十八刻 潜入調査
早朝、宝刀本家の渡り廊下を、巫女装束に身を包んだ瑠花が歩いていた。定期的に横を通り過ぎていく宝刀本家の神子は、眉間に皺を寄せて怖い顔をしている瑠花に少し怯えている。
瑠花は小さくため息をつくと、その場を離れようと一歩踏み出した。
「瑠花」
その時、渡り廊下の向こう側から花蓮が瑠花に手を振った。
「待たせたな」
「……沙乃さんとのお茶会は終わったか?」
「そう皮肉を言ってくれるな。悪かったよ、長話して」
花蓮は肩をすくめながら瑠花に近づいた。その表情には疲れが見え、顔色も良いとは言えない。
「姉御はそろそろ帰れ。疲れてんだろ。御神も待ってる」
「そうしたいところだがな。仕事が山積みなんだよ」
「だったら尚更帰るべきだな。ほら、帰った帰った! 俺はまだすることがあんだから、姉御はさっさと帰って事務仕事しとけ」
「はいはい。わかったよ」
花蓮は瑠花に言われた通りにその場を去っていく。その背中を見送って、瑠花はまた小さくため息をつくと、花蓮とは反対の方向に歩き出した。
しばらく歩いていくと、近くの部屋の扉が開き、中から大量の荷物を持った将が現れた。
「うわあ⁈」
将が瑠花に驚き、盛大に荷物をあたりにまき散らしながら尻もちをついた。
「いてて……」
「……なにやってんだ、てめー」
「る、瑠花さん⁈ なんでここに⁈」
「野暮用」
「は、はあ……そうですか……」
瑠花があたりに散らばった荷物を拾い始め、将が慌てて荷物を拾い集める。しばらく二人とも無言で荷物を拾い、瑠花は拾った荷物を持って立ち上がった。
「下っ端も大変だな」
「まあ……今は忙しいので、僕にできることは雑用ぐらいですから……」
「雑用……あ、そうだ」
瑠花がなにかを思いついたように呟き、将のことをじっと見つめた。
「な、なんですか……? 僕の顔になにかついてます?」
困惑する将を見て、瑠花がニヤリと不敵に笑った。その笑みに将の背筋にゾクリと悪寒が走る。
「この荷物、運んでやるから、ちょっと面貸せよ、将」
◇
鳴り響いたチャイムの音に、リビングのソファーで眠っていた衣織が静かに目を覚ました。眠そうに目をこすり、自分の左目にコンタクトが入っていないことに気が付くと、面倒くさそうにソファーにかけられた黒いパーカーを手に取り、深くフードを被って自分の顔を隠した。
玄関にふらふらと歩いていき、扉を開ける。衣織の目に飛び込んできたのは、困ったように笑う将と、しかめっ面の瑠花だった。
「こ、こんにちは……衣織……」
「……なんで……」
「あの……ちょっとね……お願いしたいことがあるんだ……」
「……おまえ、その目どうした」
瑠花が衣織の左目を見て訝しげに問いかける。衣織が言葉を詰まらせ、それに気が付いた瑠花は「まあ、いい」と呟いた。
「とりあえず、あげろ。話がある」
瑠花が半ば強引に衣織を押しのけて部屋に上がり込んだ。
「あ、ちょっと待ってください……!」
衣織が慌てて瑠花を止めようとしたが、瑠花は小柄な身体でその腕をヒラリとかわし、部屋の中に上がり込んだ。
「話ってなんですか……⁈」
瑠花はリビングのソファーに勢いよく腰掛けると、二人を追いかけて部屋に入ってきた将を指さした。
「てめーが話せ」
「はい……」
将が諦めたように返事をして、申し訳なさそうに衣織に事の成り行きを話し始めた。
◇
「……というわけで」
将から話を聞き終えた衣織は、しばらく話が飲み込めず、ぽかんとした表情で放心している様子だった。
「……衣織、大丈夫……?」
「……えっと……つまり、瑠花さんは僕たちに日光本家に潜入捜査しにいけと……?」
「ああ、そうだ」
これまでずっと黙っていた瑠花が口を開いた。
「俺はずっと知りたいことがある。その手掛かりをようやく見つけたんだが、どうもきな臭い。本家のお上は隠してることが多すぎんだよ。それを引っ張り出すのは一苦労だ。だから、てめーらに協力してほしい」
