6

「何でお前が? どうやって此処に? 一体何しに……」

「まぁ落ち着けよ」


 部屋は薄暗かった。

 橙に輝く豆電球の下。突然現れた兎子は、妖しげな笑みを浮かべたまま、布団の上で大きく伸びをして背筋を反らせた。セーラー服が肌蹴、兎のように真っ白な鎖骨が露わになる。羊は警戒して部屋に入ろうとしなかった。


「いつの間に島に来てたんだ?」

「『鬼門』が開いたからね」

「はぁ?」

「羊くんも知ってるだろう。『鬼門』がの通り道だってこと」

「…………」


 元々幽霊であった兎子はかつて、羊たちの通う高校の一角に鬼門が開いたのを良いことに、とある事件でやりたい放題していた(※この辺りは前作『一分間彼女』をご覧下さい)。羊が黙っていると、兎子はクスクスと笑った。


「それより殺人事件が起きたんだって?」

「え? ああ……うん」

「おりょうさんから聞いたよ。悪霊が島民を殺し回ってる、とか」

「……悪霊じゃない。犯人は由高教授だったんだ」

「ふぅん」


 興味があるんだかないんだか、兎子は欠伸を噛み殺しながら寝返りを打った。さらに彼女は他人の布団の上でポテチを広げ、ヒョイヒョイ口の中に放り込み始めた。当然わざとやっているのである。元幽霊のくせに、相変わらず精神攻撃の方法が実に地味だった。


 羊は諦めて深いため息をついた。地味でも、嫌なものは嫌なのだが、とはいえ『呪い殺す』とかじゃないだけ彼女(彼?)も少しは丸くなったのかもしれない。


「ふぅぅぅぅん。へぇぇぇえ。ほぉぉぉぉお」

「……何だよ? 喋りながら食べるなよ! 溢れるだろ」


 ……丸くなったのかもしれないが、相変わらず癪に障る奴でもあった。兎子は何やら意味深な感嘆符を漏らしながら、羊の方を見て目を細めた。


「そーだったんだ。それで、羊くんはそれを信じちゃったってワケ?」

「え?」

「いや別にぃ〜。何でもな〜い」

「……何なんだよ??」


 何やら言いたいことがあるようだが、性根が捻くれているので素直に口にしそうにもない。羊は苛立って、ポケットから紙を取り出した。先ほど木村刑事から配られた、由高教授の書いた遺書だ。


「ほら、これ見ろ。信じるも何も、彼女本人がそう書いてるんだから」

「そんなもの誰でも書けるでしょ?」

「え?」

「スマホの文章なんて、別に筆跡が残る訳でもないし。AIに文体記憶させて自動生成させたら、そんな遺書、ものの数秒で出来上がるよ」

「これが? まさかこの遺書が、誰かが捏造したものだって言いたいのか?」


 まさか。兎子は羊の顔を凝視して、ケラケラ笑った。羊は戸惑いを隠せなかった。


「分からないのかい? その遺書は【読者への挑戦状】なんだよ」

「は!?」


 その途端、不意に兎子がガバッ!! と起き上がり、羊の目と鼻の先に顔を近づけて来た。羊は危うく尻餅を着きそうになった。前のめりになった兎子の白髪が、羊の頬を撫でる。


「羊くん、キミ、信じちゃったんだ。明らかに掬われてるぜ。そもそも、読んでみて妙だと思わないか?」

「妙?」

「良く良く読んでみな。明らかに可笑しい箇所が何箇所もある。笑っちまうぜ。知ってさえいれば、どう考えてもそんな風には書けない。犯人は……その遺書を作った奴は、致命的なミスを犯してる」

「……致命的なミスって?」

「単純な知識問題さ。だからフェアな勝負とは言えないが……だけど前にも言ったろ? 【ヒントはもう目の前にある】って」

「え……??」


 兎子の顔がさらに寄ってきた。羊の目の前で、兎子の真っ赤な瞳が燃えるように揺らめいた。


「……分からないよ」


 羊は困ったように首を横に振った。


「何を言ってるんだ? この遺書が妙だって?? だけど……だけど動機も、理屈も筋もちゃんと通ってる。それに、仮に捏造されてたら警察だって気づくはずだろ? 先生の生い立ちとか……書いてあること、調べればすぐに分かるはずだよ」

「分っからないかなぁ!」

 兎子が焦ったそうに身を捩った。


「じゃあ……僕が、ネタバレしてあげようか? 犯人」

「え……」

 兎子が羊の瞳を覗き込んだ。

「犯人が知りたいんだろう? どうする?」

「…………」


 冗談を言っているようには見えない。兎子の目は本気だった。暗がりの部屋にしばしの沈黙が訪れる。


 やがて羊は小さく頭を振った。


「いや……やめとくよ。もうちょっと考えてみる」

「ふぅぅぅん!」


 顔を上げると、兎子が愉しそうにニヤニヤ笑っていた。


「ほぉぉぉぉ!」

「何なんだよ……」


 その時だった。

 扉の向こうからかすかに物音が聞こえて来た。階段の軋む音がする。誰かが部屋にやってくるのが分かった。恐らくは沖田だろう。兎子の目の色が変わった。


「あ……僕もう行かなきゃ」

「え?」

「本当は僕、ずっと羊くんの頭の中にいたんだよ」

「はい??」


 兎子がそう言うと、両脇から白い手が幽霊のように伸びて来て、意外なほど力強く羊の顔を挟み込んだ。兎子がクスリと嗤った。


「ほら羊くん、取り憑くのに何かと都合の良い体質だから。居心地が良いんだよ。君は幽霊界の一等住宅だ」

「何言ってるの??」

「羊くん。久しぶりに会えて嬉しかったよ。また何か困ったことがあったら是非呼んでくれ給え。じゃあ、名残惜しいけど僕は帰るとするか。マウス・トゥ・マウスで……」

「何だって!?」


 羊が叫んだ。兎子は目を閉じ、ゆっくりと羊の方に顔を近づけて来た。羊は弾かれるように逃げようとしたが、顔をがっしりと押さえ込まれて、ビクともしない。


「は……離せッ! お前、男だろ!?」

「今は女だよ?」

「やめろ、勝手に人の頭の中に住むな! 助けてぇ! ぎゃ……ぎゃあああああっ!?」


 羊の絶叫が民宿中に響き渡った。


「あああああ……あ……あ?」


 ……そこで目が覚めた。


 気がつくと羊は、布団からはみ出し、土間に落ちるような姿勢で朝を迎えていた。


「はぁ……はぁ……!」


 どうやらいつの間にか眠っていたらしい。窓から飛び込んでくる日差しが眩しい。沖田が羊の顔を覗き込み、怪訝そうな顔をしていた。


「どうした? 悪夢でも見たか?」

「…………」

 

 羊は返事をせず、よろよろと上半身を起こした。全身汗びっしょりだ。ふと布団を確認すると、そこかしこに、ポテトチップスの滓が付いていた。


「……どんな心霊現象だ」


 羊はガックリと項垂れ、そのままのり塩の香りがする布団の上に突っ伏した。

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