六刻 制裁の剣

 衣織は川沿いを走り、残してきた美雨と蓮華のもとに戻ろうとしていた。底知れない嫌な予感がして、胸騒ぎがする。空の晴れ間は徐々に雲によって覆い隠され、雨はまた強くなり始めている。


 息を切らせる衣織は、頬を打ち付ける雨と、川でないにもかかわらず、山の斜面を怒涛の勢いで流れてくる水に足を取られ、走りずらそうにしている。


 その時、衣織の横を流れる川の中から、八岐大蛇の四本目の首が現れた。衣織が驚いて立ち止まり、地面が揺れてバランスを崩してその場に膝をつく。八岐大蛇が咆哮をあげ、さらに地面が揺れて、衣織がはっと顔を上げた。


 衣織に向かって、雨によってぬかるんだ山の斜面が崩れてきた。


 衣織が立ち上がってそれを避けようとしたが、地面はさらに大きく揺れ、衣織は立ち上がることができず、土砂に飲み込まれて、衣織の視界が真っ暗になった。


    ◇


 燃え盛る森の中、雷をまとった八作は、炎をまとう八岐大蛇の三本目の首と戦っていた。首は口から炎を吐き出し、あたりの木々を燃やしている。八作は額から流れた、雨の水なのか、熱気による汗なのかわからないものを拭い、八岐大蛇を睨みつける。


 八岐大蛇が口から炎を吐き、炎が八作に迫ってきた。八作は光線のような速さでそれをかわし、八岐大蛇に槍を突き刺そうとして、ガクンと身体のバランスが崩れる。八岐大蛇が八作を一飲みにしようと口を大きく開けて、八作が歯を食いしばると、近くの岸に素早く移動した。


 八作が槍を立ててその場で膝をつき、息を切らせて肩を上下に揺らした。


「……時間をかけ過ぎましたね……」


 槍を持つ八作の左腕には雷がまとわりつき、火傷のような傷ができている。その傷は雨に当たるたびに痛みを走らせ、雷は八作の左腕から、身体全体に広がろうとしていた。


 八作が顔を上げると、目の前に八岐大蛇から放たれた火球が迫っていた。八作が歯を食いしばり、槍を構えようと立ち上がる。


万物両断ばんぶつりょうだん


 その時、火球が突然真っ二つに割れ、八作の前に沙乃が飛び出した。雨に濡れた赤い着物は大きくはだけ、沙乃の白い肌と胸に巻いたさらしが見えている。沙乃の右目は白く光っており、手にした大剣の草薙剣を振り上げて、沙乃は八岐大蛇の目の前に迫った。首に刃を向け、草薙剣の刃が光り輝く。


八頭龍斬やずりゅうざん げき


 沙乃が剣を振り下ろし、八岐大蛇の首が斬り落とされる。首は川に落下し、大きな水飛沫を上げて、黒い水になって川に流れて行った。沙乃が岸に着地して、八作の方を見る。


「遅くなって申し訳ありません」


 八作が槍から手を離し、槍はパンッと光になって弾け、八作は沙乃に笑顔を向けた。


「待っていましたよ」


「無茶し過ぎです。あっちの方で痺れていた首も八作さんがやりはったんでしょう? 長時間神格解放をしたせいで、その反射がきてますやないですか。あとはうちがやりますさかい、ここにおってください」


「翼君が滝の方で笛を吹いてくれていたようです。ですが、それもそろそろ限界。川は氾濫を続けます」


「あと六本。余裕です」


 沙乃が得意げに笑った瞬間、後ろから五本目の首が現れて、二人に向かって氷の息吹を吐き出した。角の周りに、氷の粒がまとわりついている。沙乃が剣をかまえた。


五月雨斬さみだれぎり」


 沙乃が剣を振ると、風が巻き起こり、八岐大蛇を切りつけた。八岐大蛇の角が切断され、首に傷がつく。氷の息吹は二人を避けるように方向を変え、八岐大蛇が怯み、沙乃は大きく飛び上がると、剣を八岐大蛇に向けた。


