蚯蚓

 寒い――、そう思ってまぶたを開けると世界は暗闇に包まれていた。息をする度に睫毛まつげにパラパラと土塊つちくれが掛かる。俺は頭を振って避けようとしたが、首をよじるだけで精一杯なほどの空間しか残されていないらしい。

 胸の上で組まされている両腕を動かそうとしたが、ちょっとも自由が利かない。両脚も同様に蛙のように曲げられたまま動かせそうにない。どうしても、壁にはばまれてしまう。寒く、暗く、狭い空間に胎児のような姿勢で閉じ込められているようだ。

 土の中にいる――、それをさとるまでに多くの時間は要しなかった。どうやら、俺は穴蔵あなぐらのような場所に押し込められているらしい。眼前には暗闇が広がっているが、呼吸ができる以上は地表に通じる道があるということだ。身体は動かせないが、声なら届くかもしれない。

「誰か助けてくれ!」俺は地上に向けて必死に叫んだ。だが、息遣いが荒くなるほど、また微妙な身動みじろぎをするほど、顔に降り掛かる土塊つちくれの量が増すばかりだった。ボトボト、ボトボトと水気を含んだ土が落ちてゆく様を見て不安に駆られた。「もしかしたら、地盤が緩いのか?」

 足掻あがけば地中の洞穴が崩落するかもしれない。自分がどれほど深く埋葬されたか知る由もないが、この嫌らしく湿った土塊つちくれが一気にかってくることを想像すると怖気おぞけが走った。いずれにせよ、死はまぬかれないだろう。せめて、弾んだ息を整えながら、窮地に追い詰められた理由を思い出そうと努めた。

 記憶は薄靄うすもやが掛かって曖昧模糊あいまいもことしているが、全く身に覚えがないわけではない。数ヶ月前にとある古書店で奇妙な英文写本を手に入れた。不完全な写本で題名すら読み解くことができなかったが、そこに記されていた内容は鮮烈なものだった。

 職を追われ、恋人にも見捨てられた俺は自暴自棄じぼうじきになっていた。何をしても生きている実感が湧かない。正直に言うと、俺は生きることにきていた。世間という見えない敵と戦い続けることにまいっていた。感覚を鈍麻どんまさせる強い薬が必要だった。そういった意味では英文写本は非常に優秀な麻薬剤だった。

 その写本には冒涜的ぼうとくてきな秘術や魔術が隙間なく書きつづられていた。手足を萎縮いしゅくさせる魔法や空中を浮遊ふゆうするための秘法、中には奇天烈きてれつな生物を召喚しょうかんする方法まで病質な執拗しつようさをもって記されていた。俺は気が惑っていたに違いない。突拍子とっぴょうしのない品物だとは理解していたが、脳髄を芯から痺れさせるような秘文の数々に夢中になっていった。そしてついに魔術を――。

 

 どれほどの時間が経過したのだろう。骨が痛むほどの寒さに震えながら、俺はジッと息を殺して考え続けていたが、それも限界に近づいているらしい。どうしても、胸が詰まるような圧迫から逃れられないことを知った。

「こうしている間にも、穴蔵あなぐらの中の酸素は徐々に減り続けているのかもしれない」

 そう考えると恐ろしくてたまらない気持ちになってくる。よどんだ空気が肺腑はいふを満たす度に腐敗の程を進めているような気がする。とにかく、息苦しくて仕方がない。だが、ちょっとも身悶みもだえすることもできない。いつ土砂が崩れ始めるかも分からないからだ。脳髄が膨張してどうにかなってしまいそうだ。

 さっきから身体がかゆくてたまらない。土に接している部位からかゆみは始まった。背中やしりの下で得体の知れないむしどもがうごめき出したのだ。モゾモゾと胴体をくねらせながら、俺の皮膚を大胆に這う奴もいる。俺はその度に肉体を微妙によじって抵抗するのだが、むしどもはピッタリと肌に引っ付いて離れようとしない。かゆみに襲われる度に危険を冒して蠕動ぜんどうせざるを得ない。

「まるで巨大なミミズだな」そう思うと滑稽こっけいで笑えてくる。落盤の恐怖に脅かされながらも、かゆさに身悶みもだえしてあえぐ姿を思うと、可笑おかしくてしようがない。寒さとかゆさと苦しさが俺の神経を狂わせてしまったのかもしれない。地表では雨が降り始めたらしい。額に泥のしずくしたたっている。それも可笑おかしくてしようがない。いつしか、声を上げて笑っていた。アハ、アハハ、アハハハ、アハハハハ!!

 


『山梨県山中で男性が怪死かいし?!』

 昭和六十四年二月二十八日。山梨県山中で男性の変死体が発見された。被害者男性は胎児のような姿勢で地中に埋められており、死因はこごけん胸部圧迫きょうぶあっぱくによる血液循環障害けつえきじゅんかんしょうがいであることが判明している。男性は何らかの理由で生き埋めにされたと考えられる。遺体は散歩中の老人によって偶然発見されたという。

 遺体が発見された場所は舗装ほそうされていた。大人一人の力では土を掘り返すことも難しい。このことから、山梨県警は複数人による犯行であると結論している。被害者男性宅からは奇妙な古文書の写本が発見され、また、床にはペンキで魔法陣が描かれていたこともあり、カルト教団が関与している可能性があるとも言及している。

 いずれにせよ、捜査は難局なんきょくしているようである。被害者男性宅から押収された奇怪な品々は、某県警の証拠物件管理室に厳重に保管されているという。

 

         (了)


                              

 

 

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