十一刻 炎の神子

 月光の一件から数か月が経ち、植物が新しい芽を出し始める三月。寒々しい風は止み、心地よい風が頬を撫でる。衣織は八作の家の前で、浮かない表情で門を見つめていた。


 月光での一件の後、美雨は呼び出された八作によって連れて帰られた。呼び出された八作は弱り切った美雨の姿を見て怒りを露わにしたが、ミーちゃんが口にした美雨の過去について沙乃から聞くと、悲しそうな顔をして美雨を見つめていた。


 美雨はこの数か月の間、最初の一か月間は昏睡状態で寝たきりだったが、目を覚ました後は月光でのことをまったく覚えていないようで、見舞いに来た衣織と将に対して、いつも通りの明るい笑顔を向けた。だが、美雨はその日から家の外に出ようとせず、これまで以上に人見知りを露わにし、人と会うことを避けた。


 衣織が家に入ろうと門に近づこうとしたとき、家の中から人影が出てきた。衣織がよく見てみると、それは月光本家の神子、豊穣美乃梨だった。料亭に行った時とは違い、着物ではなく、白いブラウスに青色のロングスカートを着ている。


 美乃梨は開いた扉のほうを振り返り、中にいるであろう人物に対してなにかを言って頭を下げると、門の前に立っている衣織の方へと近づいてきて、衣織に気が付いた。衣織が軽く会釈する。


「衣織さん、お久しぶりですね~」


「お久しぶりです……美雨ちゃんに、なにか用ですか……?」


「あぁ、その……美雨ちゃんにはその……酷いことをしてしまったので……人として、謝るべきだと。なにも知らないからと刃を向けるのは、カウンセラーとしてあるまじき行為でした……」


「……仕方ないと思います……何もわからない状態で、怪我人がいて、守ろうとするのは当たり前です」


「……ありがとうございます」


 美乃梨が衣織に微笑む。


「美雨ちゃんが待っていますよ~。私とはあまりお話してくれませんでしたが、元気そうで安心しました~」


 美乃梨が「それでは~」と衣織に笑いかけ、その場を後にした。残された衣織は美乃梨の姿を見送って門の中に入り、家の玄関の前にたどり着いた。


「あ、衣織さん。ご無沙汰しております」


「こんにちは、八作さん……」


 衣織の姿を見た八作が笑顔で衣織を招き入れた。


「あの……さっき、美乃梨さんと会ったのですが……」


「あぁ、美雨に会いに来てくださったんです。美雨は出てきてくれませんでしたが」


「いおり‼」


 襖を開け放って飛び出した美雨に衣織が驚いて立ち止まる。美雨は嬉しそうに衣織に抱き着いてきて、衣織が慌ててそれを受け止めた。


「待ってた!」


「は、はい……」


「よかったですね、美雨」


「うん‼」


 美雨が嬉しそうに頷く。その表情に、衣織は少し困ったような顔をしながらも、美雨の頭を優しく撫でた。


    ◇


 衣織が美雨の元へと赴いたその日の同じ時間、将は高校の教室で授業を受けていた。窓際の席で、黒板に教師が文字を書いているのを見ようともせず、窓の外を眺めている。


 月光の一件から宝刀は処理に追われ、当主である沙乃は多忙を極めており、将は沙乃に、衣織とともに美雨の監視を続けるように言われていた。


 黒板にチョークで文字が綴られていく音が聞こえる。他の生徒は真面目に授業を聞いていたり、居眠りをしていた。


 ふと、将は窓から見える校門前に人影を見つけた。黒い着物に赤い番傘を差しているその人物は明らかに異様で、将がよく見ようと窓の外を凝視する。


 その人物が顔を上げ、教室の中の将の方を向いた。その顔は番傘に隠され見えないが、将の背筋に悪寒が走り、思わず立ち上がり、机と椅子がガタッと音を立てる。クラスメイト達が驚いた表情で将の方を見た。


