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「まっず!!」
麻里がカステラ味のかき氷を勢い良く口から噴射した。
「これ、氷じゃなくて全部ザラメじゃない!」
何十畳もある大広間にて。ゼミ生と教授で机を囲んで、羊たちはかき氷に舌鼓を打っていた……はずだったのだが。地域限定の味は、都会っ子の大学生には些か前衛的過ぎた。冷やしたザラメの山を前にして、羊は苦笑いを浮かべた。まぁ、味の好みは人それぞれだと思うけど……ふと風音の方を見ると、先ほどから皿うどん味のかき氷をバリバリ口に放り込んでいた。
「まだまだありますからね。他にもちゃんぽん味、角煮まん味、くじら味……」
「かき氷じゃなかったら最高なのになあ」
「申し訳ございません、あいにくウチの民宿にはかき氷しか置いてなくて……」
「何でだよ!」
「冗談ですよ」
沼上丈吾が苦笑しながらかき氷を運んできた。
「夜にはちゃんとした料理を用意していますから」
「ほんと? やったー、わぁい!」
「良かったわねマリちゃん」
長崎名物を雑に紹介され。
ザラメの在庫処分に付き合わされた羊たちは、それから部屋に荷物を置き、それぞれ色とりどりのジャージに着替えた。これから早速六門天主堂へ向かうのだった。
島の中心部、標高約300mの山の頂上に位置する名所には、麓から歩いて登るしかない。明日から天候がぐずつくようで、なんとしても今日中に登る必要があった。
外に出ると、たちまち湿度の高い熱気が全身にまとわりついてきて、羊はサウナにいるような気分になった。麦わら帽子を被って無かったら、冗談抜きに倒れていただろう。
「みんな揃ったわね? さぁ出発よ!」
「教授、頂上までどれくらいかかるんですか?」
「民宿から約一時間ってとこね」
「ゲェ……!」
「文句言わない!」
派手めな色のジャージに身を包んだ教授に諭され、沖田ががっくりと肩を落とした。登山グッズは沼上さんが貸し出してくれた。何でも彼は208つあるこの八十八諸島の村長の息子で、様々な店に融通が利くらしい。
一堂は一列になって行進を始めた。底抜けに広がる青い空に、蝉の声が四方から湧き上がる。太陽は今のところ我が物顔だが、山の天気は変わりやすい。油断は禁物だった。
しばらくしないうちに、足元がアスファルトから畦道に変わり、麓に辿り着いた。パノラマに見えていた海が木々で覆い隠される。後は深い緑が広がるばかりであった。
山の傾斜は、奥に行けば行くほど険しくなり、突き出た岩や抉れた土を足がかりにして、一行は慎重に足を運んだ。道というよりは、アスレチックの様だった。昇ったと思ったら降りがあったり、中々一筋縄ではいかない。
ようやく山の中腹に至った頃。
最後尾を歩いていた
「ゲェ〜ッ! 見ろよ羊、ここ、圏外だぜ」
水筒の中身を喉の奥に流し込んでいると、沖田が最新機種の一番巨大な大画面を、これ見よがしに羊に突き出してきた。
「ホントに日本か? ここ……」
「まさに異界って感じよね」
その言葉を聞きつけた教授が、嬉しそうに笑う。
「世俗から切り離された秘境……その奥地で、一体どんな信仰が育まれていたのかしら。文献によると、この島には古くから土着信仰があって。彼らは生きたまま少女の胸を切り裂き、カミサマに心臓を捧げ」
「…………」
「その後手足は切り落とされ食物とし」
「…………」
「余った骨は加工され儀式用の道具にされたそうよ! イーッヒヒヒヒヒヒ!」
「…………」
「…………」
嬉しそうなのは、先ほどから教授くらいのものだった。
「彼らが信仰していたのは……ガラササマ」
「ガラサ……?」
「そう。ポルトガル語で神の恩寵って意味。だけどこの島ではキリストが伝来する以前からそんな異形が存在していたの。ガラササマだけじゃない。
教授が汗を拭いながらそう教えてくれた。
「ガラササマ……」
「変な名前ですね」
「西日本ではね、昔は、化け物の名前が『ガ行』で始まる事が多かったの」
「はぁ」
一体どうしてまた。訝しげな顔をしていると、先頭を歩いていた風音が振り返って、くすりと笑った。スレンダーな体に白いジャージが良く似合っている。
「鳴き声がそのまま名前になってるのよ。犬は『わんわん』、猫は『にゃんにゃん』って子供たちが良く呼ぶじゃない? それと同じ」
「へぇ……」
「東日本だとまた違ってて。あっちじゃお化けの名前は『モウ』とか『モコ』とか言うんだって」
かつて関東地方では、幽霊の類はモー、と鳴くと信じられていたらしい。羊は眉を釣り上げた。なるほど。モー、と言えば……牛、だろうか?
「面白いわよね。ふふ。モウチャン、モコチャン。どんな動物の鳴き声か想像つきそうじゃない?」
化け物の鳴き声。名前の由来。羊は微笑み返しながらも、頭の片隅で別のことを考えていた。
モウチャン、モコチャンならまだ可愛らしいが……「ガラサ」などと鳴く化け物は、果たしてどんな姿をしているのだろうか?
「見えてきた……あれよ」
それからさらに数十分後。ほとんど崖に近い斜面を登り終えると、急に視界が拓けた。
羊たちを正面から待ち構えていたのは、二階建ての家ほどはあろうかと言う、巨大な門だった。
観音開きになった扉には、一角獣に妖精、蓮華や菊の花などが隅々まで彫刻されている。枠の上では天使が踊り、裸の女神がこちらを見下ろしほほ笑んでいた。陽の光を浴びて輝くそれは、素人目にも十分素晴らしいものだと理解できた。これが……
「天門、ね」
「はぁ〜っ、マジで異世界への扉って感じだなァ〜!」
扉を見上げ、みんな感嘆の息をもらしていた。あの沖田までもが、スマホでパシャパシャ写真を撮るのも忘れて見入っている。六門天主堂の門の一つ、天門。
最初に出迎えてくれたのは、悠久の幸福を謳う、神々の楽園への
天主堂全体は、何だかサーカスのテントのような形をしていた。有田市から取り寄せたと言う有名な赤煉瓦が積み重なっている。窓はない。屋根の上には十字架が飾られていた。
「入りましょう」
教授が先を促した。
冷静と情熱のあいだのような。
夜と朝の境界のような。
門をくぐると、外の熱気と内の冷気が混ざり合った、そんな二つの空気に包まれて、羊は否応なしに鼓動が早まるのを感じた。
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