「知りたいことって……?」
「てめーらには関係ねえ。だが、これは俺の知りたいこととは別に、今、御三家を騒がせている問題の手がかりにもなる」
「今、御三家では一連の事件……八岐大蛇や玉藻の前の件に後ろで手を引いている人物がいるっていう話になってて、瑠花さんが言うには、その問題解決に繋がるって話なんだけど……」
「なんだ? 俺のこと疑ってんのか?」
「そういうわけじゃないですけど……」
将が衣織に助けを求めるように衣織の目を見る。
「……どうして、瑠花さんは、僕たちに協力を提案しているんですか……? 花蓮さんとか、沙乃さんとか、協力してくれる人は他にいると思うんですが……」
「姐御は実の妹を亡くしたばかりで、御神のこともある。精神的にも身体的にもまいってんだよ。沙乃は連日宝刀に縛られて自由に動けない。俺が信用できる奴らは、この二人の他にてめーらぐらいだ」
瑠花の言葉に将が少し嬉しそうな顔をする。だが、衣織はまだ不安そうな顔をしていた。
「でも……日光本家は完全女人制ですよね……? 僕たちは入れない……」
「ああ。それは問題ねー」
瑠花はさらりと答え、持ってきていた紙袋を二人に突き出した。
「てめーら、脱げ」
瑠花の満面の笑みに、二人がすくみ上った。
◇
机の上や床に散らばるメイク道具と、床に乱雑に脱ぎ散らかされた男物の衣服。床に正座させられている二人を前にして、メイク道具を持って立っている瑠花は、うーんとうなりながら顎を触った。
「てめーら、俺より可愛くなるのやめねー?」
瑠花の前で座っている二人は、瑠花が持ってきた巫女装束を無理やり着せられ、メイクを施されたことにより、ほとんど女子と変わらない姿になっていた。衣織はもともと長めの黒髪をおろし、将は茶髪のミュディアムヘアーのウィッグをつけられていた。
「……もう、お婿にいけない……」
将が涙声で呟き、顔を覆う。衣織は諦めきっているのか、なにも言わずに黙っていた。
「将はともかく、衣織は身長と声の低さでバレるな。衣織、おまえ本家の中で一言も話すなよ」
「ちょっと待ってください、瑠花さん! 本気でこの格好で本家に行かせるつもりですか⁈」
「ああ。それ以外に方法ないだろ?」
「この格好で人前に出ろと⁈」
「別にいいだろ。人前にでるには十分すぎるぐらい、てめーらちゃんと女子じゃねーか」
「……い……衣織もなんか言ってよお……‼」
将が衣織に縋り付き、それまで黙っていた衣織が口を開いた。
「実は僕も……日光にいって調べていことがあるんですが……」
「衣織⁈」
「いいんじゃねーか? 好きに調べてこい。俺が言ってことをやってくれりゃ、文句ねーよ」
「それなら……まあ……」
「衣織⁈ 本当にいいの⁈」
将が衣織の両肩を掴み、必死の形相で訴えた。その顔には「絶対やめたほうがいい」と書かれている。
「……だって、将、こうなるのわかってて僕のこと巻き込みましたよね……?」
「う……だって、だって……‼ 僕だけじゃ荷が重かったんだよぉ……‼」
「じゃあ、衣織がいいっつってんだから、文句ねーよな?」
「うう……」
将が諦めた様子で衣織から手を離し、うなだれた。
「ああ、あとてめーら。うざったいから俺のことをさん付けで呼ぶな。敬語もやめろ。俺は衣織と同い年だ。下手に謙遜されるとムカつくんだよ」
「え? あ、は……わ、わかった! 瑠花!」
「僕は癖なのでこのままでいいです……」
「あ?」
「ぜ……善処します……」
◇
瑠花が日光本家の大門を二人の神子を引き連れてくぐった。顔なじみの神子が、不思議そうな表情をして瑠花に声をかける。
「瑠花さん、そちらの方は?」
「あ? ああ……分家から応援に来た神子だ」
「そんな連絡あったかしら……?」
「俺が姉御から直々に言われたんだよ」
「花蓮さん? 今日は出張でいないけれど……」
