語り部

北緒りお

語り部

 一つの言葉が意味を持った音とともに魂の力も伝わり、祈りや祝い、またしては呪詛まで、誉れであろうと威圧であろうと深く人を動かす道具として使われていた頃のお話です。

 農業はまだ未熟で、狩猟や簡単な罠で動物を仕留め、そして食餌としている、そんな暮らしをしている人々の中にありながら語りに秀でた物が引き立てられ優遇されたのでございました。

 後の世では語り部として呼ばれている役目がございます。

 もともとはその土地の豪族などの権力者に仕え、その一族の歴史や戦記などを口ずさみ、そして語り継いでいく役割として飼われていた、とされています。

 言葉を操る名手であるが故に、ありとあらゆることを意のままに〝語り〟として成就させることができます。その反面、自分の言葉で語ることを忌避とし、その日常はとにかく黙し静謐の中で過ごしているのでした。

 今の世ならば、口を動かさなくとも文字を通じて言葉を放ったり受け取ったりとできるのですが、その文字自体ができあがる前のことです。それこそ、数を遺しておくのにも藁を編み、牛や羊の数と同じだけの結び目を付け、どれだけであったかを記していたような時代のことでございます。人の動きが少ないのもあり、言葉はその村の中で発芽し育ち、他の村から流れてくるわずかな言葉と駆け合わさり、醸造され、そして、精錬されていくのでした。

 生き物が長い歴史の中で姿を変えていくかのように、言葉もその置かれている環境を養分として姿を変えていきます。


 物語は、おなごとして初めて語り部となる者が小さい頃、まだ雑務を片付けるぐらいの仕事をしていた頃の話で、初めて語りと出会い、語り部を意識したときのお話なのでございます。


 物静かな離れの部屋の中心、人が四人も入れば座るところがなくなるような広さの部屋にいささか世捨て人のような、それでいて妙にさっぱりとした身なりをした男が一人座っています。

 静寂を自(みずか)らの傍(かたわ)らに置き、部屋に流れる空気のわずかな揺らぎすら把握しているかのように場を制圧し、周りの者が寄りつけないような空気をまとっているのでした。この男は語り部として、多くの言葉を身に付け、自在に操り、なおかつ、不要な言葉を発せず、用がなければ数日でも一言も発しないような日々を送っていたのでした。

 部屋の中から見えている草木はすっかりと寒さと乾燥で力を失い、寒風と氷の季節になっています。

 村の民は大地の上に直接柱を組み住まいとして居るのですが、語り部は権力者に飼われている身の上です。民とは違う高床の住まいに座し、大地から来る冷えもなく、火を炊き続ける薪も自分でかまわなくとも周りの者が用意をしてくれるのでした。

 やることと言えば、村の長老が語り部に語る古(いにしえ)の話を、半句も漏らさずに自分の中に納めていくか、そうでなければ権力者が連れてくる他の地方の豪族に、この地の話と、主の武勇について語り、そして従者として連れられてきた語り部と互いに互いの主人の武勇について語り合うのでした。

 武勇とは、その力を飾る装飾でございます。

 事実をそのまま伝えるという〝記録〟ではありません。

 例えば、狩りに出かけ痩せ衰えた鹿をようやく一頭仕留めたとしても、語り部から語られるのは、天を突くような立派な角を持つ筋骨たくましい鹿を仕留め、その狩りも矢を何本も打てども、立ち向かってくる鹿に果敢に挑み、とっさの一瞬で心の臓をめがけて放った矢が命の鼓動を止める、という話にならないといけません。

 出来事の写実では、沼にはまり弱り切っていた年寄りの鹿を、動かなくなるように仕留めてから皆で縄をかけ泥沼から引きずり出し成果としていても、そんなことは語りにはならず、立派な角を持った鹿を一撃で仕留め持ち帰ったと語るのがその役割なのでした。

 今の言葉で言えば、虚言、誇張、粉飾、脚色などが当てはまるかもしれません。けれども、ありとあらゆる技法を使い、飾るのを求められるのでした。

 合戦の武勇は、その甲冑は堅牢で重厚であり、並の武士では身に付けて立ち上がることができない、まるで要塞が歩いているかのような重厚なたたずまい、とし、さらには、それを目にした従者もその迫力に震え上がった、などと、さも戦場で一番の豪腕だったかのように描き、語りとして遺していくのです。

 事実は語りをする上での素材の一つであり、語り部はその武勇を煌(きら)びやかにし、他の土地にも広がるように荘厳・壮大・重厚な話をするのが役目なのでございます。

 そのための言葉と素材を集め、そして編纂する。文字のない時代のことですから、そのすべては語り部の頭の中だけで行われるのでした。

 その思考と記憶を操る頭の使い方は当人以外からはどのようなものか見当もつかず、どんな出来事であっても瞬時に引き出すことができ、なによりもそれを聞かせるという力に、人々は未知なる能力、もしくは異世界の力を見るかのように感心し、畏怖し、敬っていたのです。

