5

 雨は降ったり止んだり、だが、風はまだまだ強かった。


 5日目の夜。


 船はまだ動かない。だが、天候は順調に回復し、明日の朝には本土から警察がやってくるだろう……という見通しだった。羊は傘を差し、海沿いの路地を風音とともにぼんやりと歩いていた。立ち並ぶ民家は一見日本の何処にでもあるような、普通の民家に見えるが、よく見ると窓ガラスがステンドグラスになっていたり、ベランダの手すりが十字架の形になっている。


 かと思うとマリア像の隣に、小さな鳥居が並んでいたりする。日本式の、伝統的な四角いお墓の上に、十字架がちょこんと乗っているのは、何とも不思議な和洋折衷だった。神とは、仏とは、どうもソーシャル・ディスタンスが上手く取れない性分らしい。


「ダメだったわね」


 墨汁を零したような海を眺めながら、風音がポツリと呟いた。2人は日が落ちる前、八十道の信者たちを訪ねていくつか質問権を行使した。


Q.殺された教祖代行が、夜な夜な天主堂を訪れ、信者を引き連れていたというのは真実か? また、その目的は如何に?


A.我々は仲間を売るようなことはしない。ただ、我々は非常にで、教祖代行のためなら我が身を捨てる覚悟のある者が大勢いる、とだけは言っておく。


Q.犯行動機に心当たりは?


A.皆目見当付かない。犯人は村長に違いない。警察は即刻、沼上一族の怪しい噂を調べ上げ、彼らを逮捕すべきである。我々は、沼上家が裏で反社会的組織と繋がりがあることを知っている。インターネットの匿名掲示板で見た。有名なインフルエンサーもそう言っていた。


Q.八十道の教義は?


A.私たち八十道は、世界を愛と平和で満たし、戦争や貧困を無くし、苦しみに喘ぐ人々の救済を願う人道的宗教団体です。九という数字には、昔から苦(く)というまじないがかけられており、これを取り除こうという考えから名付けられています。今やその活動は世界中に広まっており、毎年8月10日には、この八十八島で『愛の祭典』が開催されています。


 ……と、どうにも暖簾に腕押しと言った具合で、明確な回答は得られなかった。八十道の人々は、9月になったらどうなってしまうのだろうか、などと羊は要らぬ心配をして時間を無駄にした。


 風音がネットで調べたところ、八十道の元教祖は上納金を持って海外に逃亡し、殺された道楝が教祖代行についてから献金ノルマが跳ね上がり、また女癖も悪く各地で隠し子を儲けていたりしたため、信者たちの間ではかなり不満が噴出していたらしい。


「殺される動機は十分あったように見えるわね。彼らは認めようとしないけれど」


 その他、沼上村長は殺し屋を雇い政敵を暗殺しているだとか、八十道は海外マフィアに乗っ取られマネーロンダリングに使われているだとか、六門島では今でも子供の心臓が神に捧げられ、狂信者たちは秘密結社イルミナティと繋がっている……などと言った陰謀論や都市伝説が飛び交っていた。


 大体陰謀論者はイルミナティとかフリーメイソンが大好きである。ピラミッドの中に、瞳が描かれている例のアレだ。だが元々イルミナティとは、1770年代、教会の迷信や不正を暴くために当時の大学教授が作った啓蒙組織イルミネイティドである。


 では何故それが秘密結社になったかというと、1970年代に『イルミナティ』というSFが人気になったからで、それを元ネタに(陰謀論者に有名なあの)カードゲームが作られた。虚構フィクションが現実の未来を予言していた……というのも最近の流行りで、まぁ要するにである。金屏風に書かれた俳句の通りに人が死ぬ、と同じようなものだ。


「つまり人為的なものだってことだよ。きちんと情報を精査すれば、どんなに不可解に見える怪奇現象も、いたずらに恐れることはない」

「だけど、全てが嘘だと斬って捨てられるかしら?」

 風音が立ち止まり、目を細めた。

「少なくとも、村長が怪しい奴と繋がっていたのは確かだわ」

 羊は隣で小さく頷いた。火のないところに煙は立たぬとも言う。それに、噂が現実世界に与える影響力というものを、羊は嫌というほど知っていた。


「犯人は誰だと思う?」

 風音が単刀直入に尋ねた。

「まだ、なんとも」

 羊は力なく首を振った。パズルを解くには、まだ欠片ピースが少なすぎる。風音の言っていたお相手とやらも、結局見つからず終いだ。

「じゃあ、今一番悩んでる事は何?」

「今……は」


 何だろう? やはり、何故犯人はあんな派手な殺し方をしたのか? という点だ。


「つまりさ……前にも言ったけど、普通密室殺人なら、事故とか自殺に見せかけるものだろう? なのにあんな……犯人は何で、あんな手間のかかる殺し方したんだろう? そこまでして……密室を作って、死体を磔にして、心臓を抉り取る……って、結構な重労働だろ?」

