十六刻 深海
海沿いに続く道路を、八作が運転する軽自動車が走っていた。海は晴れ渡る空に浮かぶ太陽の光に照らされ、キラキラと光っている。
「海だ!」
「美雨、あまり窓際に行ってはいけないよ」
「八作さん、すみません……毎度、毎度……」
「かまいませんよ。美雨も行きたがっていましたし」
運転席に座る八作は楽しそうな笑みを浮かべ、その隣の助手席に座る衣織は申し訳なさそうにしていた。後部座席に座る美雨は目を輝かせながら窓の外に見える海を見つめていた。
「美雨、焦げるよ」
美雨の隣に座る蓮華が美雨の服の裾を引っ張り、美雨は少し不服そうな顔をしながら、おとなしく席に座った。
「それにしても、よく山駕さんが許可してくれましたねぇ。蓮華ちゃん」
「私は退屈な大人の話し合いに来たんじゃなくて、美雨に会いに来ただけだもの。美雨が行くなら私も行く」
「……あの山駕さんが自分の娘に言いくるめられるとは……」
「パパも忙しいから、私と離れられて嬉しいんじゃない? 私も邪魔はしたくないし」
「蓮華ちゃんはお父さんのこと嫌いなんですか……?」
「好きよ」
平然と答える蓮華に、衣織は面食らった顔をする。
「そろそろ着きますね」
見えてきた日本家屋に八作がそう言う。
「海は⁈」
「日が出ている時はいけないでしょう?」
「せっかく来たのに……」
「美雨、夜になったら一緒に行こう」
「ほんと⁈」
「それは私もついていきますからね」
大きな日本家屋の門の前にたどり着くと、門が開き、八作が軽自動車を中に入れる。家の玄関の前で、着物を着た夫婦が待っていた。黒髪の短髪で身長が高い、優しそうな、悪く言えば少し頼りなさそうな男性と、その隣に立っていた、軽くウェーブした黒髪を低い位置で結んだ優しそうな女性は、車から降りた四人に近づいていく。
「お久しぶりです、衣織君。また背が伸びはったたみたいですね」
衣織に向かって男性が微笑みながら声をかけてきた。
「お久しぶりです、竜海さん。その節はお世話になりました」
衣織が深々と頭を下げる。竜海と呼ばれた男性はニコニコと笑みを浮かべていたが、衣織の後ろにいる八作を見て、その笑顔が少し引きつった。
「……久しぶりですね、八作さん。お元気そうで何よりです」
「竜海さんこそ、お変わりなく……」
八作も少し引きつった笑みを浮かべている。竜海が八作の後ろにいた美雨と蓮華に気が付いた。
「その子たちは……」
「初めまして。私は宝刀分家、防人家当主、防人山駕の娘、防人蓮華といいます。こっちは時輪美雨。私の友達」
すらすらと自己紹介をした蓮華に、竜海が目を丸くした。
「ああ、えっと……美雨は私が保護している子でして」
「そうなんですか……あの、なんで宝刀本家の分家の中でも最高位にあたる防人家の娘さんがここに?」
「お友達なんでしょ? 一緒に海に来ただけよね」
それまで黙っていた女性が蓮華と美雨に近づき、しゃがんで二人と目線を合わせ微笑んだ。
「こんにちは。私は
「お久しぶりです、葵さん」
「八作さんに娘ができたのかと思ってびっくりしたわ。さて! こんな暑いところで立ち話もなんですし、中に入りましょうか。美雨ちゃん、蓮華ちゃん、アイス食べる?」
葵の言葉に、美雨の表情が曇る。
「私はいる。美雨はアイスコーヒーとかの方がいいよね?」
蓮華の言葉に美雨が小さくうなずいた。
「あら、そうなの?」
「美雨は甘いものが苦手なの。コーヒーもブラックがいい」
「オッケー、わかったわ。さ、皆さん。どうぞ涼しいところへ」
四人は葵に招き入れられ、八作と衣織は竜海に連れられて客間に通された。蓮華と美雨は葵に連れていかれて別室にいる。
「今日、こちらに来はったのは、私の兄のお話ですか?」
竜海がおもむろに口を開き、衣織が少し緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
「……はい……」
「なにか、手がかりが?」
「いえ、そうではなく……」
「……そうですか。こちらも、手を尽くしていますが、なにも見つけることができていません。兄が行方をくらませてから、もう四年になろうとしとるんですね……」
「……今日は虎太郎についてではなく……その……僕について、なにかご存じないかと思いまして……」
「衣織さんについてですか?」
衣織は少しためらいがちに、自分が禍ツ神に育てられたことや、虎太郎が何かを隠していたことを竜海に話した。
