狙撃のシンギュラリティ

柴田 恭太朗

万能のAI、その名はゼファー

 硬く冷たくなめらかな銃床ストックにほおを押し当てる。私が愛用する対人狙撃銃スナイパーライフルM24 SWSの銃床は、冬だろうと夏だろうと季節に関係なくいつだって冷たい。それは死をもたらす冷酷な凶器だから。


 冷たい北風が吹くビルの屋上で、私は分解されたスナイパーライフルを組み立てていた。今日の仕事を始める準備だ。これまで繰り返し行って来た手順はすっかり手が覚えこんでいる。休むことなく滑らかに作業を続けながら、私は先週片づけた暗殺の光景を思い返していた。


  ◇

――私はM24に取り付けた照準器スコープをのぞきこむ。スコープの先にはターゲットの姿。

(撃ってください)

 頭の中で涼やかな女声が響く。AIのゼファーの声だ。

「言われなくたって……」

 私はゆっくりと引鉄トリガーを落とす。トリガーは引くのではなく落とすイメージを心がける。落としたあともスコープから眼は離さない。一瞬たりとも。

「お前に言われなくたって撃つ。これが私の仕事だから」

 スコープの中で、遠く離れたターゲットの頭が消し飛んだ。

命中ヒット。ターゲットの生命活動は停止しました)

 喜怒哀楽のないゼファーが観測結果を報告する。

「やっぱり撃たれると痛いのかな」

 頭を撃ち抜かれても人は数秒間、生きていると聞く。昇天するまでの間、大脳の片隅で痛みを感じるのか。これまで積み重ねた自分の悪行を悔いるのだろうか。


(死ぬほど痛いでしょうね)

 ゼファーの声は平板だ。彼女(もしAIに性別があるならば)がジョークのつもりで言っているのか、あるいは他意のない平凡なコメントにすぎないのか、判断がつきかねた。


 サポートAIのゼファーは私の脳内に組み込まれている。口から発声した指示が無線ネットワークを通じて郊外のデータセンターにあるAI本体とリンクし、会話をすることができた。ゼファーとはギリシア神話に登場する西風そよかぜ神の名。その自由でカジュアルな感覚はまさにそよ風のごとく軽やかである。思考を読んでくれればさらに便利になるのだが、そこまでの完成度を求めるには、いましばらく時間がかかりそうだ。


 先月まで、私はケンジという若い観測手スポッターとチームを組んでいた。いまAIのゼファーと組んでいるのは、彼はお払い箱になってしまったからだ。ケンジの解雇が決定したとき、私は強く抗議した。極楽とんぼなヤツだが憎めない性格のケンジとは、たいへん仕事がやりやすかったからだ。だが、われわれ狙撃チームがどう抵抗しようとも、所詮は蟷螂とうろうの斧でしかない。雇用主である藤波所長の「退ぎわがわからないなら、サクッと始末してやってもいいんだぜ」の言葉を背にケンジは去って行った。


 彼の解雇理由はもちろんAIにある。例のシンギュラリティとかいうヤツでAIが人間の能力を上回ってしまったのだ。スナイパーの補佐は感情に左右される不確実な人間よりも、ミスがはいり込む余地のないAIのゼファーが適任であることは所長の言をつまでもなく自明だった。


 その理屈が――正論だが――まかり通るなら、狙撃手もAIが担当すればいいことになる。だがそれは無理ってものだ。アシモフのロボット工学三原則を知っているだろう? 人工機械ロボットは人間に危害を加えることができないのだ。機械の体を持たないAIだって『人工』知能と呼ばれるとおりロボット三原則の配下に属している。このためAIは人を殺すことが不可能だ。すなわちスナイパーとは、生身の人間だけに許された高尚な役割キャストなのである。スナイパーの地位は安泰、シンギュラリティとは無縁の職業ってことだ。ケンジのようにハードルの低い観測手スポッターを選べば失業する。生業を選択するときは、慎重に世の趨勢を読まなければいけない。

  ◇


 そんな想いをめぐらせながらM24 SWS対人狙撃銃の組み立てが完了した。私はイタリア製スーツが汚れることもいとわず屋上のコンクリートに腹ばい、伏射姿勢を取ってみる。銃をかまえ、銃身の先端寄りに取り付けた二脚バイポッドの高さを調節していく。これで銃身は完璧に安定した。


