第6話 クリスティの最低な悪事
クリスティはこのところ結婚の準備で大忙しであったのだが、兄のクライヴにちょっかいをかけることは彼女の日課になっていたので、スケジュールの合間を縫って王宮にやって来た。
クライヴがこちらを眺める時の、あの毛虫でも前にしたかのような目付きといったら、もうぞくぞくしちゃうわね、とクリスティは笑みを浮かべる。
回廊を進んでいると、前方で諍いの気配があった。――若い女性二人だ。一人はメイド服姿で、もう一人は趣味の良いドレスを身に纏った、赤毛の少女。
「おやまぁ」
クリスティはこの遭遇に感心してしまった。……ダーリンとはとことん縁があるのかもしれないわ、と思ったからだ。
前方で喧嘩をしている赤毛の少女は、クリスティの見間違いでなければ、ウィリアムの妹のようである。名前はシディといったか。
クリスティは持ち前の図々しさで、堂々と渦中に踏み込んで行った。
「――おやめなさいな、騒がしい」
そう告げると、驚いたことに、メイド服の女がすさまじい形相で睨んできた。
「関係ないでしょ! 引っ込んでいなさいよ!」
やだもう、三流感丸出しの台詞ぅ……クリスティは腕組みし、鼻で笑ってやった。
「ねぇ、嘘でしょう? まさか今のって、私に言ったの? お前は、どこの野良猫?」
「なんですって、この――」
「あ、今のは猫ちゃんに失礼だったわね。言い直すわ。――お前、どこのドブネズミなの?」
一気に比喩のグレードが下がったもので、聞いていたシディがぷぷ、と吹き出す。
メイドはシディのことを憎みきっているらしく、彼女に笑われたことで、一気に限界を超えたようだ。
「――――! ――――‼ ――――‼」
何て言っているのかよく分からないが、罵声が止まらない。怒涛の勢い。まるで金管楽器を無茶苦茶に吹き鳴らしているかのよう。
このまま続けたら、もしかして地獄の扉が開いちゃうんじゃない? とクリスティは本格的に心配になってきた。なんかもう、サタンが『うるせぇなぁ』とか言いながら、地上の騒がしさに心惹かれて、下から出て来ちゃうかも……。
メイドは烏の羽のような黒髪に、灰色の目を持つ娘だった。顔のパーツのどこもかしこも尖っているので、神経質な印象を受ける。彼女は左右の瞳の大きさが違う雌雄眼(しゆうがん)で、おそらくそのアンバランスさが独特の魅力になっていると思うのだけれど、怒り狂っているとその歪(いびつ)さが強調され過ぎる。
メイドは怒鳴りながら眼球を揺らし、細い顎をブルブルと震わせていた。
「興奮するのはやめて、そろそろ落ち着きなさい」
「――――! ――――‼ ――――‼」
「あのね、あなた」
「――――! ――――‼ ――――‼」
「ちょっと」
クリスティが彼女の肩に手を触れると、それを勢いよく払われてしまった。結構痛い。痣になるかもしれない。
シディが横から「いい加減にして!」と注意をすると、メイドは鬼の形相で彼女の胸を突いた。シディは「きゃあ!」と叫びながら吹っ飛ばされる。
クリスティが左下に視線を転じると、シディは仰向けに倒れ、びっくりした顔をしていた。ここまでの暴力を振るわれるとは思っていなかった様子だ。
シディの体はほぼ屋外に出てしまっていた。ここは吹き放しの柱廊になっているので、壁がないために、そのまま突き出されてしまった形である。柱廊の外側には、瑞々しい芝生が敷き詰めてあったので、幸いにも怪我はしていないようだった。
メイドがさらに肩を怒らせて、倒れているシディのほうに踏み出そうとしたので(踏み殺すつもりなのか?)、これはもう正当防衛よね、とクリスティは思った。
どのみち、そうだわ――権力者って、白を黒にもできるんだった。私が『正当防衛よ!』と叫べば、そうなるのよね――クリスティはこの時、気付きを得て、目が覚めたような心地になった。
だから彼女はすべきことをした。つまり、拳を握り、メイドの高い鼻に全力で叩き込んでやったのである。
クリスティは運動神経が尋常じゃなく良かったので、そのパンチには体重が乗り、すさまじい破壊力を伴って、メイドの顔面にめりこんだ。相手は踏ん張ることもできずに倒れ伏した。
クリスティは殴った瞬間、『人を殴ると、殴ったほうも痛いっていうけど、本当ね』と考えていた。確かに拳がちょっと痛い。だけど彼女はその感情を一切表に出さなかった。
冷ややかにメイドを見おろし、乱れた髪を背中に払いのける。
「感謝なさい。手加減してやったわ」
全力でやったくせに、なぜか『この程度か』と思われたくないクリスティの、謎の意地っ張りが炸裂。
メイドは鼻を押さえ、痙攣するように二、三度大きく背を震わせた。鼻の穴から鮮血が滴っている。
信じがたい、という顔で彼女がこちらを見上げてくるもので、クリスティは納得がいかなかった。……信じがたい気分なのは、こっちよ、と言いたい。
「ダッシュで去りなさい」
「……は……」
「五秒以内に去らねば、もう一発叩き込む。お前の自慢の鼻を、曲げてやるわよ」
クリスティの脅し文句は効果てきめんだった。メイドは腰を上げ、こちらに尻を向け、よろよろと逃げ出したのだ。
「勝った……!」
腕力で決着を着けるという、スマートさを欠いた残虐行為であったが、クリスティは満足気である。
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