十二刻 玉藻の前

 日光分家、藤咲家の本堂地下。通路を進み、まっすぐ向かうと開けた場所があり、その中央の祠には、一見何の変哲もない、両手で抱えるほどの大きさの石が祭られている。


 その地下に、数人の藤咲家の神子が降りてきた。皆、緊張した面持ちで石が祀られている祠の前へと進んでいく。物々しい雰囲気があたりに漂っており、何の変哲もない石が、妙に不気味に見える。


 神子たちが石の前にたどり着き、石になにも変わりがないことに安堵して胸を撫でおろした。神子たちの中心に立っていた女の神子が、後ろにいる神子たちに向かって声をかけようとしたその時、不気味な、御経のようなものがあたりに響いた。


 神子たちが目を見開き、声のする方へと目を向ける。一番後ろからついてきていた女の神子が、ぶつぶつと御経を唱えているようで、その周辺にいた神子たちが止めようと神子に飛び掛かったが、押さえつけられた神子は狂ったように笑いだした。


 そのあまりの不気味さに神子たちがはっとして石の方を見る。石にかすかに亀裂が入っており、数人の神子が悲鳴を上げて逃げ出そうとした。中心に立っていた神子は信じられないという顔で、石を見つめて立ち尽くしている。


 石の亀裂は音を立てながら広がっていき、亀裂から黒い瘴気が溢れ出し、たちまち辺りに広がっていく。逃げようとしていた神子も、その場に立ち尽くしていた神子もあっという間に瘴気に呑まれ、様々な方向から悲鳴が聞こえてきた。


 瘴気に呑まれた神子たちの姿が醜く変わっていく。肌がブクブクと膨らみ、気道を塞いで、呼吸ができなくなった神子たちは次々と倒れていった。中には肌が膨らんだうえに溶け始め、骨が見えそうになっている者もいる。


 人間の姿とは思えない、神子のなれの果てが転がるその空間で、石から溢れ出した瘴気はゆらゆらと姿を作り上げ、赤く光る目が見える。この世の者ではない、悲鳴のような鳴き声に近い声を発しながら、その化け物は神子たちを嘲笑うように瘴気をまき散らして地下から飛び出した。


 地下の祠の前には、神子だったもののなれの果てが転がり、瘴気が溢れ、何も見えないその空間で、御経を唱えた女の神子の笑い声だけが響いていた。


    ◇


 人為的な禍ツ神の大量発生事件から数週間が経った頃、日光本家の緊急招集によって、日光分家藤咲家の支部に集められたそれぞれの本家の神子と当主は、事態の物々しさに動揺を隠せずにいた。


 藤咲家が管理する裏山は、結界によって封じ込められており、立ち込める黒い瘴気のせいで、中の様子はまるで見えない。山の麓に位置する支部の中は人々のうめき声で溢れていた。


 支部の大広間に寝かされている多くの神子は、肌が膨れ上がり、息も絶え絶えの様子で苦しげにうめき声を上げている。その治療に追われる藤咲家の神子は慌ただしく走り回っていた。


 支部の奥へと通された沙乃は、和室の畳の上に座り、深々と頭を下げる藤咲家当主のことを見つめる。


「ようこそおいでくださいました……と言える状況でもございませんね」


「……顔を上げてください。いったい、何があったんです?」


「誠に情けない話でございます。部外者の侵入を許し、三神の一人、玉藻たまもまえの目覚めを許すなど……」


 藤咲家当主が顔を上げ、その顔に沙乃が目を見開く。黒く長い美しい髪に、白い巫女装束を身に着けた藤咲家当主は、その背格好、顔ともに、藤咲花蓮に瓜二つだった。声すらもよく似ており、髪が短ければ、花蓮と見分けがつかないだろう。


「私が藤咲家現当主、藤咲花菜ふじさきかなでございます」


 凛とした佇まいも花蓮によく似ている。眼光の鋭い瞳は、緊急事態でありながら、冷静に物事を見据えているようだった。


「今回の不祥事、全て、現当主である私の責任です」


「今はそんなことええ。何があったんです?」


「先代より、代々藤咲家が守り、本堂地下にて祀られている殺生石と呼ばれる石。そこに封印された三神の一人、玉藻の前。山を焼かれた動物たちの怨念により、無数の神々が歪まされた成れの果て。それが玉藻の前にございます。疫病をまき散らし、人々を死に至らしめる、恐ろしいその禍ツ神を封じる殺生石に、この度起こった禍ツ神の大量発生事件により、異変が生じました。三年前の大災厄から不安定になりつつあった封印を懸念し、数人の神子に現状確認に行かせたところ、正体不明の侵入者により、殺生石の封印を解かれ、玉藻の前が目覚めてしまった」


