第24話 シディに『黒髪の女』のことを訊いてみる


 クリスティはカフェで義妹のシディと会っていた。


「お義姉様、兄との新婚生活はどうかしら?」


 シディは相変わらずパンケーキみたいにふんわり甘く笑い、頬杖を突いてこちらを見つめてきた。


 クリスティはなんだか感心してしまった。――営業熱心な悪魔が目の前に現れて、『あなたか伴侶か、一方の魂が必要なの。どちらを差し出すのか、頑張って決めてくれる? 特別に五分待ってあげるね』と促す時は、こんな顔をしているのかもしれないわ、と思ったからだ。『親切顔のサイコパス悪魔』だわ。恐ろしいわ、と。


 クリスティは『親切顔をしないサイコパス悪魔』の代表格であったので、シディに対しては、異種競技のチャンピオンというような認識でいたのだ。


 こうして異種競技のチャンピオンが尋ねているのだから、ちゃんと答えてあげたほうがいいだろう。


「貴族らしく答える? それとも率直に?」


「じゃあ、貴族らしく答えて」


「退屈はしていないわね」


「ちなみに率直に答えると?」


 クリスティはにっこりと微笑んでみせた。


「ウィリアムをいじめるのは、とっても愉快! 私、彼の全財産を没収し、泣かせてやるつもりなの!」


 うふふふふ~、と笑うと、シディもえへへへへ~、と笑い返して来る。このドス黒いオーラに当てられたのか、近くの歩道で羽を休めていたハトが、バササササ~とすごい勢いで飛び去って行った。


 しばし温かいお茶を楽しんだあと、頃合いを見て、クリスティは本題に入ることにした。


「ねぇ、前にあなたが揉めていた黒髪のメイドがいたじゃない? 彼女とはどういう関係?」


 この問いはシディの意表を突いたようだ。肝の据わったはずのシディが一瞬真顔になり、対面のクリスティをじっと見つめ返してきた。


 シディは黙ったままお茶を一口飲み、カップをソーサーに戻した。


「……もしかして何かされた?」


「夜会でドレスを切られた」


「え。大丈夫?」


 シディは目を丸くしている。意外にも本気で心配してくれているようだ。


「ドレスだけよ。その時彼女、私のことを『嫌な女』って言っていたの。なんでかしらね? 理由がちっとも分からないわ」


「あなた、初対面で彼女の鼻にパンチを叩き込んだでしょ。覚えていないの?」


「でもあれ、正当防衛だからぁ」


「いえ、やられたのは私で、あなたは違うでしょ。――先手必勝、過剰防衛、という感じだったけれど」


 クリスティはシディの指摘を無視して、頬に手を当て、ふぅ、とため息を吐いた。


「とにかく、美人って妬まれて大変なのよ。私って可哀想~。普通にしていても、どうしても目立っちゃうものだから、仕方ないのよね。――あのメイドはあなたを憎んでいたけれど、ターゲットがこちらに移ったということかしら? それはそれで別にいいのだけれど、ちゃんと知っておきたくて」


 シディは頭が痛いというようにうなだれ、手のひらで額を覆ってしまった。


「……もう、なんなのよ、カーラ……あのヒステリー女! 畜生!」


 かなり参っているようね、とクリスティは思った。


 シディは少したってから顔を上げた。落ち着きを取り戻してはいたが、なんだか疲れたような顔付きだった。


「あの子はカーラ・ミルズといって、私の友達だったの。男爵家の令嬢で、今は没落しかけている」


「男爵家で没落って、上がって、下がってと大忙しね」


 当国では、男爵は全て一代貴族となっており、目立つ活躍をした者に叙される仕組みである。つまりカーラの父君はイケイケの時期に爵位を得て、その後、真っ逆さまに落ちたわけだ。なんというか、アップダウンが凄い。


 そういった生活環境の激しい変化は、子供の精神状態にも大きな影響を与えそうである。――カーラのあのうず高い自尊心と、異常なほどに脆そうなところは、見ていて不安になるくらいだった。彼女がああなってしまったのは、家庭に問題があったのだろうか。


「カーラの家がまずくなり始めた時に、私、彼女をメイドとして雇ったの。当家で行儀見習いも兼ねて勤めた経験があれば、良い縁組も望めるんじゃないかと思って。――でも浅はかだった。友達を雇うべきじゃなかったわ」


「裏切られた?」


「彼女はちゃんと線引きできない人だった」シディの声音は消え入りそうだった。「私のものを盗んだり、立場をわきまえない言動を繰り返したり、色々と問題を起こしたの。決定的だったのは、カーラが兄のウィリアムに恋をしたこと。彼女はウィリアムと結婚できるのだと勝手に思い込んで、兄に付き纏い始めた」