「もういいか? 二人を案内しなきゃならねー」
「ああ、ごめんなさいね」
顔馴染みの神子が去っていく。その背中を見送って歩き出した瑠花に、後ろから将が声をかけた。
「ほ、本当に大丈夫なの……?」
「安心しろって。花蓮は出張でいねー。お前らの面を知ってる奴はほとんどいねーし、そんだけ完璧に変装してりゃ、バレやしねーよ。まあ、バレたら掟を破ったとして、どんな処分を受けるかわかんねーけど」
「それ、絶対大丈夫じゃない……」
「うだうだ言ってねーで調べてこい。衣織は文句ひとつ言ってねーぞ」
「しゃべれないだけでしょ……‼」
瑠花は二人に指示を出し、それぞれが分かれて手がかりを探すことになった。衣織は身長のせいで人目に付きやすく、声を出せば絶対にバレるので、誰とも話さないようにと瑠花に釘を刺された。
「いいか? てめーらに調べてほしいのは、日光本家の中に紛れている裏切者だ。俺が仕入れた情報が正しけりゃ、誰かが裏で手を引いてる奴と繋がってる。その手掛かりを探してこい」
瑠花に言われたことを思い出し、廊下を歩きながら将が小さくため息をついた。時折横を歩いていく本家の神子に怯えながら、そわそわと落ち着かない様子の将は、さらに瑠花に言われた言葉を思い出した。
「裏切者は上層部……つまりお上、年を取った高齢の神子である可能性が高い。お上たちは今日、月光の会議にかり出されていねーから、多少大胆に行動してもバレやしねー。頑張ってこい」
「……上層部……って結構やばいよなあ……」
独り言をつぶやいて、将は廊下を進んでいく。その時、将の横を通り過ぎようとした神子と肩がぶつかり、ぶつかった神子が「きゃっ」と小さく声を上げながら尻もちをついた。黒く美しい髪を肩につかないほどの長さに切りそろえ、神子装束に身を包んだ若い女の神子。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「いえ、私の方こそごめんなさ……」
将が慌てて神子に手を差し伸べたが、神子は途中で言葉を止めた。その様子に将がバレたかと青冷める。神子は差し出された手を取って立ち上がり、「急いでるので……」と足早にその場を去ろうとした将の手を掴んだ。
「待って」
将の手に冷や汗が滲む。振り返ることが出来なかった将の顔を覗き込んで、神子は将の両手を握りしめた。
「あなたどこの神子? 日光本家ではないわよね?」
「ぼ……わ、私は分家の神子で……」
「ああ、瑠花さんが言っていた応援の子ね! 私と同い年ぐらい? 可愛いねえ~!」
「え?」
神子の言葉に将が困惑する。
「女子の私でも唸る可愛さ……あなた名前は? ここの神子はみんな堅苦しいんだもの! ねえ、応援で来てくれたのよね? じゃあ、ちょっと手伝ってくれない? ね? 同じ若い神子のよしみで!」
「え、ええ……! ちょっと待って!」
強引に腕を引いて連れて行こうとする神子に、将は抵抗しようとしたが、力の強さで男であることがバレるのを恐れて、女の神子に引きずられるように連れていかれた。
◇
日光本家の廊下を歩きながら、衣織は小さくため息をつく。時折通り過ぎる神子たちの視線を避けるように、瑠花に無理やり降ろされた髪で顔を隠そうと下を向いた。
女性には見えないほどの高身長であるにも関わらず、衣織の顔はもともと中性的なこともあいまって、美しい女性にしか見えない。
俯き加減で歩いていった衣織は、たどり着いた部屋の扉に「資料室」と書かれているのを見た。扉のノブに手をかけて、衣織は部屋の中に入る。部屋に入った途端、鼻をくすぐった古い紙と埃の臭いに、衣織は少し顔をしかめて部屋の奥に進んだ。
少し進んで近くの壁に背をつけると、衣織は大きくため息をついた。着慣れない、動きずらい巫女装束と、周りから向けられる奇異の目線に、衣織は疲れ果てていた。
「……誰か……いますか……?」
「⁈」