「正体不明の侵入者……」


「現在、先に到着した月光の皆さんによって、本堂がある裏山は、結界により完全隔離状態。玉藻の前のまき散らす瘴気は辛うじて外に漏れ出すこと防いでいますが、それも時間の問題。一刻も早く玉藻の前を封印し、殺生石をもとの場所へ戻さねばなりませんが、結界内は瘴気で満たされており、一度足を踏み入れれば、病魔に侵されることとなります。日光本家の神子が多く送り込まれましたが、私の聖華の守りを持ってしても、完全に瘴気を防ぐことは難しく、時が経てば、次第に病魔が身体を蝕み、死に至る」


 支部の中は病魔に侵されて、今にも息絶えようとしている神子たちのうめき声が聞こえる。沙乃は険しい表情を浮かべ、拳を握りしめた。


「結界内で自由に動き、玉藻の前に一矢報いることができるのは、神格解放を行える神子か、御三家当主様の他にいません。当主様であっても、長時間結界内にいるのは危険。ですが、このまま玉藻の前が解き放たれてしまえば、被害は想像を絶するでしょう。代々、封印を任された者として、それだけは防がねばなりません」


「花蓮はどこです?」


「……姉は藤咲家の守神に選ばれし者。他の神子よりは瘴気の影響を受けにくいからと、結界内に飛び込んでゆきました。そして……」


 その時、部屋の障子が開けられ、日光当主、光天寺御神が現れた。今にも泣きそうなほどに顔を歪め、震える足で立っている様子に、花菜が「御神様……」と呟く。


「御神も、御神も! 御三家の一当主として、神子として、何もしないわけにはいきません……! 安全な場所で待っているだけだなんて……!」


「……御神様、落ち着いてください」


「皆さんが苦しんでいるんです‼ いつも、いつも、役立たずではいられない‼」


「御神……」


「あなた様は」


 響いた花菜の冷たい声に、御神が肩を震わせて怯えた表情を浮かべた。花菜は鋭い眼光で御神をとらえ、御神の身体が震える。


「あなた様は、最後の手段でございます」


「……最後の……」


「姉より任されたあなた様の保護。それは、姉の考えがあってこそ。御三家の神子の力を総動員し、玉藻の前の討伐を行ったとして、私たち全員死に絶えた際、あなた様がいなければ、全てが終わる」


「それは、大神降ろしを行うということ……?」


「それより他に方法はありません。主神、天照大御神の力を用いて、封印を施す他にないのです。姉も、私も、できるのならばそんな状況に陥りたくはない。それでも、あなた様は、万が一の時の最後の希望なのです」


 御神が悲しそうな顔をして頷いた。


「……わかり……ました……」


「……沙乃様。私は藤咲家の現当主。この事態を納めなければなりません。そのために、宝刀本家のお力を貸していただけるでしょうか」


「もちろん」


 沙乃が力強く言い放った。


    ◇


 結界内の裏山の中、日光本家の神子、崋山瑠花と藤咲花蓮は、黒い瘴気の中、山の奥へと進んでいた。二人の手の甲では、白い花の紋章のようなものがぼんやりと光を放っている。


「クソッ‼ おい、何も見えないぞ‼ 姉御‼」


 瑠花の苛立った声が響く。二人の視界は瘴気のせいで、隣にいる人の顔さえも見えない中、花蓮はただ前を見据えていた。


「探せ、探すんだ、この瘴気の根源を。月光が踏ん張ってくれているが———」


 その時、ズシンという大きな音がして、花蓮と瑠花が空を見上げる。黒い瘴気に阻まれながらも、微かに見える頭上の結界に向かって、大きななにかが体当たりしているのが見えた。


