十四刻 双子の花

 玉藻の前は徐々に肥大化し、木々を押し倒しながら大きな鳴き声を上げた。それとともに結界内の瘴気が更に濃くなり、玉藻の前の尻尾が頭上の結界の向かって伸びていくと、結界を貫いて、音を立てて結界にヒビが入る。


 玉藻の前の足元の地面が盛り上がり、薙刀を構えた二人に向かって襲い掛かった。花蓮が大きく飛び上がってそれを避け、花菜は薙刀を振って土を切り刻む。


 飛び上がった花蓮に玉藻の前が大きな口を開けて牙を向き、花蓮の薙刀がそれを受け止めた。玉藻の前は薙刀をかみ砕こうと力を込め、結界を貫いていた九つの尻尾が花蓮に向かってくる。


桜吹雪さくらふぶきまい


 花菜の声が響いたかと思うと、花弁を纏った竜巻が突如出現し、尻尾を花弁が切り裂いた。ひるんだ玉藻の前に花蓮が薙刀を牙から引き抜いて、玉藻の前の顔面を切りつける。


桃源郷とうげんきょう


 地面に着地した花蓮が薙刀を振ると、竜巻とともに舞い上がっていた花弁が集まり、大きな蓮の花を作り上げ、玉藻の前を押しつぶそうと振ってきた。玉藻の前が身をひるがえしてそれを避けたが、花蓮は目の前に迫っており、花蓮は飛び上がると、空中で縦向きに一回転しながら薙刀を振り下ろして、玉藻の前の首を切り落とした。


「姉様!」


 花菜の声に、花蓮が自分に迫ってきていた一本の尻尾に気が付き、薙刀で受け止める。花蓮の身体が吹っ飛び、地面を数回転がって、花蓮は体勢を持ち直すと片手を地面につけて勢いを殺した。


 首を切り落とされた玉藻の前の切断面はブクブクと膨らみ始めたかと思うと、徐々に顔の形になり、首は完全に再生する。九つの尻尾も再生し、二人に向かって襲い掛かった。


 花蓮は尻尾を切り裂いたが、花菜は悔しそうな表情を浮かべて逃げている。その様子に気が付いた花蓮が花菜を救おうと走り出したとき、玉藻の前が一声鳴き、土の中から牛蒡種が這い出してきた。


 花蓮が行く手を阻む牛蒡種を切り裂きながら、今にも尻尾に取り囲まれそうになっている花菜に手を伸ばした。花菜は尻尾に取り囲まれ、尻餅をついている。


「なりません、姉様! 私のことなどお構いなく‼」


 花菜が必死に叫んだが、花蓮はまっすぐ花菜に向かって走り、それを追ってくる玉藻の前の爪が花蓮の背中を切りつける。花蓮の傷口から肌が赤黒く変色し、プツプツと水膨れのように膨らんだが、花蓮は気にするそぶりも見せずに花菜を取り囲んでいた尻尾を切り刻むと、追いかけてきた玉藻の前の方を向き、睨みつけた。


桜桃御前おうとうごぜん


 花蓮が薙刀を振り上げ、縦向きに振り下ろすと、目の前まで迫っていた尻尾と玉藻の前に亀裂が入り、真っ二つに裂ける。


「妹に触れるな、たわけが」


 そう吐き捨てた花蓮の右手の指先は桜の枝のように変化しており、手の平に咲いた一凛の桜の花の隣に、小さなつぼみが咲いていた。


 その様子を呆然と眺めていた花菜は我に返り、立ち上がった。花蓮がそれを確認すると、切り裂かれてもなお再生をし、二人を睨みつけている玉藻の前に向かっていく。


花火はなび


 花菜が薙刀を振り、あたりに舞い散っていた花弁を切ると、花弁が火花を散らしながら玉藻の前を取り囲むように爆発した。玉藻の前が煩わしそうに尻尾を振り、火の粉を散らす。


 玉藻の前に向かっていた花蓮が尻尾を避けながら飛び上がり、玉藻の前の頭を蹴って背中側に回ると、玉藻の前の背中を薙刀で切りつけた。


 玉藻の前が小さく悲鳴のような声を出し、吸収されかけていた殺生石がボロリと背中から落ちた。小さくなった殺生石が地面を転がっていき、花蓮が殺生石に手を伸ばす。


 玉藻の前は一瞬花蓮の方を向き、憎々しげに睨みつけ、向かっていこうとしたが、急に方向を変え、大きな口を開けて、花菜の方へと向かっていった。


「花菜‼」


 花菜が薙刀で玉藻の前を切ろうとしたが、玉藻の前の鋭い爪で薙刀が折れる。その瞬間、玉藻の前の顔が裂けるように広がり、大きな口になって花菜を一飲みにしようと迫った。花菜はその場から動くことができず、飲み込まれる。