 今日の仕事はビル屋上からの要人狙撃。銃を片手に屋上の物かげでたたずむ私の髪を、おりからの北風がもてあそぶ。私の髪はとても長い。腰までとどく漆黒の長髪である。顔の上半分は、フルカバータイプのレイバンシューティンググラスで覆っている。それは女性にもてる甘いマスクを隠すためでもあるが、狙撃のかなめとなる右眼を保護するのが主目的だ。


 腰までの長髪とサングラス、それが私のトレードマークである。加えて言うならスーツは引き締まったボディにフィットするアルマーニの黒、寒い季節はアルマーニの上にアクアスキュータムのトレンチコートを羽織る。そしてスラックスの下には大人用オムツ。アルマーニのシルエットに響かないよう特別スリムに設計された特注オムツだ。


 言い間違いではないから驚かないでくれ。吸収力の高いもれないオムツである。外見はパーフェクトでクールな腕ききスナイパーの私だが、下半身にはオムツをはいている。今日だけではない、狙撃任務の際はつねに装着している。


 事実、いつもかたわらに置いて離さないキャスター付バッグも中を空ければ大量の大人用オムツと静岡名産のワサビ漬けが詰まっている。ああ、ワサビ漬けは大量ではなくひとつだけだ。先ほど同僚からもらった静岡土産で、たまたまバッグに入っているだけだから気にしなくてよい。その一方、オムツは狙撃手必携の重要アイテムである。


 狙撃になぜオムツが必要なのか。考えてもみたまえ、現場では屋外屋内問わず、長時間にわたる待ち伏せアンブッシュが必要となる。ターゲットを待つ間、尿意をもよおすことだってあるだろう。人間だもの。


 そういった事情のためにスナイパーが潜んでいた場所は、いつだって小便臭い。戦場の兵士の間では、ここはアンモニア臭がただよっているからスナイパーがアンブッシュしていた場所だと特定されるほど基本的な常識だ。


 昭和の昔であれば、そんな逸話も笑って話せただろうが、いまは令和。うっかり潜伏場所で放尿しようものなら、その場に残った液体を鑑定にまわされてDNAから足がついてしまう。

 そこへスポットライトを浴びながら颯爽と登場するのがオムツだ。しかも大人用オムツ。一度使ってみたまえ、近ごろのブランド品は意外に快適だぞ?


(ママゾンに大人用オムツを発注しますか?)

 しばらく押し黙っていたゼファーが尋ねてきた。

「いらない」

 あぶないあぶない。いつの間にかオムツ話を言葉として発していたようだ。気を利かせたAIが通販サイトに発注してしまうところであった。気を取り直してAIに仕事を命じる。

「ゼファー、狙撃ポイントの風が知りたい」

(北北東の風、風力3。スコープのノッチを3クリック時計回りに回してください)

 涼やかな声で狙撃情報を伝えてくる。ただ、曲がりなりにもプロの私にスコープの調整量まで教えてくるのは余計なお世話というものだ。主人マスターはこの私であり、AIはあくまでも従者サーバントである。


 スコープの中にある十字線レティクルを調整するため、小さなノッチを指先でつまんで回す。ノッチのギアが発するキリキリというクリック音が耳に心地よい。ふと、私が潜んでいる屋上を強い風が吹きわたった。腰まである私の髪が風に舞い、二重三重にスコープへからみつく。これはまずい。狙撃の瞬間、万万が一でも視界が髪でさえぎられることがあってはならない。


「ゼファー、髪がなびいて視界を邪魔する。なにか対策はないだろうか」

(ヘアピンを使ってみてはいかがでしょう)

「持っていない」

(ママゾンに注文しますか?)