「なっ……⁈」


 結界が大きな音を立てながら軋んでいる。


炎産霊ほむすび‼」


「待て、瑠花‼」


 神器である大金槌を出現させ、上空に向かって大きく飛び跳ねようとした瑠花の首根っこを捕まえて、花蓮が瑠花を止める。瑠花がバランスを崩してその場に尻餅をついた。


「なにすんだよ⁈」


「そうやって早々に飛び込もうとするな‼ 何があるかわからないんだぞ———」


 頭上から、大きな鳴き声のようなものが聞こえた。その声は動物の鳴き声のような、悲鳴のような不気味な声で、あたりに響き渡り、山の木々を震わせる。


「なんだ⁈」


 瑠花と花蓮が不気味な声のあまりの大きさに耳を塞ぐ。すると、二人の周辺で異変が起き始めた。


「……これは……」


「姉御‼ なんか変だ‼」


 地面が波打ち始め、ぶくぶくと膨らんでいく。土が盛り上がり、あたりの木々を覆い尽くし、木々は音を立てながらどろどろになって溶けだした。まるで病に侵されたように無数の黒い斑点が現れたかと思うと、その部分から溶けていく。土は徐々に二人の方へと伸びてきて、二人に襲い掛かろうとしていた。


「瑠花‼ 絶対にあれに触れるな‼ 侵されるぞ‼」


「わかってる‼」


 瑠花が大金槌を振り、炎が上がって、迫って来ていた土が怯むように二人から離れた。


「どうなってんだよ⁈」


「おそらく、玉藻の前が地中で死んでいる微生物たちの怨念を共鳴させて操っているんだろう。奴は動物たちの怨念の塊だからな」


「クソがっ‼ 燃やし尽くしてやる‼」


 瑠花が大金槌を振り回し、あたりに炎が上がった。


 土は結界を昇っていき、外に出ようとしていて、結界を張っている月光の神子たちが動揺の声を上げる。山頂付近に降り立った玉藻の前の姿は、結界の外から鮮明に見えないが、玉藻の前が鳴き声を上げるたびに土は結界を這い上がっていった。


 土は二人を取り囲み、あたりの木々が朽ちていく。瑠花が大金槌を振るたびに上がる炎が、土が近づいて来るのを防いでいるが、土はじりじりと距離を詰めてきた。


 瑠花が舌打ちをして、大金槌を振る。花蓮が土を睨みつけて薙刀をかまえながら「下がれ」と瑠花の一歩前に踏み出した。


咲姫さきひめ


 花蓮の手元に、薄い桜色の刃を持つ薙刀が現れ、花蓮がそれを握ってかまえた。


遊覧花弁ゆうらんかべん


 花蓮が一回転しながら薙刀を振り、白い花弁が宙を舞った。迫って来ていた土は薙刀の刃に切り刻まれて地面に落ちる。あたりに舞った花弁は腐り落ちた木々に落ちると、そこから純白の花が咲き、ぼんやりとした光を放った。土がその光に怯えるように下がっていく。


「危ないと思ったら、瑠花は結界の外に逃げるんだぞ」


「姉御を置いては行かねえよ」


 生意気な笑みを浮かべる瑠花に、花蓮はふっと優しく笑うと「行くぞ」と言って走り出した。二人の後ろから土が這い寄ってきている。山は枯れ、植物や動物が死に絶える中、玉藻の前の鳴き声だけが、不気味に山の中で響いている。


    ◇


 瑠花と花蓮が結界内で奮闘しているのと同じ時、衣織と将も同じく結界内の山の中を進んでいた。二人の手には白い花の紋章が光り、将の手には裁ち鋏、衣織の手には短刀が握られている。


「うわああ……何も見えない……」


 将の情けない声が視界の悪い瘴気の中に響く。


「これ、ほんとに大丈夫なのかな? 絶対、身体に悪いよ……」


「……玉藻の前は、どこにいるんでしょうか……」


「山頂……とかかな? 姿は見えないけど————」


 その時、二人の頭上で大きな音と共に、不気味な鳴き声が聞こえてきた。


「わわわ⁈」


 将が空を見上げて、瘴気に阻まれた視界の中、微かに何か大きなものが動いて、結界に向かって体当たりしている姿が見えた。


「あ、あれ、玉藻の前じゃ———」


 将が衣織の様子がおかしいことに気が付き、言葉を止める。瘴気のせいではっきりとは見えないが、微かに見える人影は、立ち止まり、ふらふらとおぼつかない足取りをしていた。