「相羽、どうした?」


 黒板の前に立っていた教師が将に問いかけた瞬間、外の空気が変わり、澄み渡っていた空がどす黒い色に変わり始めた。


「なっ……⁉」


 将が窓を開けて外を見る。重く暗い空気が辺りに立ち込め、じっとりと肌に纏わりつくような生暖かい風が将の頬を撫でた。校門の前にいた人影は消えていて、将が振り返り、目に飛び込んできた光景に将が目を見開く。


 クラスメイトは全員、気を失っていた。机に突っ伏している者もいれば、椅子から落ちて床に倒れている者もいる。黒板の前に立っていた教師も同様に倒れて気を失っており、教室内で動いている者は将の他に誰もいなかった。


「……なに、これ……」


 将が呟き息を飲む。すると、倒れた生徒たちの身体から黒いモヤのようなものが立ち込め始めた。モヤは教室内を漂い、中心に集まって一塊のモヤになると、教室の扉を開き外に飛び出していく。その様子を呆然と見つめていた将ははっと我に返り、モヤを追って外に出る。


 廊下に出ると、モヤは全ての教室から出てきて一塊になり、大きくなっていく。将が他の教室を覗いたが、どの教室でも動く人の姿はなかった。


「なにが起こってるの……?」


 将が困惑しながら、目の前で大きくなっていくモヤの塊に身構えた。そのモヤはどう考えても邪悪なものであり、窓の外の世界は暗く先が見えない。


「……白山姫しらやまひめ


 将は裁ち鋏を出現させ、身構えた。モヤは徐々に形を作り出し、どす黒い色をした大きなガマガエルのような禍ツ神に変化した。


『ダるい、ウザい、かえリたイ』


 禍ツ神の声が辺りに響く。背中に開いた大きな口は、悪口のような言葉の羅列を叫んでいた。


 ギョロリとした目玉が将を睨みつけ、将は裁ち鋏を構えて禍ツ神に向かっていった。禍ツ神は将に向かって舌を伸ばしてきたが、将はそれを素早く避け、狙いを外した舌は廊下の床に穴を開けた。禍ツ神に近づいた将は鋏の刃を開き、地面を蹴って飛び上がる。


花切はなぎり」


 鋏の刃が禍ツ神を脳天から縦向きに両断し、黒い血のようなものをまき散らしながら、禍ツ神が花開くように裂けていった。将が黒い血液を被らないようにその場から離れる。


 禍ツ神は散り散りになって空気に溶けていったが、将はその後ろで、黒いモヤが再度形を作り上げ、禍ツ神が生まれようとしているのに気が付いた。慌ててあたりを見回すと、廊下に溢れていた黒いモヤはいたるところで形を作り出し、禍ツ神が次々と生まれていく。その数に圧倒され、将が一歩後退った。


 次々と生まれていく禍ツ神を睨みつけ、将はスマホを取り出し、禍ツ神たちから距離を取りながら電話をかけた。数回のコール音の後、スマホの向こうから小さい声が聞こえる。


「……もしもし?」


「衣織⁈ 助けて‼」


「え?」


 八作の家にて美雨と戯れていた衣織が、突然電話越しに聞こえてきた将の悲鳴に近い言葉に目を丸くする。襲い掛かってきた禍ツ神から逃げるために廊下を走りながら、将は言葉を続けた。


「今、学校なんだけど、なんか大変なことになってて……‼ 禍ツ神が意味わかんないぐらい大量発生してる‼ 僕だけじゃどうしようもない‼」


「ほ、本家に連絡は……?」


「したいんだけど、宝刀は今てんやわんやだし、連絡したところで沙乃さんが出てくれるかわからない‼」


 衣織の切羽詰まった表情に、美雨が不思議そうな顔をする。電話の内容が聞こえていたのか、八作が立ち上がって部屋から出て行った。


「わ、わかりました。僕になにができるかわかりませんけど、向かいます……。僕がつくまで、持ちこたえてください……!」


「ありがとう‼ お願い‼」


 その瞬間、禍ツ神の攻撃が将の腕をかすめ、スマホが弾き飛ばされた。将が小さく舌打ちをして、壁に向かって走っていくと、壁を蹴って後ろ向きに一回転し、後ろから手を伸ばしてきていた禍ツ神をひらりとかわした。


