある意味ではとても馴染みの人間で――だからこそ、どこか遠い世界の人間だと思っていた。
「沙織は知ってたのか?」
小声で言うと、沙織はにこっと笑った。
「まぁ一応はね。特に言いふらすことでもないし」
「……それはそうだが」
何だか自分だけが仲間はずれにされてたような複雑な気分になる。
*
帰り道、駅前の商店街を歩いていると、前から智美が駆け寄ってきた。
「先輩!」
その明るい口調でなんとなく結果は察したけど、一応訊いる。
「定期はあったのか」
「無事見つかりました。駅への横断歩道の手前に落ちていて、拾った人が警察に届けてくれてたみたいです」
「……そうか、良かった」
他人事とはいえほっとする。
「はい!」
何か言おうと思ったが、嬉しそうな顔に結局何も言わないことにする。
「で、先輩。先日のお礼を何か出来ませんか」
「そういうのはいい」
「でも、何かしたいんです」
まっすぐじっと見られるとどうも苦手だ。
「まぁ、飲み物ぐらいなら」
「分かりました!」
嬉しそうに言うと、アーケード街をてくてくと歩いて行く。
智美に連れられるように、ファーストフード店に入る。よく見かけるチェーン店だが、正直あまり入ったことはない。
「ブラック……」
そう言いかけたところで、智美が割り込んできた。
「私はバニラシェイクで。先輩も同じでいいですか?」
おごってもらうのに反論する気にもならず。
「……じゃあ、私も同じで」
「バニラシェイク2つ!」
「はい、バニラシェイク2つですね。ご一緒にポテトはいかがですか?」
店員さんが繰り返すのを、何故か智美はにこにこと、私は妙な顔で見ていた。
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