 権力者がその力を誇示するかのようにこしらえた広大な屋敷の奥まったところに離れがあり、そこが語り部が寝食をしている部屋なのでした。

 常日頃、この部屋の中に詰めています。その部屋は、語り部が自らが使うための食器が少しと、簡単な調度品がいくつか、そして、外を眺めると視線の先にはいくらかの木々があり、その先にある丘が見え、四季の移ろいが常に視界に入るのでした。

 殺風景に近いようなこの部屋の中で、じっと佇(たたず)んでいます。

 語り部にあてがわれている数人の身の回りの世話をする者は、暖をとる薪から食餌の世話、それに部屋を片付ける者も居るのでした。一番の注意を求められるのが、この片付けをする者で、何の用でもなく飾りとして置いてある杯の一つでも、掃除の中で少しでも動いてしまうと、元と違わぬように置けと、やり直しを命じられるのでした。

 それも、杯のわずかについた焼きむらの位置が違うと言うだけでもそうなのでございます。

 繰り返しますが、文字はおろか記録するための紙すらない時代です。今であれば元の状態と同じにする技法はいくらでもあるでしょうが、そんな便利な物がない時代です。もはや、細心の注意と言うだけでは足りないぐらいに、注意を重ねに重ねての給仕が必要なのでした。

 何人かが勉めては辞め、そして新しい者が働き始め、また辞めと繰り返していたのですが、ある小娘がその仕事をあてがわれ、生まれ持った性分がこの仕事に向いていたのか、それとも細部にまで気がつくという能力が長けていたのか、語り部の満足する仕事ができ、疎まれずに役割を続けることができたのでした。

 語り部の部屋を掃除するのは、他の部屋を掃除するのとは訳が違います。

 塵(ちり)を払う、汚れを落とすというのは部屋に居続けている語り部のことなので、たいしたことはございません。杯や調度品もそんなに数があるわけではなく、他の部屋に比べれば何もないのにも変わらないような部屋なのでした。

 けれども、その置き方はもちろんのこと、向きや重ねる順も元あったようにするのが求められ、その細かさ故(ゆえ)に難しさが増していたのでした。

 この小娘は黙々と部屋を掃除し、部屋の物を動かそうとするときには、その前に一呼吸だけその様子を観察し、そして用が済むと元と同じように置き直す、という文章で伝えるだけならば数行のことでも、実際にやろうとするとまねのできないようなことを、さも流れ作業化のようにやってのけたのでした。

 語り部はその仕事に満足しているのか、眉一つ動かさずに、小娘が掃除をするのにすぐそばで動き回っているのも何もないかのようにたたずんでいるのでした。

 常日頃、何も語らず一言も無駄な言葉のない語り部、その身の回りを世話するのも黙々と手を動かす小娘、似たようなのがそろっているかのようなのでした。

 今では、片付けごとや水を出す、出してある占い具の動物の骨を元あった場所に戻すなどの仕草も、さも語り部の指先かのように動いてくれるので、空気のようでありながらも頼るようになったのでした。

 ある日のこと。

 他の国の同様の者と延々と語り続け、やっとのことで自室に語り部が戻ってきたときのことです。

 普段は全く話をしないのが、こういうときは普段熟成している言葉を徹底的に使い、そして、相手が語る新しい言葉をこれでもかと浴びてきた後のことです。

 語り部はすっかりと陶酔していたのでした。

 それは相手の言葉が気持ちよかったとかそういうのではなく、いままでたまりにたまった言葉をすべて出し尽くし、そしてそれと同じぐらいにあいてから言葉を受け取るという応酬に、なにやらえもいわれぬ恍惚すらも感じていたのでした。

 部屋に戻り、小娘が出してくれた水を一口飲むと、ほぼ、初めてと言っていいぐらいに、小娘に語り始めたのでした。

 小娘には初めて聞く言葉が多く、その意味がつかみきれないところもあるものの、なにやら感謝されているような雰囲気だけは感じ取り、幼子らしく少し照れを見せてみたりしたのでした。

 話をしないようにしているのではなく、お互いに無言でいる方が都合が良く、それでだまり続けているだけであり、会話を避けているというのではありませんでした。

 とはいえ、そもそも父と娘ほどの年齢が離れているのですから、会話をしようと思っても共通の話題は無いに等しいのですが。

 小娘はただ与えられた作業が自分が得意なことと結びつき、それがたまたまこの役割と重なったというにすぎず、本人としてはやりやすい役割ぐらいにしか思ってないのでした。

 語り部は上機嫌なのもあり、日頃の謝辞に合わせ、何か知りたいことがあれば教えようと気前のいいことを言っています。

 今の情景で言えば、姪っ子に対してお屠蘇で上機嫌になりお年玉を振る舞う叔父みたいな距離感です。ただ、それが語り部とその身の回りを面倒見る者となると、知恵や知見、それに思慮についてを伝えることになるのでした。

