第9話 捻り殺してやる


「――あなた、訛(なま)りがあるのね。下町訛りとも違う。外国訛りね」


 単語の終わりが不自然に伸びるのは、西側の国に住む人が、こちらの言語を話した時にしばしば起こる現象だ。クリスティが指摘すると、ウィリアムの顔付きが苦いものになる。


「彼女の訛りのことは言わないで欲しい」


「なぜ?」


「意地悪だろう」


 驚いた。――クリスティの先の言葉が意地悪になるのだとしたら、彼が今していることはなんだというのだろう? 婚約者との晩餐に、彼は愛人を同席させているのだ。


「事実は事実よ。意地悪ではない。――リンは庶民の出で、ミッチャム子爵の養子になったばかり。だから貴族社会で生き抜いていくには、まだ色々と足りていない。それは事実でしょう」


 リンの出自はあまりに謎めいている。――大昔に出奔したミッチャム子爵の末娘が、下町で暮らし、子供を産み落とした。その子、リンを、ミッチャム子爵が養子として迎え入れたというストーリーになっているようだが、本当だろうか。


「君の『足りない』という表現は、庶民出の彼女を下に見ているように感じられるが」


「私はね」クリスティは気分を害していた。「その子がテーブルマナーを知らなかろうが、言葉に外国訛りがあろうが、なんとも思っていない。嘲笑って、馬鹿にするつもりもない。――だけど彼女のことは、心の底から軽蔑している。この場に同席するなんて、恥知らずな娘だわ」


「言い過ぎだ」


「あなたも恥知らずよ。私が親ならば、あなたの横っ面を引っ叩いているところよ」


 ウィリアムは真っ直ぐにこちらを見据えてきた。彼もまたクリスティに腹を立てているようだった。


「――君がお説教するのか? まさか、君が!」


「しちゃいけない?」


「妹のことで僕を脅したくせに、そんなことを言えた義理じゃない」


「確かにシディの件であなたを脅したわ」


「気安く妹の名を呼ぶな」


「落ち着きなさいよ。あなたちょっと――リンの前で妹の件を持ち出すなんて、軽率なんじゃない?」


 心配してやる義理もなかったが、シディの男遊びの件は、かなりセンシティブな話題である。リン・ミッチャムに聞かせるべきではないとクリスティは思った。


 今は可愛いガールフレンドだとしても、別れたあとに、とんでもない弱みを掴まれてしまうことになる。


「彼女は知っている」


「なんですって?」


 クリスティは呆れ返ってしまった。もしかすると自分はウィリアムのことを買いかぶっていたのだろうか? 恋にのめり込んでいる最中でも、最低限のラインは守れる人だと思っていた。実は彼――当代一の大間抜けかもしれないわ。


「僕のほうはリンに聞かれてまずい話はない。でも君はどうかな」


「私には恥ずべき点など何一つないけれど」


「そうかな。――君の兄の件も?」


「クライヴが何?」


「クライヴ氏のことではないよ。下町にいる、君の腹違いの兄君のことを言っている」


 これにクリスティは完全に不意を突かれた。一瞬、動きが止まる。


 しかしウィリアムは容赦がなかった。


「彼――コリンの恋愛対象は、女性だったかな? いや、どうやら違いそうだ。これはなかなかに興味深い話だ。チャリス教皇はこの手のことにシビアだぞ」


 チャリス教皇は不貞の件でバーリング子爵夫人を断罪した。そして教皇は、同性愛についても同様に問題視している。


 コリンの存在はクォーリア侯爵家にとっては二重の意味で危険だった。彼はクォーリア侯爵の不貞の結果生まれた子供であるし、その上、同性愛者なのだ。


 クリスティは激高した。テーブル上の肉切ナイフを手に取り、腕をしならせて投げる。――それは矢のように飛び、彼の皿の上のステーキに突き刺さった。ビィン……と余韻で突き立ったナイフの柄が揺れる。


 クリスティは膝の上に置いていたナプキンを手に取り、それを床に叩きつけた。


 席を立ち、高みからウィリアムを睨み据える。殺気を放ったクリスティの面差しは野性の狼のように獰猛で、それでいてぞっとするほど美しかった。


「彼は私の大切な兄よ。下町で暮らしていようが、認知されていない存在だろうが、どちらの性別を愛していようが関係ない。あなたにつべこべ言われる筋合いはないの。――今度、コリンのことを口にしてごらんなさい。捻り殺してやるから。生まれて来たことを後悔させてやる。――そこのアンポンタンな女にも、よく言い聞かせておくことね。彼の秘密が外部に漏れるようなことがあったなら、お前たちは地獄を見ることになる」


 クリスティはドレスの裾を捌き、背筋を伸ばしてその場をあとにした。


 歩きながら彼女は微かに瞳を揺らし、一瞬、『参った』というように眉尻を下げていた。けれどその顔を見た者は誰もいなかった。


 私……たぶん彼と結婚すべきじゃないわ……クリスティは珍しく気弱になり、泣きたいような心地になっていた。


 ――一方、散々な晩餐の席に取り残された形のウィリアムは、一気に脱力していた。傍らの席にいたリンがそっと彼に尋ねる。


「……いいの? 彼女はあまりにも……無礼」


「今のは完全に僕が悪い」


 ウィリアムはテーブルに肘を突き、両手で顔を覆ってしまった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る