第28話 祖父の誕生日②
中庭のテラスに出て星を眺めていると、祖父がやって来た。ガーデンテーブルを挟み、対面の席に彼が腰を下ろす。
「ここは寒いわ。お祖父様」
「そうかい? 君はずいぶんカッカしているようだが」
クリスティは少し笑った。
「お祖父様は、私が我儘だと思う?」
「私は君の純粋さがとても好きだよ」
「――だけど、って続けるんでしょ。お祖父様は優しいから、いつも褒めてから、だめ出しをするの」
クリスティがそう言ってやると、今度はモズレー子爵が笑った。
「そうだね、君は賢い子だ。ちゃんと分かっている」
「そうかしら」
「クライヴとは兄弟だろう? 許せないことがあっても、あんなふうに拒絶してしまうと、いつか後悔する時が来る」
「ただの兄弟喧嘩よ。たいした問題じゃない」
「亀裂は段々と深まっていくかもしれないよ。互いに努力が必要だ」
「私には何が必要?」
「寛容さ、かな」
「……じゃあクライヴには? 何が必要?」
「君は信じないかもしれないが、クライヴはよくやっている」
クリスティは呆気に取られた。ポカンと祖父の顔を眺めてしまう。
「うっそだぁ」
「本当だよ。クライヴはああ見えて、意外と優しいんだ」
「あらお祖父様。お祖父様だって今、『意外と』っておっしゃったわ。基本は優しくないって、認めたことになる」
「おっと、いけない」
祖父が肩をすくめてみせる。口元には笑みが浮かんでいて、反省しているふうでもなかった。
「クリスティ、真面目な話――クライヴをもっと頼りなさい。信じなさい。そうでないと君は、とても孤独になってしまう。君は物怖じしないようでいて、実はとても用心深い。両親に対しても心を許していないだろう?」
「だって父様は、母様を裏切ったわ。ズルい人よ」
クリスティは腹違いの兄であるコリンのことを愛していたけれど、彼が産まれるきっかけとなった父の不貞行為については、まだ許せていなかった。――コリンは被害者だ。父は認知もせず逃げ切った。父が払うべきだったツケは、コリンが背負わされている。
「……クォーリア侯爵は孤独な人だ。私は彼を気の毒に思う」
祖父が父を思い遣るようなことを言うので、クリスティは驚いてしまった。
モズレー子爵は、クリスティから見て、母方の祖父に当たる。だから血の繋がった娘、アドリアンヌの味方をすると思い込んでいたのだ。――クォーリア侯爵に対して『娘(アドリアンヌ)を裏切ったひどい男』というわだかまりを持っているのかと思っていたのだけれど、違うの?
「お祖父様……」
「私の娘、アドリアンヌは――少し特殊な女性に育ってしまった。それはお前も、よく分かっているだろう?」
祖父は寂しそうだった。クリスティは母の冷たい面差しが脳裏に浮かび、胸を痛めた。……確かにそうだ。母には薄情なところがある。彼女は自分が一番好きみたいだ。笑顔でいても、どこか人間味が感じられない。一緒にいると、とても寂しい気持ちになる。
だからクリスティは幼い頃から父に懐いていた。けれど彼が浮気をして、外に子供を作っていたと知り、ひどくがっかりしてしまった。好いていただけに、その倍、憎らしい気持ちになったのだ。それで両親に対し、心の中に距離ができてしまった。
「私、両親にもクライヴにも期待していないわ。兄妹なら、私にはコリンがいる。兄はコリン一人だと思うことにするから」
「彼は隣国に行ったほうが幸せだと思うね」
「でも、隣国とは国交が途絶えている」
確かにあの国は同性愛に対する偏見がない。ものの考え方が成熟しているのだろう。祖父の言うとおり、コリンは隣国に行ったほうが幸せになれる。けれどやはり、情勢的に移住は無理だろう。
そこでふと、ソーン病の特効薬の件が頭に浮かんだ。先日、ウィリアムが手に入れてくれた。つまり夫は、隣国にツテを持っているのだ。
祖父が穏やかな瞳でこちらを見つめてくる。その静けさは、クリスティの心を乱した。
……なぜだろう。よく分からない。暗い影が忍び寄ってくるような恐怖を覚えた。
「仮定の話だ――コリンが隣国に逃れることができたなら、彼に会うことはこの先、難しくなるだろう。だから君はクライヴに心を開くべきなんだよ。兄なのだから」
「でも私、……いいの、お祖父様がいれば、それでもういい」
「私はずっと君のそばにはいられない」
「どうしてそんなことを言うの? 薬だって手に入ったじゃない。元気を出してよ」
「元気だよ、クリスティ。とても元気だ。そして満ち足りている。だって誕生日に、大切な家族が集まって、こうして祝ってくれるんだ。――私ほど幸せな年寄りが、他にいるかい? 私は幸せだ。もう思い残すことはないよ」
「思い残すことだらけよ!」クリスティは声を荒げた。「ずっと私の側に居てよ、お祖父様。あなたが居なくなったら、私は本当に一人ぼっちよ」
「そんなことはない。君次第だ。心を閉ざしてはだめだ」
「薬が効いて元気になるはずなのに、なんでそんなことを言うの? お祖父様は、私のことが重荷なのでしょう? 我儘で扱いにくい私のことが、もう嫌いになったのよ」
たぶんクリスティは、祖父の物言いに、不吉なものを感じたのだ。だから反発した。
「――お祖父様の馬鹿。もう知らない」
この一言を、クリスティは後悔することになる。
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