十五刻 涙の資格

 玉藻の前討伐から一週間ほどが経ち、日光本家では、緊急会議が行われていた。

本家の神子とそれぞれの分家の当主が集ったその空間には言い知れぬ緊張感が漂っており、一番奥の中央に座る御神は緊張した表情を浮かべている。本家の神子や分家当主は高齢の女性が多く、各々が険しい表情で口を閉ざしていた。御神の隣に座る花蓮も不安げな顔をしていた。


「三神の八岐大蛇、玉藻の前が立て続けに目覚め、災厄をもたらした」


「それぞれ最悪の事態は免れたものの、被害は大きい」


「多くの神子が死に絶えた」


「藤崎家当主も散ってしまった」


 一斉に口を開いた神子たちの言葉の中に、藤咲家当主が出てきたことに花蓮が少し反応し、目線を下にした。


「部外者も多く目撃されている」


「裏で手を引いている者もいるようだ」


「今、大災厄級のなにかが起これば手に付けられない」


「やはり、大神降ろしを行うべきだ」


 最後に聞こえた言葉にその場が静まり返った。目線を落としていた花蓮が顔を上げ、最後の言葉を言った人物を見る。花蓮の目線の先に座っているのは、一番高齢の本家の神子だった。


「……御三家日光が大神である天照大御神の力を使えないこの現状は、あまりにも危険すぎる」


 御神の顔は青冷め、手がかすかに震えている。花蓮が「お待ちください」と口を挟んだ。


「御神様はまだ八歳であられます。お身体も決して強くはあられません。大神降ろしの負荷に耐えられません」


「では、このまま放置しておけと?」


 神子の冷たい声が響く。他の神子は皆一様に口を固く閉ざしていた。


「大災厄の時、日光は何もできなかった。それは天照大御神の力が野放しにされ、お力を借りることができなかったからだ。危機的状態である今、日光の現状を維持しておくことがどれだけ危険か。花蓮殿、わかっていないわけではないだろう」


「だからといって、まだ幼い御神様を危険にさらすというのですか。たとえ大神降ろしが成功したとしても、御神様がその力を制御できる可能性は低い」


「可能性が少しでもあるのならば、危険をおかさねば、この状況をどうやって打破する? 現に天照大御神の力があれば、玉藻の前の被害があそこまで大きくなることも、藤咲家当主が死ぬこともなかった。これだから嫌だったのだ。先代御神はまっとうに役目も果たせず、責任から逃れるように子を産み落として死んでいった」


 御神は下を向いたまま青白い顔をして震え、今にも倒れそうになっている。その時、花蓮が床を力強く叩き、大きな音が響いた。神子たちがぎょっとして花蓮の方を向き、御神も驚いた表情で花蓮を見つめている。


「それは、先代御神様と現御神様への愚弄と捉えてよろしいのか」


 花蓮の氷のように冷たい声色に、高齢の神子が息を呑んだ。


「……事実であろう」


「先代様は最後までお役目を果たされた。ご高齢でありながら、後継ぎを産めと周囲から責め立てられ、自らの命をなげうって、御神様を残して逝かれたのだ。あのお方をいったい誰が責めるというのだ」


 花蓮がゆらりと立ち上がる。まわりの神子たちが怯えた様子で身構え、花蓮はゆっくりと高齢の神子に向かっていった。


「先代様にとって御神様は愛すべき娘だった。たった一人の愛しい娘。先代様はその愛しい娘をたった一度でも腕に抱くことを許されず、それでもただ、生まれてくる娘の身を案じ、最後まで深く愛していらっしゃった。その先代様の宝を」


 花蓮が恒例の神子の前で立ち止まり、冷たい目線を向けた。


「生まれて間もない御神様に強制的に大神降ろしを行い、両足を悪くさせた。これ以上、お二人からなにを奪う? 先代様を殺したのはお前たちであるにもかかわらず、御神様の自由を奪ったのはお前たちであるにもかかわらず」


 花蓮が神の名を呼び、その手に薙刀が出現した。花蓮は迷いなく薙刀の刃を高齢の神子に向け、神子たちが息を呑む音が聞こえる。


「その口が、お二人を愚弄するか」


 刃を突き付けられた高齢の神子は、花蓮の冷たい瞳に青冷めて、かすかに身体を震わせていた。他の神子は凍り付いたように動かず、その様子に御神が慌てて立ち上がろうとして、足が思うように動かず、その場に倒れた。花蓮がその音にはっとして、慌てて御神のもとに駆け寄り「大丈夫ですか?」と、優しく御神の身体を起こす。