 バキンッと、何かが壊れる音がした。


 その瞬間、玉藻の前がどろりと溶け、花菜の身体に黒い液体がかかる。玉藻の前の身体が溶け出し、一回りほど小さくなると、玉藻の前は振り返って後ろを見た。


 そこには、信じられないというような表情を浮かべた花蓮と、その足元に転がる、大破した殺生石があった。


「……姉様……」


 玉藻の前が勝ち誇ったように不気味に笑う。自分の力の源を壊されたにもかかわらず、ゲラゲラと下品な笑い声が響き、山を囲む結界は尻尾によって開けられた穴からボロボロと崩れ始めた。


「クソ、クソッ‼」


 花蓮が玉藻の前に向かって薙刀を振ったが、玉藻の前は笑いながらそれをヒラリと避けると、尻尾を使って花蓮を叩きつけ、花蓮の身体が吹き飛ばされて近くにあった木に直撃し、地面に落ちる。花蓮が大きくせき込みながら、上体を起こした。


「ゲホッ、カハッ! 御神様の力に頼るしかないのか……⁉」


「……いいえ」


 花菜の声が響き、花蓮が目を見開いた。花菜は目の前で玉藻の前が笑い声を上げながらゆっくりとした足取りで向かってきているにもかかわらず、ただその場で立ち尽くしていた。


 玉藻の前の裂けた口から黒い液体が流れ落ち、身体が崩れかけて黒い塊が地面に落ちる。頭上の結界は崩壊を始め、瘴気が漏れ出していた。


「いいえ、姉様。その必要は、ありません」


 花菜の目線は真っすぐに向いているものの、その瞳はどこか違うものを見ているように見える。痛みの走る身体を持ち上げようとしている花蓮は嫌な胸騒ぎを覚えた。


「……花菜? なにをしてる。早く逃げろ‼」


 玉藻の前はニタニタと笑いながら、一歩ずつ花菜に近づいていた。だが、花菜は微動だにせず、その顔に、ふっと笑みを浮かべた。


「ああ……なんて……」


「花菜? 花菜⁈ なにをしてる? なにをするつもりだ?」


 花蓮がなんとか立ち上がろうとするが、身体は言うことを聞かない。胸騒ぎは増していく。


「花菜‼」


「……姉様」


 花菜が玉藻の前の後ろにいる花蓮に向かって微笑んだ。


「ようやく、わかりました」


「花菜‼ 待て‼ やめろ‼ 逃げるんだ‼ 花菜っ‼」


 花蓮の悲痛な叫び声が響く。玉藻の前は花菜のすぐ前に迫っており、大きな口を開けていた。


はなはかりぬるを。岩戸いわとくは一輪いちりんはなあでやかなるそのざまを」


 花菜の静かな声が響き、玉藻の前の口が花菜を飲み込む。花蓮の悲痛な花菜を呼ぶ声が響いたが、花菜は口に飲み込まれる瞬間も、柔らかい微笑みを浮かべていた。


「神格解放 その名を、木花知流比売このはなちるひめ


 神の真名が響いた瞬間、花菜を飲み込んだ玉藻の前の身体がまるで花が散るように崩れ始め、玉藻の前の悲鳴がこだました。


    ◇


 夢を見ていました。それは、とても優しく、温かく、私を包み込んでくれる夢。


 苦しみも、痛みも感じない。なぜもっと早く気がつかなかったのかと不思議に思うほど、私の守神は、私に優しく囁いてくれておりました。


 私が生まれてきた意味を。


 苦しみから逃れることは愚かなことだと、何時(なんどき)も、自分に厳しく、逃げぬよう、地に足をつけてまいりました。それもすべて、姉様。あなたがあってこそ。


 姉様。私はただ、あなたに認めて欲しいだけでした。あなたのことを誰よりも憎み、愛しております。


 幼い時に交わした約束も、あなたはすでに忘れていることでしょう。


 日光分家の中でも最高位にあたる藤咲家の跡取りとして生まれた双子の姉妹。

姉は花蓮、妹は花菜と名付けられた双子は、顔こそ瓜二つでありましたが、その性格は大きく異なっておりました。


 姉は強く賢く、誰に対しても優しい聖女であり、藤咲家の主神『木花咲耶姫このはなさくややひめ』に選ばれた、非の打ち所がない神童で、反対に、妹は引っ込み思案で気弱で臆病。常に不安げに眉が下がっている、出来損ないでございました。