聞こえた声に衣織が驚いて声の聞こえた方を見る。そこには、古い本を大量に抱えた御神が不思議そうな表情をして立っていた。衣織の顔が青冷める。
「どちら様でしょうか……?」
「っ……!」
話すことが出来ない衣織はその場から立ち去ろうとする。
「あ、待ってくださ……きゃあっ‼」
衣織を追いかけようとした御神が、何もないところでよろけて本をあたりにまき散らしながら、前のめりに倒れそうになる。衣織が慌てて御神の身体を受け止めた。
「わ、あ、ありがとうございます……」
衣織は御神を離してその場を去ろうと思ったが、御神が衣織にしがみついたまま離れないので、不思議そうに御神のことを見る。
「ご、ごめんなさい……」
御神は衣織から離れた途端、その場に座り込んでしまった。
「……動けなく……なっちゃいました……」
御神が自分の足をさすりながら、困ったように笑う。そんな様子の御神を放っておくことが出来ず、その場に残る。
「あの……本家の神子さんではないですよね?」
衣織が小さくうなずいて、御神は衣織の様子にまた不思議そうに首をかしげた。
「もしかして……しゃべることのできない方ですか……?」
御神がためらいがちに問いかけて、衣織は少し考えると、小さくうなずいた。
「大丈夫ですよ。私も体調が悪いときはしゃべることが出来なくて……身振り手振りでなんとなくわかりますから」
御神が優しく微笑む。その笑顔に罪悪感を覚えて、衣織は御神から目をそらした。
「あの……私、ここにいるように言われたのですけど……部屋の前に誰かいましたか?」
衣織が首を横にふる。
「そうですか……変ですね……本を取ってきてほしいと言われたのですが、私は足が悪いので迎えに来てくださいと言っていたのに……」
御神が悲しげな表情をして足をさする。その時、御神の後ろでなにかが蠢き、それに気が付いた衣織が御神に手を伸ばした。
「え……?」
御神の小さな悲鳴が聞こえる。御神の後ろの影が蠢き、御神に向かって手を伸ばしていた。御神の身体を掴み、影の中に引きずり込もうとしている。
「
衣織が御神の手を掴むと同時に神器を出現させ、部屋の中に霧が立ち込めた。
「
衣織が御神の小さい身体を抱き寄せて、影の手から引き剥がす。影の手は霧の中で爆発するように弾け飛び、霧に溶けて消えていった。驚いた表情のまま衣織に抱き寄せられていた御神ははっとして、手が飛び出してきた壁を見る。壁には赤い札が貼られていた。
「……これ……邪術の……」
御神が小さく呟き、札に手を伸ばす。その瞬間、札から影が飛び出し、すごい速度で壁を伝っていくと、部屋の扉までたどり着いた。それに気が付いた衣織が扉に手を伸ばして開けようとしたが、陰は完全に扉をふさぎ、扉は開かない。
衣織と御神は狭い部屋の中に閉じ込められた。
◇
将が若い神子に連れていかれたのは、日光本家の上層部にあたる神子の部屋の近くにある、重要資料を管理する大部屋だった。若い神子は「整理の手伝いをしてほしい」と将に笑いかける。
「最近事件が多くて人手不足なのに、こんなに大きな部屋の整理を一人でやれって言われてしまったの」
将は部屋にある大きな棚を見上げた。小さな引き出しが大量にある大きな棚の中には、資料が大量に詰められていることが予想できる。
その時、若い神子が静かに戸を閉めた。
「……どうしたんですか?」
将が神子に問いかける。神子は不敵な笑みを浮かべた。
「どうした? ……ふふっ」
ゆらりと神子が戸から離れた。神子の後ろの戸には、赤い札が貼られており、その札から赤い文様が伸びて、戸を覆っていた。
「ちょろまかと鼠のようにうざったいものだ。バレないと思ったのか愚か者。貴様らが私たちのことを嗅ぎまわっているのは知っているさ」
将が神子の様子に目を見開く。神子の姿は徐々に変化していき、高齢の神子に変わった。
「……なぜ……邪術を……」