「竜海さんなら、虎太郎からなにか聞いているかな、と思ったんですが……」
「……なるほど。申し訳ないんですが、私は何も聞いていませんね……なにしろ、兄は一人で抱え込む人でしたさかい……」
竜海が申し訳なさそうにしながらため息をついた。
「いつもそうです。何も言わずに一人で何でも決めてしまう。人を頼るということをしない人です。家を飛び出していった時も、唐突に神子になったと報告しに来た時も……」
「虎太郎と竜海さんは、もともと神子の家ではありませんからねぇ……」
八作が呟いて、竜海が大きくうなずいた。
「両親と馬が合わないとか何とかで家を飛び出していったかと思ったら、宝刀の当時の当主に拾われたとか言って、わしは神子になるぞ! とか訳が分からないですよ」
「そのおかげで私と出会えたんだからいいじゃない」
声が聞こえた方を三人が見ると、障子から葵が顔を覗かせていた。
「ねえ、竜海さん。物置に去年の花火残ってたかしら? 美雨ちゃんたちがやりたいって」
「残っとったと思うけどなあ。少なかったら買いに行ってくれ」
「あら、嫌よ。私、車乗れないもの。後で竜海さんが行ってきてよ」
「はいはい。わかりました」
「はい、は一回でいいですよ。ああ、それと、虎太郎さんが持っていたものなら、上の物置部屋にあったはずよ。なにか知りたいことがあるのなら、見てみたらいいんじゃないかしら」
そう言うと、葵はひらひらと手を振ってその場から去っていった。八作が苦笑しながら口を開いた。
「相変わらず、葵さんには敵わないようで……」
「まあ、うちの当主は妻ですから……。私は神子の素質がなさ過ぎて、神降ろしすらまともにできませんから、当主の肩書は海道家の人間である妻が持っていますからね。さてと。兄の私物は失踪後、私が預かってあります。預かってからほとんど手を付けていませんし、もしかしたらそこになにか手がかりがあるかもしれません」
「いおり‼」
ふいに聞こえてきた声に三人が障子の方を見ると、目を輝かせた美雨が立っていた。美雨は竜海の姿を見て、一瞬顔を強張らせる。
「どうしたんだい? 美雨」
八作が優しく問いかけると、美雨ははっとして衣織に近づき、衣織の服の裾を引っ張った。
「あのね、葵さんがスイカを切ったから食べにおいでって」
「あ、えっと……ごめんなさい、美雨ちゃん……僕、やらなきゃいけないことが……」
「衣織」
後ろから現れた蓮華が衣織の言葉を遮るように名前を呼んだ。衣織が蓮華の鋭い目線にすくみ上る。
「い……行きます……」
「大丈夫ですよ。物置部屋はもう何年も使っていないので、ものを出しておきますね。それまでは、どうぞゆっくりしていてください」
「すみません……ありがとうございます……」
美雨が「早く!」と衣織の服を引っ張り、衣織が部屋から連れ出されていく。残された二人の間には静寂が流れた。
「……裏切者と、言わないのですか」
八作がおもむろに静寂を破り、竜海が八作の言葉に少し驚いた顔をした。
「私は一度、神子から離れた人間であるのに、と」
「……あなたを責めたところで、何になるというのでしょう。あなたを責めれば、兄が見つかるのですか?」
「……いいえ」
「それなら、私は何も言いません。言う資格など、ないのでしょうから」
竜海が柔らかく笑った。
「八作さんも、スイカいかがですか?」
「いただきます」
◇
海道家に四人が着いてから時が経ち、日はすっかり落ちて外が暗くなった。それとともに美雨が目を輝かせながら「海に行きたい!」と言ってきかないので、葵の先導のもと、全員で夜の海へと赴くことになった。
「お布団の予備はあるし、無駄に広い家だから部屋も余ってるわ。せっかくだから泊っていったらどうかしら? ねえ、美雨ちゃん、蓮華ちゃん」
満面の笑顔で言った葵の言葉に甘えて、四人は海道家に泊まることになった。
竜海が運転する車で六人が夜の海岸にたどり着くと、少し冷たい風が人々の頬を撫でる。海の波は月の光を反射して、きらきらと輝いていた。
「海ー‼」
車から降りた美雨が蓮華の手を引きながら波打ち際へと駆け出した。押し寄せる波が二人の足を濡らす。
「美雨、海に来たの、初めて!」
「私も」
蓮華が水を蹴って、パシャリと水が跳ねた。
「真っ暗だね」
「でも、綺麗」
「二人ともー! おいでー!」
葵の声に二人が振り返る。花火を手にした葵が笑顔を浮かべながら手を振っていて、蓮華が「行こう」と美雨の手を引いた。