「……大神降ろしは行わず、日光は裏で動いている者たちの捜索を優先すべきでしょう」


 ふいにこれまでずっと口を閉ざしていた若い本家の神子たちが口を開いた。


「御神様が亡くなってしまえば、それこそ日光の存続が危ぶまれます」


「玉藻の前が目覚めてしまったのは過去の話」


「今はこの先、この状況の中、我々になにができるのかを考えるべきです」


 若い神子たちにまくしたてられた高齢の神子は固く口を閉ざした。


「立て続けにいろいろなことが起こって御神様もお疲れでしょう。花蓮様、会議はこのあたりでよいのではありませんか?」


「そうしよう。それでは皆様、本日はお集まりいただきありがとうございました」


 神子たちが部屋を出ていく中、最後に部屋から出ていった高齢の神子に、花蓮が冷たい視線を向けていたのを御神は見逃さず、暗い顔をした。


 神子たちが部屋から出ていき、花蓮が御神に声をかけようとして、御神が暗い表情をして立っていることに気が付いた。花蓮はうつむいている御神と目線を合わせようと膝を折って、顔を覗き込んだ。


「御神様。気にすることはありませんよ。本家の中でも高齢の者たちは、あのように頭が固い者が多いですから。御神様はなにも悪くないのですよ」


「……でも」


 御神の声は震えていて、瞳に涙が浮かんでいた。


「御神が役立たずであることは事実です……」


「そんなこと————」


「だって、御神に力があったら‼」


 御神の両目から大粒の涙が零れ落ちる。


「……花菜さんは、死ななかった……‼」


 御神の言葉に花蓮が目を見開いた。御神は涙をこらえようと拳を握りしめた。


「役立たずなんです……! なにも、出来ないんです……! 私はいつも、誰かに守ってもらってばかりで、誰かを犠牲にして……!」


「……そんなことありませんよ」


「どうして⁈」


 御神が声を張り上げて、花蓮がびくりと肩を震わせた。


「花蓮さんはいつも私は悪くないって、私に優しくしてくれる……‼ でも、でも、違うんです‼ なんで、なんで、こんな時まで優しいんですか……⁉」


「御神様……?」


「花蓮さんは私のことを責めていいんです‼ 私の大切な妹を奪ったのはお前だって、声を上げたってかまわないんです‼」


 御神の言葉に花蓮は何も言えずにただ大粒の涙を流している御神を見つめていた。


「花蓮さんにはその資格があるんです‼ なのに、どうして……‼」


「……責められるわけがないじゃないですか」


「責めてくれる方がどれほど楽か‼ 優しくされればされるほど、私は、私は、自分のことが嫌いになる‼ こんなことなら、生まれてこなければよかったって‼ 誰かの大切な人を奪うぐらいなら———」


 御神の言葉を遮るように、花蓮は御神の身体を抱き寄せた。小さな御神の身体を強く抱きしめて、花蓮は優しく背中をさする。


「そんなこと、言わないでください。あなたは先代様が残した宝。誰かを犠牲になんてしていませんよ」


「でも……‼」


「花菜を殺したのは私なのですから」


 花蓮の言葉に御神が目を見開いた。


「だから、あなたを責める資格など、もともと私にありはしないのですよ」


「そんなことありません! 花蓮さんが殺したなんて———」


「花菜を置き去りにして、藤咲家のすべての重圧を背負わせたのは私。最後であり、唯一の手段である殺生石を壊したのは私」


 花蓮は淡々と話しながら、その顔に静かな微笑みを浮かべていた。


「私が殺したも同然。だから、けして、御神様は悪くないのです」


「……そんな」


 御神が花蓮の腕からすり抜けて、一歩離れる。信じられないという表情を浮かべる御神に対して、花蓮は表情を崩すこともなく、ただ微笑んでいた。


「……そんな……悲しいこと……言わないで……」


 御神の瞳から大粒の涙がこぼれた。


「自分が殺したなんて……そんなこと言ってしまったら、花蓮さんは誰かを責めることすらできない……」


「そんな資格、私にはない。誰かを責めたところで、花菜が戻ってくることはないのですから」


「でも、だからって……自分のことを責めるなんて……」


 御神が花蓮の手を握り、懇願するように花蓮の目を見つめた。


「そんなことしてしまったら、花蓮さんは、花菜さんのために泣くことも許されなくなってしまう……」


 御神の言葉に花蓮が一瞬驚いたように目を見開いて、ふっと微笑んだ。


「涙を流す資格などありません。それに」


 花蓮は優しく微笑みながら、御神の目に浮かんだ涙を優しくぬぐった。


「私の分まで、御神様が涙を流してくれるから、それでいいのです」


 そう言った花蓮の表情に、御神は声を上げて泣き出した。


 花蓮の肩に顔をうずめて、年相応に大きな声を上げて泣く御神が泣き止むまで、花蓮は背中を優しくさすりながらずっとそばにいた。


    ◇


 宝刀本家の中で、緊急会議を終えた沙乃は自室で一休みしていた。連日起こった事件のせいで疲労がたまっているのか、ズキズキと頭が痛み、座布団に座る沙乃は顔をしかめながらこめかみを抑えた。