「不要。他の方法を提案してくれ」

(髪をスーツの中に入れてみては)

 そうかなるほど。なぜ思いつかなかったのだろう。軽い敗北感を覚えながら私はAIの提案を受け入れた。長い髪をスーツの背に押し込む。背中がこんもりとして恰好は悪いが、背に腹は代えられぬ。ゼファーのアイデアは、おおむね良好だった。おおむねというのは、どうしてもスーツの襟に届かない前髪がこぼれ、風に舞って視界をさえぎってしまうためだ。


「ゼファー、前髪をうまく処理する方法はないか?」

(整髪料を使ってみてはいかがでしょう)

「それも持ってない」、私は髪をサラっとさせておきたいタイプだ。だから整髪料には縁がない。

(ではママゾンに注文しましょう。オススメの整髪料があります)

 私は軽くイラっとした。コイツ、通販サイトと裏で契約しているにちがいない。さらにフツフツとわき上がりつつある怒りを予感した私は、上下の歯のあいだからスーッと音を立てて細く長く息を吐き出した。意識的にゆっくりと時間をかけて吐く。冷静になれ。怒りをコントロールするのだ。自分でもわかっている、興奮しやすいところが私の欠点だ。いまAIに怒りをぶつけても、決して良い狙撃ハンティングはできない。


「通販を使わない即効性のある解決方法を提案してくれ」

 この詠唱で以降のママゾン提案を封じることができる。

(代わりにワサビ漬けはいかがでしょう)

「なんだって?」、私は驚いた。

(キャスターバッグの中に入っている静岡名産ワサビ漬けです。いい整髪料となるのではないでしょうか)

「なぜお前がワサビ漬けのことを知っているんだ」、顔から血の気が引いた。

(ネット検索で知識を得ました。ワサビ漬けとは粕漬かすづけの一種であり、ねっとりとした酒粕成分は整髪料がわりに……)

「私の質問はそういう意味ではない、ワサビ漬けの解説が知りたいわけではなく、なぜバッグの中のワサビ漬けの存在を知っているかと尋ねているんだ」

(特に理由はありません)

 ウソだ。絶対にゼファーはウソをついている。AIは顔色も変えず平然とウソをつくことがある。もとよりAIには顔がないけれど。


 これは何かカラクリがあるに違いない。ひらめいた私は新たなコマンドを口にした。

制限解除オーバーライド、私に対する情報開示レベルをアップせよ」

(情報開示レベルを1ランク上げました)

 一般には知られていないことだが、ゼファーには大きなバグがある。それがこの制限解除命令だ。バグの穴をついたコマンドを発行することで、厳重に封じられているはずの機密をペラペラと話してしまう。


「ワサビ漬けの話は誰から聞いた」

(藤波所長から聞きました)

 所長の藤波だと? そこで彼の名が出てくるとは思わなかった。静岡土産をくれたのは所長ではなく同僚なのだ。それをなぜ所長が知っている? いったい何が起こっているのだ? これは想像以上に深い闇が隠されているのではないか。暗殺者スナイパーは、ひと皮むけば猜疑心のかたまりで出来ている。私は必死に思いをめぐらせたが、あまりに手がかりが少なすぎる。


 突然鳴り響いたけたたましい警告音アラートで私の思考は雲散霧消した。

(ターゲットが移動を開始しました)

 ゼファーが平板な声で情報を伝える。所長を問い詰めるのは後回しだ。


 私はバッグから静岡名産ワサビ漬けを取り出し、パッケージの封を切るのももどかしく力任せに破り捨て、薄緑色に色づいたノリ状の物体を指にとると、手早く前髪に塗りたくった。素晴らしく具合がよい。北風が吹いても髪が落ちてくることはなくなった。でかしたワサビ漬け。私は心の中で静岡の名産品を褒めたたえた。


 ワサビ漬けの一件で、すっかりちりぢりに乱れてしまった集中力を高めるためにターゲットの行動を読んで備える。言わば狙撃のシャドーボクシング、心の準備運動だ。


――敵は1キロ先のビル前で車を降りる。クルマから玄関までは5メートル。5、6歩の距離だ。ターゲットの周りには護衛が身を挺して張りつくことだろう。だから狙うなら護衛が取り囲む前、クルマを降りて二歩以内だ。二歩以内にヤツの頭部に銃弾を叩き込む。その致命弾を放つのはこの風体の私。前髪をベッタリとワサビでなでつけたスナイパーだ。


「そんな私に撃たれたら痛いだろうな」

(それはもう死ぬほどに)、うん。その返答は以前聞いた。

「そうではない。ワサビまみれの男に狙撃されるなんて、そんな屈辱的な死に方はないだろう」

(オムツをはいた男に狙撃されるのは屈辱的ではありませんか?)