 着地した瞬間、将は回転しながら禍ツ神たちを切りつけ、その場にいた禍ツ神の多くの上半身が吹き飛ぶ。だが、禍ツ神は次々と生まれ、あっという間に将を取り囲んだ。


「……持ちこたえられるかなぁ……」


 将が情けない声を出し、苦笑いしながら禍ツ神に向かっていった。


    ◇


 突然大きな音とともに電話が切られた衣織は、驚きながらスマホを耳から離した。


「御三家に連絡したところ、様々な場所の学校や病院などで、将くんと同じようなことが起こっているようです。どこもその対応に追われています。集団的、また人為的な事象だと思われるそうです」


 八作が衣織に声をかけ、衣織が目を丸くする。


「人為的……?」


「禍ツ神の大量発生。学校や病院というものは、禍ツ神の餌になる負の感情が多い場所です。何らかの術を用いて、儀式的に引き起こした事象、と考えるのが妥当でしょう。私にも援護要請が来ましたので、向かいます。衣織さんも早く将さんの元へ向かってください」


 八作がきょとんとした顔をしている美雨に向かっていき、その頭を優しく撫でた。


「美雨、家から出てはいけませんよ。嫌な予感がしますから」


 そう言うと、八作は家を出て行った。残された衣織も将のもとに向かおうと立ち上がる。ふと美雨の方を見ると、美雨は虚ろな目をしていた。


「美雨……ちゃん……?」


「……」


 衣織が美雨の顔を覗き込むと、美雨はパッと花開くように笑顔を浮かべた。


「美雨も行く!」


「え?」


「たもつのこと、助けに行く!」


「え……でも……」


「美雨、最近お家から出られなくて暇だから! それに、ミーちゃんが行きたがってる」


「え、ミーちゃん……」


 美雨は衣織が言い終わるよりも早く動き出し、ピンク色の長袖のカーティガンとつばの広い帽子、ウサギのポシェットを持ってきて、衣織を促した。


「衣織、早く!」


 美雨が衣織の服の袖を引っ張って、衣織は美雨の勢いに押されて連れ出された。


    ◇


 禍ツ神に囲まれた将は、徐々に疲弊し、禍ツ神に押されていた。倒しても、倒しても禍ツ神は生まれてキリがない。


「……クソッ……‼」


 将が悪態をつき、近くにいた禍ツ神を切りつけたが、鋏は禍ツ神に刺さり、将が苦々しい顔をして鋏を引き抜く。禍ツ神から黒い血が溢れ、将がそれを避けようとしたが、黒い血は将の左腕にかかり、ジュッと焦げるような音がした。


「いっ……‼」


 将が顔を歪めて鋏が手から落ちた。長時間の戦闘により、神の力によって負荷がかかった将の神器は刃こぼれしており、将の手から離れた瞬間、赤い紐がほつれるようにして消滅した。将が左腕を押さえ、はっとして前を向く。


 目の前から無数の禍ツ神が大きな口を開けて迫って来ていた。将が神名を呼ぼうと息を吸ったが、疲弊した将の喉からは絞り出されたような掠れた息しか出ず、声が出ない。


大車輪だいしゃりん


 聞こえてきた声に将が目を見開いた瞬間、将の後ろから小柄な女子生徒が飛び出し、手に持っていた大金槌で禍ツ神を薙ぎ払った。


 その瞬間、大金槌から炎が上がり、周辺にいた禍ツ神が悲鳴を上げながら燃えていく。将が驚いて顔を上げようとした瞬間、女子生徒に頭を押さえつけられた。


「伏せとけ」


 女子生徒は自分の背丈ほどもある大金槌を片手で振り、にじり寄って来ていた禍ツ神が大金槌から上がる炎に怯む。女子生徒はニヤリと笑うと、大金槌を振り上げた。


炎柱えんばしら


 大金槌が地面に振り下ろされた瞬間、地面から炎の柱がいくつも上がり、周辺にいた禍ツ神が炎に包まれて燃え尽きていく。ポカンとした表情でその様子を見つめていた将はようやく顔を上げて、自分の前に立ちはだかる女子生徒を見た。