「なぜ? あの方は私を救ってくれたからだ。あの忌々しい、役立たずの小娘を殺せば、日光は救われる」
「御神様を……⁈ そんなことしたら、それこそ日光が潰れる。主神を降ろせる神子がいなければ……」
「日光本家の大神降ろしを行う神子、御神は血筋によって受け継がれるもの。だが、本家の神子はもとを辿れば全員血が繋がっているのだ。それは、本家の神子であれば、誰でも御神になれるということ」
「でも、御神の本筋でなければ、大神降ろしが成功する確率が低い……」
「それでも」
高齢の神子が将の言葉を遮った。
「あの役立たずよりは可能性がある。本家の馬鹿どもは、そのことに気が付かないのだ。御神になれるのはあの小娘だけだと思い込んでいる。自身を犠牲にする勇気もない腰抜けどもが」
「成功するはずがない! みんなそれを理解している。無駄な犠牲を出したくないだけだ」
「それを腰抜けだと言っておるのだろう?」
「……あなたの目論見はすぐにバレる。僕がその話をすべて花蓮さんに伝える」
高齢の神子が将の言葉を鼻で笑った。
「もう手遅れだ。手筈は整った。それに、貴様は生きて帰れると思っておるのか?」
高齢の神子が将に赤い札を向ける。将が身構えた次の瞬間、口から血が飛び出した。将が目を見開き、鋭い痛みを感じて自分の左の手の甲を見ると、邪術の文様が浮かび上がっていた。
「邪術で死んだ神子の死体が発見されても、誰が私を疑うのだろう」
「……神子が……邪術を使うなんて……自分の守神への冒涜だ……」
「守神などもういない」
神子がそう言った瞬間、将の口からさらに血が飛び出した。手の甲の文様はさらに濃くなり、広がっている。
「私には天照大御神がいる」
「……神殺し……!」
「何とでも言え。貴様はすぐに死ぬ」
「邪術は……術師にも大きな負荷がかかる……」
「我慢比べでもしようというのか? 間違いなく貴様の方が早く死ぬ」
高齢の神子が懐から赤い札を数枚取り出した。よく見れば札は血で染まっているのがわかる。神子が札を取り出した瞬間、将の膝の力が抜け、その場に崩れ落ちた。口から血がドバドバとこぼれる。
「出血死するぞ」
守神の名を呼ぼうとしても声が出ない。将は高齢の神子を睨みつけたが、神子は不敵な笑みを浮かべるだけだ。
「さあ、早く死んでしまえ——」
その時、バコンッという大きな音と共に、札の貼られていた戸が大破した。
神子と将が驚いて戸の方を見ると、大金槌を担いだ瑠花が立っていた。瑠花は大破させた戸をまたいで歩いてくると、高齢の神子に向かって大金槌を振った。神子が慌てて退く。
「将にやった術を解け、クソばばあ‼」
瑠花が声を荒げ、神子が怯んだ。
「さもなくば、殺す」
「……殺せるのか?」
「迷いなく殺す」
瑠花の声は冷たい。神子は憎々し気に瑠花を睨むと、大声を上げて笑い始めた。
「馬鹿め‼ 邪術は人の命を用いて行うもの‼ 術師と術をかけられた者、どちらかは確実に死ぬ禁術‼ 術を解けば私が死ぬのだ」
高齢の神子は不敵な笑みを浮かべ、なめるように瑠花を見た。
「どうせ貴様は私を殺せない。神子が人を殺めれば、守神が歪む」
瑠花は血を吐き出している将をちらりと見ると、眉一つ動かさず、大金槌で神子を殴りつけた。骨の軋む音がして、神子の身体が軽く吹っ飛ぶ。
「あっ……がっ……‼」
壁に激突した神子は、信じられないというような表情で瑠花を見つめた。瑠花は顔色一つ変えず、神子にゆっくり近づいてくる。
「吐け。お前が裏で繋がっている黒幕は誰だ」
「なんの……ことだ……!」
「吐けっつてんだよ‼ お前に邪術を仕込んだのはどこのどいつだ‼」
瑠花が神子の足に向かって大金槌を振り下ろした。骨の砕ける音と神子の悲鳴が部屋に響く。
「吐けば楽に殺してやるよ」
「……る……か……ダメ……」
「黙れ」
止めようとした将の声を遮った瑠花の声は氷のように冷たかった。瑠花はまた大金槌を振り上げる。