そう、私にとって姉様はコンプレックスの塊だったのです。


 自分の目の前にそびえ立つ、決して乗り越えることのできない大きな壁。


 両親は私たち姉妹を差別せず、平等に愛してくれましたが、周囲の目線はすべて、花のごとく光り輝く姉様に向いておりました。


 幼心に己の惨めさを噛み締め、姉様の陰に隠れるように生きてきた私でしたが、姉様はそんな出来損ないの妹にも優しく接してくれたのです。


「木花咲耶姫と木花知流比売は姉妹の神。一心同体。お互いに必要不可欠な存在だ。だから、花菜と私も二人で一つ。どちらが欠けても成り立たない」


 自分と同じ顔であるはずの姉が、何者よりも美しく見え、そして、私は愚かにも、そのことに酷く嫉妬しておりました。


 ですが、姉様は鈍感にも私の心の内など気が付きもせず、私に微笑みかけるのです。どこに行こうと私の隣には姉様がいて、何があっても姉様は私の味方をし、ためらうことなく手を握るのです。


 その優しさに、その愛くるしさに、いったい誰が姉様のことを嫌いになれましょう。嫉妬も僻みも心の内に閉じ込めて、私は心の底から姉様のことを愛していたのです。


「姉様、ずっと花菜のそばにいてくださいますか?」


「もちろん。私たちはずっと一緒だ。そうだなあ……」


 その時のこと、今でも鮮明に思い出せます。初夏の昼下がりの涼しい畳の部屋で、お互いに見つめ合い、小さな手を握りしめ、小指を絡めて笑いあったこと。


「花菜がお嫁に行けなかったら、私がもらってあげる」


「本当ですか?」


「ああ。だから、ずっと一緒だ」


 幼心に交わした約束。とても幼稚で軽薄な契り。


 冗談であるはずだった。冗談であらねばならなかった。本気にするなどおこがましい。そう、わかっていたはずだった。わかっていたはずなのに。


 嬉しかったのです。幸福だったのです。その約束を心に秘めて、私はどれほど惨めでも、生きることができました。


 時が経ち、姉様はそれは美しく成長し、その姿は目を見張るものでございました。姿形は同じでも、私と姉様はあまりに違う。


 姉様を尊敬し、そのお姿に見惚れておりました。姉様がいれば他に何も要らなかった。姉様のためならば、陰でひっそりと生きて支え続けることなど、苦ではありませんでした。


 それほどまでに姉様のことを愛していたのです。それなのに。


 八年前、日光前当主が現当主の御神様を産み落として、その命を絶たれてしまい、残された御神様は生まれたばかりであるにもかかわらず、当主という重い責を課されてしまった。


 天照大御神の力を使える神子が消え、焦った本家は生まれて間もない赤子に大神降ろしを行いましたが、成功するはずもなく、日光は主神の力を使えなくなった。


 そして、姉様は自らの意思で、本家に行くことを決めたのです。


「このままでは日光が崩壊する。私は先代様と約束したんだ。先代様が残した御神様をこの手でお守りすると」


 姉様が先代様を慕っていたことは知っておりました。私の前で「あのような素晴らしい方は他にいない」と嬉しそうな顔で語っていたのだから。


「藤咲家を頼んだよ」


 姉様は先代様との約束を果たすため、御神様の付き人となり、本家の神子になったのです。姉様がいなくなったことにより、藤咲家の当主は私になった。『木花咲耶姫』に選ばれなかったにもかかわらず。


 姉様のために生きてきて、これからもずっとそばにいられると思っていたのに、突然、私から離れ、姿を消した姉様。共に伸ばした髪を何のためらいもなく短く切りそろえた姉様は、それは、それは憎らしいほど美しく、私が口を挟む隙さえ与えてくださらなかった。


 それでも姉様に任せられたのだからと、当主としての役目を果たそうとしましたが、姉様が当主になるとばかり思っていた神子たちからの視線を冷たく、私がその重圧に耐えられなくなるのに、そう時間はかかりませんでした。


