第14話 ウィリアムの事情②


「……それで、リン・ミッチャムの婚約者役は誰が務めるのですか?」


 菫姫が十七になり、自国に戻れば、当然婚約は解消されることになる。しかし貴族社会全体に、あとで裏事情は周知されるから、国のため尽くしたとして、その者は賞賛される。そのため婚約解消そのものは痛手にならない。


 あるいは――婚約解消しないという可能性もあるかもしれない。菫姫との絆が深まれば、一年後、彼女と一緒に隣国に渡り、いつかは王配となる未来もありえるのかも。


「適任者がいないんだ」ここでジェラルド殿下は、困り果てているというように椅子の背に体を預けた。「俺はもう結婚しているしなぁ……」


「そうですね」


「菫姫は大層美しいらしいぞ」


「それなら喜んで婚約者になりたいという者はいそうですが」


 ウィリアムはこの時、すっかり他人事として話を聞いていた。――協力するといっても、自分ができることは、警護くらいだろうか、と。


 だって彼は先日、クリスティ・クォーリアと婚約したばかりだったから。


「ハモンド卿からは、相手役の男は見目麗しく、社交界で大勢の女性から熱い視線を向けられているような、とっておきの優良株から選べと言われている」


「ふぅん……たとえば?」


「たとえばそれは、ウィリアム・ウィンタース」


「……は?」


「ウィリアム・ウィンタース――つまりお前だ」


 ウィリアムは探偵から『犯人はお前だ!』と突然指差された容疑者の気分を味わっていた。ぎょっとし過ぎて、言葉もない。


 ウィリアムが黙ったままでいると、ジェラルド殿下も黙ったままこちらを見つめて来る。ウィリアムは冷や汗が出てきた。


「……いやいやいやいや」


「いやいやいやいや、じゃないんだ。冗談や仮定の話ではないのだよ、ウィリアム」


「あのですね、お忘れのようですが、私にはクリスティ・クォーリアという婚約者がいるのですよ」


「だけどクリスティ嬢は、相手をダーツで決めたんだろう?」


「なぜそれを」


 ウィリアムは驚いてしまった。彼はそのことを口外していなかったからだ。


 クリスティとは伴侶になるので、彼女のちょっとアレな逸話を吹聴するのは、自分の得にならないし、彼女に対しても不誠実な気がして、誰にも言えずにいたのに……。


「クライヴ・クォーリアから聞いた。彼はクリスティの兄だから」


「ああ……」


 ウィリアムは呻き声を漏らす。クライヴは少し迂闊なのではないか、と思った。殿下に話すこと、ないだろうに。


「クライヴは『妹を切ってくれ』と言っている」


「なんだって?」


 ウィリアムの言葉遣いが乱れた。


「彼は妹の我儘にほとほとうんざりしているんだ。――婚約破棄は良い薬になるから、バッサリやっちゃってくれ、だそうだ」


「……えー、何それ……」


「バッサリやっちゃおう、ウィリアム。一年後、事情が周知されれば、クリスティの評判も回復する。――婚約破棄された件は、国益のための犠牲で、捨てられた訳ではなかったのだな、と」


「嫌ですよ。クリスティが可哀想だ」


 今日までに、ウィリアムはクリスティの身辺調査を済ませていた。その結果、噂にあった男遊びについては疑いが晴れていたものだから、彼女が我儘というだけで一方的に婚約破棄するのは、なんだか気の毒に思えた。彼女はただ下町で腹違いの兄と会っていただけだったのだ。


「え、何? もしかしてウィリアム――クリスティが好きなのか?」


 ジェラルド殿下が身を乗り出して来たので、ウィリアムは苛ついてしまった。


 ――好きってほど、彼女のことを知らんわ、とまず初めに思った。なんせ一度会ったきりの相手だ。安い花束を持って、ウィリアムは彼女の家に乗り込んだ、ただそれだけ。


 それで、よく知りもしない相手のことで、なんでこんなに心乱されているんだ? とも思った。馬鹿げていないか? しっかりしろ。


「婚約した相手に、そんなことをしたくないです。男として間違っている。――先程協力しますと言いましたが、別の形で務めを果たします」


「なぁウィリアムぅ……困っているんだよぉ……」


「無理」


「頼むよぉ……」


「だめ」


「じゃあさ、打診なら? 婚約解消できないか、クォーリア侯爵家に打診してみてくれ。円満解消という形ならいいだろう? どうせ相手のクリスティ嬢はダーツでお前を選んだんだ。九分の一の男、それがお前だ。それ以上でも、以下でもない。あっさり了承するさ」


 ウィリアムはこれにもまた不可思議な苛立ちを覚えることとなった。――あっさり了承するって、なんだよ、と。


 どうせダーツで選ばれた男……まさかこれ、一生言われるのか?


 殿下からものすごく頼み込まれて、クリスティとはまだ関係も深まっていなかったこともあり、ウィリアムはこれを受け入れた。『どうせダーツで選ばれた男だしな!』――彼がそう思ったことも、ジェラルド殿下の頼みを聞くことになった理由の一つであったかもしれない。


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