6

 足音が雨音と混ざり合い、大気を震わせた。懐中電灯の光線が何本も、フラフラと彷徨う羽虫のように暗闇を撫ぜ、その僅かな灯りを頼りに、羊たちは息を切らして走っていた。足元は泥濘んでいて、思うようには進まない。懐中電灯の他にも、人々の手には鍬や鎌など、各々武器が握りしめられていた。


 子供が2人、血を流して倒れている。


 その知らせを受けて、島の男たちは一斉に飛び出した。羊たちも顔を青くした。恐らくは麗央とレオナに違いない。皆いてもたってもいられなくなった。


 しかし、女性も子供も、全員が全員外に探しに行こうとするので、村長が指揮を取って選抜し、捜索隊を組んだ。嵐はまだ過ぎ去った訳ではない。行方不明者を探しに行って、更なる行方不明者を出してしまっては本末転倒である。


「男はそれぞれ6人1組になって探せ! 他の者は待機だ! こら、婆さん! 待機だと言っとるじゃろうが!」


 そうして羊も、麗央とレオナを探して山へと向かったのだった。


「どっちだ!?」

「こっち!」


 暗がりの中を、どれだけ走っただろうか。やがて山の麓に差し掛かろうとしたところで、先頭を走っていた島民がはたと立ち止まった。


「おかしいな……? 確かにこの付近で」

「よく探せ!」

「気をつけろよ……まだその辺に殺人鬼が彷徨いてるかも知れねえぞ」


 言われるまでもなく、全員が分かっていた。それぞれひと塊りになって、決して逸れないよう、慎重に山の中に分け入っていく。やがて血のついたTシャツの欠片が見つかった時は、悲鳴にも怒号にも近い叫び声が湧き上がった。