「ま、待ってくれ……! わかった、わかった‼ 話す……‼」
瑠花が大金槌を振り上げたまま眉をひそめる。その表情は「早く言え」と言っているようだ。だが、神子はなにかを考えているようで、口を開かない。
「……早く言え」
「ひいっ‼ わかった‼ わかった‼ 私に邪術を教えたのは、卑……」
その瞬間、高齢の神子の口から大量の血が飛び出した。瑠花が驚いて目を見開く。神子の口から溢れる血は止まらない。神子は叫び声を上げながら、自分の喉を掻きむしった。
「おい……おい‼」
瑠花が神子の胸ぐらをつかんで揺さぶる。
「言え‼ お前に邪術を教えた黒幕は誰だ⁈ 言え‼ 早く‼」
だが、すでに神子の目の焦点はあっておらず、身体の力が抜けていき、神子は息絶えた。瑠花が「クソッ‼」と悪態をつきながら神子から手を離す。神子が持っていた赤い札が破れて、あたりに紙片が散らばった。
「……瑠花……」
後ろから聞こえた声に瑠花がはっとして将に駆け寄る。
「大丈夫か、将。わりーな、巻き込んで……」
その時、将が瑠花のことを抱きしめた。瑠花が驚いて動きを止める。
「……おい」
「……僕は……瑠花がなにを知りたいのかも、なにを抱えているのかも知らないけど……」
瑠花の小柄な身体は将の腕の中に納まってしまう。その小さい身体を将は強く抱きしめた。
「僕にできることがあったら、なんでもするよ」
「……」
瑠花はしばらく将に抱きしめられたまま動かなかったが、静かに将から離れた。
「俺は……もう逃げたくねーだけだ」
瑠花はか細い声で呟いて、将と目を合わせようとしない。将が少し悲しそうな顔をした。
「……そろそろ騒ぎになる。お前らは帰らねーと大変なことになるだろ。裏口に案内するからついてこい」
瑠花が将に手を差し伸べる。将がその手を取り、少しよろけながら立ち上がった。
◇
瑠花が将を助けに行くよりも少し前。
物置部屋に閉じ込められた衣織は、戸に貼られた札から伸びてくる無数の赤い腕から御神を守ろうと、御神の小さな身体を強く抱きしめていた。衣織と御神の周りには、衣織の神器から発生した霧が二人を守るように取り囲んでいる。
だが、赤い腕は徐々に霧を押しのけ、鋭い爪を二人に伸ばしてくる。衣織の顔のすぐそばまで伸びてきた腕の爪が、衣織の頬を傷つけた。
「……に、逃げてください……この術の狙いは私です。あなただけでも……」
御神が小さな声でそういったが、衣織は首を横に振った。そして戸に貼られた赤い札を睨みつけると、腕に御神を抱いたまま、神器を構えた。
「
衣織がそういった瞬間、戸が音もなく切り裂かれ、戸に大きな切り傷ができた。だが、戸が開くこともなければ、赤い札に傷がつくこともない。
「……花蓮さん……」
御神の震えた声が聞こえ、衣織が御神の方を見ると、御神がいまにも泣き出しそうな顔で口を手で塞いでいた。決して涙をこぼさないように、小さな肩を震わせて。その様子に、衣織がおそるおそる御神の頬に手を伸ばし、優しく撫でた。
「……大丈夫……」
御神が目を見開いて、その瞳から涙がこぼれた。その時、戸の外から声が聞こえた。
「御神様⁈ 御神様、いらっしゃいますか⁈」
「朱里さん……⁈」
御神が戸の外から聞こえた声に答えようと声を張り上げる。
「朱里さん……! 朱里さん! 助けてください!」
「御神様⁈ お待ちくださいすぐに……‼」
その時、音を立てて戸に貼られた札がはじけ飛んだ。それと同時に赤い腕が消え失せ、戸を開いて朱里と呼ばれた神子が部屋に入ってくる。
「御神様‼」
朱里が御神に駆け寄り抱きしめる。
「御神様……! 申し訳ありません、私がもっと早く気が付いていれば……」
「大丈夫、大丈夫です。怪我、してないです。そこの人が守ってくれたから……」
部屋から静かに出ていこうとしていた衣織が御神の言葉に動きを止める。二人の視線が自分に向けられていることがわかるが、振り返ることができない。
