九刻 化け物
「というのが僕の身の上話だよ。美乃梨さんがいなければ、僕は精神を侵されて狂っていたか、おばあちゃんに連れていかれてこの世にいないかだっただろうなぁ」
「……あの……」
話し終えた将に、衣織がためらいがちに問いかけた。
「美乃梨さんは月光本家の神子ですよね……? 将さんはどうして月光ではなく宝刀本家に連れていかれたんですか?」
「あぁ。それは美乃梨さんの配慮、かな?」
「配慮?」
「衣織も知っている通り、日光は完全女人制で本家に入れるのは女の人だけ。宝刀は実力主義で、力が強い神子は本家に入ることができる。月光は決まりこそないけれど、その……頭が固い」
「あぁ……」
「僕の神様は話した通りとても特殊で、力の使い方を間違えればなにが起こるかわからない。美乃梨さんは月光がそんな危険な存在を放っておくとは思えなかったんだと思うよ。宝刀当主の琥太郎さんは寛大だったし、沙乃さんもよくしてくれてるからね」
「……自分の家では将さんに危害が及ぶ……と」
「美乃梨さんは優しいから。それに、もともと神子の家系でもなんでもない僕が月光にうけいれられるかは定かじゃないし、それに関しては宝刀は寛大だからね……」
「いい人、なんですね」
「いい人どころの話じゃないよ! 今でも僕のことを気にかけてくれているし、カウンセリングをできる神子は美乃梨さんぐらいだから、月光だけでなく、御三家に重宝されてる人だしね。すごい人だよ」
「お話し中、失礼いたします~」
二人が話していると、美乃梨が襖を開けて部屋に入ってきた。
「美雨ちゃんのカウンセリングが終わりました~」
「どうでしたか?」
「美雨ちゃんは三年前の事件で精神的ショックを受けている、と言う話でしたよね~? そのせいでなにも覚えておらず、両親の存在を認識していないと~」
「はい」
「美雨ちゃんはなにもお話してくれませんでした~。事件の話も両親の話もなにもかも」
「……そうですか」
「それほどまでに美雨ちゃんのショックは大きく、思い出せば美雨ちゃんが壊れてしまうのかもしれません。美雨ちゃんは極度に人とのかかわりを恐れるでしょう? 美雨ちゃんは自分の両親のことを認識せず、自分に両親はいないと思い込んでいますが、子供には親がいるという一般常識は理解しているようですので、その矛盾を認識しないために、極度に人と関わることを嫌うようです~。一言で言えば自己防衛。美雨ちゃんは自分を守るために心を開かないのでしょう。お力になれず、申し訳ありません」
「いえいえ、ありがとうございました、美乃梨さん」
「美雨ちゃんは部屋でお待ちですよ~。寂しそうなので言ってあげてください~。あ、将君には少しお話があるので、ここにいてください~」
「あ、じゃあ、僕が行きますね……」
衣織が部屋を出ていく。その姿が見えなくなった瞬間、美乃梨は将の胸ぐらをつかんで壁にたたきつけた。突然のことに将が目を見開く。
「大人しく、答えなさい」
「み、美乃梨さん……?」
美乃梨の雰囲気は先ほどとは違い、浮かべていた笑顔は消えて、鋭い眼光を将に向けている。口調も先ほどまでのほんわかとした口調とは異なり、冷たいものに変化していた。これまで見たことのない美乃梨の表情に、将が凍り付く。
「あの少女の正体と、宝刀が他の御三家に隠していること。ここに連れてきた本当の意味。吐きなさい」
「……い……言えません……」
「相変わらず無知な子。私がわからないと思った? これまでいろいろな人を見てきた。たくさんの事情を持つ人。あの子は異様だ。あの子の後ろに付きまとう者はなんだ」
「……僕は……」
その時、子供の「キャー‼」 という悲鳴が聞こえた。美乃梨が驚いた様子で将から手を離し、部屋を飛び出す。将もそのあとに続いていき、庭に出ると、悲鳴を上げて泣きわめきながら、子供たちが走って来た。美乃梨に助けを求めるように縋り付き、美乃梨が子供たちを落ち着かせようとして、目の前の光景に目を見開く。
