第17話 失礼しちゃうわ!


 クォーリア侯爵邸に到着すると、ウィリアムは、


「僕はクライヴ氏と話すことがある」


 と告げて、出迎えてくれた兄に、そのままついて行こうとした。


 クリスティはこの行動を、『ドキドキし過ぎて、すぐにリン・ミッチャムに会うのは無理なのねぇ。不憫』と解釈した。


 それでまた生温い視線を夫に向け、ハンカチを取り出して別れの挨拶として振ってやったのだが、なぜかウィリアムがこちらを射殺しそうな瞳で流し見てきたので、釈然としない気分だった。


 ……なーによ、カリカリしちゃってさ。


 クライヴはクライヴで、久しぶりに可愛い妹に会えたというのに、こちらを毛虫でも見るような目つきで眺め、


「……人妻になっても、やはりじゃじゃ馬ぶりは直らんか……」


 と呟きを漏らしていた。


 二人が書斎に消えて行ったので、クリスティはスキップして客間に向かった。『お楽しみはこれから』――なウキウキモードだった。


 リン・ミッチャムは婚約が決まってから、クォーリア侯爵邸に住み込んでいるらしく、クリスティの事前調査によると、この時間は客間にてマナー研修を受けているはずなのである。


 部屋に入って行くと、リンがテーブルに向かって着席しているのが見えた。講師役の女性に目配せして退室してもらい、クリスティはリンのもとに向かった。


「――ごきげんよう、リン・ミッチャム子爵令嬢」


 リンは体を強張らせ、警戒したような視線をこちらに向けて来た。しかし互いの視線が絡んだ途端、気弱になってしまったのか、菫色の瞳が泳ぎ、庇護してくれる者を求めるように揺れた。――しかしここにリンの婚約者であるクライヴ・クォーリアはいない。リンは一人だった。


 こうして見ると、菫色の瞳はリンのチャームポイントでもあるけれど、ウィークポイントでもあるように感じられた。とびきり美しいのに、リンにはどこか欠けた部分があり、それが悪いものを引き寄せてしまいそうに思えたのだ。


「おーい、もしもーし」


 クリスティは眉根を寄せ、小首を傾げてしまった。――呆れたことに、リンは挨拶すら返して来ない。口元を引き締め、怯えた小動物のように、部屋のあちこちを窺っている。リンが小さな頭でアレコレと考えを巡らせているのが、クリスティには分かった。


 そのかたくなな態度に、かえってクリスティは毒気を抜かれてしまった。


「……取って食いやしないわよ、馬鹿ね」


「今日はぁ、なんで?」


 諦めがついたらしく、リンが肩を落として尋ねてきた。――やはり言葉に外国訛りがあるわ、とクリスティは思った。


「これからウィリアムと会えるのよ、嬉しいでしょう?」


「……あなたのほうがぁ、嬉しそう」


 リンは顰めツラになっている。……何よ、段々地が出て来たじゃない? クリスティは少々呆れてしまい、リンの白い頬をツンツンと指で突いてやった。


「ちょっ……止めてぇ!」


 リンがのけ反る。こうしてびっくり仰天という顔をすると、さらに幼さが強調されるように思えた。


 これが二十五の兄と結婚するっていうんだから、ちょっと犯罪じみていないかしら? 十九のウィリアムが相手でもギリギリな感じがするのに、クライヴは落ち着き過ぎているから、組み合わせ的に『ナシ』な気がする。たぶん二人が並んでいると、クライヴがエロオヤジにしか見えないんじゃない?


