散骨

 昭和二十五年の夏の晩に、私は祖父を殺しました。或いは、殺したという言い方は正しくないのかもしれません。祖父の金山かなやま治兵衛ぢへえはとっくの昔に死ぬべき運命にあった老人でした。治兵衛は自然の摂理せつりに背を向け、灰塵かいじんに帰する身でありながら、多くの死体の山を築き上げ、それら犠牲者の命をかてに生きる、まさに怪物のような老人でした。

迂遠うえんな言い方は止せ」と刑事さんはおっしゃいますが、これは本当のことなのでございます。金山治兵衛の正体は人の道を外れた悪鬼でございます。彼はふるかみ数多あまた生贄いけにえを捧げることによって不老長寿を約束された邪教徒でした。私は祖父をあやめたことを悔いていません。

 私は教会から洗礼をほどこされております。我が家系は代々にわたってキリスト教を信仰してきました。とはいえ、正式に教会から洗礼を受けるようになったのは、つい最近のことでございます。島原で益田ますだ時貞ときさだが乱を起こした事をきっかけに、キリスト教信者は苛烈かれつな迫害を受けるようになりました。私達のような信州の山間やまあいでひっそりと暮らしてきた信者も例外ではありません。我々は教会の導きを失った迷い子も同然の存在でした。やがて、曖昧あいまいだった教義の曲解きょっかいが始まり、異質な儀式や慣習が深く根を下ろすようになりました。この木曽路きそじ界隈かいわいにも、マリア観音やマリア地蔵といった名残がございます。

 生きていればよわい九十五を数える、金山治兵衛もそういった歪曲わいきょくした教義に従う異端の信者でした。キリシタン禁制の高札たかふだ撤廃てっぱいされた明治期になっても、金山家の者は旧態依然きゅうたいいぜんとした異質な教義に拘泥こうでいし続けました。おそらく、それはある種の意地いじのようなものだったのでしょう。彼らは教会がく神を疑っていましたし、迫害という試練を前にして信者を捨てたと言って宣教師を嫌っていました。

 金山治兵衛は老齢にして大戦を生き抜いた傑物けつぶつとして有名な人間ではございましたが、その背後には良からぬ噂が影のように付きまとって離れなかったのも事実です。その頃、野尻宿のじりじゅくとか奈良井宿ならいじゅくの辺りで神隠しが少なからず起こっておりました。何せ、戦禍せんか最中さなかですから、どのような事件が起きても不思議ではないわけです。子捨こすて、姥捨うばすてなどは珍しくもありませんでしたし、それほど切迫した状況にある家もたいそう多かったと記憶しております。

「親の言いつけを守らないと治兵衛さんが迎えに来る」そんな噂話が立つのも無理からぬ事だったと思います。金山家は長年を掛けて異端とも言える儀式や慣習をかたくなに守り続けていましたし、はたから見れば怪しげな魔術を行う者達が住まう巣窟そうくつ相違そういございませんでした。「そら、治兵衛さんに連れてかれるぞ」

 初めこそ、他愛たあいのない噂話程度のことだと皆が考えていましたが、戦争が激化してゆくと共にける者が、ちらほらと現れだしたことが、不幸の始まりだったのかもしれません。やがて、な治兵衛の元に子捨こすての相談をするために貧しい家の母親がやって来るようになりました。ほとんどの場合、祖父は黙って話を聞いていましたが、時折、声を潜めて剣呑けんのんな返事をすることもございました。私は蚊帳かやの下の布団にくるまりながら、彼らの密談みつだんに耳をそばだてるのですが、その残忍な応酬おうしゅうにゾッとせずにはいられませんでした。


「どうせ、灰になるのだから見つかりはしないよ」

 

 金山治兵衛はそう言うと、さっさと密談みつだんを終わらせて、涙をしゃくり上げる母親を家に帰してしまうのです。すると不思議なことに、二三日にさんにちの間をまたぐと必ず神隠しが起こります。ああ、刑事さん、これが偶然とは思えません。私は祖父の秘密を暴かなくてはならないと密かに決意したのです。

 金山家のくらには膨大な数の書物が収められていました。そのほとんどが隠れキリシタン時代に編纂へんさんされた典拠てんきょの怪しい儀式書なのですが、中にはカソリック宣教師から伝来した由緒ゆいしょのある書籍もございます。『カルナマゴスの遺言ゆいごん』もその一つでした。寛永かんえいの初めの頃、名もなき宣教師が伝えたという奇書きしょで、そこにはあらゆる預言が記されておりました。また、クアチル・ウタウスと呼ばれる、触れるもの全てを灰塵かいじんに帰させるという畸形きけいの神との誓約せいやくに関する手引きまで――。

 昭和二十五年の夏の晩に、私は祖父を殺しました。当時、私は十六歳の若造わかぞうでしたが、正しい神が存在することを証明するためにも、金山治兵衛という悪鬼を成敗せいばいしなくてはならないと考えておりました。祖父の治兵衛は畸形きけいの神と誓約せいやくを結び、いとけな生贄いけにえに捧げることで恩恵に授かろうとしていたのです。

 

「どうせ、灰になるのだから見つかりはしないよ」

 

 その一言が私の虚弱きょじゃくな背中を後押ししました。子供達を灰にして生き長らえてきた男は、当然、灰に返るべきだと思いました。刑事さん、私は祖父を殴り殺した後に、遺体を燃やし灰にして贄川にえかわに流したのです。後悔はしていません。私は正しい罪を犯したのです。さあ、手錠てじょうを掛けてください。私は喜んで試練を受け入れるつもりです。

 

(了)


                                               


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