「うーん……もしかして、犯人は心臓を抉りとりたかったんじゃなくて、抉らざるを得なかったんじゃないかしら?」

「え?」

 風音は目を輝かせて言った。

「これって大きな違いよ。want toじゃなくてhave toなの。犯人は心臓を理由が別にあった……」


 心臓を捧げざるを得なかった?


 羊は立ち止まり、途方に暮れた。そんな奇怪な理由、思いつく訳もなかった。


 まさか本当に、ガラササマなんてのが存在して、心臓をおねだりしたとでも言うのか? 


 そんなバカな……。


 不意に突風が狭い路地を駆け抜けて行った。横殴りになった雨が羊の頬を叩く。羊はぶるっと背筋を震わせた。振り返ると、波立つ黒い荒海が、路地から零れ落ちた橙色の灯を絡め取って、深い海の底へと引きずり込んで行くところだった。


「戻りましょう」

 風音が空を見上げ、羊の手を取った。

「……これ以上は危険だわ」


 東の空が光った。遠くで小さく雷鳴が轟く。


 第二の事件は、この時すでに始まっていた。


 2人が民宿に戻ると、何やら大勢の人が集まっていて、入り口まで人が溢れ出ていた。羊と風音が顔を見合わせた。


「どうしたの?」

 英里奈たちの元に駆け寄り尋ねると、

「さっき、此処に怪文書が届いたのよ」

「怪文書?」

「写真があるわ。見て……」

 英里奈が顔を青くして、事の経緯を説明してくれた。


『ぬまかみそんちょう へ』


 羊はスマホで撮影した写真を覗き込んだ。辿々しい子供のような字で、封筒にはそう書かれていた。


『オまえの やったことハ

 もうすぐ ヨのなかにでるだろウ。 

 これが さいゴだ。

 おれは ふザけちゃいない。

 イマスぐ じしゅしろ』


「ジシュ……?」


 ……急いで書き殴ったように、文書にはそう書かれていた。羊は眉を潜めた。屋外で書いたのだろうか? 紙はこれ一枚で、ところどころ雨に濡れていた。


「自首、かしら? もうすぐ世の中に出る……? 村長のしたこと……もしかしてあの動画と関係あるのかしら?」

「こりゃあいよいよきな臭くなってきたな」

「これ何処に……?」

「民宿のポストに入れてあったのを、夕方丈吾さんが見つけたのよ」

「何かの暗号? 脅迫文かな。いや、犯行予告かもしれない」


 それで皆、一堂に会しているという訳だった。羊たちは中に急いだ。


「一体どういう事なんですか!?」


 宴会場の中では、案の定村長が大勢の八十道信者たちに詰められていた。この間の光景と真逆だ。今度は村長が怒鳴られ、全員に掴みかかられている。


「村長! やはり貴方が犯人だったのか!」

「違う! ワシは、ワシはただ……」

「何なんですか!」

「この字は……」


 部屋の片隅では、内科医の沼上丈治が食い入るように例の怪文書を見つめていた。どうやらその筆跡に見覚えがあるようだった。丈治は村長の元に歩み寄ると、じ……っと自分の祖父を見下ろした。その顔は亡霊のように青ざめている。全員がそれに注目し、蜂の巣を突いたような騒ぎが、ほんの少し収まった。


「爺ちゃん……」

「じょ……丈治」


 村長・沼上丈一郎が露骨に目を逸らした。だが、大勢の信者たちに囲まれた今、哀れな老人にもはや逃げ場はない。まるで尋問でも受けているみたいに、村長が大粒の汗を滲ませる。


「この手紙は……レオの字だろう?」

「…………」

「話してくれ。息子は……レオは何を知っているんだ!?」

「ワシは……ワシはただ」


 その時だった。勢い良く引き戸が開かれたかと思うと、島民の1人が血相を変えて飛び込んできた。


「大変だ!」


 彼は泡を吹きながら叫んだ。


「子供が2人! 道端で、血を流して倒れてる!!」

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