「ウィリアムはなんて?」


「迷惑していたと思う。だけど私の友達だから、最初は我慢してくれていた。それで私、これじゃだめだと思って、彼女をクビにしたの」


「抵抗したでしょう?」


「そりゃあもう」


 シディは肩を竦めるようにして、ぐったりと椅子の背にもたれかかった。少しやけっぱちというか、物悲しく、うんざりしているような気配だった。


「とんでもなく憎まれたわ。でも私を憎むことで、ウィリアムへの執着が薄らいだように感じられたから、その点は良かったと思っていた。……でもやっぱり、カーラはウィリアムをまだ好いているんだわ。あなたに付き纏い始めたってことは、つまりはそういうことよ」


 クリスティにはいまいち理解できない。


「だけど現実味を欠いていないかしら? ウィリアムが結婚する前に、カーラはもっと頑張るべきだった。今更遅いわよ」


「ウィリアムの婚約が決まる直前にうちをクビになったものだから、それどころじゃなかったんでしょうね。なんとかツテを頼って、王宮の侍女になれたみたいだけれど、下働きの立場だから、ウィリアムの婚約話は耳に入ってこなかったのかも」


「邪魔する間もなく、結婚話が進んでしまったわけね」


 なるほどね。いっそ結婚前にグイグイ来てくれれば、リン・ミッチャムともども地獄に送ってやったのに、残念……とクリスティは思った。今はもう人妻になってしまったから、あの頃のハングリー精神はなくなってしまったわぁ。


「兄が結婚しても諦めていないあたりが、あの子らしいわ」


「しつこい性分なのね」


「スッポンみたいな子なの。一度食いついたら、雷が鳴らないと離さないかもね」


 クリスティは興味が湧いてきた。それだけへこたれないのなら、こちらが本気を出しても耐え抜きそうな逸材だわ、ぞくぞくしちゃうわと、マッドサイエンティストのようなことを考えていた。


 ところがシディはもう、カーラに振り回されるのはうんざりの様子である。


「あの子は現実を捻じ曲げて、自分に都合が良いように解釈する癖があるのよ。自分が救世主にでもなった気でいるのね、きっと。――ウィリアムが望まぬ結婚をさせられたと考えていて、苦難から救ってあげるつもりなんだわ」


「ふーん……」


 カーラ・ミルズが救世主かどうかはさておき、考え自体は、そう間違ってもいないような気もする。確かにウィリアムは望まぬ結婚を強いられた立場だし、今なお苦難の真っただ中にいるわけだから。


「――クリスティさん、感心してる場合じゃないわよ」


「なんで? 私、関係ないわ」


「関係ないこと、ないでしょ」


「知っていると思うけれど、私たち夫婦は今、結婚カウンセラーのお世話になっているのよ」


「そうだったわね。それで、見通しは?」


「夫婦の未来はお先真っ暗ね!」クリスティはあっけらかんと言い放つ。「でも私にとっては悪くない展開よ。――ウィリアムが私と離婚する時、彼は一文無しになっているかもしれないから、カーラはがっかりするかも」


「そんなことを言わずに、継続の方向で頑張ってよ」


「でも私、浮気男は嫌いだし」


 クリスティがそう言ってやると、シディは複雑な形に眉根を寄せ、口元を押さえてしまった。


「……なるほど、クリスティさんから見ると、そうなるのか……。リンは違うのに。それもこれも、あの忌々しい秘密保持契約のせい……」


 彼女の呟きは小さすぎて、クリスティには聞き取れなかった。しかしまぁ、どうでもいいといえば、どうでもいい。


「ねぇシディ。カーラとは私が話をつけましょうか? ――無一文になったウィリアムでも愛せるならば、喜んであなたにくれてやるわよ、と言ってみる」


「やめてちょうだい」


「どうして?」


「そんなことしたら、あなた、カーラに殺されるわよ。――死別なら、財産を失うことなく、再婚できるとカーラは考えるはずだから」


 ありえないわ! と思ったので、クリスティはぷぷ、と吹き出してしまった。


「やだぁもう、笑っちゃう! あの三下(さんした)風情が、私を殺せるわけないじゃない?」


「何その自信……でも『そりゃそうだな』と、この上なく納得させられてしまうのが、なんとも不思議よ」


「あなたはカーラと友達だから、ここまでズルズル来てしまったんでしょう? あなたが本気を出していれば、もっと上手く抑え込めていたはずよね」


 シディはぐうの音も出なかった。クリスティの言うとおりだと思ったからだ。


「――ねぇクリスティさん。この件は私が決着を着けるわ」


「できるの?」


「かつては友達だったんだもの。カーラにトドメを刺すのは、私であるべきよ」


 確かにそうねとクリスティも納得できた。それでトドメを刺す権利を譲ることにした。


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