歪曲、或いは転移に関する個人的体験

 何度、たずねられようとも解答は変わらないよ。確かに俺は父母に対して暴力を行使したが、あれらは遺伝的要因いでんてきよういんを共有しただけの他人であり、君達が言う「両親」とは微妙に異なる存在であるわけだ。

 あれらは俺の事を昔から知っているつもりらしいが、それははなはだしい勘違いというものだ。少なくとも、俺はこの時空連続体じくうれんぞくたいに存在する父母に関する知識、或いは記憶を持ち合わせていない。要するに、彼らにとって俺は可愛い一人息子かも知れないが、俺からしたら彼らは父母の皮を被った赤の他人ということに他ならないのだ。

 だが、彼らに対して暴力を振るったことに関しては、少し軽率な判断だったと反省している。確かに、俺の話を聞いて全て合点がてんがゆくだろうはずがない。気が触れたのだ、と疑われてもしかたがない事だったのかも知れない。しかし、俺にも立場というものがある。あの時ばかりは抵抗する他にしようがなかった。

 いや、俺は「両親」に関する記憶を失っているわけではない。彼らの年齢も為人ひととなりも充分に知っている。ただし、それは単なる情報としての知識であり、血の通った経験から知り得た事実ではない。厳密に言えば、それらには微妙な差異があるのだ。例えば、俺はこの時空連続体じくうれんぞくたいに訪れることになった日の朝にベーコンエッグを食べたわけだが、彼らは焼き魚と味噌汁みそしるを食べたという。こういった日常生活上に成立した選択肢の齟齬そごは山ほどある。

 これは俺がこことは違う世界線に生きていたことを傍証ぼうしょうする小さな例の一つに過ぎないが、お望みとあらば、いくらでも数え上げることができる。そう、俺は平行世界から漂流した旅人のようなものなのだ。

 奇妙な夢を見たことがきっかけだった。金縛りに似た症状を頻繁ひんぱんに経験するようになったことからお話は始まる。精神的なストレスから睡眠が浅くなっていたこともあり、当初こそ頓着とんちゃくしなかったのだが、徐々じょじょに症状は悪化していった。そのうち、眠っているはずなのに、幻聴を聞くようになり、しまいには幻肢げんしを感覚するようになっていった。悪夢の一言で片付けてしまうには、あまりに現実味を帯びた体験だった。

 そんなことを夢現ゆめうつつに繰り返しているうちに、遂には霊魂を肉体から切り離して、他人の身体に憑依ひょういさせるすべまで身につけるようになった。ただ、これはちょっとばかり危険な遊びでもあった。憑依ひょういほどこうとする度に大変な労力を必要とするからだ。二度とは目覚められないかも知れないという恐怖を何度も味わった。

 また、この幽体離脱ゆうたいりだつめいた不思議な憑依ひょうい体験は、俺の意志に反して起こることも屡々あった。そう、「偉大いだいなる種族しゅぞく」と交信したのも全くの偶然だったに違いない。

 ある休日のことである。俺が午睡ごすいを楽しんでいると、いつもの幽体離脱ゆうたいりだつに似た不可思議な現象が起こり始めた。横たわる自身の肉体から霊魂が浮かび上がらないように苦心惨憺くしんさんたんしていると、誰かが不意に話し掛けて来た。それが「偉大いだいなる種族しゅぞく」とのファースト・コンタクトだった。

偉大いだいなる種族しゅぞく」は尊大だったが、俺にとって有益な知識を惜しみなく与えてくれた。俺が幽体離脱ゆうたいりだつと称していた現象は、その時空連続体じくうれんぞくたいに存在する意識の一部が乖離かいりし、別の世界線に干渉している状態であるとか。実存するという事とはわば、高精度な連続写真のようなものであり、終始一貫しゅうしいっかんした糸や縄のごときものではなく、一つひとつが数珠繋じゅずつなぎになって独立している状態を指すとか。俺たちは問答もんどうを繰り返すことで、理解し合おうとしていた。

偉大いだいなる種族しゅぞく」が言うことには、物質はそれぞれ特有の波長はちょうを保有しており、世界線自体も音波のようなものを発しているらしい。本来ならば、それらの波長はちょうは重なり合うことはないのだが、ごくまれ波長はちょう歪曲わいきょくすることによって共鳴することがあるという。世界線Aと世界線Bが特異点とくいてんによって限りなく近づくことがあるのだ。その時空連続体じくうれんぞくたいの穴のような所に、数珠繋じゅずつなぎの一部である意識が吸い込まれることにより、俺は不可思議な体験を繰り返していたらしい。

 だが、その解答を得た時には取り返しのつかない事になっていた。「偉大いだいなる種族しゅぞく」は人間ひとりの運命など興味がないらしく、俺の訴えは全て退しりぞけられた。彼らは一つのデータとしてしか、俺の特異体質とくいたいしつを認めていなかった。最早、時空連続体じくうれんぞくたいにおける俺の意識の一部は、別の世界線の穴が生じさせている大渦に飲み込まれる寸前になっていた。

 そして、遂に数珠繋じゅずつなぎの意識の一部は完全に時空連続体じくうれんぞくたい特異点とくいてんとらわれることになったわけだ。「偉大いだいなる種族しゅぞく」とは、その後、一度もコンタクトを取っていない。彼らは言っていたよ。

 

「君の意識は完全に別の世界線に転移てんいすることになる。だが、あくまで、その意識は数珠繋じゅずつなぎの一部だ。世界線を超越ちょうえつして霊魂は存在し続ける。君の意識は剥離はくりした霊魂の欠片かけらに過ぎないのだ」


 俺は茫漠ぼうばくたる砂漠の真ん中にたたずむ旅人だ。飲み水を求めて彷徨さまよい歩くしかできないんだよ。

  

      (了)


                               



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