その場に立ち尽くす美雨の首の後ろから飛び出したミーちゃんと、肩から血を流し、美雨の目の前で倒れている少年をかばうように、美雨に向かって短刀を向ける衣織が立っている。衣織の表情は険しく、頬に冷や汗が伝っていた。
「やめなさい‼」
美乃梨の鋭い声が響き渡る。美雨が振り返り、光の灯っていない瞳に美乃梨が映って、美乃梨が険しい顔で声を荒げた。
「その子から離れて‼」
「……美雨、悪くないもん……」
美雨がポツリと呟く。ミーちゃんは美乃梨に向かって牙を向き、うなり声を上げた。
「みんな……みんな、美雨のこと、気持ち悪いっていうもん……ちょっとだけ、みんなと違うだけなのに……美雨だって、美雨だって……」
美雨の瞳にじわじわと涙が溜まり、溢れて頬を伝った。
「美雨だって、みんなと同じだったのに……!」
ミーちゃんが大きなうなり声を上げ、美乃梨に向かっていった。美雨はボロボロと瞳から涙を流す。美乃梨が向かって来るミーちゃんに身構え、将が美乃梨をかばおうと前に出た。
「
将の手に裁ち鋏が出現し、将がミーちゃんを弾き飛ばす。ミーちゃんは将と美乃梨に牙を向き、美雨は顔を覆って泣き出した。
「美雨、悪くないもん……悪く……ないもん……」
その場に泣き崩れる美雨に向かって衣織が手を伸ばし、それに気が付いたミーちゃんが標的を二人から衣織に変える。だが、ミーちゃんは衣織を見た瞬間、襲い掛かろうとするのを止め、うなり声を上げるだけだった。衣織は恐る恐る美雨の頭に手を伸ばし、ミーちゃんがうなり声を上げる中、美雨の頭を優しく撫でた。
「大丈夫……大丈夫……です……美雨ちゃんは、悪くないです……だから、落ち着いて、ください……」
衣織の声に美雨が顔を上げ、瞳に涙をためながら「いおりぃ……」と衣織に助けを求めるように手を伸ばす。ミーちゃんはその様子を静かに見つめていた。
「
美乃梨の声にミーちゃんが反応して美乃梨の方を見た。美乃梨の手には出刃包丁が握られており、美乃梨は自分の方を向いたミーちゃんに向かって出刃包丁を投げようとしている。気が付いた将がぎょっとして、ミーちゃんは大きなうなり声を上げた。
「やめてください‼」
衣織の叫び声に美乃梨が動きを止め、ミーちゃんがゆっくり衣織の方を見た。美雨は泣きじゃくりながら衣織に抱き着いていて、衣織がミーちゃんの大きな目玉をじっと見つめる。
ミーちゃんは美雨の方に視線を向けて、また衣織と目を合わせると、大人しく美雨の首の後ろへと戻っていった。その様子を眺めていた将が、恐る恐る口を開く。
「なにが……あったの?」
「……」
衣織が自分に縋り付きながら泣声を上げている美雨を見て、美雨の小さな背中を優しくさすった。その時、美乃梨が突然動き出し、将が止めようとしたが間に合わない。衣織が身構えて、美雨の身体をぎゅっと抱きしめたが、美乃梨は美雨ではなく、後ろで倒れている少年に駆け寄った。
少年の肩は肉が抉れており、おびただしい量の血が流れている。弱々しいうめき声を出す少年に、美乃梨は腰のエプロンを外して少年の肩に巻きつけ、止血を始めた。エプロンはみるみるうちに血で染まっていく。
「調理場にある鎮痛剤を取って来て‼ 早くっ‼」
美乃梨の声に将が我に返り、慌てて走っていった。美乃梨は必死で少年の肩にエプロンを押し付け、止血しようとしている、
「……その子が……」
衣織が美雨を抱きしめながら、美乃梨の様子を見て、青冷めた表情でつぶやいた。
「美雨ちゃんの髪と目の色を見て、気持ち悪いと……美雨ちゃんが、それに怒って……」
衣織の言葉に、美乃梨が唇を噛んだ。少年は泣きながら痛い痛いと呻いている。
「美雨ちゃんのことは月光本家に報告させてもらいます。宝刀が隠していることも全て話してもらう。悪く思わないでくださいね」
泣きじゃくる美雨の背中をさすりながら、衣織は暗い顔をした。
◇