「衣織?」


 衣織は頭を押さえて、自分もなぜ困惑しているのかわからないという顔をしている。額に汗が浮かび、頬を伝った。


「衣織? 衣織‼」


 将が衣織の肩を掴んで揺さぶった。衣織がはっと我に返り、「……あ……」と呟く。


「どうしたの⁈ 大丈夫⁈」


「……す、すみません……」


「無理しない方がいいよ‼ 下手したら死———」


 将が言いかけたその時、不意に地面が波打ち、土が持ち上がって二人に襲い掛かった。土が辺りの木々を呑み込み、山が朽ちていく。


「うえっ⁈」


「⁈」


「うわあ⁈ なにこれ⁈ 絶対、触っちゃダメな奴だ‼」


 将が情けない声で叫びながらも、手に持った裁ち鋏で襲い掛かってきた土を切り刻む。だが、土は四方八方から二人に襲い掛り、将の背後から迫って来ていた。


霧隠きりがくれ」


 衣織の声が響き、あたりに白い霧が立ち込める。土が霧に阻まれ、二人に近づくことができずに蠢いている。霧と瘴気によって阻まれた二人の視界はなにも見えなくなり、お互いの姿すら確認できない。


「将さん‼ 走ってください‼」


「走るって言ったって、どこに⁈ 前⁈」


「と、とにかく、逃げるしか……!」


「逃げるって⁈ 相手、土だよ⁈」


 玉藻の前の不気味な声が響き渡る。霧に行く手を阻まれた土はしばらく二人を取り囲んだまま蠢き、次第に一つの塊になっていくと、まわりに溢れる黒い瘴気を巻き込んで、歪な形をした土人形のような姿を作り上げた。ぼこぼこと赤黒い土が泡立ち、歪な形をした土人形は、二人に向かって手を伸ばす。


「うわあ⁈」


 土人形が歩くたびにベチャリと地面に赤黒い塊が落ち、ぶくぶくと泡立つ赤黒い水溜りが出来上がった。土人形はうめき声に近い鳴き声を発しながら、霧をものともせずに二人ににじり寄って来る。


霧氷花むひょうか


 衣織の声が響いた瞬間、あたりの温度が急激に下がり、霜が土人形を覆い始めた。土人形が凍り付き、その場から動けなくなる。


「将さん! 逃げましょう‼」


 動いていた土人形は全て凍り付いたが、地面の土がボコボコと動き出し、土人形が起き上がろうとしていた。衣織が走り出し、将がそれに続く。二人は視界の悪い山の中を進んでいった。


    ◇


 沙乃と花菜も山の中に入り、襲い来る土人形と戦っていた。周りで宝刀本家の神子も果敢に戦っており、あたりで戦闘音が響いている。


 沙乃の手には草薙剣が握られており、花菜を守るように立ちふさがっていた。


「これはいったい……」


牛蒡種ごぼうだね。玉藻の前が作り出す手下のようなものです。知性などありません。こいつらはただ、病原体をまき散らし、生命を刈り取るために存在するだけ。触れられぬよう、ご注意ください」


「……触れられたら終わりってわけやな」


 牛蒡種はじりじりと詰め寄って来ている。沙乃が大きく息を吸い込み、足元からぶわあと風が巻きおこると、沙乃の身体が白いオーラのようなもので包まれた。沙乃が剣を構える。


武神ぶしん疾風はやて


 沙乃が剣を横向きに振り、巻き起こった風が牛蒡種たちを切り刻んだ。風は牛蒡種に襲われていた神子たちを守るように取り囲んで、牛蒡種は散り散りになって消えていく。その様子に花菜が「さすが……」と呟いた。


「沙乃様、玉藻の前の力の源は殺生石であり、殺生石は玉藻の前を封じるもの。昔、玉藻の前を封じるために、当時の藤咲家当主は玉藻の前自身の力を用いることが最善であると判断し、玉藻の前の力を殺生石として分裂させた。おそらく、玉藻の前は殺生石を吸収し、自身の力を完全に取り戻すために血眼になっているでしょう。殺生石が吸収され、消滅しては一巻の終わり。いち早く見つけ出し、再度封印しなおす。それ以外に方法はありません」


