第三章 ドーク子爵領
第30話 奴隷商、怪物話で盛り上がる
デリンズ侯爵はおろか、誰一人として見送りに来るものはいなかった。
それが奴隷商としての立場。
分かってはいるが、色々と世話になったことを考えると苦しい気持ちになる。
「マギー、行こうか」
「ええ。でも寂しいわね」
寂しくないといえば、嘘になるが……
この先に広がる出会いを考えると楽しみでもある。
次に向かうのは、当初の目的のドーク子爵領だ。
僕の剣術の師匠にして、我が王国の将軍を代々担っている名門の軍人一家だ。
この子爵家は地理的な理由でオーレック公爵の子飼いにはなっている。
それでも軍閥という側面もあり、子爵家ながらに強い権勢を誇っている。
まぁ、政治の中枢である王宮的には厄介な家ということになる。
……道中は本当に退屈だ。
左手には広大に広がる海が絶えず続いている。
そういえば……
「海には怪物が住んでいると聞いたことがあるな。誰か、見たことはあるか?」
「ロッシュ。何を言っているのよ。それは伝説でしょ? 実際にいるわけないじゃない」
マギーの言うとおりだな。
そんなものがいれば、もっと大騒ぎになっているはずだもんな。
「全くだな」
本当に退屈だ……。
「妾は見たぞ」
ああ、いい天気だな。
「無視するでない。それとも、まだ怒っているのか?」
……当然だ。
旅の途中、食事は馬車の中で取ることが多い。
麦を煮たものを食べることが多い。
それと干し肉だ。
サヤサは肉ばかり食べ、シェラは干した果物ばかり食べている。
それは別にいい。
マリーヌ様はあろうことか麦を煮るのに薬草汁を使ったのだ。
緑色のとても食べられるようなものではない。
だが、貴重な食料を無駄には出来ない。
僕とマギーは鼻をつまみながら、食べることになった。
苦く、臭いも独特だ。
吐き気を感じながら、なんとか完食したのだが……
マギーの様子が急に変わったのだ。
その反応を見て、すぐに分かった。
「また、惚れ薬を混ぜただろ!!」
そのことでずっと怒っていたのだ。
「もういい。それで……本当に見たのか?」
「もちろんじゃ。それは大きかったのぉ」
……。
「で?」
「何じゃ?」
「大きかった以外に何もないのか? 伝説ではたくさんの足が生えていて、とてもくさい息を吐くと聞いたことがあるが」
「どうであろうな……たくさん生えていると言えば生えているし、生えていないと言えば、生えていなかったの」
意味が分からない。
「マリーヌ様。嘘はいけませんよ。それとも幻覚でも見ていたんですか?」
「バカを抜かすな。妾はしっかりと見たぞ。ただ、それが実際にいたのかどうかが分からんのじゃ。ちなみに息は臭くなかったぞ」
……もういいや。
「信じておらんな。じゃあ、見に行くか?」
「本気で言っているのか? 怪物だぞ?」
何やら変な話になってきた。
マリーヌ様は本気なんだろうか?
「それで? どこにいるんですか?」
「お主も信じやすい男じゃの。こんな話を信じるとは」
……この人は……。
「冗談じゃ」
冗談の塊みたいな人が何を言っているんだ?
「そこに止めてみよ。そして、付いてくるがいい。良いものを見せてやろう」
「……」
「ロッシュ。マリーヌ様は本気よ」
マギー、君は一体何を感じ取ったんだ?
「マリーヌ、本気」
シェラまで。
「え? 何の話ですか?」
サヤサ……ずっと馬車の隣で走っていたから聞こえなかったんだな。
「気にしなくていい。サヤサはゆっくりと休んでいるといいよ」
「はい!! 腕立て伏せをしていますね」
……それが君の休憩なら好きにするがいい。
サヤサを除く、僕達は馬車から降り、目的の海に向かった。
この辺りは海岸線が真っ直ぐに伸びている。
「海風が気持ちいいな。マギーは海は初めてだろ?」
王都出身のほとんどは海を知らないものが多い。
「そんなことはないわよ。一度だけ、オーレック領に戻った時に見たことがあるもの」
「そうだったのか。この道から?」
確か、オーレック領は北方街道の先から行けると聞いたことがあるな。
「まさか。南方街道よ。こっちから行ったら、ほとんど山登りになっちゃうもの」
そうだよな。
南方街道も海伝いに続く道だったか。
「見えてきたのじゃ。あれが怪物の正体じゃ」
……あれは……
「夕日?」
沈みゆく太陽が海に照らされて、まるで大きな怪物のように見える。
「そうじゃ。お主らはこれを怪物と言っておったのじゃ」
これが……。
なんか拍子抜けだ。
「まぁ、マリーヌ様が嘘を言っていなかったのは分かりました。けど……」
「気持ちは分かるがな。まぁ、伝説だの噂だのはこんなものじゃ。お主はこれから真実だけを見るのじゃ。こんな与太話を話に出してもならぬ」
…・・・マリーヌ様?
「それが上に立つ者の責だと心得よ」
「はい……」
いつものマリーヌ様ではなかった。
とても威厳があり、まるで……
「さて、帰るとするかの。海風は妾には寒い。せっかくの肌が荒れてしまうわ」
僕はマリーヌ様の後ろを見ていた。
そう……まるで我が母を見ているようだった。
母こそ、この国の王族の正当な血筋。
そして、父に位を譲るまで、この国の柱石でもあった。
偉大な母……その面影をマリーヌ様に見てしまった。
「ねぇ。怪物って本当にいるのね」
「マギー、何を言っているんだよ。夕日だって言って……」
僕は見てしまった。
海の遠く……夕日が映し出す海面に現れた生物を……
二本足で立ち、顎には無数の足が生えているみたいだった。
その巨大な生物はこちらを見ているような気がした。
だが、その姿は一瞬で海の中へ消えていった。
「あれは……」
「こっち見てたわよね? 凄いものを見たんじゃないかしら!」
マリーヌ様はこれを見せようとしたのではないだろうか。
本当に……何者なんだろうか?
僕とマギーは興奮しっぱなしだ。
あんなものを見たのだから。
だが、一人、冷静に海を見る者がいた。
「……シェラも見たよね?」
「見た。懐かしい」
何を言っているんだ?
懐かしいって……。
「驚かないのか?」
「別に。イルス。あれくらい、いっぱい」
ん?
んん?
何を言っているんだ?
あんな物がこの世にいっぱいいる訳ないじゃないか。
それに……ちょっと待て。
「イルスって……イルス領のことか?」
「もちろん」
あれ?
僕ってどこに行くんだっけ?
イルス領……だよな?
あんな怪物がたくさんいる場所に?
えっと……
「どうやって領地経営をしろっていうんだ!」
海風は僕の声を打ち消すほど、強く吹いていた。
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