八頭龍斬やずりゅうざん さんげき


 八岐大蛇の首が切れ、音を立てて落下した。沙乃は顔に付着した黒い水を拭い、雨が黒い水を洗い流していく。


「安静にしといてくださいね」


 八作にそう言った沙乃は、脚にぐっと力を込めて地面を押すと、次の瞬間、地面に流れる水が跳ねるとともに、沙乃の姿は消えていた。


「……嵐のような人ですねぇ。琥太郎にそっくりだ」


 八作が呟いて、その場に座り込んだ。


    ◇


 十六夜滝の目の前で戦いを繰り広げていた山駕は、強くなってきた雨に、後ろで笛を吹いていた翼の方を見た。空は黒い雲で覆われようとしている。翼は雨に濡れて、顔色が青白く変わっていた。笛から奏でられる音は弱々しい。


 その様子を見て、襲い掛かってきた八岐大蛇の首を斧ではじき返しながら、山駕は翼に近づいて、声をかけた。


「無理をすると持っていかれるよ」


 翼が笛から口を離し、笛の音が消えて、空は完全に雲で覆われた。八岐大蛇が勝ち誇った様に咆哮をあげ、山駕が斧を構えなおして、八岐大蛇を睨みつける。


 その時、ビクリと、八岐大蛇の首が震えた。山駕が何事かと動きを止める。


 八岐大蛇が口から黒い水を吐き出し、苦しげにうめき声を漏らしながらのたうち回る。そして、ギッとどこかを睨みつけると、翼と山駕を無視して、脱兎のごとく川を下っていった。山駕が驚いて、思わずそれを見送る。


「……まさか、当主が……」


 追いかけようとした山駕を遮るように水柱が上がり、蛇のように蠢きながら山駕に襲い掛かった。山駕は舌打ちをして斧を構える。


演舞えんぶ 白虎びゃっこ


 突然現れた神獣白虎が、水柱を蹴散らして威嚇するように咆哮を上げる。神器を扇に持ち替えた翼は、青白い顔をしながら、山駕に向かって叫んだ。


「行ってください‼」


 山駕は翼の声を聞こうともせず、振り返らずに真っすぐに八岐大蛇を追いかけて行った。白虎は次々と上がる水柱を蹴散らし、翼を守るように威嚇の唸り声を上げる。その時、草木をかき分けて、六本目の首が現れた。途端に地面が揺れて、翼がよろめく。


「……クソったれ……‼」


 翼が呟いて舌打ちをした。視界はすでにぼやけていて、蠢いている首がぼんやりと見える。地面が揺れるたびに川の水が跳ね、翼に襲い掛かった。白虎が慌てて走ってくるが、間に合いそうにない。


 翼が大きく息を吐き、扇を振ろうと振りかぶって、後ろから伸びてきた手が翼の首根っこを掴んで後ろに引っ張った。翼が驚いて上を見ると、片目が白く輝いている沙乃が、片手で大剣を振って、襲ってきた水を切りつける。


八頭龍斬やずりゅうざん げき


そして、目にもとまらぬ速さで八岐大蛇に近づくと、首を切り落とした。


「翼! 大丈夫⁉」


 沙乃が翼に駆け寄って心配そうに顔を覗き込む。翼は大きくため息をつくと、額を押えた。


「最悪……」


「なに⁈ どっか痛いん⁈」


「……なっさけねぇ……」


 翼が言った言葉に沙乃がきょとんとする。翼は扇から手を離して、扇は風になって消え、それと同時に白虎の姿が消えた。


「もう、身体動かねーよ」


「情けなくなんてあらへんよ。よう、頑張ってくれた。偉い、偉い」


 沙乃が翼の頭を撫でる。翼は複雑な表情をして、その手を払いのけた。沙乃がふふっと笑い、立ち上がると、滝の方を見る。


「雨の首は?」


「下流に向かっていった。山駕さんが追いかけて行ったよ。……あの人、余裕で神格解放してたんだけど」


「あぁ、やろうね。のんびりしてる場合やないな。山駕さんが行ってくれたんやったら、その間に二本ぐらい切るか……」


 平然と言った沙乃に翼が苦笑いをする。


「終わったら、いい子いい子してあげるさかい、ここで待っとき」


「いらねー」


 沙乃が笑って、次の瞬間、沙乃の姿が翼の目の前から消えた。巻き上がった風が翼の前髪を揺らして、翼が小さく息をついた。雨が降りしきる空を見上げ、顔にあたる雨に目を閉じる。不意に走った痛みに翼が胸を押え、大きくせき込んだ。口から流れた赤い血に、翼が目を見開く。