「殺生石を壊せば力の源はなくなるけど、封印できんくなるっちゅうことやな」


「ええ。しかも、いくら頭上の狐を攻撃しても、殺生石がある限り、玉藻の前は死ぬことはありません。あれは玉藻の前の力そのものであり、本体のようなもの———」


「うわああ‼」


 聞こえた悲鳴に沙乃が目を見開く。花菜が険しい顔をして悲鳴が聞こえた方向を見ると、戦っている神子の一人の腕が膨れ上がり、病の症状が出ていた。その周りにいた神子たちも、次々と倒れていく。


「なんや⁈」


 あたりから神子たちの悲鳴が聞こえてくる。沙乃が神子たちに駆け寄ろうとしたが、それを阻止するように花菜が一歩前に出た。


知流姫ちるひめ


 花菜の手元に薙刀が出現する。花菜は薙刀の刃を肌が膨れ上がり、苦しげな声を出している神子たちに向けた。沙乃がぎょっとして、花菜を見る。花菜は顔色一つ変えず、神子たちに向かって薙刀を振る。


頬撫ほほなでる花神風はなかみかぜ


 花菜が薙刀を振った瞬間、心地よい清らかな風が白い花弁とともに巻き起こり、その風は膨れ上がった神子たちの皮膚を切り裂いた。皮膚を切り裂かれたにもかかわらず、神子たちからは一滴の血も流れず、病に侵された部位だけが取り除かれたようになっている。


「症状が出た者は全員、結界の外に避難しなさい。動ける者は負傷者の手助けを」


 花菜の指示で神子たちが動き出す。


「聖華の加護も、知流姫の力も、一時しのぎにしかなりません。玉藻の前を倒さぬ限り、病魔は私たちを襲う。沙乃様。あなた様もご無理はなさいませぬよう。病魔に侵されれば、一巻の終わりでございますゆえ」


「そんなこと言って、逃げるわけにもいかんですよ」


 その時、山を囲んでいる結界が淡い光を放ち始め、結界をよじ登っていた土がボロボロと崩れ落ちていった。


 山の麓では月光本家の神子たちが結界のそばで正座をし、それぞれの神器を用いて結界の保持をしていた。結界は山一つを取り囲むほどの大人数で保持されているにもかかわらず、玉藻の前の瘴気と這い上がろうとしている土のせいで、下の方に亀裂が入っている。


 他の神子たちと同じ様に正座をし、目を閉じて結界の維持をしていた尊が不意に立ち上がり、目を開いた。


 尊の両目は青色に光り輝いており、右手に持った八尺瓊勾玉を結界に向かってかざすと、結界が淡い光を放ち始めた。


天ノ門あまのもん 月ノ宮つきのみや


 結界の天井部分に大きな門のようなものが浮かび上がり、門が開くと、山に向かって眩い光りが降り注いだ。山を包み込む瘴気が光によって掻き消されるように少し薄れ、山頂にいた玉藻の前の姿が見える。


 九つに枝分かれした大きな尻尾を持つ、狐のような姿をしている玉藻の前は、裂けた大きな口と、赤く光る禍々しい目を持っていた。身体は瘴気で覆われており、真っ黒の毛並みから穢れのようなものが溢れている。


 門から放たれた光は玉藻の前の頭上に集まり、玉藻の前に狙いを定めた。玉藻の前は九つの尾を怪しげに揺らめかせながら、門から放たれる光を忌々しげに睨みつけ、一声鳴くと、光が一直線に玉藻の前に向かって振ってくると同時に、身体がブクブクと膨れ上がり、バンっと爆発した。


「これは……」


「尊様の力でしょう。一時的にではありますが、玉藻の前の力を弱めてくださった。ですが……」


 爆発した玉藻の前の身体は山の四方八方に飛び散り、花菜が悔しげに顔を歪ませた。


「奴め、身体を分散させて逃げましたね」


 飛び散った玉藻の前の身体は山の四方八方に飛び散り、飛び散った身体は一本の尾を持つ黒い狐のような姿に変わり、山で牛蒡種と戦っていた神子たちに襲い掛かった。狐が動くたびに瘴気がまき散らされ、木々が腐り落ちていく。


「沙乃様、おそらく、玉藻の前は殺生石を隠し持っていたはずです。今飛び散った身体のどれかが持っているでしょう」


「なるほど。飛び散った身体を狩ればええっちゅうことですね」


 沙乃様が不敵に笑い、二人の目の前に黒い狐が現れた。赤く光る両目に大きく裂けた口、狐のような姿でありながら、どこか歪んだ姿をしたそれは、怪しげな笑い声を上げて、顔を歪めて二人を見つめた。