花火の光が夜の海岸を照らし、美雨は初めての海と花火に終始目を輝かせながら楽しそうにしていた。普段、あまり表情の変わらない蓮華も、心なしか嬉しそうな笑顔を浮かべているように見える。皆が楽しそうにしている中、衣織だけはどこか浮かない顔をしていたが、美雨が楽しそうに衣織の手を引くので、ぎこちなくも楽しそうな笑顔を浮かべていた。
しばらくして花火もなくなり、葵と竜海は花火のゴミの片づけをしに海岸を離れた。衣織と八作は海岸に引いたレジャーシートの上に座って海を眺めている。美雨と蓮華は波打ち際で、水をかけあって遊んでいた。
ふと、美雨が何かに気が付いて動きをとめて、海の沖の方を見つめた。
「美雨? どうしたの?」
「……波の音」
「海だもの。当たり前でしょ?」
「違うの。波の音……じゃない」
美雨がふらりと沖の方へと歩き出した。蓮華が慌てて美雨の手をつかんでそれを止める。
「美雨、戻ろう。遠くに行ったら溺れちゃう。危ないから……」
『……い……デ……』
波の音に混ざって聞こえてきた微かな声に、蓮華が目を見開いた。
「美雨、美雨、戻ろう。二人のところに戻ろう」
『オ…………デ……いデ……』
「……うん。戻ろう」
美雨が蓮華に手を引かれて振り返り、海岸の方へと一歩踏み出そうとしたとき。
『オイデ』
バシャンッと大きな音がして、今まで静かだった波が急に大きくうなりを上げ、二人に襲い掛かった。黒い水が二人の身体を飲み込んで、海の中へと引きずり込もうとする。
「美雨‼」
蓮華が美雨に手を伸ばしたがその手は届かず、二人とも海の中へと引きずり込まれた。蓮華の叫び声に海岸で座っていた八作と衣織が異変に気が付き、海に向かって駆け出した。
海の黒い水は液体に似た姿を持つ禍ツ神へと姿を変え、美雨の身体にまとわりついて、底へ底へと引きずり込んでいく。蓮華が懸命に美雨に向かって手を伸ばすが、美雨にまとわりついた禍ツ神は美雨を離さず、蓮華の手が美雨に届く寸前で、蓮華の身体が誰かに持ち上げられて海面に顔を出した。
「美雨が! 美雨が連れていかれた‼」
蓮華の身体を持ち上げた八作が、蓮華を離して下に潜ろうとした瞬間、後ろから来た衣織が美雨を追いかけて潜っていった。
暗い海に引きずり込まれながら、美雨はあたりに響く声に耳をふさぐ。
『……クル……し……イ……コわ……い……タす……けテ……』
息が苦しくなってきて、美雨の口から泡が溢れた。禍ツ神は美雨の身体にまとわりつき、耳元で苦しげなうめき声に近い声を囁き続ける。
『オイデオイデオイデオイデオイデオイデオイデオイデ』
「……いや……」
『コッちニ、オイデ』
「いや……! 助けて……」
禍ツ神は美雨の身体を完全に包み込もうとしている。
「助けて……! いおり……‼」
悲鳴に近い美雨の声は泡に溶けて消えていった。意識が朦朧としてきて、美雨の目が徐々に閉じていく。
力なく伸ばされ、水の中で揺らめきながら、どこも掴めずに沈んでいく美雨の白い手を、上から泳いできた衣織が掴み取った。衣織は美雨を禍ツ神から引き剥がそうと引き寄せる。
『ハなサナい』
禍ツ神が衣織諸共飲み込もうと魔の手を伸ばしてくる。
禍ツ神が離れようとしないことがわかると、衣織は迷うことなく美雨を引き剥がして、自分は禍ツ神の中へと身をゆだねた。
美雨が驚いた顔をして衣織に手を伸ばしたが、衣織の姿は一瞬にして禍ツ神に飲み込まれる。美雨は泳いできていた蓮華に腕を掴まれ、海面に引っ張り上げられた。
「ゲホッ‼ ゴホゴホッ‼」
「美雨。美雨、落ち着いて。大丈夫」
「い……いおりが……‼」
「
ゴロゴロという雷の音が響き、空から閃光が降ってきたかと思うと、光り輝く槍を持った八作が光と共に海の底へと潜っていった。
八作は光り輝く槍を禍ツ神に向かって突き立て、禍ツ神が悲鳴を上げてその身体がボロボロと崩れる。崩れた禍ツ神の中から衣織の姿が見え、八作が衣織の腕を掴んで引き寄せると、海面に上がっていこうとした。
『ウラギリモノ』
聞こえた声に八作の動きが止まった。
その間に禍ツ神は八作に纏わりつき、八作は苦々しげな顔をすると、衣織から手を離した。衣織が海面に浮かんでいくが、八作は禍ツ神に海の底へと引きずり込まれていく。
『オイデオイデオイデ……ウラギリモノ』
禍ツ神が八作のことを飲み込んでいく。身体の自由が利かなくなった八作は静かに目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます