口遊む円筒

「音楽を語る時ほど心躍ることはないですよ」涼し気な青年の瞳に情熱の炎が宿る。山内やまうち大輝たいきは音楽の知識をほとんど持っていない。だから、先程から気の抜けた返事をするほかにしようがない。だが、青年は大輝たいきの困惑などかいさないかのように話し続けた。「最近の音楽は不埒ふらちでいけません」

 山内大輝やまうちたいきは青年の名前すら知らない。公園のベンチに座って物思いにふけっていたところ、この青年に話し掛けられただけである。大輝たいきは社交が苦手だったが、青年を拒絶するつもりも起こらなかった。正直に言うと、大輝たいきは少しだけ会話に飢えていたのかもしれない。

「それにしても、奇妙な風体をした青年だ」大輝たいきは首をかしげる。輪郭の整った非常な美青年であるのだが、その涼しい目元には厭世えんせいの影が見て取れたし、引き結ばれた口端くちさきには嘲笑のしわが刻まれている。実際、青年は人をったような話し方をした。だが、全くの無礼というわけではないので、大輝たいきはあべこべに戸惑うばかりである。

 青年が乳母車うばぐるまを押していることも不思議だった。子供を座らせる代わりに鉄製の円筒をせていて、冬の寒風かんぷうさらさないように毛布で包んでいる。後生大事ごしょうだいじに円筒を世話する様子を見て、大輝たいきは狂気じみた違和感を覚えずにはいられなかった。

「全く、最近の音楽は不埒ふらちでいけません。ですが、中には良い作曲を行う者もいます。数える程しかおりませんが、神宮寺じんぐうじ晴彦はるひこ、あれは珍しく良い音楽家ですねえ」

 音楽に明るくない大輝たいきでも、その名前くらいは知っていた。数年以前に事故で亡くなった有名な作曲家である。青年は懐かしげに神宮寺じんぐうじ晴彦はるひこ為人ひととなりを語り始めた。青年と老人は旧知の仲だったらしい。大輝たいきは意外な事実に驚きを隠せないでいた。その気色けしきを青年の方も察したようだった。

「あれ、どうやら疑ってなさるようですね。神宮寺じんぐうじ晴彦はるひこのことはよく知っておりますよ。今でも交流があるくらいですからねえ」

 その言葉を聞いて、大輝たいきはギョッとした。老人は数年前に非業ひごうの死をげたはずである。まるで彼が存命しているかのように青年は語っている。この男は本当に気がまどっているのではないかしら、と大輝たいきいぶかしんだ。青年はポツリポツリと老作曲家が歩んだ数奇すうきな人生と顛末てんまつについて語り始めた。

 

神宮寺じんぐうじ晴彦はるひこの肉体は病魔にむしばまれていました。手のほどこしようのないほどです。僕は彼が詰まらない病気で死ぬことを許せませんでした。また、老人自身も死を受けいれるつもりはないようでした。老人は最後まで作曲家でありたい、と願っていたようです。あれは一種の執念ですね。人間とは面白い生き物だと常々思います。

 感心した僕は老人にプレゼントを贈ることにしました。彼に腕の良い医者を紹介することにしたのです。正直に言うと、僕は彼が苦しみもだえる姿を見たかったのです。病気に冒されながら、みじめに死んでいく運命を辿たどる方が、彼にとって幸福であったのかもしれません。それほどまでに過酷な手術が予想されました。

 僕の思惑通り、老人はぐに手術を受けることに同意しました。手術の内容自体は簡単です。老人の頭蓋ずがい柘榴ざくろのように割り、脳髄のうずいを丸ごと摘出てきしゅつして、特別にこしらえた機械の中に保存するのです。えっ、そんな手術は聞いたことがない?

 ハハハ、それは当たり前ですよ。その手術を執刀しっとうする医者はね、人間じゃないんですからねえ。彼らの正体は冥王星めいおうせいむ不気味な怪物です。動物というよりも菌類に近い矮小わいしょうな生物で、甲殻類こうかくるいのような身体を持っていて、また昆虫のようなはねを使って動きます。あのような関節肢かんせつしで器用な仕事をこなすのだから、全く驚きですよ。

 え、信じられませんか。無理もありません。でも、実際に神宮寺じんぐうじ晴彦はるひこはここに入ってるのです。彼は気難しい性格をなさっているので、時々、こうやって散歩に連れ出さないと文句もんくれるのです。ハハハハハ。

 彼のおかげで、あの方も随分ずいぶんと機嫌がいい様子です。今ごろ、宇宙の彼方で子守唄を聞きながら、コクリコクリとふねいでいることでしょう。ハハハハハ」

 

 青年は全てを語り終えると、乳母車うばぐるませた円筒を優しくでた。大輝たいき呆然ぼうぜんとしながら円筒の中身について思いを馳せていた。老人は肉体を捨ててまで、作曲にすがいたのだろうか。もし、そうなら、その執念とも言える覚悟が恐ろしかった。大輝たいきの背中を冷たい汗が伝った。

「どうやら、彼が曲を披露ひろうしてくださるようです」青年が言うと、円筒がしわがれた声で音楽を口遊くちずさみ始めた。それは気が狂わんばかりの陰惨いんさんな調子の楽曲――身悶みもだえせんばかりの残酷ざんこく旋律せんりつだった。大輝たいきは徐々に正気をがれていくのを感じていた。

 曇天どんてんの上で冥王星めいおうせいが輝いている。円筒からかすかに漏れる音楽は、厚い雲を突き抜けて、宇宙の彼方で微睡まどろんでいる誰かを楽しませているのだろう。いつまでも、いつまでも、円筒は口遊くちずさみ続けた。大輝たいきの意識は真っ逆さまに穴に落ちていく。全てをあざけるような青年の哄笑こうしょうを聞きながら――。

 

   

     (了)

             

                      





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