 狐が一声鳴き、二人に向かって牙を向く。花菜が沙乃を守るように一歩踏み出そうとしたが、それよりも早く沙乃が花菜の前に飛び出し、剣の刃を狐に向けた。


万物両断ばんぶつりょうだん


 沙乃が草薙剣で狐の身体を真っ二つに両断し、斬られた狐がザラザラと空気に溶けて消えていく。沙乃が刃についた黒い穢れを振り落とすように大剣を振ると、大剣の刃が白く光り、それと同時に沙乃の右目が光り輝いた。


「沙乃様、私は山頂の本堂に向かい、封印のための準備をいたします」


「わかった。殺生石は任せといてください」


 そう言うと、沙乃は地面を蹴って飛び上がり、分散した玉藻の前の元へと向かっていった。それを見送った花菜も山頂へと走り出した。


    ◇


 山を進んでいた瑠花と花蓮の目の前に、黒い塊が降って来た。二人が驚いて立ち止まり、黒い塊は徐々に形を作り上げると、一匹の狐のような姿に変わり、裂けた大きな口がニタリと歪む。


「なんだ⁈」


 瑠花が声を上げると同時に、狐が二人に向かって飛び掛かってきた。花蓮が瑠花の前に飛び出し、薙刀の刃を突き出した。


 薙刀の刃は狐の口を貫き、狐の身体がビクンと痙攣する。狐の赤い目が憎々しげに花蓮を睨みつけ、瑠花が土から出てこようとしていた牛蒡種に気が付き、大金槌を振って炎が地面を焦がした。


花時雨はなしぐれ


 薙刀の刃が花弁のように変化して、貫いていた狐の身体を切り刻んだ。狐が散り散りになって消えていき、花弁はあたりで起き上がろうとしていた牛蒡種を切り刻んで、薙刀の刃に戻った。


「……瑠花、先に行け」


「え?」


「山頂の本堂で、花菜が封印のための準備に取り掛かるはずだ。この状況で一人では難しい」


「なら、姉御が行けばいいじゃねーか」


「私は殺生石を探さないといけない。それに」


 二人を取り囲むように木々の隙間から黒い狐が姿を現し始めた。狐は一か所に集まり、大きな狐へと姿を変える。奥から次々と狐が現れていた。


「こいつらは、私が始末したい」


 花蓮が不敵な笑みを浮かべる。その表情に瑠花は小さく舌打ちをすると「わかった」と言って、狐に向かって走り出した。狐が不気味な鳴き声を上げ、瑠花を呑み込もうと魔の手を伸ばしたが、その手を花蓮が薙刀で切りつけ、瑠花は狐の攻撃をかわすと、そのまま奥へと走っていく。


 狐が悔しげに表情を歪め、瑠花を追いかけようとしたが、それを止めるように花蓮が立ちふさがる。花蓮は容赦なく狐を切りつけ、狐が後退った。


「お前の相手は私だよ」


 薙刀を突きつけながら、花蓮は敵意をむき出しにした笑みを浮かべた。


はなかせましょう。はる可憐かれん優美ゆうび桜花おうかほこるはわれざま


 花蓮の足元から風が舞い起こり、花弁が舞った。腐り落ちていた木々に白い桜のような花が咲き、淡い光を放つ。その光に、狐はさらに後退る。


「神格解放 その名を木花咲耶姫このはなさくやひめ


 花蓮は後退った狐に向かって薙刀を構え、素早く距離を詰めると、目にも止まらぬ速さで刃を振り下ろした。


春紅はるべに残香のこりが


 狐の身体に入った亀裂が裂けるように開き、身体がはらはらと花弁のように散っていった。その様子を眺める花蓮の両手の平には桜の花が根付いており、木の枝の影のようなものが浮き上がっている。


 散っていった狐の奥に目を向けた花蓮は、奥から次々と現れた黒い狐たちが、逃げるように同じ方向へ走って行っていることに気が付いた。狐たちを追いかけて、花蓮は瑠花が行った先と異なる方向に走って行く。


 花蓮がいた場所には、はらはらと散った桜の花弁のみが残った。

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