「……最悪……」


 翼のか細い声は雨の音でかき消けされた。


    ◇


 雨の中、足元がおぼつかない蓮華の手を引いて、美雨は行先もわからぬまま、冷え切った身体を懸命に動かして走っていた。ミーちゃんはいつの間にか、美雨の首の後ろに戻っている。


 首を絞められ、息も絶え絶えになっていた蓮華はついに足が動かなくなり、その場で転んで倒れた。


「⁈」


 蓮華の手が美雨の手から離れ、美雨が慌てて倒れた蓮華に駆け寄った。蓮華は首を押えて、荒い息をしている。その首元には痛々しい赤い手の跡が残っていた。


「蓮華、大丈夫……⁈」


 美雨が何かに気が付いた様子で目を見開いた。美雨はどこか違う場所を見つめていて、蓮華がかすれた声で「美雨……?」と問いかける。


「……嫌な、予感がする。ミーちゃんが、言ってる」


 美雨がふらりと蓮華から離れようとして、蓮華が美雨の手を取り、美雨が振り返った。蓮華はうつむいて首を小さく横に振る。美雨が膝をついて蓮華と目線を合わせた。


「大丈夫。すぐ、戻ってくるから。だから、ここで待ってて」


 そう言うと、美雨は蓮華の元を離れ、走り去ってしまった。取り残された蓮華は大きく息を吸って顔をあげ、美雨が行ってしまった方向を見つめる。


 その時、蓮華の後ろの川からザプンと水の音がして、蓮華の背中にゾクリと悪寒が走った。


 蓮華の後ろで、七本目の首が目を光らせている。あたりの風が強くなって、風に切り裂かれた木が音を立てて倒れた。八岐大蛇は大きな口を開けて、涎を垂らしている。


 蓮華は振り返ることもできず、肩をすくめて震えていた。


 八岐大蛇は大きく口を開け、蓮華を飲み込もうとしている。蓮華はぎゅっと目を閉じて、小さく口を動かし、何かを呟いた。


山影碑砕さんえいひさい


 聞こえた声に蓮華が目を見開いた。八岐大蛇が振り返り、その瞬間、とびかかってきた山駕が八岐大蛇の脳天に斧を振り下ろして、八岐大蛇の角が砕け、脳天から黒い水が溢れる。山駕は一回転しながら斧を引き抜くと、蓮華の前に立ちふさがるように着地し、巻き起こった風が山駕の頬を切りつけた。


「……パパ……」


 蓮華がポツリと呟いて、八岐大蛇がそれを遮るように吠える。山駕は煩わしそうに頬から流れた血を拭うと、鮮血が辺りに飛び散って、雨に流された。


 八岐大蛇は頭から水をまき散らしながら、大きく口を開けて迫ってくる。山駕はそれをじっと見つめると、片手で斧を地面に振り下ろし、斧の刃が地面を抉る。


岩石封がんせきふうじ」


 その瞬間、地面が次々とせり出し、八岐大蛇を貫いて、身動きを封じた。八岐大蛇は悔しそうにうめき声を出しながら身体を動かそうとして、目の前の山駕を睨みつける。山駕は一瞬口元を歪めて不敵に笑うと、呆然としている蓮華の横を通り過ぎて走り去っていった。


 おいて行かれた蓮華は目の前で蠢く八岐大蛇を見つめたまま、立ち上がることもできず、座り込んだまま雨に濡れる。強い風が吹いて、蓮華の濡れた髪を揺らした。


 八岐大蛇が咆哮を上げて、八岐大蛇の身体を貫いていた地面にヒビが入る。蓮華がはっと我に返り、慌てて立ち上がろうとして、脚に力が入らずその場に倒れた。


 八岐大蛇がもう一度咆哮を上げて、地面がボロボロと崩れていき、八岐大蛇は自身の身体を引きちぎりながら脱出すると、黒い水をあたりにまき散らしながら口を開けて蓮華に迫っていく。


