第13話 ウィリアムの事情①
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――怒(いか)るなかれ。停滞しているように感じられても、時は流れている。
今日の重大事は、明日になれば、なんてことないものに変化している。そして今日には想像すらしていなかった困難が、明日になるとやって来るのだ。
稀代(きだい)のアバズレ女こと、リン・ミッチャムが、兄クライヴの婚約者になったと聞かされた時、私は世の無常を嘆いた。
あんなにウィリアムに夢中だったくせに、彼が結婚してしまったからと、もう次に乗り換えるとは!
最近の若いもんは……十八歳の私は、しみじみとそんなことを思った。
これまで品行方正に、異様なほどに自らを律してきた堅物男こと、クライヴ・クォーリアは、二十五歳を過ぎた今になって、地獄に片足を突っ込んでみることにしたらしい。
――なんと勇敢で、愚かな青年なのだろう!
彼がどんな茨道を進むつもりなのか、私は興味津々だった。……せめて骨は拾ってやろう。なんせ自分は彼の肉親、クライヴの可愛い妹なのだから……。
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――さて、時計の針は少し巻き戻り、クリスティがまだウィリアムと籍を入れておらず、婚約破棄騒動すら起こされていない頃のこと。これはクリスティも把握していない、秘められた出来事である。
***
ジェラルド殿下は隣国の王女である『菫姫』の受け入れ先を探していた。
「王女は幼い頃に隣国を出て、遠い異国の地で長いこと暮らして来た。そのため隣国内に、彼女の姿を知る者はほぼ存在しない。――美しい菫色の瞳を持つことから、通称『菫姫』と呼ばれている」
ジェラルド殿下の執務机を挟み、側近のウィリアム・ウィンタースは静かに佇んでいた。
殿下はウィリアムの端正な面差しを眺めながら、説明を続けた。
「一年後、王女が十七の誕生日を迎えるということで、そろそろ隣国に戻ろうかとなったらしいのだが……ご存知の通り、情勢が不安定で、危険がある。彼女の父君である現国王は存命だが、病弱で頼りにならない。そこで私が手助けすることになった」
「具体的には?」とウィリアムが尋ねる。
「十七の誕生日まで、王女の安全を保障する。彼女は十七で莫大な信託財産を自由に動かせるようになるから、それまで面倒を見てやれば、任務完了だ」
「それだけ?」
「そうだ。――正直なところ、そこまでやってやるだけでも感謝して欲しい。うちは隣国にそこまでの借りはないのだから」
「とはいえ」ウィリアムは微かに眉根を寄せていた。「これまで上手く国外に潜伏していたなら、現状維持すればよいだけでは? 当国が介入すると、変に目を引くだけのような気もしますが」
あと一年――なぜそれが継続できない。ウィリアムには理解できなかった。
しかし込み入った裏事情があるようで……。
「この筋書きを描いたのは、ハモンド卿なんだよ、ウィリアム。――ハモンド卿だ。この仕事を見事やり遂げてみせれば、彼に恩を売れるぞ」
ウィリアムはハモンド卿の名前を聞いて、気が引き締まる思いだった。――とんでもない大物が乗り出して来たものだ。ハモンド卿といえば、当国の貴族社会を裏で牛耳っている重要人物ではないか。
「……ハモンド卿の望みは?」
「隣国との国交回復。彼は菫姫を足がかかりにするつもりだ」
「歴史が変わりますね」
「そうだ。そして変わるのは隣国との関係ばかりではない」
「どういうことですか?」
「ハモンド卿が、チャリス教皇を排除してくれるそうだ。――我々が上手くやってのければ、ご褒美として」
今度こそウィリアムは虚を衝かれた。
チャリス教皇の暴走は目に余るものがある。彼は独裁的に、不貞をしたバーリング子爵夫人を断罪した。そして同性愛者に対しても厳しい姿勢を取り続けている。
しかしチャリス教皇には強力な後ろ盾があり、また、バーリング子爵夫人を絞首台に送ったことで、『貴族にも臆さず正義を行った』と庶民から絶大な支持を得ている。そのため王室も迂闊に手を出せないでいたのだ。チャリス教皇の存在は非常に厄介だった。
ウィリアムは先の話を、言葉に出して整理してみた。
「菫姫を十七まで、たった一年かくまってやれば、ハモンド卿に恩を売れる。そして隣国との国交も回復。――かの国は医療が発達していますから、様々な薬を輸入することができる。多くの命が救われることでしょう。さらには、非人道的な行為を繰り返しているチャリス教皇も排除することができる」
「いいこと尽くめだろう?」
はっきりしていることは、この話は断れないということだ。ウィリアムは覚悟を決めた。
「分かりました。なんでもおっしゃってください。ご協力します」
「そう言ってくれると思っていたよ」
「かくまうというのは、どこかに隔離して、厳重に警護をつけるということですか?」
「いいや。ハモンド卿はそれを望んでいない」
「では――」
「卿は、ミッチャム子爵に、すでに協力を取り付けている。表向きのストーリーはこんな具合だ――大昔に出奔したミッチャム子爵の末娘が、下町で暮らし、子供を産み落とした。その子を、ミッチャム子爵が養子として迎え入れた。そして彼女は前途有望な貴族子息の婚約者になる」
「なぜそんなことを?」
「謎めいた菫色の瞳を持つ美女が、突如社交界に姿を現したら、人目を引くと思わないか? 皆が正体を知りたがる。ハモンド卿は『リン・ミッチャム』をとにかく目立たせたいのさ。だから婚約相手も、華やかな男でなければならない。二人が噂の的になるように。――そうすれば隣国から、彼女目当てに、お客さんがやって来る」
「反乱分子を炙り出すつもりですね」
「手間暇かけて陰謀を暴かなくても、向こうから殺しに来てくれれば、話が簡単に済む」
なんという、無茶苦茶な……。ウィリアムは気が遠くなってきたものの、絶大な権力を持つハモンド卿が描いた筋書きに、文句をつけられるはずもないのだった。
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