「沙乃さん、いますか?」


 外から聞こえた声に、沙乃が「おるよ」と答えると「失礼します」と言いながら、衣織が襖をあけて申し訳なさそうに入ってきた。


「休憩中にすみません……」


「ええよ。ええよ。うちも話したいと思っとったんよ」


 沙乃が衣織に手招きをして、衣織は沙乃の前にある座布団に座った。


「……沙乃さんに聞きたいことがあるんです……」


「なに?」


「……どこまで知っていたんですか?」


 衣織の言葉に沙乃が動きを止めた。


「……なにを?」


「僕の出生について……」


 衣織は両手の拳を握りしめた。


「僕は、ずっと虎太郎に、過去のことは知らなくていいと言われてきました。自分がいた山の中の小屋のことも、母親のことも……虐待のことも。虎太郎はずっと、お前の父親は俺なのだから気にする必要はないと。だけど」


 衣織が顔を上げ、沙乃の目を見つめた。


「僕は、思い出しました。僕を育てていたのが人間ではなかったこと。禍ツ神という、とても異常なものに育てられていたことを。僕の本当の親は、誰なのでしょうか……? 僕はなぜ、あんな小屋にいたのでしょうか……? 虎太郎はどこまで知っていたのか、沙乃さんは知っているんじゃないですか……?」


 おそるおそる問いかけてくる衣織に、沙乃は少し考えてから口を開いた。


「うちは、ほとんど何も知らへんよ」


「でも!」


 めったに聞くことのない衣織の大きな声に沙乃が少し驚く。声を発した衣織自身も、自分の声に驚いているようだった。


「……沙乃さんは、あの時、僕にお前の親は虎太郎だと言いました……」


「……虎太郎は本当にうちに何も話さんかった。それでも、ずっと虎太郎と一緒にいたうちは、虎太郎がなにか隠し事をしているのに気がついとった。言い聞かせるように衣織に親は俺だと言い続ける虎太郎に違和感を覚えた。でもそれは、聞いてはいけないことに思えたし、知らなくていいことだと思っとった」


 沙乃が静かに衣織に手を伸ばす。一瞬怯むように手を止めて、沙乃は衣織の頭に優しく触れた。


「あの時、衣織が思っていることがわかって、思わず口から飛び出したのがあの言葉やったんよ。うちも、ずっと疑問に思いながら、知らないふりをしたから。でも、衣織? 覚えとって」


 沙乃が優しく衣織の頭を撫でた。


「たとえ、衣織が禍ツ神に育てられたのだとしても、本当の親が誰かわからなくても、衣織の親は、虎太郎なんや。うちは、ずっと衣織の味方で、衣織の家族なんよ」


 衣織はこぼれそうになる涙をぐっとこらえ、下を向いた。


「……僕は、知りたいです……。僕がいったい何者なのか。でも、それを知っているのはきっと虎太郎だけで、その虎太郎もどこにいるかわからない……この三年間、沙乃さんと探し続けて、それでも見つからない……」


「……疑問に思っていたことが、もう一つあるんよ」


 衣織が顔を上げる。


「衣織の左目」


 衣織の左目はカラーコンタクトによって隠されている。


「……え?」


「なんで衣織の左目は金色なん?」


「……それ……は……虎太郎は、精神的ストレスによる色素抜けだと……」


「おかしいんよ。だって、色素が抜けても金色にはならへん。美雨みたいに、毛細血管の色が透けて、赤くなるはずや」


「……」


 衣織は絶句したまま沙乃の目を見つめていた。


「うちらは、虎太郎に言いくるめられとっただけやないか? うちらは虎太郎に絶対の信頼を置いていたから、虎太郎が言うことはすべて正しいと思っとったんや。虎太郎はきっと騙しとったわけやない。それは優しい嘘やと思う。それでも、虎太郎は隠しとったことがあったんや。それを知ることができたら、もしかしたら、虎太郎がどこにおるかわかるかもしれへん」


「……でも、僕たちはほとんどの場所を探しつくしましたよ」


「それは虎太郎について。衣織の過去について探したことはなかったやろう? これまで探したところにもしかしたら衣織の過去についての手がかりがあったかもしれへん。虎太郎の身近な人が知っていた可能性もある。ほんの小さな可能性でも、すがるしかない。たとえば……虎太郎の弟さんとか」


竜海たつみさん……ですか?」


「そう。最近会っとらんし、もしかしたらなにか知っているかもしれへん。行ってみる価値はあると思う」


「……わかり……ました」


 沙乃は衣織に向かって微笑むと、衣織の頭を撫でまわしてグシャグシャにした。


「竜海さんのとこは海が近かったはずやし、ちょうどええよ! 気分転換してき! 美雨も連れていったればええよ! そんな辛気臭い面しとったらあかん!」


「わ、わかりました……わかりましたから……!」


 衣織は困ったように沙乃をとめようとしたが、沙乃は手をとめようとしなかった。沙乃は愛おしくてたまらないという笑みを浮かべて、優しい目線を衣織に向けていた。

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