 明るい茶髪の癖のある短い髪に、将と同じ高校の制服。白いシャツの袖を肘のあたりまでまくり、胸元のボタンを開けているせいで、下に着ている黒いタンクトップが見えている。赤いチェックのスカートは膝のあたりまで上げられており、覗いた足は短い黒色のスパッツを履いていた。


 女子生徒は将に近づいて来ると、スカートのポケットから小瓶を取り出し、口で蓋を開けて将の左腕を引っ張った。そのまま服の袖をまくり上げると、黒く変色した将の左腕が露わになる。将が自分の腕に驚いて目を見開く。


 女子生徒は開けた小瓶の中の水のようなものを将の左腕にかけた。水をかけられた腕は徐々に元の色に戻っていき、熱さと痛みが和らいでいく。


「ここにいる禍ツ神は憎悪の塊だ。そこら辺にいる集合体とはわけが違う。まるで、人為的に抽出した負の感情を混ぜ込めたようだな。触れるだけで侵される。聖水ぐらい持っとけ」


「……これは……いったい……」


「邪術みたいなもんだろーよ。俺は詳しくねーからよく知らないが、おそらく結界のようなものがこの学校を囲んでる」


「邪術……ですか……?」


「禁忌とされる呪いの術、ぐらいにしか知らねえな。術師にも多大な負荷がかかると聞く。それを考えれば、案外、近くに術師がいるかもしれない。見つけ出してぶち殺せば何とかなるか……?」


 女子生徒がさらりと物騒なことを言って前を見ると、黒いモヤが集まって、先ほど焼き尽くした禍ツ神とは違う禍ツ神が生まれようとしていた。女子生徒が顔をしかめる。


「キリがねーな……」


「あ、あの……術師を見つけられれば、なんとかなるんですよね?」


「あ? ああ。まあ、確証はねーけどな」


「それなら、僕が見つけます」


 将が神名を呼び、裁ち鋏が出現するとともに、将の視界に糸が無数に現れた。だが、その色は圧倒的に黒色のものが多く、将が顔をしかめる。


 将はよく目を凝らして、一本だけこの空間に対する執着が強く、また、空間そのものにからめとられている太い糸を見つけた。


「おい」


 女子生徒の声が聞こえ、将がはっと我に返る。二人はまた禍ツ神に囲まれており、女子生徒が険しい顔をして将を見つめている。


「見つけたのか?」


「あ、はい! えっと……」


「じゃ、一旦片付けるから、案内しろ」


 そう言うと女子生徒は大金槌を一振りし、周辺に炎が上がる。炎は禍ツ神を覆い尽くして燃やし尽くそうとしているが、将はその熱さを感じることはなく、火花が飛んでくることも、炎があたりに燃え移ることもない。


 禍ツ神を燃やし尽くして、女子生徒は将に案内しろというように顎を動かした。将が頷いて女子生徒の前を走っていく。しばらくモヤが立ち込める廊下を走り抜け、将は一つの教室の前で立ち止まると、教室の扉を開け放った。


 教室の中には、黒い布を頭から被って両手を胸の前で組み、机や椅子、気絶した生徒たちが端に寄せられた教室の真ん中でぶつぶつと何かの呪文を呟いている男がいた。男の足元には黒い血のようなもので描かれた言葉の羅列が円状に、男を囲むように描かれている。


「おい、お前」


 女子生徒が男に近づきながら声をかけたが、男は反応せず、ぶつぶつと呪文を呟き続ける。女子生徒は手ぶりで将にその場にいるようにいうと、男のすぐ目の前で立ち止まり、大金槌を振り上げた。


