第13話 クラーラの誘惑(その2)(前編)
「た、ただいま……」
重い身体を引き摺り、玄関のドアを開ける。
クラーラさんと図書館で話してから、何故か体がだるい。
「結局クラーラさんは何がしたかったんだろう……?」
彼女が僕の隣に座って、ぐいぐい迫ってきたところまでは覚えている。
その後は記憶があいまいで、頭の中にもやがかかったようだ。
気が付いた時には、クラーラさんはいつもと異なりわたわたと慌てていた。
「わ、我はそなたに魅了された!」
「今日のところは撤退するが……お、覚えているがよい!!」
僕……なんかやっちゃいました?
決闘みたいなことを言われたんですが。
『わ、我はそなたに魅了された!』
う~ん、まさか僕自身に向けられたものじゃないだろうし。
彼女は小説が大好きなのだろう。
『わ、我はそなた(の小説)に魅了された!』
彼女はまだ日本に来て1か月、本当はこう言いたかったのだろう。
さすがは出版社の娘である。
僕は勘違い属性が搭載されたラブコメ主人公じゃないので、冷静にそう分析しておく。
「それにしても疲れた……」
3時限の授業を終えた後、新店舗を開業する正志叔父さんの手伝いに行ってたから疲れは3倍増だ。
「出前でもとってさっさと休もうか……ん?」
自炊をする気力もなく、どさりとベッドに倒れ込む僕だが、テーブルの上に忘れたまんまのスマホの通知ランプが栗色に点滅していることに気付く。
これは……フィルのチャットだ。
何を隠そう、フィルからのチャットだけ通知カラーを変えている僕である。
「どうかな……」
少しドキドキしながらメッセージを開く。
『おもしろかったよ、小説がんばってね』
「おおっ!?」
実はちょっとだけ、第23話の展開にがっかりされるかもと気にしていたのだ。
楽しんでくれたようで嬉しくなる。
「よかった~……って、あれ?」
安心した僕は、チャットを返そうとして彼女のアカウントが今日の昼過ぎからずっとオフラインなことに気付く。
この時間(夜)はいつもオンラインなのだけれど。
「マイページで話したかったんだけどなぁ」
ハッピーエンドに繋がるプロットを、彼女と共有したかった。
「勉強とバイトが忙しいんだな、うん」
少し残念だけど、フィルにはフィルの生活があるのだ。
「バイトで貯金して……夏休みにフィルの住んでるところに遊びに行こう!」
いまだどこに住んでるか聞けてもないくせに、妄想を爆発させる僕。
「とりあえず、今日はゆっくりするか」
フィルの事は少し気になったけれど、凄く疲れていた僕は晩飯を食うと
はやめにベッドに飛び込んだのだった。
*** ***
「やばっ!」
今日の1時限は専門科目だ。
微妙に寝坊した僕が中講義室に飛び込んだ時には、座席はほぼ満席だった。
仕方ないので空席となっている最前列に座ろうとして、先客がいることに気付く。
同じく少々寝坊したのだろう、いつもより気持ち銀髪が跳ね気味のクラーラさん。
「お、おはよう」
彼女の右隣しか空いて無かったので、朝の挨拶をしながら座席につく。
その途端、男子学生が大半を占める講義室のそこかしこから響く舌打ちの音。
泣いちゃうからやめてくれないかな?
「Gu……Guten Morgen」
頬を真っ赤に染めながら、小さくドイツ語で挨拶を返してくるクラーラさん。
え、何その反応?
超ドキドキするんですけど!
いつもクールなクラーラさんが見せる可愛い態度に、思わずドギマギしてしまう
ぐいっ!
!?!?
なんで気を使って半身分隙間を開けたのに身体を寄せて来るんですかアナタはぁ!?
クラーラさんのムチムチなお尻と脚が、僕の左半身に当たっている。
「あ~五島、アイヒベルガー、ほどほどにな?」
困惑気味の担当教授の声に反応して、大ブーイングが講義室に鳴り響いた。
*** ***
はい、授業の内容なんて全く頭に入りません!
むしろ今すぐ帰りたい!
授業が始まって20分ほど、僕は地獄の苦しみを味わっていた。
ズモモモモ……
背中に突き刺さる嫉妬と呪詛の込められた視線。
僕が聖属性を持っていたらとっくに消滅しているだろう。
幸いなことに、ダーク♂シュンは闇属性なので何とか耐えられているが。
……などと、強がりを言う余裕すらない。
「ほうっ……」
そんでなぜ恍惚とした表情を浮かべているんです、クラーラさん?
この子、もしかしてドM?
「…………はっ!?」
思わず疑っていると、頭を振って我に返るクラーラさん。
すっ……。
正面を向いたまま、右手で僕の方に小さなメッセージカードを寄せてくる。
そこにはやけにかわいい文字でこう書かれていた。
『昨日はアナタの小説が面白すぎてどうかしていたわ……ごめんね。
叔父様からアドバイスをもらったから……。
帰りながら少し話さない?』
「えっ!?」
思わぬ彼女からの申し出に、目を丸くしてしまう。
クラーラさんの叔父……推定するに大手出版社の社長さん?からアドバイスを貰えるなんて!
ま、まさか書籍化されちゃったりして!
「……nein?」
(ぐうっ!?)
涼やかな流し目からの上目遣い。
あまりに魅力的な提案に加え、いつもと違う可愛いクラーラさんのお願いに僕はあっさりと陥落するのだった。
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