月光本家に呼び出された沙乃は、目の前で険しい表情をして椅子に腰かけている尊に、息を飲んだ。最近の激務のせいか、沙乃の顔色はいいとは言えない。
「……なぜ呼び出されたかは、理解しているな?」
尊の冷たい声が響く。沙乃は尊の目を見つめて、口を開いた。
「時輪美雨のことですか」
「月光本家の神子、豊穣美乃梨が捕獲し、現在、隔離状態にある」
「解放してください。まだ幼い少女です」
「美乃梨から、あの少女の異常性を聞いた」
沙乃の言葉を遮るように尊が言葉を続けた。
「あの子に住まう化け物はなんだ。他の本家に隠してまで、宝刀はいったい何がしたい」
「……隠していたことは申し訳ないと思っています」
「あの少女の正体は?」
「……現状、わかりません」
沙乃が答えた瞬間、尊が机を叩きつけ、大きな音が響いた。
「答えになっていない」
「事実です。何もわかりません。本人に聞いてもわからないと」
「三年前の事件により、記憶がないとかいう話だったか。一人だけ生き残っているのだから、わからないはずがない。答えようとしないだけだろう。大災厄から三年。あのように危険なものを放置しておくつもりか」
「八作真造によって保護されていた子です。危害を加えれば、なにが起こるかわからへん。危険やさかい、知る必要がありました。あれの正体も、対処法も」
「それで手遅れになったらどうするか、考えなかったのか? 現に人を食い殺したのだぞ、あの化け物は。これ以上被害がでたらどうする。危険なものは排除せねばならない」
「責任は全て私が取ります。どうか、あの子に危害を加えないでください」
「尊様‼」
突然部屋の扉が開き、翼が現れた。沙乃と目が合い、翼が一瞬、気まずそうな顔をする。
「術が始まっています! 尊様の指示ですか⁈」
「なに?」
尊が立ち上がり、沙乃が目を見開く。
「許可していない」
「術ってなんや⁉」
沙乃が尊に掴みかかりそうな勢いで詰め寄る。尊は眉一つ動かさず、沙乃を見つめ返した。
「……覚えていないというのなら、思い出させようと思ったのだ」
「まさか、まさか、あのような負荷の大きい術を幼い少女にかけるっていうんか⁈」
「私は許可していないと言っているだろう。翼、状況は」
「事情を知った本家の神子が勝手に術を発動させています」
「やからお上に報告したくなかったんや‼」
沙乃がそう吐き捨てて、部屋から飛び出した。
「今すぐ止めろ」
「私が言っても聞く耳を持ちません」
「ならば、私が行く」
尊が歩き出し、翼とともに部屋をあとにした。
◇
美雨が目を覚ますと、そこは小さな畳の部屋だった。壁には大量のお札が張られている。美雨が目をこすりながら身体を起こした。
「……? 頭、痛い……」
美雨は何があったのか思い出そうとして、頭痛に見舞われ、考えるのを止めた。辺りを見回しても壁に貼られたお札が不気味な空気を醸し出しているだけで、美雨以外の人間の気配がない。
「……ミーちゃん」
美雨が恐怖心に駆られて、ミーちゃんを呼んだ。だが、いつもならすぐに出てくるはずのミーちゃんは出てこない。
「ミーちゃん……?」
美雨が問いかけた瞬間、部屋の外からシャンという鈴の音がして、美雨の身体から力が抜けたかと思うと、美雨はその場に倒れた。突然のことに訳が分からない美雨は、目を見開いたまま動くこともできず、ただ壁を見つめる。
「かはっ⁈」
突如、脳を直接殴られたような衝撃が美雨を襲い、美雨の口から息が漏れた。美雨が痛みに身をよじり、瞳から涙が流れる。重力は襲い掛かるように美雨を床に叩きつけ、美雨は立ち上がることもできず、頭を押さえてうめき声を上げた。
「……ミー……ちゃん……助け……て……‼」
美雨の口から弱々しい声が漏れる。その瞬間、ミーちゃんの大きなうなり声が響いた。
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