第63話 神孤族の里

フェンリルの上から僕は転げ落ちた。


「ぐえっ」


高さ二メートルから落ちると、かなり痛い。


「ご主人様! 大丈夫ですか!」


もう、どれだけフェンリルに乗りながら、魔獣から逃げていたのだろうか。


正直、疲れた……。


「サヤサ。本当にここは迷いの森から離れた場所なのか?」


迷いの森は僕達が暮らす世界とは隔絶した世界……。


という風に聞こえるぐらい、恐ろしい場所のようだ。


魔獣が屯し、侵入者を容赦なく殺す。


それが迷いの森だ。


だが、僕達はそれを避けながら行動しているはず。


出てくるとしても野獣がいいところだ。


「魔獣しか、出てこないのはどう言う事だ?」

「分かりません。数年前々までは間違いなく、ここは普通の森でした。なにか、異変が?」


それは僕には全く分からない。


結局の所、案内人であるサヤサに全部丸投げしている形だ。


「ここからもっとも近い獣人の集落というのは?」

「そうですね……大分、予定とは狂ってしまいましたが……」


そうだよな。


こんな逃げることを想定した計画なんてないよな。


もともとはしっかりと練り上げられた計画だったんだ。


事前に調査もし、迷いの森の境界線についても徹底的に調べた。


だが、少し調査外の場所に出たら、これだ。


一旦引き返そうにも……。


「戻れそうか?」

「無理かもしれませんね。大きく迂回すれば……この子たちの戦力では魔獣には敵いませんから」


……僕は何度も見た。


フェンリルが赤子のように弄ばれている光景を。


何度も噛みつき、倒そうとしても、魔獣は無傷だった。


「私の里が一番近いかもしれません」


私の?


つまり神孤族というやつか?


「この近くなのか?」

「ええ。場所を移動していなければ……ですが」


なんとも怪しい答えだ。


でも、今は一歩でも前に進んだほうがいいだろう。


「マリーヌ様も大丈夫ですか?」

「ん? ああ。妾は平気じゃ。毒が少々心もとないがな」


あれだけ、撒き散らしておきながら、まだあったのか……。


「じゃあ、出発しよう」

「はい」


ん?


どうして、サヤサも?


「また、落ちられても困るので。私が後ろから支えます」


……ああ、なんて落ち着くんだ。


誰かと一緒に乗るだけで、こんなに楽だなんて……。


ん?


「ちょっ……早い」


なんで、こんなに早いんだ。


フェンリル……今まで手を抜いていたな。


「もっと、飛ばします!!」

「えっ……いや、これ以上は……」


僕の顔はもはや風圧で原型をとどめていないだろう。


「あばばばばばば」


なんとも恥ずかしいが、これしか言えないのだ。


……。


「頼む。休ませてくれ」

「ご主人様、またですか?」


すまない。


不甲斐ない主人で。


僕はフェンリルの上は耐えられなかった。


「分かりました。少し遅くなるかもしれませんが、ゆっくりと行きましょう」


本当に済まない。


「お主はまったく……ダメダメじゃな」


くっ……マリーヌ様はなぜ平気なんだ。


服どころか、一糸も乱れていない。


本当に人間か?


……。


それからのフェンリルの旅はそれはそれは長かった……。


「見えてきましたよ。神孤族の里です」


僕はフェンリルの上で伏せていた。


もう……帰りたい。


どうして、僕はこんなところにいるんだろうか?


獣人の説得?


これから、やるの?


……。


「サヤサ、とりあえず、この辺りで野営をしないか? それから……」

「何を言っているんですか? 里があるのですから、そこで休みましょうよ」


至極、ごもっともな意見だ。


だけど、今の調子ではとても交渉なんて……。


「ほれ。とっておきじゃ」


これは?


「いつものじゃよ」


僕は今ある全ての力で薬を投げ飛ばした。


「惚れ薬なんて、いるかぁぁぁ」

「何をするんじゃ! 獣人もイチコロの特別製じゃぞ。あれを作るのにどれほどの歳月を……」


なに?


獣人もイチコロ?


「なんて、危険なものを作っているんですかぁ!!」

「そんなに怒るでない。ちょっとした冗談じゃ。ほれ、これが正真正銘の回復薬じゃ」


手渡された瓶はとても暖かかった。


僕は意を決して、飲み干した。


……。


……?


「何も効果はないみたいですけど?」

「ふむ……どうやら失敗みたいじゃな」


クソがぁ!!


僕は瓶を叩き割った。


「どうじゃ? でも、元気になったじゃろ? さあ、行こうぞ。神孤族の里に」


マリーヌ様……。


僕は恥ずかしかった。


領主である僕が、こんな弱気でどうする。


目の前には交渉するべき相手がいるんだ。


喜び勇んで行くのが正しいではないか。


彼らを説得することが出来れば、一歩、我がイルス領が繁栄するのだから。


「ありがとうございます。マリーヌ様」

「よいよい。お主らといると楽しいからの。せめてもの、お礼じゃ」


全身に力が蘇る。


そうだ。


皆に楽しさを……笑顔を守らなければならない。


それこが領主としての存在意義なんだ。


「サヤサ、案内を頼む」


ってあれ?


「サヤサは?」

「あやつは、もう行ってしもうたぞ」


……。


主人を置いていく奴隷ってどうなんだろうか?


あとで説教だな。


「行きましょうか、マリーヌ様」

「ふむ。何が出てくることやら……楽しみじゃな」


僕はいい結果を持ち帰れることだけを祈りながら、神孤族の里へと足を踏み入れた。


……。


当然、こうなるよね。


「不審者が! 貴様、どこから来た!」


サヤサは一体どこに行ってしまったんだ。


「僕はロッシュ=イルスだ。ここの族長に会うためにやってきた」


「イルス? どうして、お前がイルスを名乗る」


言っている意味が分からない。


「僕はイルス領の正統な領主だからだ」

「正統? ちがう。お前は魔王ではない」


何を言っているんだ?


魔王って一体……。

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