 小娘はおずおずと、前々から不思議に思っていたことを聞いたのでした。

 語り部は、どうやっていろんな話を違えず、そして膨らまして話すことができるのか。

 普段人と話すことが少ない上に、この役目でほぼ言葉を発することのない小娘が、喉に何かが引っかかっているかのような声で聞くのでした。

 語り部は、少し思案したかと思うと返事をします。

 さっきの謝辞が小娘に通じなかったのを語り部は表情から読み取っていました。そこで平易でわかりやすくい言葉で返事をします。

 小娘に届いた言葉を、小娘の解釈で文字にし直すと、部屋の様子など、いつどこでも思い出せる風景をしっかりと頭の中で見えるように記憶しておき、それを頼りにすれば何でも思い出せる。その風景はこれから覚えようとすることを関連付けて見えるようになると、大体のものは頭の中に残り、いつでも引き出せるようになる。これが違えずに遺しておく方法なのだと言います。

 それに合わせ、飾り付けるのも必要となる、村の主が武功を立てたという話は、事実だけではなく、話の中に彩りを入れなければならない。

 弓を放っただけでとどまらず、その弓は稲妻のような素早さで敵陣に届かなければいけないし、標的となった相手の武将の心の臓をまっすぐと射貫いて貫通した屋はそのまま大地に深く刺さりさも地響きがするかのごとく大きな音を立てて刺さらなければならない。

 その彩りを作るのは、事実を正確に捉えて、それを成り立たせる要素をとりだし、それぞれの要素が特筆すべきこととなるにはどうなっていればいいかを想像し、時には深く、時には詳細に、そうかと思うと濃淡を付けるためにあっさりとした話にもし、そうすることで、話の風景として深き渓谷のように濃淡があり、そして突出するところもあれば深遠なるところも生まれ、耳にするものはその言葉の流れから離れられなくなる。

 などと言うことを言われても、小娘にはまねができそうにありませんでした。

 明日、片付けが終わったときにでも簡単な話をしてあげよう、聞いた後の方がわかりやすい。と、語り部は小娘に言うのでした。

 そう言われた小娘はなにやら特別扱いされることが気恥ずかしくもあり、うれしくもありで、いろいろな感情が入り交じりながら家路についたのでした。

 翌朝。

 部屋にいつものようにしずしずと入っていくと、語り部は姿勢を正し、小娘を待っていました。

 役目は後でも良い、まずは聞きなさいと、促され、普段では座ることもない座布団の上に座らされ、語りを聞くのでした。

 始まった瞬間から、小娘の頭の中はまるで自分が戦場で一緒に駆け回っているかのような風景が浮かび、語りの流れが濁流のようにその情景を移り変わっていくのをただただ受け止め、そして次から次へと来る情景を目にしていたのでした。

 体は座布団の上に座しているだけで、まるで野原で立ち枯れている木の幹のように微動だにせず、頭の先から指の先まで、身体のどこも動かさず、傾聴なのか没頭なのか、それとも凝視なのか、語り部から流れてくる言葉が届くたびに、小娘の視界には武功に雄叫びを上げる領主の背中が見え、放たれた矢とともに平野の空を駆け、敵陣にいる武将の心の臓をめがけまっすぐに、抵抗するもの無く、避ける暇も与えず、空から一気に降りていくかと思えば視線は変わり、倒れる敵の武将に駆け寄る敵の兵、次の矢を放とうと弓を構える領主、そのすべてがさも自分の目の前で起きているかのように感じたのでした。

 まるで自分が駆けていたかのように背中には汗が流れ、手のひらにも汗がにじみ拳の中をぬらします。

 冬の日中とはいえ部屋の中に流れる風は冷たく、座っている座布団は膝をついた瞬間にはひやりとした感触が一気に背筋に寒さの緊張が走るような冷え方です。

 にもかかわらず、語り部の言葉から語りの中に入っていった途端に、激しく走ったかのように体は上気し、何やら息苦しく、病的な苦しさではなく体を動かした後のそれと同じような、息苦しさがあり、さらには汗も流れたのでした。

 語り部が〝短めに〟としていた話が終わる頃には、なにやら重労働でもしたかのようなぐったりとした疲労が残ります。

 語りは終わったと言われても体の緊張を解いて少し背を丸めるぐらいしかできないのでした。

 これが、このこの小娘が初めて語りとで合い、そして運命が変わった瞬間なのでございました。

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語り部 北緒りお @kitaorio

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