 その時、蓮華の後ろから走って来ていた沙乃が飛び出して、八岐大蛇に剣の刃を向けた。


八頭龍斬やずりゅうざん げき


 刃は八岐大蛇の首を切断し、頭が落下し、着地した沙乃が振り返って、蓮華に駆け寄った。きょとんとしている蓮華の顔を覗き込み、沙乃が蓮華の肩を持って身体を揺さぶる。


「怪我は⁈ どこも喰われてへん⁈」


 沙乃の勢いに押されて蓮華が頷く。沙乃が安堵したように大きく息をついて、蓮華の首に残った赤い跡に気が付いた。


「それ……」


「……あぁ……」


 沙乃の視線に気が付いた蓮華が自分の首をさすった。


「誰に……いや、今はそんな場合やあらへん。どっか安全な場所に連れて行ってあげたいけど、ちょっと時間がないんよ。あの人も自分の娘おいて行って……。ええ? ここから動いたらあかんよ」


 蓮華にそう言って、沙乃は山駕が走っていった方向に向かっていった。それを見送って、蓮華は自分の首をさすると「……馬鹿なパパ」と呟いた。


    ◇


 草木をかき分けて川岸に出た美雨は、崩れた土砂に埋もれた誰かの手と、その前であざ笑うように蠢いている八岐大蛇の首を見た。その光景に美雨がスカートの裾を握りしめ、八岐大蛇を睨みつける。


「……ミーちゃん……」


 美雨の声に反応してミーちゃんが飛び出した。大きな目玉を光らせて、目の前の八岐大蛇を睨みつける。美雨のいつもの明るい表情は消え失せていて、血のように赤い両目が不気味な色彩を放っていた。


「食べていいよ」


 美雨の言葉にミーちゃんが悲鳴のような声で吠えた。そして、ミーちゃんの身体がブクブクと肥大化し、角のような突起が飛び出した。


 ミーちゃんはみるみる肥大化し、八岐大蛇の首よりも大きくなると、そのあまりの威圧感に怯みだした八岐大蛇を睨みつけ、威嚇するように咆哮を上げる。その声に、土砂に埋まっている手がピクリと動いた。


 八岐大蛇は怯みながらもミーちゃんを睨み、地面が揺れて、美雨がよろめいて尻餅をついた。その隙に八岐大蛇は美雨に向かっていき、大きな口を開ける。


 それを上回るまで肥大化したミーちゃんは、八岐大蛇が美雨のもとにたどり着く前にその頭に食らいつき、頭をもぎ取って、骨と肉を砕く音を響かせながら、八岐大蛇の首はミーちゃんの大きな口に飲み込まれていった。


 頭をなくした首は地面に落下し、黒い水になって溶けていく。美雨はその様子をぼうっと眺めて、はっと我に返ると土砂の方を見た。不意に手が動いたかと思うと、その手元に短刀が出現して、手がそれをつかみ取る。美雨は驚いて、その様子を見つめていた。


 すると、あたりに霧が立ち込めはじめ、美雨の視界が真っ白になったかと思うと、霧の中にぼんやりと人影が浮かんできた。


「ゲッホ、ゲホゲホッ!」


 人影が激しくせき込み、次第に晴れてきた霧の中から顔をしかめた衣織が現れた。口の中に入った土のせいで、口の中にじゃりじゃりした感触が広がっている。せき込みながら目にうっすら涙を浮かべ、衣織は「死ぬかと思った……」と呟いた。そして、目の前で呆然としている美雨に気が付いて、驚いた顔をする。


「え……美雨ちゃ……」


「衣織ぃ……‼」


 美雨が衣織に飛びついて、衣織がそれを受け止めきれずに尻餅をつく。美雨は衣織に縋り付きながら泣きじゃくって、衣織は困惑しながら美雨の頭を撫でた。


「し……死んじゃったかと思ったぁ……‼」


「え、えと……ご、ごめんね……⁈」


 ふと、衣織が目の前の肥大化したミーちゃんに気が付き、目を見開いた。ミーちゃんはうめき声を漏らしながら、口からぼたぼたと黒い水を流し、次第に大きくなっていく。突起が次々と飛び出し、鬼のような見た目に変わっていった。その光景に衣織は声を出すこともできず、縋り付いてくる美雨の身体を抱きしめる。


「……美雨ちゃん、や、八岐大蛇は……?」


「ひっく……あのね、ミーちゃんが食べてくれたよ」


「え……」


 ミーちゃんはしばらく肥大化を続けると、次第に身体を小さくしていき、美雨の身体に戻っていった。その瞬間、美雨の力が抜けて、衣織の身体にもたれかかる。衣織は驚きながらもそれを支え、眠った美雨の顔を見つめた。