 幼少より心の内に隠しながらも、ふつふつと湧き上がり、今まで姉様の優しさによって蓋をしていた嫉妬や僻みという感情が、私のことを支配して。


 憎い、憎い。ずっと一緒にいようと、幼いころに交わした約束を忘れ、私から離れていった姉様が憎い。


 姉妹の証なのだと、共に伸ばした美しい髪を、なんのためらいもなく切り落とした。姉様にとって、そんな証などなんともないものだったのかもしれない。それでも、その行為は、私の心をズタズタにするには十分すぎるものだったのです。


 実家に私の顔を見に帰る頻度も減り、本家の神子として絶対の信頼を置かれる姉様は、どんどん私を置いて行った。離れれば離れるほど、手を伸ばしても振り返ってくれなくなった。


 私のことなど、顔も声も忘れてしまったんじゃないかと思うほどに。


 なんと愚かな女でしょう。なんと醜い女でしょう。劣等感に苛まれ、自己嫌悪に陥り、それでも伸ばした髪を切れないぐらいに、忘れられずにしがみつく。


 私の心は、すでに奪われておりました。


 ずっと、自分が生まれた意味を探していた。二つに分かれて生まれてきた意味はなんなのか。そう思うぐらいに、姉様は完璧でありました。


 でも、それも今、理解できた。


 私と姉様は一心同体。どちらが欠けても成り立たない。私は、姉様のために生まれてきました。姉様のために、この忌々しい化け物とともに散るための、命でありました。


 藤咲家の唯一の双子の片割れは、悲劇を食い止めるための、神子柱(みこばしら)。


 木花咲耶姫と木花知流比売は姉妹の神。木花咲耶姫が咲き誇る花ならば、木花知流比売はその隣で儚く散る花弁でしょう。囁かれた神託は、私に優しく手招きするようで。


 姉様。愛しております、誰よりも。この思いが届かずとも。魂を分けた双子として、あなたほど誇らしい姉はおりません。私の分までお幸せに。


 散り様ぐらい、あなたの陰に相応しく、美しくありたい。


    ◇


 結界ははじけ飛び、玉藻の前の瘴気があふれ出したが、瘴気は外にあふれた瞬間に、白く輝く花弁に変わり、上空に花吹雪が舞った。玉藻の前の黒い身体は花弁になって散っていき、苦しげな声を上げ、手足をばたつかせてもがく姿が消えていく。


 病魔に侵され、息も絶え絶えだった沙乃たちや、下山途中で力尽きて倒れていた瑠花と将の膨れ上がった肌が花弁になって散っていき、ゆっくりと目を開けた。病魔に侵されていた他の神子たちも次々と目を覚まし、空を舞う美しい花吹雪を見上げた。


「……嫌だ……」


 地面に倒れたまま起き上がれない花蓮の瞳から涙が流れ落ちた。花蓮の目の前で、花菜の身体が花弁になって散っていく。


 儚い微笑みを浮かべて、花菜は花蓮を見つめている。すべてを諦めたような、それでいて心の底から喜んでいるようなその表情が、花蓮の瞳に焼き付いた。


「嫌だ……嫌だ……! なぜ……⁈」


 花蓮が散っていく花菜に這い寄ろうと手を伸ばす。花菜はその姿に手を差し伸べることもなく、ただ静かに見つめていた。


「やめろ……お願い……お願いだから……‼」


「……姉様」


 花菜が静かに口を開く。すでに身体の半分ほどが消えていた。


「私の神は諸刃の剣だったようです」


「そんな……そんな……‼」


 山に落ちた花弁から植物が生え、朽ちていた山に命を芽吹かせていく。玉藻の前はついに消え失せ、悲鳴が空に溶けて消えた。


「さようなら。姉様」


 ついに花菜の姿はすべて花弁になって散り、花蓮の目の前から愛しい妹が消滅した。最後に花菜が見せた表情は、あまりにも清々しい微笑みで、花蓮は何も言えないまま、空へと舞い散る花弁を見送る。


 木花知流比売の力は玉藻の前の存在そのものを消滅させ、病の根源をすべて散らした。舞い散る花弁は人々を癒し、心地よい風が人々の頬を撫でた。


「……違うんだ……そんなこと……望んでなかった……」


 花蓮の瞳から涙があふれ、絞り出すように言った花蓮の言葉は、頬を撫でた風にさらわれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る