第7話 小悪魔シディちゃん
「ウィリアムの妹、シディ――お礼は結構よ」
シディはすでに立ち上がっていて、お尻についた芝生を手でパタパタと払い落としている。表情も落ち着きを取り戻しているし、元気そうだ。
クリスティがそのまま気分良く去ろうとしたら、ぐいー、と手を引っ張られ、よろける。
「――ちょっと、お行儀が悪いわよ、シディちゃん」
未来の義姉として、ちょっとお茶目に注意しておく。人を急に引っ張ったらだめじゃないの――人を急に殴れてしまうメンタルの女が、いけしゃあしゃあとそんなことを考えているという、矛盾。なんというか、闇が深い。
「私、あなたのこと知っているわよ。クリスティさん」
シディはクリスティの腕に自身の腕を絡ませ、にっこりと微笑みを浮かべる。
これを間近で眺めたクリスティは、『兄妹とはいえ、ウィリアムとはあまり似ていないのね』と思った。
シディ・ウィンタースの笑みはチャーミングではあったけれど、なんとも腹黒そうに感じられたからだ。ウィリアムのほうがずっと正直で真っ直ぐだ。彼は面白くなければ、ちっとも笑わない。つまりクリスティと一緒に居る彼は、ちっとも笑わないのだ。
ウィンタース家の兄妹二人は外見上もあまり似ていなかった。ウィリアムは金髪だが、シディは赤毛。顔立ちも、シディは完璧な美形というわけではなく、親近感を覚えるタイプだった。
目のあいだの間隔が少し広めなせいで、そう感じるのだろうか。なんともいえぬ愛嬌がある。――こういう顔立ちの子が目尻を下げて全力で笑うと、人一倍可愛げが出るから、得するタイプよね、とクリスティは思った。
「あなたが私を知っていても、何も不思議はないわね」
「そう?」とシディ。
「だって私って有名人だから。この美貌じゃ、騒がれないわけがない」
「美人だし、有名人だし、私の兄の婚約者――でしょう?」
「そうね」
「なんだか変よね。私たち、そのうちに家族になるっていうのに、ちゃんとした挨拶もしたことがないんだもの」
ふたたび、にっこり笑うシディ。パンケーキみたいにふわりと甘い雰囲気なのに、彼女がクリスティに絡めた腕は、蛇のような執拗さで巻きついてくる。
彼女が笑顔のまま続けた。
「――よくも私のことで、兄を脅してくれたわね」
クリスティは瞬きして彼女のブルーアイを見おろした。彼女の兄の瞳は、青に少し曇り空のような灰が混ざるが、シディのそれは晴れた日の空色だった。
二人はしばし視線を絡ませていた。
「……あなた、知っていたの」
「兄から聞いたわ」
「確かにそうよ。あなたのゴシップをチラつかせて、彼を脅した」
これについてクリスティは言い訳をするつもりはなかった。自分がしたことはフェアではなかったかもしれないが、とはいえ、ウィリアムがしたことだってなかなかのものだった。――お互い様でしょ、としか言いようがない。
シディもシディで脇が甘い。彼女は少し羽目を外した遊び方をしていた。下町の歓楽街で、男娼を買っていたようなのだ。
クリスティは婚約破棄を言い渡されたあの土壇場で、それをネタにしてウィリアムを脅した。――私を捨てるつもりなら、あなたの妹も地獄に道連れよ、と言って。
クリスティがこの件を騒ぎ立てれば、シディの未来は閉ざされる。まともな結婚はもう望めないし、貴族社会では白い目で見られ続けることだろう。
ウィリアムはたぶん、自身の保身については考えなかったのではないだろうか。確かにこの件が公になれば、シディの兄である彼もダメージを受ける。けれど彼は純粋に、妹のためだけを思って、あの時クリスティの前で膝を折ったのだ。
「面白いわ」
シディにそう言われ、クリスティは面食らってしまった。
「……私のこと、殴らないの?」
「あのねぇ。貴族の娘は、そう簡単に他人を殴ったりはしないのよ。はしたないわ」
「へぇ、それって初耳。勉強になるわぁ」
クリスティはおどけた様子でくるりと目を回してみせた。
シディは瞼を半分ほど落とし、顎を微かに上げ、こちらを値踏みするような小生意気な顔で流し見てくる。
「私ね、あなたに仕返ししてやるつもりだったの。――でもやめておく」
「なぜ?」
「だってクリスティさんは、兄との喧嘩で手一杯でしょう? そちらの決着がついてから、私も対応を考えるわ」
そんなわけで、二人は特に殴り合うこともなく、穏やかに(?)この日は別れた。
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