「あの……どなたかわかりませんが、ありがとうございました。私は御神様の付き人、灯野朱里と言います」
その言葉に衣織が思わず振り返る。朱里は艶やかな黒髪を肩につかないほどの長さに切りそろえた、優しそうな顔をした若い神子だった。振り返った衣織の顔を見て、朱里が目を見開く。
「え……」
「あ、あの、その方、話すことが出来ないみたいで……」
「あ、ああ、そうなんですか……あの……」
衣織はその場から去るタイミングを逃してどうしたらいいかわからずにいる。朱里はためらいがちに衣織に問いかけた。
「どこかで……その……祖母にあったことはありませんか?」
朱里の言葉に衣織がキョトンとした顔をする。
「突然ごめんなさい。その……私の祖母、灯野春陽というのですが、祖母の遺品に、あなたによく似た人の写真が……いえ、忘れてください。ありえない話ですから……」
衣織が思わず声を出しそうになって慌てて口をつぐむ。その時、不意に現れた将が衣織を発見して声を上げた。
「いた‼」
将の声に衣織と朱里、御神が将の方を見た。将は衣織のもとに駆け寄ってくると、衣織の腕を引き「失礼します!」と衣織をその場から連れ去った。その場に残された朱里と御神は呆然と連れ去られた衣織の背を眺めた。
将に腕を引っ張られ、日光本家の廊下を駆け抜けていた衣織は、走りながら声を潜めて将に問いかけた。
「あ、あの……将……?」
「ちょっと大変な騒ぎになっちゃって、瑠花に裏口から帰れって言われた。バレる前に戻らないとお前たちも巻き込まれるからって」
「騒ぎ……?」
「本家の上層部の神子が御神様の暗殺を企ててた。このままじゃ僕たちもバレて大変なことになるから、早く逃げよう」
将の言葉に衣織が驚いて様子で少し目を見開き、先ほどまで自分の腕の中で震えていた御神の姿を思い出して、顔をしかめた。
◇
衣織と将は無事に誰にもバレることなく日光本家から去り、二人が去った後の日光本家は上層部の神子が御神の暗殺を企てたということで大騒ぎになり、第一発見者の瑠花はしばらくの間、本家から出してもらうことができなかったため、瑠花がまた衣織の家に来たのは一週間後のことだった。
「悪かったな。巻き込んで」
将を引き連れてやってきた瑠花は、詫びだと言いながら衣織に菓子折りを押し付け、また強引に部屋に上がり込んだ。衣織はすでに諦めたように二人を招き入れた。
「あの後、日光は大丈夫だったんですか……?」
「大丈夫なわけあるか。花蓮が血相を変えて戻ってきて、死んだ神子が誰と繋がっていたのかを徹底的に調べた。あんなにブチギレてる花蓮は久しぶりに見たな。俺もいろいろと聞かれたが、話さなきゃ拷問でも始めそうな雰囲気だった」
「お疲れ様です……」
「まあ、そりゃそうだ。邪術師が裏で手を引いてるとなると、大問題だしな」
「あのさ。僕、邪術っていうのがどういうものなのかよく知らないんだけど……」
恐る恐る問いかけた将に、瑠花は小さく「面倒くせー……」と頭を掻きながらつぶやくと、説明を始めた。
「邪術っつうのは禁忌とされる禁術。邪神に自らの守神を捧げることで、多大な力を授かることが出来る」
「邪神?」
「生まれながらの邪の化身。悪しきものを司る絶対悪。それが邪神。神が歪んだ禍ツ神とはまた違う、もともと歪んでる存在だ」
そう語る瑠花の表情は険しく、小さく舌打ちをした。
「邪術師はその邪神を信仰してるらしい。邪術の根本は生贄。術をかけられた者か、術をかけた術師のどちらかは必ず死ぬ。人の命を確実に奪う禁術だ」
「……それを、神子が使用した……と」
「しかも御神を殺すためにな。大問題だ。これまでの件も裏で手を引いていたのは邪術師でまず間違いないだろうな。これまでも、邪術師による襲撃とかはあったらしい」
「そうなんですか……?」
