第14話 クラーラの誘惑(その2)(後編)

 

「シュン、こっち!」


 4時限目を終えて学部棟の外に出ると、学食に併設されているカフェで時間を潰していたのだろう。

 クラーラさんが僕に向かって大きく手を振る。

 安っぽいプラスチックの椅子に座っていても、名画のように絵になる女の子だ。


「待たせてごめんね」


「ううん、ダイジョウブ」


 僕の言葉ににっこりと微笑むクラーラさん。


 うっ、昨日までと印象が違いすぎるぞ。

 もしかしてゲルマン的好感度が一定値を突破したら対応が柔らくなるんだろうか?

 他の男子学生が声を掛けていたけど、今まで通り塩対応だったし。


「じゃ、じゃあ……帰ろうか」


「Ja♪」


 可愛いヤーを返すとカフェのウッドデッキからぴょんっと飛び降りるクラーラさん。


「いきましょ」


 上機嫌のクラーラさんは、いつものセクシーな格好ではなくゆったりとしたフリル付きホワイトシャツに若草色の膝下スカート、

 足元はハイカットのホワイトスニーカーとJDらしいかわいい系コーディネートだ。


 い、一体どんな心境の変化なのか。

 昨日と違う彼女の雰囲気に、戸惑いを隠しきれない。


 僕は混乱したまま、彼女の隣を一緒に歩く。

 非現実的なシチュエーションは僕たちが大学の敷地を出た途端、さらなる展開を見せる。


「えいっ!」


 ぎゅっ!


 可愛い声と共に、クラーラさんが僕の右腕に抱きついてきたのだ。


「……今日はこのまま話しましょ?」


(う、うわわわっ!?)


 僕の右半身をクラーラさんのぬくもりと柔らかさが襲う。

 とたんにゆっくりになるクラーラさんの足取り。


 あああああ、こんなの耐えられるわけないじゃないか……。

 この子の興味は僕の小説だろうに、なぜこんなにぐいぐい来るのだろう。


 女子と触れ合った経験は、中高時代のオタ友達とVR空間のフィルだけしかない僕が、このギャップ攻撃に耐えられる気がしない。

 星修大学の最寄り駅まで約1㎞……長い道のりになりそうだった。



 ***  ***


(くうっ、”ディーちんのアゲアゲ☆サキュバスプランレベル2”は可愛い攻撃だとっ!)


 シュンにもたれて歩きつつ、クラーラは内心汗ダラダラ、むしろ背中汗が凄い。

 実は可愛い物好きの彼女だが、自分の冷たい美貌が”カワイイ”には向いてないことは自覚している。


『ぶおおっふぉ! キスごときで失敗したんすかクラ様wwwwwwwマジカワイイし! ウケる撮っとこ』


 爆笑しながらパシャリ、とすまほでしゃめなる画像を撮影したディートを渾身の回し蹴りでマットに沈めたクラーラだが、(中略)レベル1が失敗したのは自分のせいである。

 アイヒベルガーの娘として、二度の失敗は許されないとディートの非道な指示を了承したのである。


 今日こそ確実に篭絡せねば。

 気合を入れなおすクラーラ。


 だが、この胸の高鳴りはどうした事か。

 心の奥底に生まれた感情を、まだ理解できないクラーラなのだった。



 ***  ***


 てく……てく……てく


 二人の足音が、やけにゆっくり響く。

 すれ違う人々の視線が、全てこちらを向いてる気がする。

 まあ、目を引いてるのはクラーラさんの美貌なのだけど。

 密室で二人っきりになるより遥かに彼女を意識してしまう状況に、またもや頭がくらくらしてくる。


「……アナタの、イストピア・サーガなんだけどね」


 クラーラさんの熱を帯びた声が、すっと頭の奥に侵入してくる。


「えっ」


「叔父様が興味を持ってるの……本にしたいと」


「っ!!」


 続けられた言葉に、ハンマーで殴られたような衝撃を受ける。

 まさか……妄想するだけだった夢が、現実に?


「ねっ、こうしない?」


 ぎゅっ


 クラーラさんの抱きつく力が強くなる。


 感情と熱が込められた、透き通った声が僕の耳をくすぐり支配する。


「人間は善……魔王は悪。

 定番の設定だけど、本当にそうかしら?

 いまは多様性の時代、そうでしょ?」


 全てを委ねたくなる、クラーラさんの心地よい囁き。


「強大な力を手に入れたヒロインに、人間たちは恐怖し始める」


「……あっ」


 滅亡の危機をとりあえず回避したことで、蠢き始める人間たちの陰謀。

 囮として、戦場に連れ出されるヒロイン。

 プロット案の1つとして、以前考えていた展開だ。


「これだけ皆のために戦って来たのに、なぜ?

 絶望する彼女に、魔王がこうささやくの……”こっちに来ない?”って」


 ずきり。

 頭の奥が痛む。


 少女は魔王をその身に降ろし……彼女を亡き者にせんとした連中を滅ぼすのよ。

 そうして、魔王と一体となった少女によって、美しき秩序がもたらされる。

 人間たちはこう思うでしょう……ああ、今まで自分たちが信じていた正義はかりそめの物だったと」


 ぼうっ

 僕の視界から、色が消える。

 頭の中全てが、クラーラさんの言葉で塗りつぶされようとしている。

 冷たく管理された、さざなみの立たない世界。

 その中心で無表情で佇んでいるのは……。


「どう? ありきたりな小説とは違うでしょう?

 これこそ、求めているモノ」


 実は書きたかったダークファンタジー。

 絶望の中で流される、涙こそが美しい。

 心の奥底からどす黒いものがこみあげてくる。

 それを彼女クラーラが望むのなら。


(うっ)


 その時、見たことないはずの光景が脳裏に浮かぶ。

 いつか見た、少女だれかの……寂しげな笑顔。


『ありがとう……○○○○でも、がんばってね』


『おもしろかったよ、小説がんばってね』


(……っっ!?)


 なぜかフィルの顔と、その笑顔が重なる。


 ばっ!


 妙な胸騒ぎがした僕は、

 乱暴にクラーラさんの手を跳ねのけた。


「あっ!?」


 信じられないと言いたげな彼女の声。

 チクリと罪悪感が芽生えるが、世界に色が戻った。


「ご、ごめん!

 このあとバイトなのを忘れてたよ、じゃあ!」


 だだだっ!


 後ろを振り返らず、駅に向かって全力でダッシュする。


「えっ……」


 悲しそうなクラーラさんのつぶやきが、やけに耳の奥に残った。



 ***  ***


「我が……アイヒベルガーの娘が、二度も拒まれた、だと?」


 決死の”覚悟”を拒否されたクラーラは。


「……しゅん」


 割とガチのマジで凹んだのだった。

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