「いないぞ……Tシャツだけか!?」

「何処に行ったんだ?」

「こいつぁ……」

「レオのだ……」


 そう呟いたのは、沼上丈治だった。細身の体で必死に人混みを掻き分け、彼は今にも泣き出しそうな顔でTシャツの端を手繰り寄せた。


「レオ……!!」

「この付近だ! この付近にいる! お前ら、徹底的に探せ!」

 散らばっていた光が一箇所に集まってくる。身を縮める丈治の背中が、サーチライトのように照らされた。


「ワシのせいじゃ……」

 そこに、影の中からフラフラと村長が現れ、顔を真っ青にして唇を戦慄かせた。

「村長……」

「村長……一体貴方は何をしたんですか? この島で今、何が起こっているんですか?」

 村人たちに取り囲まれ、村長もとうとう水たまりの中に膝をついた。全員の視線が、一斉に小さな老人に注がれる。


「ワシは……ワシはただ」

「……ネット上で、貴方に纏わる噂を読みました」

 狼狽えるばかりの村長の代わりに、羊がおずおずと切り出した。


「貴方が良からぬ組織と繋がっている、と……それから、先日、不審な山伏と喋っているところも、僕の友人が目撃しています」

「山伏……!?」

「そういや、数日前島で見たな! あいつか!」

「村長! 一体どういう事なんですか!? はっきり説明してくださいよ!」

「死体を……」


 雨が、雷が強くなってきた。やがて村長は観念したのか、消え入りそうな声で、ポツポツと語り始めた。


「ワシはただ、死体を提供しておっただけなんじゃ……」

「死体?」

「別に、別に不思議な事じゃなかろう! 天主堂というところは、結婚式もすれば葬式もする。奴が死体を欲しがったところで……」


 村長のいう奴というのは、前の教祖の事だと、その後の話で分かった。要点をまとめるとこうだ。


 村長はかつて、逃亡する前の教祖から多額の献金と票を受け取る代わりに、裏で彼らに遺体を引き渡していた。


「何だってそんな事……?」

 羊は暗い顔をして呟いた。

「八十道は、子供の心臓を神に捧げ、人知れず人身御供の儀式を行っていた……という噂もあります」

「まさか……そんな!」

「知らん! ワシャ知らん!」

 村長は、今度は顔を真っ赤にして怒鳴った。


「奴らが受け取った死体を、どうしていたのかなど一切知らんわ! 宗教家が、葬式を取り仕切るなんて普通の事じゃろうが!」

「そんな言い訳が通じると思ってるのか」

「それで、奴らとうとう今度は生きた子供を……?」

「やめてよ! 変な事言わないで!」

「アイツら……人の島で何ちゅうことを!」

「道楝は……」


 一方、殺された教祖代行の方は、むしろそれをネタに村長を脅し始めた。それで村長は『阿修羅』と名乗る山伏を雇い入れたのだという。村長が教祖代行を狙っていたのは、やはり真実だったようだ。羊は唸った。ではあの怪文書は、一連の悪事を知ったひ孫が送ったのか。


「僕、村長のひ孫さんが同い年くらいの少女と一緒にいるのを見ました。彼女は神の子と呼ばれていた。もしかしたら……」

「オイオイ。一体何がどうなってやがんだ?」

「やっぱり、その山伏が犯人なんじゃないの?」

「ま、待ってくれ!」

 村長が喘いだ。


「ワシは、ワシは確かにあの若造を痛めつけるよう依頼したが、しかし殺せとまでは……それに、『阿修羅』が天主堂に行った時は、既に道楝は死んでおった、と」

「今更信じられるか、そんな話」

「そうよ! 人殺しを島に招いて、一体どういうつもり!?」

「違う、ワシは……そんなつもりは!」

「何にせよ」


 村人の1人が崩れ落ちる村長を見下ろして吐き捨てた。


「村長、アンタは報いを受けた事になりますな。まさか自分のひ孫が標的にされるとは」

「頼む……助けてくれ……」

 村長がクシャクシャと顔を歪ませ、近くの足に縋りついた。皺だらけの頬を、涙とも、雨ともつかないモノが滑り落ちていく。

「助けてくれ……何でもするから。まさかこんな事になるとは……夢にも思わなんじゃ……!」

 頼む、頼む、と村長は頭を靴に擦り付けた。しばらく、誰も、何も言えなかった。やがて何処か虚ろな目をしたまま、丈治がTシャツの切れ端を握りしめたまま、ゆっくりと立ち上がった。


「レオ……」

「そうだ、とにかく子供だよ」

 島民たちが弾かれたように顔を上げる。事態は一刻を争っていた。

「子供を探さないと!」

「そうだな」

「今は安全の確保が第一だ。怪しい奴が山を彷徨いている。子供たちが行方不明だ。村長と八十道の件は、後から考えよう」

「おぉい!」


 その時だった。暗がりの向こうから、新たな光源がこちらに向かって駆けつけてきた。


「見つかったか!?」

「それが……例の子供じゃないが」


 ぜえぜえと息を切らしながら、村人が興奮気味に鼻息を荒くした。全員急いでそちらに走ると、塗炭屋根のバス停の下で、制服姿の警察官が、ぐったりと横たわっていた。この島に1人しかいない、年老いた駐在さんだった。


「アンタ、大丈夫か!? 一体何があった!?」

「うぅ……」

「シッ! 静かに。今意識を取り戻したところなんですよ」

 横たわる老人に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る村人を、介抱していた女性が咎める。どうやら何者かに後頭部を殴打されたらしい。道端で倒れているところを発見されたのだった。


「誰にやられたんだ!?」

「暗闇から……大きな橙色の袴が飛び出してきて」

「山伏だ!」

 先ほど話していた『阿修羅』に違いない。一同にどよめきが走った。


「鍵を……」

「何!?」

「鍵を取られた……天主堂の鍵だ……」

「何だって!?」


 羊は山の方を振り返った。白い光が、空を裂き、頂上の建物の影を一瞬浮かび上がらせる。後には轟々と、冷たく怒りを滾らせる風の音だけが響き渡る。


 最悪の事態が、その場にいた全員の頭を過ぎった。

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