第3話 結婚相手をダーツで決める女


 兄に逃げられたクリスティが『まったく落ち着きのないこと』と考えていると、執務室にメイドが入って来た。メイドとはいえ彼女は良家の息女であり、王宮へは行儀見習いのため通っている立場である。


「――あら、クリスティ、来ていたの」


 お仕着せを身に纏ったドロシーが声をかけてくる。二人は友達同士だった。


 ドロシーはクリスティが中に居たことに驚いたのか、扉をきちんと閉めずに、足早に近寄って来た。クリスティは口元をへの字にして、肩を竦めて見せた。


「話の途中で兄に逃げられてしまったわ。彼ってウナギみたいなところがあるのよね。捕まえたと思ったら、ニョロリと、どこかへ行っちゃうの」


「確かにね」ドロシーがからりと笑う。「で、何の用だったの?」


「早急に結婚したくなったものだから、兄に知人を紹介してもらおうと思ったのだけれど……」


「それは頼む相手を間違えたわね」


「そうね。私も今まさにそう思っていたところ」


「クォーリア侯爵家の権力を以てすれば、『私、あなたに決ーめた!』って誰かを指差せば、それでもう縁組成立よ」


 ドロシーのアドバイスは、クリスティからすると目から鱗だった。


「やだ、本当だわ! 私、紹介を受けて、了解を取ってから進めよう……だなんて、ちょっとお人好しが過ぎたみたい。私にはなんでも好きにできる権力があったのよね」


 クリスティの反省はどこか空恐ろしいというか、サイコパスが辿る思考回路そのものだった。そしてドロシーのほうも結構アレな人なので、価値観が正されることもなく、会話は進んでいった。


「誰か目をつけている子息はいないの?」


「その手のことに、あまり詳しくないのよ」


「じゃあ、私に任せてよ!」ドロシーの頼もしい台詞。「おススメの相手をすぐにピックアップできるわ。今ここで、九人は名前を挙げられる」


「じゃあ紙に書いて」


 クリスティは勝手に兄の机を物色し、紙と万年筆を探し出して、ドロシーに渡した。


 ドロシーはなぜか縦三マス、横三マスに区切るよう線を引き、紙を九分割してから、一マスに一名という具合に、サラサラと名前を記入していった。


「でーきた! 我ながら良いチョイスよ。誰を選んでも、外れなし」


「ありがとう、恩に着るわ。――ねぇ私、この九分割を見て、いいこと思い付いちゃった。これを壁に貼って、ダーツで結婚相手を決めようと思う」


「良いアイディアね。見物していい?」


 ドロシーもノリノリの様子である。――今、このイカレきった悪魔たちの手により、世にも憐れな生贄が選ばれようとしていた。


 クリスティは紙を壁に押し当て、それにナイフをガツッと刺して、壁面に固定してから、軽い足取りで距離を取った。大体、五メートルくらい離れる。


「そんなに離れて、的に当たるの?」


「任せて。私は生粋のハンターよ」


 なぜか自信満々のクリスティ。


 兄のクライヴは息抜きにダーツをするようで、この部屋にはそのための矢があったので、クリスティはその一本を手の中で揺らしながら、集中力を高めていった。


「さぁ、いくわよ!」


 クリスティが投げた矢は勢い良く飛び、マスの一つに突き刺さった。二人は慎重な足取りで的のほうに近寄って行き、矢が射抜いた名前を確認した。


 ――伯爵令息ウィリアム・ウィンタース――


「彼、何歳だっけ?」とクリスティ。


「確か、十九よ」


「私の一つ上だわ」


「ちょうどいいわね。年が近いから、きっと話も合うわよ、あなたたち」


 二人は顔を見合わせ、口角を上げていた。



***



 クライヴに用があって執務室を訪ねて来たウィリアム・ウィンタースは、この顛末の一部を目撃することとなった。


 扉が中途半端に開いていたので、ノックをして入ろうとしたところで、中から女性の話し声が漏れ聞こえて来たため、手を止める。


『これを壁に貼って、ダーツで結婚相手を決めようと思う』


 ウィリアムは耳を疑った。マナー違反であることは百も承知であったが、思わず気配を消して、室内を覗き見てしまう。


 中には二人の女性がいた。そのうちの一人は有名人だった。――この部屋のあるじであるクライヴ・クォーリアの妹である、クリスティ・クォーリア。


 彼女には数多の欠点があったが、それらを打ち消すくらいの強い輝きを放っていた。豪奢なダークブロンドに、世の不可思議さをぎゅっと閉じ込めたような、神秘的なヘーゼルの瞳。瞳孔の周囲は淡い茶で、その外側にグリーン、青、と複雑に色を変える瞳は、宝石を砕いて溶かしたかのように鮮烈だ。


 そして高貴であるのに、どこかキュートさのある面差し。長い手足。滑らかでしなやかな体つき。


 『見た目だけは完璧』――彼女はしばしば、そんなふうに評される。性格でげんなりさせても、それでいてなお容姿を褒められているわけだから、どれだけ彼女が非凡な存在であるか、分かろうというものである。


 しかしウィリアムは彼女が美人だからといって、ぽぅっと熱を上げるほど、おめでたくはなかった。


 ……あのイカレ女、ダーツで結婚相手を決めるつもりなのか……ウィリアムは頭が痛くなってきた。『的にされた子息は誠にお気の毒だな』と思いながら、彼はその場をあとにした。


 彼はまだ知らない――


 この時『お気の毒に』と憐れんだ相手が、まさか他ならぬ自分自身だったなんて。


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