    ◇


 ごうごうと流れる川の中、八岐大蛇の腹の上で十束剣を抱えて座っていた薺は、後ろから感じた殺気に振りかえった。後ろからものすごい勢いで川を下ってきた八岐大蛇が視界に移り、薺が口元を歪める。


 八岐大蛇は川の水を飛び散らせながら薺の目の前に降りてきて、口から黒い水を流しながら、薺を睨みつけた。


「ふふ、ふふふっ。ようやく来たか、あぁ、待ちわびたぞ。お前の顔が見たかった。ふふふ。相変わらずの間抜け面だな」


 薺が口元を押さえながら怪しげに笑った。八岐大蛇を前にして、余裕な態度を崩さない。


「お前に手足を持っていかれたあの日から、一度たりとも忘れたことはない。夢にまで出てきたぐらい、お前に憑りつかれたように何度も何度も」


 八岐大蛇が咆哮を上げ、薺に向かっていった。薺は笑みを浮かべ、その顔を見つめる。


「お前をこの手でぶち殺せるのを、ずっと待ちわびていた‼」


 薺が右手に持って行った簪を投げつけ、簪は八岐大蛇の右目に突き刺さって、八岐大蛇が声を上げながら怯む。


稲穂いなほ芽吹めぶかせひからせよ。金色こんじきよ、われまもりて暗雲晴あんうんはらし、にえなるものの命運めいうんみちびけ」


 八岐大蛇に突き刺さった簪の琥珀色の宝玉が輝き、巻きついた布が動いて、八岐大蛇の目を覆い隠した。八岐大蛇は暴れ、簪を振り落とそうとする。


「神格解放 その名を、櫛名田比売くしなだひめ


 八岐大蛇が首を振り、簪を振り落とした。振り下ろされた簪は落下していき、八岐大蛇の口に到達したところで宝玉が砕け散る。


八塩折之酒やしおりのさけ


 砕けた宝玉から金色の酒が溢れ、大きく開かれた八岐大蛇の口に入る。零れた酒は川に落ち、黒い水を押しやるように、川は金色に染まっていった。


 酒を飲まされた八岐大蛇の身体がよろめき、薺が笑う。だが、八岐大蛇は身体を持ち直すと、また薺に向かっていった。薺が右手を伸ばし、八岐大蛇に巻きついていた布が伸びてきて、薺がそれを掴んで簪を引き寄せてつかみ取る。


 八岐大蛇は薺に食らいつき、薺の左肩に牙が刺さって、血が溢れた。薺が顔を歪ませる。


「お前だけは、お前だけは許さない……祖母も、母も、私の身体も、全て奪ったお前に、娘まで奪わせはしない……‼」


 薺が八岐大蛇の脳天に、簪を突き立てた。八岐大蛇の頭から黒い水が流れ、薺の肩にさらに牙が食い込む。薺が苦しげなうめき声を出し、肉が裂ける音がする。


「この身体が裂けようと、お前だけは殺してやる‼」


 バキっと骨の砕ける音がして、薺が歯を食いしばる。それでも薺は簪から手を離さず、さらに八岐大蛇に突き立てた。八岐大蛇が小さく悲鳴を上げて、薺から離れる。牙が引き抜かれた薺の左肩には大きな穴が開いていて、血がとめどなく溢れ出している。


 八岐大蛇が大きく口を開け、薺を一飲みにしようと迫った。


「……私を食ったら、その腹を突き破ってやるぞ」


 薺が肩で息をしながら左肩を押え、八岐大蛇を睨みつけた。八岐大蛇の口が薺の目の前に迫り、薺は自分がその牙で貫かれるのを理解しながら、笑みを浮かべていた。


石守いしもり


 響いた声に薺が目を見開いて、薺の後ろから現れた山駕が、斧の刃で八岐大蛇の頭をはじき返した。弾かれた八岐大蛇は白目をむき、後ろにのけぞって川に倒れ込む。


 山駕の頬には、まるで土が乾いたようなヒビが入っており、斧を握る両手は、土人形のように変色していた。それを見て、薺が信じられないという顔をする。


 山駕は薺を守るように立ちふさがり、首を起こそうとしている八岐大蛇を見つめていた。

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