「殺されたくなかったら、今すぐこの妙な術を止めろ、クソ野郎」


 女子生徒が脅しに近い言葉を言い放つ。男はようやく顔を上げ、黒い布の下からその顔が見えた瞬間、将の背筋に悪寒が走った。


 青黒い肌の色に、頬は痩せこけ、大きく開かれた目は血走っている。人間とは到底思えないその男は、焦点の合っていない瞳で女子生徒を見つめ、口を開けた。


 その瞬間、男の口から黒いモヤが大量に飛び出し、女子生徒が慌てて男から離れる。飛び出したモヤは男の身体を包み込み、男が大きな悲鳴のような叫び声を上げながら肌の色が黒く変色して、その姿は禍ツ神のように変わった。


「避けろ‼」


 女子生徒が将に叫んだ瞬間、男だったものは物凄い速度で将の方向に向かってきて、将がそれを慌てて避けた。男だったものは部屋を飛び出していき、廊下から禍ツ神の悲鳴が聞こえてくる。女子生徒がそれを追いかけて飛び出していき、将がはっとしてそれを追いかけた。


 廊下に溢れていた禍ツ神は男だったものに喰らい尽くされ、男だったものは徐々に大きくなりながら階段を下り、外を目指して進んでいく。女子生徒は不意に通りすがった教室の中に入ると、ベランダに出て外を見た。将が女子生徒を追いかけて、グラウンドの方に目を向けると、どす黒い色をしている空の下に広がるグラウンドに、黒いモヤが集まって、巨大ななにかを作り上げようとしていた。


「クソッ……この学校にいる全員を一飲みにしてやろうっていう魂胆か……‼」


 女子生徒が巨大な禍ツ神に舌打ちをして、苦々しげにつぶやく。


「させるかよっ‼」


 女子生徒がベランダの塀を飛び越え、グラウンドに飛び降りた。将が驚いてその姿を目で追いかかる。女子生徒はグラウンドに着地すると、まっすぐ禍ツ神に向かっていき、大金槌を振り上げた。大きく肥大化した禍ツ神はブクブクと膨らんでその原型を留めておらず、大きく裂けた口が学校の校舎に向けて開かれている。


 近づいてきた女子生徒に、禍ツ神が突然咆哮を上げ、その衝撃に女子生徒の身体が吹っ飛んで、グラウンドの上を転がっていく。将がベランダから飛び降りて、鋏の刃を禍ツ神に向けた瞬間、禍ツ神が咆哮を上げ、身体の一部が手のような形になって将に襲い掛かった。


風切かざきり」


 将がその場で回転するように迫ってきた手を切り裂いた。その瞬間、黒い血が飛び散り、将が鋏を使ってそれを弾き飛ばす。吹き飛ばされた女子生徒は素早く起き上がると、将の横を通り抜けて禍ツ神に近づいていき、大金槌を振り上げて禍ツ神の目の前に飛び出した。


火炎地獄かえんじごく


 女子生徒が大金槌を禍ツ神に振り下ろし、禍ツ神の頭頂部が抉れた。


『ギャアアアアア‼』


 禍ツ神が悲鳴を上げ、大金槌から発せられた炎が禍ツ神の身体を包み込む。だが、禍ツ神の手は燃え盛りながら女子生徒に伸びてきて、女子生徒は咄嗟に大金槌でそれをはじき返した。手は軌道を変え、後ろにいた将に向かっていこうとして、それに気が付いた女子生徒が大金槌を横向きに振り、手を粉砕する。


「あぁっ‼ ムカつくっ‼ こいつらどんだけ湧けば気が済むんだよ⁈」


 炎に包まれていた禍ツ神が燃え尽きていくのと同時に、黒いモヤが集まって来て、燃やし尽くされた身体が再生されていく。女子生徒が悔しそうに歯を食いしばり、将はその場に立ち尽くすしかなかった。