「うりうり」


「もう!」


 あまりに抵抗するので、ヘッドロックして鼻を摘まんだり、耳たぶを引っ張ったりしていたら、最初は『イーッ』といっちょ前に抵抗していたくせに、途中からくたりと力が抜けてしまった。


 お人形のように喋らなくなり、従順に、されるがままになっている。なんなら自分のほうからクリスティの豊満な胸に顔を埋めて、じっと固まっているのだった。


「はぁ、おっぱいでかくて邪魔だわぁ」とクリスティ。「体を絞って鍛えても、ここだけ肉が減らないの。すっごく肩が凝るのよ。走ると跳ねるしさ。あなたに半分くれてやりたいくらいよ」


「…………」


「無視か。なんか言いなさいよ、リン・ミッチャム」


「…………」


 ちょっとこの子、おねむじゃないでしょうね? 顔を覗きおろしてみると、一応目は開いていた。ビー玉みたいな目をして、感情のスイッチが切れてしまっているみたいに見えるのだけれど、生きてはいるようだ。


 クリスティはリンの頭部を抱えながら、彼女をいじくっていたのだが、反応がないのでつまらなくなり、ぼんやりと考えごとを始めた。


「……あなたって、実は隣国の出身なんじゃない?」質問の形を取ってはいたものの、ほぼ独り言だった。「訛りを聞いてそう思ったの。それでもし……もしもリンが隣国にツテがあるのなら、お願いを聞いてくれたら……私、とても感謝するわ」


「お願いって……何」


 反応があった。クリスティは『おや』と思い、リンの顔を覗き込みながら答えた。


「私の祖父が『ソーン病』にかかっているようなの。隣国の王室には、その特効薬が保管されているんですって。私、なんとしてもそれが欲しいの」


「クリスティは……おじいちゃん子なの?」


「そうよ。それが何?」


「意外」


 リンはクリスティの胸に顔を埋めているので、台詞がこもって聞こえた。


「そうよねぇ。美人って冷たく見えちゃうのよね。それが悩み」


 悩んでもいないくせに、クリスティはふぅとため息を吐く。


「そ、そうは言ってぇない」


「え、じゃあ、美人で優しく見えるって? やだぁ、やっぱり、そう?」


「それはもっと言ってぇない」


 てなことをやり取りしていたら、扉が開いて、ウィリアムが部屋に入って来た。


 リンを可愛がっている(?)クリスティを見て、彼が驚愕の表情を浮かべる。


「あー!!!!」


 いきなり大声で叫んだので、クリスティは夫がとうとうイカレてしまったのかと訝しんだ。


「ちょっとあなた、大丈夫?」


「おい、何をしているんだ!」


「何って、リンをちょっとからかって――」


「離れろ!」


「はぁ?」


「いいから、離れろ!」


 ウィリアムがズカズカ突き進んで来たので、クリスティは『この男まさか、私を打ち倒すつもりかしら?』という恐れを抱いた。それでリンを放し、ウィリアムのほうに体を向け、衝撃に備えた。だって斜め横を向いている状態でタックルされたら、ひとたまりもないものね!


 しかしウィリアムはここで予想外の行動に出た。――なんとクリスティの体を縦抱きにしてしまったのである。


 足早に近寄って来た彼が軽く膝を折り、目の前でかがんだ……と思ったら、クリスティは太腿の裏と腰に手を当てられ、ひょいと担ぎ上げられていた。


「きゃあ! 何するのよ」


 彼の肩に手を突っ張って抵抗するのだが、断固下ろすつもりはないらしい。


「うるさい、黙っていろ」


「なんなのよ、その『俺に従え』モード! 言っとくけど、そういうの時代遅れだからね!」


「――口を閉じていないと舌を噛むぞ」


 彼が歩き始めた。――リン・ミッチャムには見向きもせずに、だ!


「やぁん、もう、動かないでよ! 私のお尻に触らないで!」


 クリスティは赤面し、悪態をついた。拳を握って、ドン、ドン、と彼の肩を叩くが、やはり下ろしてはくれない。


 クリスティはそのまま、廊下を横切り、玄関ホールから出て、ウィンタース家の馬車に乗せられてしまった。対面の席には、顰めツラの夫。


 ……どうなっているの……?


 クリスティはむぅと頬を膨らませ、拗ねたように視線を窓の外に向けた。


 『人を荷物みたいに運ぶなんて、失礼しちゃうわ!』と思いながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る