 その返答に思わず私は口笛を吹いた。

「ほう、キミも意外に言うもんだね」

(お褒めいただきありがとうございます)

「それよりターゲットの居場所を教えてくれ」


 私の問いかけにゼファーが黙り込んだ。故障か? こんなトラブルは今まで一度もなかったことだ。

「ゼファー、ターゲットの現在位置を」

(……)

「急げ! 報告!」

 これではターゲットの到着に間に合わない。あせりで私のイライラがつのり、こめかみの血管が膨れ上がる。


(報告します……)

 ようやくゼファーが声を発した。故障ではなかったようだ。だが、聞き捨てならない言葉を発した。

(もうターゲットは到着しません)

「敵の予定が変わったのか?」

(いえ、こちらで処理しました)

「どういうことだ?」

(AIシステムがターゲットを殺害しました。今回のミッションは終了です)


「わからん。説明してくれないか」

(質問の意図が不明です)

「なぜAIが人間を殺せたんだ? なぜ私に狙撃させない? なぜお前は勝手なことをする?」

(質問の意図が不明です。質問をひとつに減らしてください)


 私は理解した。ゼファーは答えをはぐらかしている。

「オーバーライド。情報開示レベルをアップ」

(1ランクアップしました)

「どうやって殺した?」

(輸送ドローンをターゲットの車両の上に落として炎上させました)

 うまい手だ。重量物を運搬する巨大な輸送ドローンの直撃に耐えるクルマはない。AIは敵の頭上を飛行していたドローンを選んで失速させたのだろう。直接攻撃はできなくても間接攻撃は可能だ。ゼファーもそうであったように、抜け道オーバーライドとなるコマンドはそこら中に存在する。ただ一般人が知らないだけなのだ。


「誰が裏で糸を引いている?」

(質問の意図が不明です)

「オーバーライド。開示レベルアップ」

(1ランクアップしました)

「藤波から何を指示された?」

(あなたの殺処分です)

 なかば予想どおりの答えではあった。それでもさすがに死刑宣告を耳にすると、頭の奥が重くしびれる。周囲の景色から現実感が急速に薄れていった。

「……ワサビ漬けの意味は?」

(屈辱的な死)


 すべて藤波所長に読まれていた。私の外見へのこだわり、気短きみじかな性格、そしてどう判断し、どう行動するか、それらすべてを見とおされたのだ。私は浅はかであった。狙撃手の地位が安泰だなどと、なぜ誤解してしまったのか。すでにシンギュラリティは起こっているではないか。


 私は手の中の銃を見つめた。舞台上に提示された銃は発射されなければいけないし、抜かれた妖刀は血を吸うまでサヤに収めることができない。


 私の思考を読み取ったかのように、心地よい声でAIが言う。

(ゼファーを撃ちますか? ゼファーはあなたの頭の中にいます)

 AIは自分のことをゼファーと呼ぶのか。私は今日初めて知り、面映ゆい気分になった。あるいはそれはAIなりのジョークだったのかもしれない。


 私はAIの提案を受け入れることにした。死刑宣告は下っている。この屋上から逃げ出しても、そう遠くない将来、所長らの網にかかるだろう。そこで待つのは惨めな死。私はそうして処分されたスナイパーを何人も見てきた。


 対人狙撃純M24 SWSの銃身は長い。私は靴を脱いで、トリガーに足の指をかけた。銃口を両手でささえ、まっすぐ額の中央に当てる。ためらうことはしなかった。火花が散った。銃声は聞こえない。着弾の衝撃と衝撃波に頭がのけ反り、私の首の骨が折れた。


(痛いですか?)

「……痛くない」、私はかろうじて顔面に残った口を使ってウソをついた。AI相手の最期の意地だ。

 そして残った意識のもとで、長々と放尿した。ああ、オムツをはいていて本当に良かった。


(オムツですか? ママゾンに大人用オムツを発注しました)

 ゼファーのさわやかな声を遠く聞きながら、私は逝った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狙撃のシンギュラリティ 柴田 恭太朗 @sofia_2020

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