 将の視界には、禍ツ神から結ばれた大量の黒い糸が見える。その糸は学校内にいる人々全員につながっており、将自身と、目の前の女子生徒にも無数に絡みついている。


「ここにいる人全員の負の感情を集めて禍ツ神化させているようです! このままでは、キリがありません!」


「あぁ⁈ じゃあ、どうしろっていうんだよ⁉」


「それは……根本の者を倒さないと……!」


「じゃあ、結局、こいつを倒さねーと意味ねぇじゃねぇか‼」


「でも、再生するんじゃ、一撃で倒す以外に方法が……‼」


 その時、ズドンという大きな音とともに、二人が立っている地面が揺れた。


 どす黒い空に亀裂が入り、ドンドンと数回音が響いて、亀裂が大きくなったかと思うと、音を立てて結界の一部分が割れる。そして、その大きな亀裂から何かが目にもとまらぬ速さで飛び込んできて、再生しかけていた禍ツ神に体当たりを食らわせた。禍ツ神の身体が抉れ、あたりに黒い血が飛び散る。


霧隠きりがくれ」


 声が響いたのと同時に辺りに霧が立ち込め、飛び散った黒い血が浄化されたように消えていく。霧の中から禍ツ神の悲痛な悲鳴が聞こえた。


「たもつをいじめちゃダメ‼」


 徐々に晴れ始めた霧の中から美雨が現れ、首の後ろから飛び出したミーちゃんが禍ツ神を睨みつけながらうなり声を上げている。


「だ、大丈夫ですか……?」


 衣織が将に駆け寄って来て、将が安心したように息をつく。


「衣織~! 死ぬかと思った……」


「間に合ってよかったです……」


「おい、悠長に話してる場合か」


 二人が女子生徒の方を向くと、女子生徒は険しい表情で禍ツ神を見つめていた。ミーちゃんの体当たりによって身体が抉られた禍ツ神は、徐々に再生を始めている。


「すぐ再生するぞ。どうする」


「大丈夫だよ!」


 美雨が三人に笑顔を向けた。目の前で再生している禍々しいすがたをした禍ツ神に怯むこともなく、美雨は平然としている。


「ミーちゃんが食べてくれるよ」


 美雨がそう言った瞬間、ミーちゃんが大きなうなり声を上げて肥大化し始め、短い腕が無数に生えてきて、角のような突起が次々と飛び出した。大きな目玉は血走って赤色に変わり、ミーちゃんは見上げるほど大きくなっていく。その様子に再生しようとしていた禍ツ神が怯み始め、女子生徒は呆然と立ち尽くしていた。


 禍ツ神よりも一回りほど大きくなったミーちゃんはギロリと禍ツ神を睨みつけ、口を大きく開けると、怯えながら逃げようとした禍ツ神を丸呑みにした。


 禍ツ神の悲鳴が呑み込まれて聞こえなくなっていく。禍ツ神を丸呑みにしたミーちゃんは、満足したようにシュルシュルと小さくなっていき、美雨の首の後ろに戻っていった。


 禍ツ神が食われたことで高校を囲んでいた結界に次々と亀裂が入り、バリンと音を立てて割れた。美しい青空がようやく顔を出し、眩しい光りが差し込んで四人の目を眩ませる。


「ミーちゃん、お腹いっぱい?」


 美雨が嬉しそうにミーちゃんに声をかけ、将は安心して身体の力が抜けてその場に座り込んだ。女子生徒は睨みつけるような険しい表情で美雨を見つめている。


「……美雨ちゃん、大丈夫ですか……?」


「大丈夫だよ? ミーちゃんがお腹すいたってうるさかったから、やっと静かになったよ」


「……そう……ですか……」


「……まぁ、どうにかなったから、いいか」


 女子生徒が諦めたように呟き、座り込んだ将に手を差し出した。将が少し驚いたような顔をして、その手を取って立ち上がる。


「そういえば、まだ名乗ってなかったな」


 空を覆っていた暗い空気は掻き消え、校舎の教室の窓から動く人影が見え始める。美雨が衣織の手を握り、校舎から身を隠すように衣織の後ろに隠れた。


「俺は崋山瑠花かざんるか。日光本家の神子で、まあ、お前の先輩だな。相羽将」


「……知ってたんですか」


「まあな。そっちの二人も知ってるぞ。なんせ、うちの姉御は宝刀の当主と仲がいいからな」


 瑠花が大きく伸びをしながら将に笑いかける。


「ま、頑張ったんじゃねーの。お互いに」

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