「何年も前の話らしいけどな。邪術師は基本、神子に恨みがあるやつららしい。御三家が憎くて、憎くてたまらないんだと。くだらねー話だけどな」
そこまで話し終えた瑠花が「喉が渇いた」と言ったので、衣織が人数分のお茶を入れてテーブルに置く。瑠花がお茶を一気飲みし、将が衣織に礼を言いながら一口飲んで、「そういえば」と思い出したように口を開いた。
「衣織が言ってた、調べたいことはなにかわかったの?」
「……手がかりがなかったわけではないんですが……瑠花さん。灯野朱里さんという方をご存じですか……?」
「朱里? 御神の付き人の朱里か? 朱里がどうした」
「いえ、僕が知りたいのは朱里さんのおばあさんなのですが……」
「春陽さん?」
「ご存じなんですか?」
「ご存じも何もよく知ってる。先代御神の付き人だった神子だからな。俺も世話になった人だ。なんだ? お前は何が知りたい。日光本家のことを調べているわけでもなさそうだが」
瑠花の言葉に衣織が黙りこみ、しばらく考えてから、口を開いた。
「僕が知りたいのは……自分の過去です」
衣織は瑠花と将に自分の出生がわからないことや、禍ツ神に育てられたこと、日光本家の神子である灯野春陽が自分のことを知っていたことなどを話した。将は終始衣織の話に驚きの表情を見せ、瑠花は険しい表情を浮かべていた。
「……なるほどな。春陽さんは先代御神の付き人だった人で、大災厄の前にすでに亡くなってる。春陽さんが宝刀の先代当主に手紙を出していたのなら、まあ、日光と衣織はなんらかの関係があるんだろうな。朱里が言ってた写真っていうのは、間違いなくおまえだろ」
「……そう……ですよね」
「そういう話なんだったら、俺から朱里に聞いてやるよ。春陽さんが持ってた写真、見たいだろ?」
「ありがとうございます」
「……あのさ」
それまで黙っていた将が口を開き、恐る恐るといった様子で話し始めた。
「衣織の、左目の話なんだけど」
将の言葉に衣織が反射的に自分の左目を隠した。
「沙乃さんが言うように、衣織の左目の色が色素抜けのものでないのなら、金色の瞳を持ってる人なんて、限られるよね?」
「……御神か」
「そう。しかも、衣織のことを先代御神の付き人の春陽さん? が知っていて、どう考えても日光と関係があるとしたら……」
「衣織は日光本家の神子の血が入ってる可能性が高いな」
しばらく沈黙が流れる。左目を押さえる衣織の手がかすかに震えていた。
「……じゃあ、なぜ衣織は捨てられたの?」
沈黙を破ったのは将だった。
「日光本家の神子が生まれた子供を捨てる必要ある? しかも、虎太郎さんのところにいったなら、日光にも報告するものじゃないの?」
「……できない理由があった」
「それと、前々から聞きたかったんだけど、衣織はどうして宝刀本家の神子じゃないの?」
「……それは……本家の神子になると、自由に動けないから……虎太郎を探しずらいと思って……」
「違う。違うよ、そうじゃなくて。だって衣織は虎太郎さんの息子だよ? 宝刀前当主の息子で弟子。一番弟子の沙乃さんが後を継ぐのはわかるけど、衣織が虎太郎さんの息子になった時点で、自動的に宝刀本家の神子になるものじゃないの? そう考えると、虎太郎さんが故意に衣織を本家の神子にしなかったような気がしてならなくて……」
「もういい」
瑠花が将を止め、かすかに震えている衣織を見て、衣織の頭に手を置いた。
「衣織の過去の話だ。俺たちがあまり口を出しすぎるのもよくねー。わからないことだらけだが、まあ、そう気負いするな。過去の話だ。もう過ぎ去ったことなんだ。お前は今を生きてる。過去に固執しすぎるな」
瑠花は諭すように衣織に優しく語り掛ける。将は、過去は過ぎ去ったことだと言った瑠花の瞳に、寂し気で、悲しそうな色が浮かんだのを見逃さなかったが、気が付かなかったふりをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます